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#4
第4変奏(シット—地獄に堕ちろ—!)
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ぼくはモヴという新規参入者のすすめに従ってシャワーを浴び、ミルクの油分をまとわされた皮膚と髪を洗浄し、服も新しいのに取り替えてライブラリーに戻った。
ブースの端に備えつけられたカウチセットで董子とモヴが話しをしていた。
胸がちくりとした。それともヒリッとか?とにかく今まで感じたことのない感覚にぼくはとまどった。
「リョウ」
董子ではなく、モヴが先にこっちを向いて、声をかけてきた。ご丁寧にカウチから立ち上がり、数歩ぼくの方に近づいた上で。董子と話しているときぼくならけっしてしない行動。マスターに呼ばれたら違うかもしれないが、マスターはそういうシュチュエーションを作らない。困惑を膨らませながら考え、戸惑いの真ん中でぼくは憤っていた。そもそもこの状況のたねを撒いた自分のミスに対して。
だから、ぼくの名を呼んだモヴの声の抑揚を聴き逃していた。視力補正器の奥の彼の目にある感情を無視したように。
「董子?」
「モヴにあなたのことを説明してあげてた」
ぼくの何を説明したというのだ?座ったまま首を曲げて向いただけの董子にもチリッと胸の内部が焦げついた。
「データは入ってない?マスターからの派遣ではないのか、彼は?」
「マスターからの派遣よ」他に何があるの?と言いたげに首を傾ける。その動作にはじめて気分の増悪をおぼえた。
「なぜ彼のデータが開示されていなかったんだ?」
「知らないわ」
ぼくが、ぼくの増悪する感情をマスターの迂闊にねじ向けようとする努力なんて想像もしてないのだろう。董子は機嫌がよかった。ぼくでない話し相手が彼女の機嫌をとったのだ。この事実にぼくは落ち込んでしまう。
「しょんぼりしていますね?」モヴは言った。
慇懃とはこういう態度をいうのか、初めて接するキャラクターから実地に学びぼくは戸惑いよりも怒りに近い感情に支配された。こいつが気に食わない。はっきりした意思が形成された。ぼくの董子のそばにきて欲しくない。話し込むなんて!ぼくのいないところで二人だけで……ありえない!否定したい、否定したい、今起きていることすべてをVRをその再生記録ごと消去するように、消し去りたかった。
しかしこれはリアルに起きている、少し前の過去からおそらくこの先の未来までの、ひとつながりの時間と空間の共有なのだ。
(シット!)この時ぼくは自分の排泄物を見るような目をモヴに向けていた。
(お前なんか出てこなければよかった)
おそらく二千年以上前の独裁者が抱いたような、倫理も矛盾も飲みこみすり潰した錯乱した心理から、モヴというおとこ——ぼくと異なる——役割を課されているだろう存在を、その始原生殖細胞にさかのぼって否定しまくった。
ぼくにヘロデ大王くらい権威があったなら…!
それでも"神"はヘロデにはまだ優しかったじゃないか、イエスの出現を占星術の博士を通じ予告してもいる。激怒の発作や不安に陥ったにしろ、段階を踏んでマイナスのエナジィを蓄積したはずだ。まだ救われる。標的を外しはしたが、その怒りは何十か百を超えたかもしれない無辜の命を奪ったことで、一時的にせよ消費できたはずだ。
(シット!)
ヘロデ大王の強権なんか預かっていないぼくにできたのは、メガネ以外特徴のないモヴの顔を睨みつける、それくらいだった。
モヴはぼくの悪感情を理解できたか、メガネの奥で目をほそめ、次いで口の両端をつり上げてみせた。
ぼくをばかにして笑ったのか、マスターに軽んじられたことを同情したのか、もしそれが親和や共感のための笑いかけならこいつはぜったいに調整不足だ。モヴにもあろう発現ミスの可能性を、マイナス点にかすかな希望を託して、ぼくはひたすら敵の目を見つめ続けた。
ブースの端に備えつけられたカウチセットで董子とモヴが話しをしていた。
胸がちくりとした。それともヒリッとか?とにかく今まで感じたことのない感覚にぼくはとまどった。
「リョウ」
董子ではなく、モヴが先にこっちを向いて、声をかけてきた。ご丁寧にカウチから立ち上がり、数歩ぼくの方に近づいた上で。董子と話しているときぼくならけっしてしない行動。マスターに呼ばれたら違うかもしれないが、マスターはそういうシュチュエーションを作らない。困惑を膨らませながら考え、戸惑いの真ん中でぼくは憤っていた。そもそもこの状況のたねを撒いた自分のミスに対して。
だから、ぼくの名を呼んだモヴの声の抑揚を聴き逃していた。視力補正器の奥の彼の目にある感情を無視したように。
「董子?」
「モヴにあなたのことを説明してあげてた」
ぼくの何を説明したというのだ?座ったまま首を曲げて向いただけの董子にもチリッと胸の内部が焦げついた。
「データは入ってない?マスターからの派遣ではないのか、彼は?」
「マスターからの派遣よ」他に何があるの?と言いたげに首を傾ける。その動作にはじめて気分の増悪をおぼえた。
「なぜ彼のデータが開示されていなかったんだ?」
「知らないわ」
ぼくが、ぼくの増悪する感情をマスターの迂闊にねじ向けようとする努力なんて想像もしてないのだろう。董子は機嫌がよかった。ぼくでない話し相手が彼女の機嫌をとったのだ。この事実にぼくは落ち込んでしまう。
「しょんぼりしていますね?」モヴは言った。
慇懃とはこういう態度をいうのか、初めて接するキャラクターから実地に学びぼくは戸惑いよりも怒りに近い感情に支配された。こいつが気に食わない。はっきりした意思が形成された。ぼくの董子のそばにきて欲しくない。話し込むなんて!ぼくのいないところで二人だけで……ありえない!否定したい、否定したい、今起きていることすべてをVRをその再生記録ごと消去するように、消し去りたかった。
しかしこれはリアルに起きている、少し前の過去からおそらくこの先の未来までの、ひとつながりの時間と空間の共有なのだ。
(シット!)この時ぼくは自分の排泄物を見るような目をモヴに向けていた。
(お前なんか出てこなければよかった)
おそらく二千年以上前の独裁者が抱いたような、倫理も矛盾も飲みこみすり潰した錯乱した心理から、モヴというおとこ——ぼくと異なる——役割を課されているだろう存在を、その始原生殖細胞にさかのぼって否定しまくった。
ぼくにヘロデ大王くらい権威があったなら…!
それでも"神"はヘロデにはまだ優しかったじゃないか、イエスの出現を占星術の博士を通じ予告してもいる。激怒の発作や不安に陥ったにしろ、段階を踏んでマイナスのエナジィを蓄積したはずだ。まだ救われる。標的を外しはしたが、その怒りは何十か百を超えたかもしれない無辜の命を奪ったことで、一時的にせよ消費できたはずだ。
(シット!)
ヘロデ大王の強権なんか預かっていないぼくにできたのは、メガネ以外特徴のないモヴの顔を睨みつける、それくらいだった。
モヴはぼくの悪感情を理解できたか、メガネの奥で目をほそめ、次いで口の両端をつり上げてみせた。
ぼくをばかにして笑ったのか、マスターに軽んじられたことを同情したのか、もしそれが親和や共感のための笑いかけならこいつはぜったいに調整不足だ。モヴにもあろう発現ミスの可能性を、マイナス点にかすかな希望を託して、ぼくはひたすら敵の目を見つめ続けた。
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