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行方不明の少年の話
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これは行方不明の少年の噂話。
「こんばんは」
A氏は真面目と言える学生ではなかった。授業をサボタージュしてその場で引っかけた女の子とゲームセンターやカフェに行って遊ぶ日々。けれど周りの人間はそんなA氏を責めたり、まともになれと声をかけたりはしなかった。何故ならA氏は頑張らなくても中の上くらいの成績なら取れてしまっていたからだ。
ある夏の、家族は旅行に出かけてしまい家に1人きりで過ごしていた時の話だ。夜の帳もすっかり落ちてA氏がガールフレンドでも家に呼んで、映画でも見るかと電話を手に取った時、玄関からリンゴーンとチャイムが鳴った。彼は軽く舌打ちしつつ、文句を言う為に玄関の扉を開けた。
「えっと…誰ですか?」
玄関のドアを開けるとそこにはA氏より身長が20センチ程高くがたいの良い男性が立っていた。特徴を軽く述べるなら頭髪は黒色でピンパーマと無造作ヘアの中間くらいの髪型をしている。黒のフルリム眼鏡の奥にある三白眼気味の瞳は赤く鋭い。唇は厚く、薄く濡れていて情欲的だが、笑っているのが口元だけなのが少し不気味であった。そして、黒いカソックコートを身に付けている。カソックコートと言えば神父様が着る服であるが彼のソレは所々が赤黒く汚れているようにすら見えた。何故彼がこんなに詳しくその男を分析出来たかというと、暇な時間に男性向け美容雑誌を読み耽っていたからである。
「こんばんは」
「は?いや、だから誰?」
「君は…か」
その男はA氏の名前を知っているようで、ポケットから取り出したメモ帳をちらちらと見ながら話しかけてくる。A氏は気味が悪くなり、扉を閉めようとしたが男は口早に母親から家庭教師を頼まれたのだと話し始めた。
「休みの間、課題を見てやって欲しいと頼まれてな」
「課題?そんなのやらないから、帰ってよ」
「君のお袋さんからもう料金は貰っているんだ。帰るなんて出来ない」
「えー、余計なお世話なんだけど」
男は半開きのドアを掴んで離さない。かなり力強い。A氏はこれ以上のやり取りは愚問だと感じ、仕方なく諦める事にした。
「入っていいか?」
「勝手にすれば~」
A氏が投げやりに答えると、男はしっかりとした口調で『お邪魔します』と呟いた。とんだ変人の家庭教師だなと彼はリビングに戻るのであった。
閑話休題。
結論から言うと、男の指導は大変心地が良いものだった。A氏の性格に配慮し必要最低限の助言と的確な意見を述べてくるのだ。A氏は元々地頭だけは良かったので、少し教われば問題を解く事が出来る。彼が問題を解くと男は手袋をわざわざ外してA氏の髪を撫でて来た。同性に触れられるなんて気色が悪い、と嫌悪する所だが男に美しく甘い声で囁かれると上手く拒絶出来ず、背筋がビクついてしまう。普段女の子にボディタッチを〝する側〟のA氏にとって〝される側〟は初めての経験であった。課題がある程度進んだ所で男は紅茶を啜り、そして立ち上がった。
「じゃあまた明日」
「え、帰んの?」
「明日は茶菓子を拵えるよ」
そう言って男は悠然と玄関から去って行った。A氏は暫く呆然としていたが、夜も深いのでシャワーを浴びて寝る事にした。
後日、男はまた夜遅くに玄関に立っていた。何故A氏がそれに気づけたかと言うとリビングの窓に人影が映ったからである。
A氏が扉を開けると男は、甘い音色で挨拶をした。
「やぁ、こんばんは」
「どうもっす、本当に来たんだ」
男はおもむろに紙袋からクッキーを取り出してA氏の掌に乗せた。砂糖の焼けた甘い匂いが鼻孔を擽る。菓子が大好きなA氏はすぐさまクッキーを口にほうばりムシャムシャと食べてしまった。
「凄く美味しいクッキーですね、こんなの初めて食べた」
「そうだろう、俺が作ったんだ」
お前の為に、と男は告げる。丁寧な家庭教師様だなぁと彼は思い、男をリビングに通した。昨日の続きから課題を進め、A氏は淡々と問題を解いた。上手く出来れば男が褒めてくれるのだ、1ページ終わる度に男は紙袋からクッキーを取り出してA氏の口まで運ぶ。最初は自分で食べれると主張していたA氏も、暫くするとペンを机に置くより食べさせて貰った方が楽だと男の指に唇を這わせるようになった。こんな姿は誰にも見せられないと、このことは誰にも秘密にしようとA氏は誓った。
次の日も同じ様に男はやって来た。クッキーはカップケーキに変わりA氏の舌を蕩けさせた。
「そういえば、名前聞いてなかったですよね」
「先生、で構わないよ」
「流石に名前くらい教えて下さいよ。オレ、アンタがどんな人か全然分かんないからさ」
A氏の言葉に男は、本当に親しい人にしか教えられないと呟く。そういう〝宗派〟なのだと。A氏は男の服装から見て堅苦しい掟があるんだなと悟った。A氏はすっかり男に興味津々で、恋人は居るのか、家は何処か、何歳なのかなど質問攻めをしたがしっくりくる返事は何一つ貰えることはなかった。
次の日、A氏は男を来るのを今か今かと待っていたが、男は時間になっても来なかった。A氏は男が来ないことを残念に思っている自分自身に驚き、狼狽した。誰かに気持ちを肩入れした事が無かったからだ。すっかり不貞腐れたA氏はベッドに横になり昨日食べたカップケーキや男の眼差し、髪を撫でる時の吐息を思い出しながら眠りについた。
そして、休日。A氏は辛気臭さを吹っ切る為友人を家に招いてパーティーをして騒いだ。ピザをデリバリーして、友人が家から掠め取って来たアルコール類を飲んで盛り上がっている最中、玄関からリンゴーンとチャイムが鳴った。
「…あ」
「おい、ピザはもう要らねーって」
「違うかも、待って」
A氏は急いで玄関ホールまで行くとあの男が立っていた。扉を開けていないのに。
「い、いきなり来ないで下さいよ」
「玄関の鍵が空いていたぞ、不用心だな」
そう言って男はリビングまで歩き始める。A氏は待って、と声をかけてリビングにたむろする友人達にお開きにしたいとお願いをした。友人達はブーイングの嵐で一緒に居たガールフレンドも不満を漏らす。すると、酔っ払った友人の1人が気分を悪くしA氏に殴りかかろうとした。A氏は一瞬、自分の片目が抉れる、と身構えたが男が友人の足先を思い切り踏み込んだことで殴られずに済んだ。友人は悲鳴を上げながら床をのたうち回っている。面倒事になると察したその他は酒を持ってそそくさと部屋から出て行った。
「ねぇ、この人だれなの」
ガールフレンドは至極真っ当な意見をぶつけたがA氏は上手く答える事が出来ない。家庭教師だという以外の情報が無いからだ。
「そうだ。今日は茶菓子の代わりに薔薇を持って来た」
男はガールフレンドには目もくれず紙袋からラッピングされた薔薇を一本、A氏に差し出した。
「庭で薔薇を栽培してるんだが、この薔薇は特殊で〝枯れない〟んだ」
「いや、空気読んで下さい」
A氏は右からガールフレンドに睨み付けられ、左から薔薇を差し出された。どっちを選ぶのかと暗に言われている状況である。
この後どうなったのか、というとA氏は男曰く〝枯れない〟薔薇を手に取りガールフレンドに罵声を浴びせられ平手打ちを食らった。男はその一連の流れには興味が無かった様でテーブルに座り課題のノートを眺めていた。
「最悪だわ…」
「じゃあ、20ページから」
「オレ、振られたんすよ」
「…お前は振られたんじゃなくて、振ったんだ」
「そんなポジティブに考えられないんで」
「考えとかじゃないだろう、だって事実なんだから」
そう言って男は薔薇を握るA氏の掌にキスをした。まるで何処ぞの騎士の様な振る舞いだが、生憎A氏はお姫様じゃないのでときめきより現在の状況で頭がいっぱいだった。
A氏はガールフレンドと別れ、友人達とも疎遠になってしまった。スクールは相変わらずサボタージュしていたし、自分が惨めであると感じ始める。ふと、薔薇の香りが部屋に充満していることに気づいた。テーブルに放置された薔薇は枯れずに咲き続けており、A氏は男に会いたいと思う様になった。男を〝同性〟の家庭教師として真っ直ぐに関わる事が出来なくなったのだ。瞳も唇も指先もセクシーであると認めざるを得ない。A氏は自分がおかしくなってしまったのだとますます惨めに感じていた。
「今日はパイを焼いて来た」
「アップルパイ」
「好きか?」
「めっちゃ好き」
けれど、そういった感情も男に会えば何処かに吹き飛んでしまった。アップルパイは今まで食べたどんな食べ物より美味く頬が落ちそうになる。やがてA氏は、髪を撫でられる指に自分の指を重ねる様になった。男も気を良くしてそのまま指先を絡め合うのだ。その時だけはよく分からない男に身を任せる行為に溺れていた。
A氏にはギークの友人が居た。というより身分の高い友人達から干されてしまったので、ギークの友人しか残って居なかった。彼はオカルトマニアで迷信深い雑誌を読み漁っていた。彼曰く、噂も偏見も超自然的な存在らしい。
「面白い記事を読んだんだ。君も読む?」
「えー、どうせまた嘘っぱちの幻でしょ」
A氏は友人の部屋で雑誌を読みつつ、胡座をかいた。
「〝悪魔〟の記事なんだけど…」
「悪魔?」
「悪魔は自分で人間の家に入ることが出来ないんだ。だからノックをして、入っていいかと尋ねてくる。その時に絶対いいよなんて言ってはいけないよ。一度でも許可を出すと悪魔は勝手に出入りするようになるんだ」
「はぁ…」
「あと、悪魔から食べ物を貰っては駄目だ。ほっぺが落ちる程美味しいのは冥界の食べ物だからなんだ。特にザクロは絶対に食べちゃだめ、悪魔に魂を捧げる契約の食べ物だから」
友人が雄弁に語る中、A氏の電話が鳴った。彼が出ると、その着信は旅行中の母親からだった。
「母さん?元気してる?」
「すっごく元気よ!アンタは毎日ちゃんと勉強してる?」
「してるよ、母さんが頼んだ家庭教師が居るし」
「家庭教師?頼んで無いけど」
A氏はあまりに驚いて電話を切ってしまった。隣に居た友人も彼の様子に思わず声をかける。
「どっ、どうしたの?」
「ごめん、オレ帰るわ…」
A氏は友人宅を飛び出して、自宅に帰った。空は夕暮れに紅く染まっている。A氏は玄関の鍵を開けて中に飛び込むと〝何か〟とぶつかってしまった。〝何か〟がA氏の前に立っていた。
「今日はザクロを持ってきたよ、一緒に食べよう」
「何でっ、鍵かけたのに…」
〝何か〟は紙袋から艶やかな採れたてのザクロを取り出した。
A氏は蛇に睨まれたカエルの様に動く事が出来ない。
「そういえば、お前は俺の名前を知りたがっていたな」
「アンタ、何者なの」
俺の名前は…と男は囁きザクロを一つ、プツリともぎ取って口に咥えA氏に口付けをした。
後悔先に立たず、この男の服が赤黒かったのは正しくザクロの汁の所為であった。
A氏は泣きながら玄関に飾らせた家族写真に別れを告げた。
無人の家に帰って来た家族が見たのは、咲き続ける薔薇だけでした。
「こんばんは」
A氏は真面目と言える学生ではなかった。授業をサボタージュしてその場で引っかけた女の子とゲームセンターやカフェに行って遊ぶ日々。けれど周りの人間はそんなA氏を責めたり、まともになれと声をかけたりはしなかった。何故ならA氏は頑張らなくても中の上くらいの成績なら取れてしまっていたからだ。
ある夏の、家族は旅行に出かけてしまい家に1人きりで過ごしていた時の話だ。夜の帳もすっかり落ちてA氏がガールフレンドでも家に呼んで、映画でも見るかと電話を手に取った時、玄関からリンゴーンとチャイムが鳴った。彼は軽く舌打ちしつつ、文句を言う為に玄関の扉を開けた。
「えっと…誰ですか?」
玄関のドアを開けるとそこにはA氏より身長が20センチ程高くがたいの良い男性が立っていた。特徴を軽く述べるなら頭髪は黒色でピンパーマと無造作ヘアの中間くらいの髪型をしている。黒のフルリム眼鏡の奥にある三白眼気味の瞳は赤く鋭い。唇は厚く、薄く濡れていて情欲的だが、笑っているのが口元だけなのが少し不気味であった。そして、黒いカソックコートを身に付けている。カソックコートと言えば神父様が着る服であるが彼のソレは所々が赤黒く汚れているようにすら見えた。何故彼がこんなに詳しくその男を分析出来たかというと、暇な時間に男性向け美容雑誌を読み耽っていたからである。
「こんばんは」
「は?いや、だから誰?」
「君は…か」
その男はA氏の名前を知っているようで、ポケットから取り出したメモ帳をちらちらと見ながら話しかけてくる。A氏は気味が悪くなり、扉を閉めようとしたが男は口早に母親から家庭教師を頼まれたのだと話し始めた。
「休みの間、課題を見てやって欲しいと頼まれてな」
「課題?そんなのやらないから、帰ってよ」
「君のお袋さんからもう料金は貰っているんだ。帰るなんて出来ない」
「えー、余計なお世話なんだけど」
男は半開きのドアを掴んで離さない。かなり力強い。A氏はこれ以上のやり取りは愚問だと感じ、仕方なく諦める事にした。
「入っていいか?」
「勝手にすれば~」
A氏が投げやりに答えると、男はしっかりとした口調で『お邪魔します』と呟いた。とんだ変人の家庭教師だなと彼はリビングに戻るのであった。
閑話休題。
結論から言うと、男の指導は大変心地が良いものだった。A氏の性格に配慮し必要最低限の助言と的確な意見を述べてくるのだ。A氏は元々地頭だけは良かったので、少し教われば問題を解く事が出来る。彼が問題を解くと男は手袋をわざわざ外してA氏の髪を撫でて来た。同性に触れられるなんて気色が悪い、と嫌悪する所だが男に美しく甘い声で囁かれると上手く拒絶出来ず、背筋がビクついてしまう。普段女の子にボディタッチを〝する側〟のA氏にとって〝される側〟は初めての経験であった。課題がある程度進んだ所で男は紅茶を啜り、そして立ち上がった。
「じゃあまた明日」
「え、帰んの?」
「明日は茶菓子を拵えるよ」
そう言って男は悠然と玄関から去って行った。A氏は暫く呆然としていたが、夜も深いのでシャワーを浴びて寝る事にした。
後日、男はまた夜遅くに玄関に立っていた。何故A氏がそれに気づけたかと言うとリビングの窓に人影が映ったからである。
A氏が扉を開けると男は、甘い音色で挨拶をした。
「やぁ、こんばんは」
「どうもっす、本当に来たんだ」
男はおもむろに紙袋からクッキーを取り出してA氏の掌に乗せた。砂糖の焼けた甘い匂いが鼻孔を擽る。菓子が大好きなA氏はすぐさまクッキーを口にほうばりムシャムシャと食べてしまった。
「凄く美味しいクッキーですね、こんなの初めて食べた」
「そうだろう、俺が作ったんだ」
お前の為に、と男は告げる。丁寧な家庭教師様だなぁと彼は思い、男をリビングに通した。昨日の続きから課題を進め、A氏は淡々と問題を解いた。上手く出来れば男が褒めてくれるのだ、1ページ終わる度に男は紙袋からクッキーを取り出してA氏の口まで運ぶ。最初は自分で食べれると主張していたA氏も、暫くするとペンを机に置くより食べさせて貰った方が楽だと男の指に唇を這わせるようになった。こんな姿は誰にも見せられないと、このことは誰にも秘密にしようとA氏は誓った。
次の日も同じ様に男はやって来た。クッキーはカップケーキに変わりA氏の舌を蕩けさせた。
「そういえば、名前聞いてなかったですよね」
「先生、で構わないよ」
「流石に名前くらい教えて下さいよ。オレ、アンタがどんな人か全然分かんないからさ」
A氏の言葉に男は、本当に親しい人にしか教えられないと呟く。そういう〝宗派〟なのだと。A氏は男の服装から見て堅苦しい掟があるんだなと悟った。A氏はすっかり男に興味津々で、恋人は居るのか、家は何処か、何歳なのかなど質問攻めをしたがしっくりくる返事は何一つ貰えることはなかった。
次の日、A氏は男を来るのを今か今かと待っていたが、男は時間になっても来なかった。A氏は男が来ないことを残念に思っている自分自身に驚き、狼狽した。誰かに気持ちを肩入れした事が無かったからだ。すっかり不貞腐れたA氏はベッドに横になり昨日食べたカップケーキや男の眼差し、髪を撫でる時の吐息を思い出しながら眠りについた。
そして、休日。A氏は辛気臭さを吹っ切る為友人を家に招いてパーティーをして騒いだ。ピザをデリバリーして、友人が家から掠め取って来たアルコール類を飲んで盛り上がっている最中、玄関からリンゴーンとチャイムが鳴った。
「…あ」
「おい、ピザはもう要らねーって」
「違うかも、待って」
A氏は急いで玄関ホールまで行くとあの男が立っていた。扉を開けていないのに。
「い、いきなり来ないで下さいよ」
「玄関の鍵が空いていたぞ、不用心だな」
そう言って男はリビングまで歩き始める。A氏は待って、と声をかけてリビングにたむろする友人達にお開きにしたいとお願いをした。友人達はブーイングの嵐で一緒に居たガールフレンドも不満を漏らす。すると、酔っ払った友人の1人が気分を悪くしA氏に殴りかかろうとした。A氏は一瞬、自分の片目が抉れる、と身構えたが男が友人の足先を思い切り踏み込んだことで殴られずに済んだ。友人は悲鳴を上げながら床をのたうち回っている。面倒事になると察したその他は酒を持ってそそくさと部屋から出て行った。
「ねぇ、この人だれなの」
ガールフレンドは至極真っ当な意見をぶつけたがA氏は上手く答える事が出来ない。家庭教師だという以外の情報が無いからだ。
「そうだ。今日は茶菓子の代わりに薔薇を持って来た」
男はガールフレンドには目もくれず紙袋からラッピングされた薔薇を一本、A氏に差し出した。
「庭で薔薇を栽培してるんだが、この薔薇は特殊で〝枯れない〟んだ」
「いや、空気読んで下さい」
A氏は右からガールフレンドに睨み付けられ、左から薔薇を差し出された。どっちを選ぶのかと暗に言われている状況である。
この後どうなったのか、というとA氏は男曰く〝枯れない〟薔薇を手に取りガールフレンドに罵声を浴びせられ平手打ちを食らった。男はその一連の流れには興味が無かった様でテーブルに座り課題のノートを眺めていた。
「最悪だわ…」
「じゃあ、20ページから」
「オレ、振られたんすよ」
「…お前は振られたんじゃなくて、振ったんだ」
「そんなポジティブに考えられないんで」
「考えとかじゃないだろう、だって事実なんだから」
そう言って男は薔薇を握るA氏の掌にキスをした。まるで何処ぞの騎士の様な振る舞いだが、生憎A氏はお姫様じゃないのでときめきより現在の状況で頭がいっぱいだった。
A氏はガールフレンドと別れ、友人達とも疎遠になってしまった。スクールは相変わらずサボタージュしていたし、自分が惨めであると感じ始める。ふと、薔薇の香りが部屋に充満していることに気づいた。テーブルに放置された薔薇は枯れずに咲き続けており、A氏は男に会いたいと思う様になった。男を〝同性〟の家庭教師として真っ直ぐに関わる事が出来なくなったのだ。瞳も唇も指先もセクシーであると認めざるを得ない。A氏は自分がおかしくなってしまったのだとますます惨めに感じていた。
「今日はパイを焼いて来た」
「アップルパイ」
「好きか?」
「めっちゃ好き」
けれど、そういった感情も男に会えば何処かに吹き飛んでしまった。アップルパイは今まで食べたどんな食べ物より美味く頬が落ちそうになる。やがてA氏は、髪を撫でられる指に自分の指を重ねる様になった。男も気を良くしてそのまま指先を絡め合うのだ。その時だけはよく分からない男に身を任せる行為に溺れていた。
A氏にはギークの友人が居た。というより身分の高い友人達から干されてしまったので、ギークの友人しか残って居なかった。彼はオカルトマニアで迷信深い雑誌を読み漁っていた。彼曰く、噂も偏見も超自然的な存在らしい。
「面白い記事を読んだんだ。君も読む?」
「えー、どうせまた嘘っぱちの幻でしょ」
A氏は友人の部屋で雑誌を読みつつ、胡座をかいた。
「〝悪魔〟の記事なんだけど…」
「悪魔?」
「悪魔は自分で人間の家に入ることが出来ないんだ。だからノックをして、入っていいかと尋ねてくる。その時に絶対いいよなんて言ってはいけないよ。一度でも許可を出すと悪魔は勝手に出入りするようになるんだ」
「はぁ…」
「あと、悪魔から食べ物を貰っては駄目だ。ほっぺが落ちる程美味しいのは冥界の食べ物だからなんだ。特にザクロは絶対に食べちゃだめ、悪魔に魂を捧げる契約の食べ物だから」
友人が雄弁に語る中、A氏の電話が鳴った。彼が出ると、その着信は旅行中の母親からだった。
「母さん?元気してる?」
「すっごく元気よ!アンタは毎日ちゃんと勉強してる?」
「してるよ、母さんが頼んだ家庭教師が居るし」
「家庭教師?頼んで無いけど」
A氏はあまりに驚いて電話を切ってしまった。隣に居た友人も彼の様子に思わず声をかける。
「どっ、どうしたの?」
「ごめん、オレ帰るわ…」
A氏は友人宅を飛び出して、自宅に帰った。空は夕暮れに紅く染まっている。A氏は玄関の鍵を開けて中に飛び込むと〝何か〟とぶつかってしまった。〝何か〟がA氏の前に立っていた。
「今日はザクロを持ってきたよ、一緒に食べよう」
「何でっ、鍵かけたのに…」
〝何か〟は紙袋から艶やかな採れたてのザクロを取り出した。
A氏は蛇に睨まれたカエルの様に動く事が出来ない。
「そういえば、お前は俺の名前を知りたがっていたな」
「アンタ、何者なの」
俺の名前は…と男は囁きザクロを一つ、プツリともぎ取って口に咥えA氏に口付けをした。
後悔先に立たず、この男の服が赤黒かったのは正しくザクロの汁の所為であった。
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