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第二章
隣国へ
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視界が歪んで滲んで涙がぽたりと目尻から零れた。
──私たちはみんなリディアルの味方だよ
「・・・ごめんなさい」
粗末な木目の天井、硬いベッド、掛布は薄く肌寒い。
鼻を掠めるのは薄い紅茶の香り、とぽとぽと注ぐ音が聞こえた。
「モーニングティーはいかがかな?」
「ハル・・・」
ハルがベッドに腰掛けるとギィと嫌な音がした。
どうぞと渡されたカップは古ぼけたもので、侯爵家とは天と地の差があり味も然りだった。
「ハル、ありがとう」
「ん、ディアの口には合わないだろうけど・・・真似事だけでもね」
王都を離れて街道を進みながら隣国を目指す、今いるのは小さな町の小さな安宿だ。
たまにこうやって家族の夢を見る、そうすれば必ず目が覚めた時には涙が溢れていて困ってしまう。
「ディア、今ならまだ引き返せるよ」
これを言われるのはもう何度目だろうか、その度にふるふると首を振る。
もう戻れないし、なによりハルの傍を離れたくはない。
なのに、ふと夢を見てしまうのだ。
「ごめんね、ハル」
「謝ってほしいわけじゃない」
髪を梳く指は以前のようにするするとはいかない。
それでもこの指が好きだ、慈しむように細められた目が好きだ。
頬の涙を拭う親指も、重なる唇も、包み込むように抱きしめてくれる腕が好きだ。
「ディア、もう辺境近くにいる。隣国に渡ったらどこかに落ち着こうか」
「今度は足を滑らせないようにしないと」
ふっとお互いの声が漏れて顔を合わせて笑いあった。
前回は気が急いて無理な行軍をした、そして無茶な山越えで滑落したのだ。
一頭の馬に二人で乗って行く、たまに歩いて寄り道もする。
小さな湖や野原の花畑、大きな木の下で午睡を貪ったりもした。
リディアルに追っ手がかかっているかもしれない、だからこそ二人はのんびりと二人旅を装って回り道をしながら旅をした。
鈍色の髪は色粉で黒に、ハルは茶の髪色にして色の入った眼鏡をかけた。
路銀はハルが持ち出したものがそれなりにあるが節約するに越したことはない。
野宿ではハルの外套に収まって眠るのがいい、耳に入る心臓の音が生きていると感じさせてくれる。
平民が着る服にも慣れた、あれこれ合わせなくていいのは楽だ。
ふと襲う郷愁さえなければハルの隣りは心地良い。
ハロッズ辺境伯が治める領都は城から横に高い壁が続いている。
その壁こそが国境であり、この国を護ってきた。
今はもう隣国アクセラとは友好の条約も結び、侵すことも侵されることもない。
今代はハルの母君が嫁してきたが、友好が結ばれた何代も前はこちらの姫君が隣国へ嫁したのだ。
壁にある大門は朝から夕までその門を開き、行商人や街の人々が行き来できるようになっている。
「ハル、通行証もらえる?」
「あぁ、身元さえはっきりしていれば問題ない」
「それって、でも」
今の二人は浮き草のようなものだ、身元を明かすことなんてできない。
ハルはどうするのだろう、こうしている間にも通行証を求める列はじりじりと進んでいくのだ。
「次!」
騎士とも文官ともとれるような大柄な男にハルが胸から一通の書簡を渡す。
「ふむ、王都のデミリオ商会か」
「はい、絹織物について五年ほど勉強させていただきました」
「して、アクセラへは?」
「ルグラン商会へ勉強の成果を持ち帰ります」
なるほど、と男は何枚もの書簡を見定め通行証を渡し、お気を付けてと決まったような言葉で大門へと送り出された。
「・・・ハル?」
「後でね」
ぞろぞろと大門を潜る列に並び通行証を見せ、人波に揉まれるようにリディアルは隣国へと足を踏み入れる。
そのまま馬を引き、人波がばらけたところでハルはにこりと笑って種明かしをしてくれた。
立太子する予定であったハルの頭の中には各領土の知識が詰まっている。
それはもちろんここ辺境伯領でも同じこと、どうすれば安全に隣国へ渡るか。
一度きりの通行証ならばさほど追求はされないことは承知の上で書簡を偽造したという。
「だから今だけディアはトールという名でこの国に入ったんだよ。俺の弟として」
「えっ!?」
「不服かな?」
「弟じゃないのに」
ぷっと頬を膨らませたリディアルにハルは笑って、その手を引いて人気のない路地裏へ連れて行く。
そこでフードを取り去り、額に口付けてから唇を重ねた。
角度を変えながら何度も合わせ、優しく舌を食み上顎をなぞる。
隙間ができないように抱きしめあい、見つめ合った。
「はい、俺のディアになった」
「ハルは?」
「もちろんディアのだよ」
額を合わせてくすくすと笑い合い、お互いの頬を撫でた。
やっとやっとここまで来た。
誰にも手の届かないところ、ここから二人で始める新たな一歩をリディアルは忘れない。
──私たちはみんなリディアルの味方だよ
「・・・ごめんなさい」
粗末な木目の天井、硬いベッド、掛布は薄く肌寒い。
鼻を掠めるのは薄い紅茶の香り、とぽとぽと注ぐ音が聞こえた。
「モーニングティーはいかがかな?」
「ハル・・・」
ハルがベッドに腰掛けるとギィと嫌な音がした。
どうぞと渡されたカップは古ぼけたもので、侯爵家とは天と地の差があり味も然りだった。
「ハル、ありがとう」
「ん、ディアの口には合わないだろうけど・・・真似事だけでもね」
王都を離れて街道を進みながら隣国を目指す、今いるのは小さな町の小さな安宿だ。
たまにこうやって家族の夢を見る、そうすれば必ず目が覚めた時には涙が溢れていて困ってしまう。
「ディア、今ならまだ引き返せるよ」
これを言われるのはもう何度目だろうか、その度にふるふると首を振る。
もう戻れないし、なによりハルの傍を離れたくはない。
なのに、ふと夢を見てしまうのだ。
「ごめんね、ハル」
「謝ってほしいわけじゃない」
髪を梳く指は以前のようにするするとはいかない。
それでもこの指が好きだ、慈しむように細められた目が好きだ。
頬の涙を拭う親指も、重なる唇も、包み込むように抱きしめてくれる腕が好きだ。
「ディア、もう辺境近くにいる。隣国に渡ったらどこかに落ち着こうか」
「今度は足を滑らせないようにしないと」
ふっとお互いの声が漏れて顔を合わせて笑いあった。
前回は気が急いて無理な行軍をした、そして無茶な山越えで滑落したのだ。
一頭の馬に二人で乗って行く、たまに歩いて寄り道もする。
小さな湖や野原の花畑、大きな木の下で午睡を貪ったりもした。
リディアルに追っ手がかかっているかもしれない、だからこそ二人はのんびりと二人旅を装って回り道をしながら旅をした。
鈍色の髪は色粉で黒に、ハルは茶の髪色にして色の入った眼鏡をかけた。
路銀はハルが持ち出したものがそれなりにあるが節約するに越したことはない。
野宿ではハルの外套に収まって眠るのがいい、耳に入る心臓の音が生きていると感じさせてくれる。
平民が着る服にも慣れた、あれこれ合わせなくていいのは楽だ。
ふと襲う郷愁さえなければハルの隣りは心地良い。
ハロッズ辺境伯が治める領都は城から横に高い壁が続いている。
その壁こそが国境であり、この国を護ってきた。
今はもう隣国アクセラとは友好の条約も結び、侵すことも侵されることもない。
今代はハルの母君が嫁してきたが、友好が結ばれた何代も前はこちらの姫君が隣国へ嫁したのだ。
壁にある大門は朝から夕までその門を開き、行商人や街の人々が行き来できるようになっている。
「ハル、通行証もらえる?」
「あぁ、身元さえはっきりしていれば問題ない」
「それって、でも」
今の二人は浮き草のようなものだ、身元を明かすことなんてできない。
ハルはどうするのだろう、こうしている間にも通行証を求める列はじりじりと進んでいくのだ。
「次!」
騎士とも文官ともとれるような大柄な男にハルが胸から一通の書簡を渡す。
「ふむ、王都のデミリオ商会か」
「はい、絹織物について五年ほど勉強させていただきました」
「して、アクセラへは?」
「ルグラン商会へ勉強の成果を持ち帰ります」
なるほど、と男は何枚もの書簡を見定め通行証を渡し、お気を付けてと決まったような言葉で大門へと送り出された。
「・・・ハル?」
「後でね」
ぞろぞろと大門を潜る列に並び通行証を見せ、人波に揉まれるようにリディアルは隣国へと足を踏み入れる。
そのまま馬を引き、人波がばらけたところでハルはにこりと笑って種明かしをしてくれた。
立太子する予定であったハルの頭の中には各領土の知識が詰まっている。
それはもちろんここ辺境伯領でも同じこと、どうすれば安全に隣国へ渡るか。
一度きりの通行証ならばさほど追求はされないことは承知の上で書簡を偽造したという。
「だから今だけディアはトールという名でこの国に入ったんだよ。俺の弟として」
「えっ!?」
「不服かな?」
「弟じゃないのに」
ぷっと頬を膨らませたリディアルにハルは笑って、その手を引いて人気のない路地裏へ連れて行く。
そこでフードを取り去り、額に口付けてから唇を重ねた。
角度を変えながら何度も合わせ、優しく舌を食み上顎をなぞる。
隙間ができないように抱きしめあい、見つめ合った。
「はい、俺のディアになった」
「ハルは?」
「もちろんディアのだよ」
額を合わせてくすくすと笑い合い、お互いの頬を撫でた。
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