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第17話 気になる人
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毎月1回だけの読書愛好会の活動は、それほど時間が経過しないうちに終了した。考えてみれば、読んだ本の内容を詳しく紹介しすぎるのもネタばれになるし、1冊1冊にかける時間が多大に増える理由はなかった。
結局は各自が読んだ本のあらすじを、お互いにレポートして情報を共有するのが目的だった。その後は部室内で好き勝手に雑談する。最初は読書愛好会らしく本の話題が中心なものの、後半になるとジャンルは一切構わなくなっていく。
「ところで、東雲さんって彼氏いるの」
小笠原会長による突然の質問で、私は危うく口に含んでいたお茶を噴き出しそうになった。部室にはポットと紙コップが常備されており、メンバーは好きな時にお茶を飲めるようになっている。
情報を教えてもらうと同時に、副会長の阿部康子さんにお茶を勧められた。遠慮なく頂いていたところに、先ほどの質問をお見舞いされた。よくぞ口から噴射させずに済んだものだと、我ながら驚く。
それでも咳き込むのは避けられず、皆が見ている前で「ゴホ、ゴホっ」と動揺を露にしてしまう。同じ女性の副会長は、こちらの態度で恋人がいるかどうかわかったみたいだった。けれど男性陣にいたっては、答えを聞きたげに私の顔を覗いてくる。そんなに知りたいのなら、別に隠す必要もない。
「……いません」
気恥ずかしさは多少あったものの、わりとはっきりした口調で彼氏の有無を教えた。恋人の不在歴イコール自分の年齢なのだ。どう思い違いをしても、答えはひとつしかなかった。
「だってさ。よかったな、糸原」
「だから、どうしてそういう話になるんですか」
ややむくれた様子で糸原さんが反論する。そんなに嫌がらなくてもと思ったりするけれど、人の心情にまでとやかく言う資格はない。
「あまり感心できる態度ではないわね。東雲さんじゃなくとも、女性なら傷つくような台詞になっているわよ」
年上の女性でもある阿部さんに指摘されると、途端に糸原さんが申し訳なさそうな顔をする。
「ご、ごめん。そんなつもりではないんだ」
「い、いえ……気にしないでください」
そうとしか言いようがなかった。下手に濃密なフォローをしてしまうと、小笠原会長にどんなからかわれ方をするかわからない。ゆえに無難に応じたつもりだったんだけど、揃って赤面する結果になってしまった。
「青春だねぇ」
妙にお互いを意識している私と糸原さんを眺めながら、やはり冷やかすような言葉を会長が飛ばしてくる。いわゆる恋話というのか、こういうのに慣れてない私には苦笑いするのが精一杯だった。
「少し無粋が過ぎるわよ。それとも、出歯亀みたいな職業で社会へ旅立とうとでも考えているのかしら」
結構というか、だいぶ辛辣な発言で副会長が小笠原さんへ注意する。私なら、即座に頭を下げているところだ。しかし当人はあまりこたえておらず「へーへー」と軽すぎる返事をする程度だった。
「おっと。ずいぶんと話し込んでいたみたいだな。もう夜だ」
小笠原さんに言われて、私もようやく窓の外の景色を彩る色が暗くなってるのに気づいた。
「本当ね。そろそろ解散にしましょうか。東雲さんはまだ地理に慣れていないだろうから、糸原君が途中まで送ってあげるといいわ」
*
読書愛好会の月1回の活動が終了しようという頃、副会長の女性がさらりと口にした台詞。誰もが予測していなかった先輩の指示で、少しだけ格好良いと思っていた男性と、ネオン輝く夜の街を並んで歩いている。普段はバイト帰りに通過したりするだけなので、とりたてて何の感想も抱いてなかった。
「ええと……さすがに、家の前までは送らない方がいいよね」
隣にいる男性こと糸原満さんが、そんな言葉をかけてきた。何を言われてるのかすぐには理解できず、思わず「え?」と気の抜けた声を上げてしまう。少しだけ困ったように微笑んだ糸原さんは、やや声のトーンを落として「色々と問題があるから」と告げてきた。
どこか歯切れの悪い台詞を聞き終えたあと、ようやく相手男性が言わんとしている真意に気づけた。要するに、こちらが住所を知られるのを嫌がってると思っているのだ。家へあげるわけでもないので、糸原さんなら構わないような気もするけれど、付き合いの長さも密度もない状態で軽々に判断はできなかった。とりあえずは、相手の流れに乗っておこうと決める。
「そうですね。それじゃあ、近くまででお願いします」
その方が相手男性も変に気を遣わないだろう。なにより私も妙な意識をせずに済む。とはいえ、年齢の近い異性と二人で歩いてるだけでも緊張する。
「東雲さんって……」
「――えっ!? あの、な、何ですか」
普通に話しかけられるだけでこの有様なのだから、我ながら恥ずかしくなる。常に微笑を浮かべている糸原さんでさえも、こちらの反応に驚いている。
――やってしまった。顔中どころか、耳の先まで赤くする。できれば時間を巻き戻したいけれど、生憎と私はそんな反則アイテムを所持していなかった。挙動不審と言われても仕方ないリアクションだったにもかかわらず、心優しいサークルの先輩は何事もなかったかのように会話を継続してくれる。
「アルバイトとかしてるの?」
どうしてそんな質問を、なんて勘繰ってみたりもするけれど、最近少しずつ気づいてきたことがある。本人――つまりは私が思うほどに、他人はこちらを意識してないのだ。なのにどこかから声が聞こえてくると、自分に文句を言ってると勘違いする。
もっとも実際にそうしたケースも多々存在するので、ある意味仕方のない反応ともいえる。けれどこうして自分に少しでも自信を持てれば、意外と周囲の雑音は気にならなくなる。現在の私がそうした状態だった。
「はい。スーパーでレジを打ってます」
秘密にする必要もないと判断したので、素直に教える。勤務しているスーパー名も告げると、糸原さんは「ああ」と表情を明るくする。どうやら知っている店だったようだ。
「今日は休みを貰って、サークルの活動に参加していたんです」
「そうなんだ。僕もそのお店はよく利用してるんだけど、気づかなかったな」
「アルバイトを始めたのは最近ですから」
とりとめのない話をしながら街を歩き、家の近くまできたところで、私は糸原さんと別れたのだった。
*
読書愛好会の活動終了後、自宅近くまで送ってもらった糸原さんと、すぐに再会する機会がやってきた。部室に顔を出したわけではなく、出会ったのは実に意外な場所だった。
「いらっしゃいませ」
やや戸惑いながら接客する私に対して、レジに買い物カゴを置いた糸原さんは実に楽しそうだ。にこやかな表情で、アルバイト中の私を眺める。アルバイトとはいえ、スーパーの店内で仕事をするのには変わりないため、勤務している女性社員同様に制服を着用中だった。それが物珍しいのか、凝視という形容が似合うくらいにこちらを見つめてくる。
普段とは違う緊張感に包まれながらレジ業務を行なう。だいぶ慣れてきたのもあるせいか、最近ではレジをひとりで任せられるようになった。合計金額を告げて、料金を受け取る。一連の動作をしている最中に、糸原さんが突然声をかけてきた。
「その恰好、似合ってるね」
相手男性の表情を見れば、どこかのサークルの会長みたいに、からかいたがってるわけじゃないのがわかる。実に真面目な顔つきで先ほどの台詞を言われれば、私でなくとも照れる。
「あ、ありがとお、ございました」
お釣りを返しながらの挨拶はどもり、なおかつそれ自体も変な感じになってしまった。恥ずかしくてたまらない私を前にして、少しだけ申し訳なさそうにしつつも、やはり糸原さんはどこか楽しそうだ。
「今日はどうしたんですか」
丁度、お客さんもいない時間帯で、担当中のレジには他に誰も並んでいない。そうした事情もあって、私は糸原さんに話しかけた。突然の訪問に対する逆襲をしたいというのも、少しだけあるかもしれない。
「どうしたもなにも、良く利用するって教えたはずだけど」
確かにそのとおりだ。しかし、昨日の今日で、これまで店で見かけなかった知人がやってくるなんて、偶然にしてはできすぎだ。読書愛好会の会長よろしく、ちょっとだけからかってみようかと悪戯心を膨らませる。
「もしかして、私に会いに来てくれたんですか?」
――違うよ。東雲さん、会長の感化されすぎだよ。
個人的には、そんな返しを期待していた。ところが、目の前にいるサークルの先輩がとったリアクションは、まったく違うものだった。乙女か、とツッコみたくなるくらいに頬を赤らめて、大きく目を見開いているのだ。
「そ、それじゃ、僕はもう行くから。またね」
先ほどの質問に肯定も否定もしないまま、糸原さんはレジ前から去っていった。恐らく帰宅するんだろうけど、まだ勤務時間が残っている私へ、悶々とした気分を置いていった。相手男性はどのようなつもりで、あんな反応をしたのか。仕事に集中しないと駄目だとわかっていても、どうしても糸原さんのことを考えてしまうのだった。
*
新しい生活は順調そのもの。勉学だけではなく、サークル活動やアルバイトも含めて、キャンパスライフを心から楽しんでいる。高校時代みたいに教室の隅でひっそりしてる必要もなく、堂々と講義を受けられる。後ろ指を差されたりもせず、むしろ周囲からよく話しかけられるようになった。過去の私を知ってる人間がいないというのも、落ち着かせてくれる要因になった。
ただ、クラスメートとどこかへ遊びに行ったりというのはまだなかった。同年代の可愛らしい女性と一緒に買物へ行き、己のファッションセンスを磨きたい。様々な願望を持っているのに、ほとんど実現させられないでいた。
整形したから平気だと思ってはいても、過去のトラウマをまだ払拭できていないのかもしれない。肉体の問題は物理的な方法で解決したけれど、精神的なものになるとそうもいかないのが現実だ。時間が癒してくれるのを、ひたすら待つしかないのだろうか。そう考えると少しだけ切なくなる。あるいは辛さを超えるくらいの幸せで記憶を書き換えるか。思うは簡単だけれど、実現させるのはかなり難しそうだ。
そんなことを考えながら、目の前にあるレジを打つ。受けたい講義がない場合は、今日みたいにお昼からアルバイトに入っていた。そこへ、こちらも半ば恒例になりつつあるお客さんがやってきた。所属するサークルの先輩でもある男性――糸原満さんだ。以前にからかった際、微妙な空気になり、そのあと少しだけ関係がギクシャクした。それを救ったのが、読書愛好会の会長だった。
たまたま私と糸原さんが大学の敷地内で話してるのを見かけ、例のごとくからかってきたのだ。二人で撃退してるうちに、いつしか変な緊張感は消えていた。その日を境に、私と糸原さんはスーパーでの出来事について話さなくなる。それがおよそ一ヶ月前のことだった。
「いらっしゃいませ。今日も夜はお弁当ですか」
レジ作業をしながら、知人と会話するのもだいぶ慣れた。加えて見知った顔なら、ある程度普通に対応もできるようになった。
「まあね。自炊した方が安いのはわかってるんだけど、どうしても手間隙を惜しんでしまってね」
要は面倒臭いのだろう。疲れてる時は私も同様に感じるので、相手男性の気持ちはわかる。スーパーで売ってるお弁当を買っておけば、料理をする必要もない。最近のお弁当は昔より栄養バランスに気を遣っているし、たまに食す程度なら問題ないどころか、とても美味しくいただける。
「でも、少しは自炊するべきですよ」
レジを打ってるだけに、糸原さんが家へ持って帰る商品はひとつ残らず判明する。手に持つ商品のほとんどがお弁当やおにぎりなのだから、多少は心配にもなる。頬を人差し指でポリポリ掻きながら、糸原さんは「そうするよ」と苦笑いした。そのあとで私へ、明日に迫っている読書愛好会の活動日に参加するのか尋ねてきた。
「もちろん、参加しますよ」
結局は各自が読んだ本のあらすじを、お互いにレポートして情報を共有するのが目的だった。その後は部室内で好き勝手に雑談する。最初は読書愛好会らしく本の話題が中心なものの、後半になるとジャンルは一切構わなくなっていく。
「ところで、東雲さんって彼氏いるの」
小笠原会長による突然の質問で、私は危うく口に含んでいたお茶を噴き出しそうになった。部室にはポットと紙コップが常備されており、メンバーは好きな時にお茶を飲めるようになっている。
情報を教えてもらうと同時に、副会長の阿部康子さんにお茶を勧められた。遠慮なく頂いていたところに、先ほどの質問をお見舞いされた。よくぞ口から噴射させずに済んだものだと、我ながら驚く。
それでも咳き込むのは避けられず、皆が見ている前で「ゴホ、ゴホっ」と動揺を露にしてしまう。同じ女性の副会長は、こちらの態度で恋人がいるかどうかわかったみたいだった。けれど男性陣にいたっては、答えを聞きたげに私の顔を覗いてくる。そんなに知りたいのなら、別に隠す必要もない。
「……いません」
気恥ずかしさは多少あったものの、わりとはっきりした口調で彼氏の有無を教えた。恋人の不在歴イコール自分の年齢なのだ。どう思い違いをしても、答えはひとつしかなかった。
「だってさ。よかったな、糸原」
「だから、どうしてそういう話になるんですか」
ややむくれた様子で糸原さんが反論する。そんなに嫌がらなくてもと思ったりするけれど、人の心情にまでとやかく言う資格はない。
「あまり感心できる態度ではないわね。東雲さんじゃなくとも、女性なら傷つくような台詞になっているわよ」
年上の女性でもある阿部さんに指摘されると、途端に糸原さんが申し訳なさそうな顔をする。
「ご、ごめん。そんなつもりではないんだ」
「い、いえ……気にしないでください」
そうとしか言いようがなかった。下手に濃密なフォローをしてしまうと、小笠原会長にどんなからかわれ方をするかわからない。ゆえに無難に応じたつもりだったんだけど、揃って赤面する結果になってしまった。
「青春だねぇ」
妙にお互いを意識している私と糸原さんを眺めながら、やはり冷やかすような言葉を会長が飛ばしてくる。いわゆる恋話というのか、こういうのに慣れてない私には苦笑いするのが精一杯だった。
「少し無粋が過ぎるわよ。それとも、出歯亀みたいな職業で社会へ旅立とうとでも考えているのかしら」
結構というか、だいぶ辛辣な発言で副会長が小笠原さんへ注意する。私なら、即座に頭を下げているところだ。しかし当人はあまりこたえておらず「へーへー」と軽すぎる返事をする程度だった。
「おっと。ずいぶんと話し込んでいたみたいだな。もう夜だ」
小笠原さんに言われて、私もようやく窓の外の景色を彩る色が暗くなってるのに気づいた。
「本当ね。そろそろ解散にしましょうか。東雲さんはまだ地理に慣れていないだろうから、糸原君が途中まで送ってあげるといいわ」
*
読書愛好会の月1回の活動が終了しようという頃、副会長の女性がさらりと口にした台詞。誰もが予測していなかった先輩の指示で、少しだけ格好良いと思っていた男性と、ネオン輝く夜の街を並んで歩いている。普段はバイト帰りに通過したりするだけなので、とりたてて何の感想も抱いてなかった。
「ええと……さすがに、家の前までは送らない方がいいよね」
隣にいる男性こと糸原満さんが、そんな言葉をかけてきた。何を言われてるのかすぐには理解できず、思わず「え?」と気の抜けた声を上げてしまう。少しだけ困ったように微笑んだ糸原さんは、やや声のトーンを落として「色々と問題があるから」と告げてきた。
どこか歯切れの悪い台詞を聞き終えたあと、ようやく相手男性が言わんとしている真意に気づけた。要するに、こちらが住所を知られるのを嫌がってると思っているのだ。家へあげるわけでもないので、糸原さんなら構わないような気もするけれど、付き合いの長さも密度もない状態で軽々に判断はできなかった。とりあえずは、相手の流れに乗っておこうと決める。
「そうですね。それじゃあ、近くまででお願いします」
その方が相手男性も変に気を遣わないだろう。なにより私も妙な意識をせずに済む。とはいえ、年齢の近い異性と二人で歩いてるだけでも緊張する。
「東雲さんって……」
「――えっ!? あの、な、何ですか」
普通に話しかけられるだけでこの有様なのだから、我ながら恥ずかしくなる。常に微笑を浮かべている糸原さんでさえも、こちらの反応に驚いている。
――やってしまった。顔中どころか、耳の先まで赤くする。できれば時間を巻き戻したいけれど、生憎と私はそんな反則アイテムを所持していなかった。挙動不審と言われても仕方ないリアクションだったにもかかわらず、心優しいサークルの先輩は何事もなかったかのように会話を継続してくれる。
「アルバイトとかしてるの?」
どうしてそんな質問を、なんて勘繰ってみたりもするけれど、最近少しずつ気づいてきたことがある。本人――つまりは私が思うほどに、他人はこちらを意識してないのだ。なのにどこかから声が聞こえてくると、自分に文句を言ってると勘違いする。
もっとも実際にそうしたケースも多々存在するので、ある意味仕方のない反応ともいえる。けれどこうして自分に少しでも自信を持てれば、意外と周囲の雑音は気にならなくなる。現在の私がそうした状態だった。
「はい。スーパーでレジを打ってます」
秘密にする必要もないと判断したので、素直に教える。勤務しているスーパー名も告げると、糸原さんは「ああ」と表情を明るくする。どうやら知っている店だったようだ。
「今日は休みを貰って、サークルの活動に参加していたんです」
「そうなんだ。僕もそのお店はよく利用してるんだけど、気づかなかったな」
「アルバイトを始めたのは最近ですから」
とりとめのない話をしながら街を歩き、家の近くまできたところで、私は糸原さんと別れたのだった。
*
読書愛好会の活動終了後、自宅近くまで送ってもらった糸原さんと、すぐに再会する機会がやってきた。部室に顔を出したわけではなく、出会ったのは実に意外な場所だった。
「いらっしゃいませ」
やや戸惑いながら接客する私に対して、レジに買い物カゴを置いた糸原さんは実に楽しそうだ。にこやかな表情で、アルバイト中の私を眺める。アルバイトとはいえ、スーパーの店内で仕事をするのには変わりないため、勤務している女性社員同様に制服を着用中だった。それが物珍しいのか、凝視という形容が似合うくらいにこちらを見つめてくる。
普段とは違う緊張感に包まれながらレジ業務を行なう。だいぶ慣れてきたのもあるせいか、最近ではレジをひとりで任せられるようになった。合計金額を告げて、料金を受け取る。一連の動作をしている最中に、糸原さんが突然声をかけてきた。
「その恰好、似合ってるね」
相手男性の表情を見れば、どこかのサークルの会長みたいに、からかいたがってるわけじゃないのがわかる。実に真面目な顔つきで先ほどの台詞を言われれば、私でなくとも照れる。
「あ、ありがとお、ございました」
お釣りを返しながらの挨拶はどもり、なおかつそれ自体も変な感じになってしまった。恥ずかしくてたまらない私を前にして、少しだけ申し訳なさそうにしつつも、やはり糸原さんはどこか楽しそうだ。
「今日はどうしたんですか」
丁度、お客さんもいない時間帯で、担当中のレジには他に誰も並んでいない。そうした事情もあって、私は糸原さんに話しかけた。突然の訪問に対する逆襲をしたいというのも、少しだけあるかもしれない。
「どうしたもなにも、良く利用するって教えたはずだけど」
確かにそのとおりだ。しかし、昨日の今日で、これまで店で見かけなかった知人がやってくるなんて、偶然にしてはできすぎだ。読書愛好会の会長よろしく、ちょっとだけからかってみようかと悪戯心を膨らませる。
「もしかして、私に会いに来てくれたんですか?」
――違うよ。東雲さん、会長の感化されすぎだよ。
個人的には、そんな返しを期待していた。ところが、目の前にいるサークルの先輩がとったリアクションは、まったく違うものだった。乙女か、とツッコみたくなるくらいに頬を赤らめて、大きく目を見開いているのだ。
「そ、それじゃ、僕はもう行くから。またね」
先ほどの質問に肯定も否定もしないまま、糸原さんはレジ前から去っていった。恐らく帰宅するんだろうけど、まだ勤務時間が残っている私へ、悶々とした気分を置いていった。相手男性はどのようなつもりで、あんな反応をしたのか。仕事に集中しないと駄目だとわかっていても、どうしても糸原さんのことを考えてしまうのだった。
*
新しい生活は順調そのもの。勉学だけではなく、サークル活動やアルバイトも含めて、キャンパスライフを心から楽しんでいる。高校時代みたいに教室の隅でひっそりしてる必要もなく、堂々と講義を受けられる。後ろ指を差されたりもせず、むしろ周囲からよく話しかけられるようになった。過去の私を知ってる人間がいないというのも、落ち着かせてくれる要因になった。
ただ、クラスメートとどこかへ遊びに行ったりというのはまだなかった。同年代の可愛らしい女性と一緒に買物へ行き、己のファッションセンスを磨きたい。様々な願望を持っているのに、ほとんど実現させられないでいた。
整形したから平気だと思ってはいても、過去のトラウマをまだ払拭できていないのかもしれない。肉体の問題は物理的な方法で解決したけれど、精神的なものになるとそうもいかないのが現実だ。時間が癒してくれるのを、ひたすら待つしかないのだろうか。そう考えると少しだけ切なくなる。あるいは辛さを超えるくらいの幸せで記憶を書き換えるか。思うは簡単だけれど、実現させるのはかなり難しそうだ。
そんなことを考えながら、目の前にあるレジを打つ。受けたい講義がない場合は、今日みたいにお昼からアルバイトに入っていた。そこへ、こちらも半ば恒例になりつつあるお客さんがやってきた。所属するサークルの先輩でもある男性――糸原満さんだ。以前にからかった際、微妙な空気になり、そのあと少しだけ関係がギクシャクした。それを救ったのが、読書愛好会の会長だった。
たまたま私と糸原さんが大学の敷地内で話してるのを見かけ、例のごとくからかってきたのだ。二人で撃退してるうちに、いつしか変な緊張感は消えていた。その日を境に、私と糸原さんはスーパーでの出来事について話さなくなる。それがおよそ一ヶ月前のことだった。
「いらっしゃいませ。今日も夜はお弁当ですか」
レジ作業をしながら、知人と会話するのもだいぶ慣れた。加えて見知った顔なら、ある程度普通に対応もできるようになった。
「まあね。自炊した方が安いのはわかってるんだけど、どうしても手間隙を惜しんでしまってね」
要は面倒臭いのだろう。疲れてる時は私も同様に感じるので、相手男性の気持ちはわかる。スーパーで売ってるお弁当を買っておけば、料理をする必要もない。最近のお弁当は昔より栄養バランスに気を遣っているし、たまに食す程度なら問題ないどころか、とても美味しくいただける。
「でも、少しは自炊するべきですよ」
レジを打ってるだけに、糸原さんが家へ持って帰る商品はひとつ残らず判明する。手に持つ商品のほとんどがお弁当やおにぎりなのだから、多少は心配にもなる。頬を人差し指でポリポリ掻きながら、糸原さんは「そうするよ」と苦笑いした。そのあとで私へ、明日に迫っている読書愛好会の活動日に参加するのか尋ねてきた。
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