僕はあの子に蹴られて《光編》

たぬき85

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第一章「転校生とノーパンJK」

【光】02 僕は転校生

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 「自己紹介できる?」と、ビーグル犬のような髪型の担任が言った。

 光は今、教壇の上に立って三十人弱の視線を一身に集めている。

「――浜岡光です。東京から岩田屋町に引っ越してきました。町のことも学校のことも分からないことがたくさんあるので、よかったら教えてください。よろしくお願いします」

 昨夜ベッドで練った無難すぎる挨拶を言い終えて、光はぺこりと頭を下げた。教室がわっと沸いた。かっこよくない?かっこよくない?と女子が騒いでいる。男子は値踏みするように光の顔を見ている者もいれば、無関心を貫いて自分のスマホの画面を見ている者もいる。

 岩田屋高校の二年一組の教室だった。

 先週で一学期の期末テストが終わり、あとは学校行事のつるべ打ちの先に夏休みが控えている……そんな時期だった。

 今は六時間目のロングホームルームの時間で、これが終われば放課後だった。

 優しいビーグル犬が「君の席はそこだよ」と教えてくれたので、光は教室の窓際の列の一番後ろに座った。もし黒板が見づらかったら言ってねとビーグル犬は付け加えた。担任はどうやらいい人のようで、光は安心した。

 光は椅子に腰を下ろし、カバン――向こうで使っていたノースフェイスのバックパック――を机の横にぶらさげた。後でロッカーの場所を教えてもらおう。気がつくと女子達がちらちらとこちらを振り返って見ている。ひそひそ話はまだ止まない。ただ、どちらかというとポジティブな内容のようだった。かっこいいよね。東京の子って感じ。彼女とかいるのかな。遠距離ってこと?てか、制服めっちゃおしゃれじゃない?あっちの制服なのかな。はっきり聞こえそうで聞こえない声が、教室のあちらこちらから飛んできた。

 教室を見渡す。

 かつて自分が東京で通っていた公立の中学校の教室と似ていた。よく言えば親しみやすく、悪く言えば古めかしい。電子化されていない黒板を久しぶりに見た気がした。隣の席がなぜか無人なのが気になる。風邪でも引いて休んでいるのだろうか。

「――よう、転校生」

 前の席にいた男子が振り返って言った。

「俺は有沢秀太郎。よろしくな」

 握手を求められたので、光はその有沢秀太郎の手を取った。ぐっと力を入れて握られた。なかなか力強い握手だった。

「わからないことがあったら何でも訊いてくれよ、浜岡くん」

「光でいいよ、有沢くん」

「俺も秀太郎でいい。長かったらシュウって呼んでくれ」

 光はシュウと呼ぼうと決めた。シュウは前髪を細いヘアバンドで上げていた。おかげで整えられた眉毛と、くりっとした目がよく見えた。白い開襟シャツの裾をズボンから出しているちょっとだらしない感じが、シュウの印象をチャラくしているように感じられた。

「女子は大騒ぎだな。光は東京でモデルでもやってたのか? めちゃくちゃイケメンだけど」

「やってないやってない」

 そんなことを言われたのは人生で初めてだった。であることはなんとなく意識していたが、実際言われるとむずがゆいものだ。努力して得たものではないものを褒められたときにどう反応するのが正しいのかよく分からなかった。

「てか、シュウもイケメンだよ」

「マジか! 実は兄貴がいるんだけどさ、いつも『兄貴のほうがかっこいい』って言われてばっかでムカついてたんだよな。ありがとう! 光はいいやつだな!」

 シュウはにっこり笑って身を乗り出し、光の背中をバンバンと叩いた。この笑顔を見る限り、きっとシュウの隠れファンの女子は多いだろうと光は思った。

 ビーグル犬が「進路選択の用紙を配るから前を向けよ」と教室全体に呼びかけたので、シュウも前を向いた。その後ろ頭に光は小声で話しかける。

「ねえ、隣の席のやつって休み?」

「いや、なんか今呼び出し食らってるみたい」

「マジか」

 そんなヤンチャなやつが隣の席とは先が思いやられる。

 光は窓の外に目をやった。

 岩田屋高校は高台の上にあり、二年一組の教室は四階である。そこからは岩田屋町の風景がよく見えた。

 話には聞いていたが、岩田屋町は田舎だった。羽田空港から●島空港まで一時間。そこから迎えに来てくれた伯父の車に乗って一時間。最初は目新しかった国道沿いの風景が、どうやらずっと変化しないらしいということに気づいたときに、岩田屋町に着いた。国道沿いには一通りのチェーン店があり、小さいながらも大学のキャンパスや綺麗なマンションもあったが、中学生の頃部活動の遠征で行った北関東の地方都市よりは寂れていた。

 平野部には小さい湖だか沼だかがある。そして奥に槻本山が見える。今朝はあんな遠くから来たのかと思う。

 そう、今朝。

 水鏡川にダイブした後、光はなんとか岸に這い上がった。泳げないというタイプではなかったが、服を着て靴を履いたまま泳ぐのは恐ろしく難しかった。こうやって水難事故は起こるのだと実感させられる形になった。スマホは防水でズボンのポケットに入っていたから無事だったが、自転車とカバンは川の底に沈んでしまった。

 すれ違った女の子は姿を消していた。

 もしかしたら幻だったのかもしれないと光は思った。

 濡れ鼠のまま伯父の家まで戻り事情を話すと、伯父はロープとごっつい金属製のフックを納屋から取ってきて、自転車とカバンを川から引き上げてくれた。銀色のママチャリは重たくて、二人がかりでないと橋の上まで持ち上がらなかった。

 伯父に女の子を見たことを話すと「それはタヌキに化かされたんじゃないか」と笑われた。東京にもタヌキはいたが、彼らは住宅街の側溝や公園の小さな林を根城にして健気に暮らしているだけだった。この雄大な自然が残る岩田屋町のタヌキなら、人を化かすぐらいの力は持っているのかもしれない。

 もはや朝から登校するのはあきらめた。

 光は新調した制服を洗濯機にぶちこむと、捨て方が分からず引っ越しの荷物に放り込んできた東京の学校の制服に着替えた。岩田屋高校の男子の夏服は、白い開襟シャツに黒いスラックスという硬派なものだった。東京で通っていた高校の薄いブルーのシャツとチェックのズボンは、それに比べると華やかな雰囲気にさえ見えた。せっかく買った新しいバッグもずぶ濡れなので、以前使っていたノースフェイスを引っ張り出してきて使うことにした。

 銀色のママチャリは無傷だった。パンクすらしておらず、動かすとどこかから水がちょろちょろとこぼれるぐらいだった。

 開き直った光はゆっくりと昼飯を食い、昼寝までしてコンディションを整えて、朝と同じようにママチャリにまたがって、景色を眺めながらゆっくりと登校してきたのだった。

 それにしても。

 朝のあれはなんだったのだろう。

 物思いにふけっていた光にシュウがほれとプリントを渡してくれた。

 進路希望調査と書かれていた。

 光は何も考える気になれず、そのままプリントを机の中に仕舞った。
 ビーグル犬の進路に関する説法が終わると同時にロングホームルームも終わり、あっという間に放課後となった。

 チャイムが鳴ると同時に光はたくさんの女子に囲まれていた。教室の隅にある光の席に、クラスの女子達が殺到する形である。そして質問攻めが始まる。ねーねー浜岡君。ほんとに東京出身なの?今はどこに住んでるの?なんで転校してきたの?彼女さんとかいるの?タイプの女の子ってどんな感じ?好きな食べ物なに?モデルとかやってたの?東京って芸能人が普通に歩いてるってほんと?てかインスタやってる?

 浴びせられる怒濤の質問をなんとかさばいていると、教室の前扉の辺りから声がした。人垣の向こうなので、光からはその姿は見えない。

「おうおう、にぎやかじゃねーか。おい転校生! ちょっと俺たちと話しようぜ!」

 絵に描いたようなヤンキーの声と台詞だった。
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