ただ美しく……

桐条京介

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第40話 初恋の男

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 夜になって、ホテルのレストランでひとりで食事をとった私は、部屋へ戻って日中に会った芸能事務所の社長から渡された資料を見ていた。理想の自分になれたはいいけれど、今のところは無職に変わりない。モデルになって世間の注目を浴び、お金を稼いだりするのも悪くはなかった。

 もっともそんな簡単な世界でないのは、外から見ているだけでも十分にわかる。けれどその中でも、私は逞しく生き抜いていける自信があった。

 返事はいつでもいいと言ってもらったけど、相手の好意に甘えて延々と待たせるわけにもいかない。どうしようか悩んでいると、ベッド近くのサイドテーブルに置いていた携帯電話が鳴り出した。ディスプレイに表示されているのは、梶原勝という名前だった。何も言わずに旅立ったので、いなくなった私を必死に探しているのかもしれない。

 誘ってくれた芸能事務所へ返事をするのも大事だけど、まずは新しい携帯電話を調達しよう。明日の行動方針を頭の中でまとめた私は、シャワーを浴びてからベッドでひと眠りする。

 翌日はホテルのバイキングで朝食をとり、繁華街へ出向いて携帯電話を買い換える。その際に電話番号も変更する。これで梶原勝のコールにうんざりすることもない。その足でついでに駅まで行ってみると、思いがけない人物に遭遇した。それは過去の私――東雲杏里の母親だった。

 溢れかえるような人の波に飲まれそうになりながらも、懸命に誰かを捜している。一緒に旅行にでも来た友人と、はぐれたのかもしれない。懐かしさから目頭が熱くなり、気づけば私は母親に「あの……」と声をかけていた。

「あら。どちら様でしょう」

 母親だと思っていた女性からの発言で、私の涙は一気に消滅した。ショックで頭の中が真っ白になるも、わずかな間だけですぐに自分を取り戻す。

 考えてみれば当たり前なのだ。今の私は優綺美麗であり、家族が知っている東雲杏里とは似ても似つかない。そうなるように整形をしたのだから、一発で見破られるはずがなかった。

「……偶然、通りかかっただけの者ですけど、貴女が一生懸命に誰かをお捜しのようでしたので、何かあったのかと思いまして」

 掛井広大に東雲杏里とバレないように、ずっと声色を変え続けてきた。いつしかそれが当たり前になっていて、本来の自分の声さえ半ば忘れかけていた。それほどまでに、私にとって東雲杏里という女性の過ごした時間は暗黒の歴史になっていた。決別を覚悟した以上、家族との完全なる別離も避けられなかった。

「そうでしたか。ご心配いただいて、ありがとうございます。実は、いなくなった娘を捜しているのです」

 そう言って母親――いいえ、私の目の前にいる中年女性は、一枚の写真を見せてくれた。そこに映っていたのは、世にも醜い少女だった。

 名前は中年女性に教えてもらうまでもない。東雲杏里といい、暗く冷たい学生時代を過ごした少女だ。そして、今の私には何の関係もない人間だった。

「地方の大学へ通っていたのですが、知らない間に辞めてて……そのまま失踪してしまったのです」

 涙ながらに説明する女性の顔を見ているだけで、胸が締めつけられる。一方でもうひとつの事実が私を悩ませる。肉親でさえも誰かわからない今の私は、一体誰なのだろう。生まれてからこれまで培ってきた記憶までもが、不必要な書類も同然に破かれているみたいだった。

 確かに私は綺麗になった。けれど、本当の私を知っている人間は誰もいない。知人に認めてもらえない美しさに価値はあるのか? 頭の中でもうひとりの自分が囁く。

 美しさを手に入れた代わりに、愛情を注いでくれた両親との絆も失った。今さら整形を告白したところで、変わりきった私を娘だと認識してくれるとは思えなかった。しかし、どうしても尋ねずにはいられなかった。整形手術へ望む際より大きな勇気を胸に、おもいきって頭に浮かんでいた言葉を口にする。

「あの……もし、私が貴女の娘だと言ったら……どうしますか?」

 中年女性は、一瞬だけきょとんとしたあとで、大きな声で笑い出した。

「私の娘は、貴女みたいに綺麗ではないの。気を遣ってくださったのね。ありがとうございます」

 お礼を口にした中年女性が、深々と頭を下げる。本気で私が誰かわかっていない様子だった。

 若干の寂しい気持ちを覚えたものの、すぐにこれでよかったのだと気分を入れ替える。誰も私をわからないのなら、今の優綺美麗こそがすべてになる。私は生まれ変わった。簡単に考えていたけれど、その際に両親が背負う精神的な苦痛までは計算に入れてなかった。愛されていたのだと改めて教えられるも、もはやどうにもできない。

 美しくなった代償として、私は昔の自分を失った。けれど、それでも構わないと覚悟していたはずだ。

「娘も……貴女みたいに綺麗だったのなら、失踪なんてしなかったのかもしれないわね」

 どこか寂しげに話す中年女性――東雲杏里の母親を、次第に私は直視できなくなる。

 どんなに綺麗になったところで、両親にとってはただの別人でしかない。喜んでくれるどころか、実の娘だと気づけなくなった。手に入れた美しさは見せかけだけで、誰も中にある私の存在を見てくれない。空しさが急速に心を支配する。

「きっと……娘さんにも、大切な理由があったのでしょう。そうでなければ……こんなに……大好きなご両親と別離するような真似はしないと思います」

 私の発言に、東雲杏里の母親がまたもや笑みを浮かべた。

「まるで……本当の娘みたいな言い方だわ」
「……そうですね。ふふふ。おかしいですね」

 微笑みあっている時間が、とても幸せに感じられた。けれど、必ず終わりはやってくる。

「私……もうそろそろ、別の場所へ行かないといけませんので」

 そう切り出してきた中年女性に「娘さんが、見つかるといいですね」と励ましの言葉を送る。

「ありがとうございます。そうだ……貴女のお名前を伺ってもよろしいかしら」
「はい。私の名前は優綺美麗です」

「そう……とても良いお名前だわ。どうか……お元気でね」
「そちらも……お元気にお過ごしください」

 背中を向けた中年女性へ放った「さよなら」の言葉が、相手へ届かずに空しくアスファルトの上へ落ちる。

 忙しなく先を急ぐ通行人たちの靴に踏み潰され、形をなくした別れの言葉は、無残にも風に吹かれてどこかへ消えていった。

 心の中で呟く、お母さんのひと言。きっともう二度と使うこともないのだろう。寂しさはあったけれど、これも私が自らの意思で選んだ道だった。本当の自分を誰も知らなくとも、私は優綺美麗という美女として生きていく。後悔もためらいもない。美しさこそがすべてになっていた。

 しばらくその場に立ち尽くしていたあと、私は宿泊しているホテルへ戻る。

 決心は固まった。優綺美麗の未来を輝かしくするために、私は例の事務所へ所属する。そのために名刺に書かれている電話番号に連絡し、スカウトの男性に承諾の返事を伝える。

 後日、事務所へ訪れた際に、整形のことを社長だけに教えた。何かの拍子で事が露見しそうになれば、どうしても事情を知る誰かの助力が必要になる。

 整形だとバレなければ、どうってこともない。この件で契約の話が消えたりはしなかった。契約の際の保証人や、住むマンション等も事務所が用意してくれた。これだけでも、私への期待の高さがわかる。

 こうしてとんとん拍子に話は進み、私――優綺美麗はモデルとしてデビューを果たした。

   *

 悲観していたはずの人生は予想を裏切って、順調極まりない航海を続けていた。モデルとしてデビューを果たした優綺美麗の存在は、すぐに口コミで広まった。

 事務所も主戦力にするべく、力を入れて売り込みをしてくれたので、10代の女性を中心に爆発的な人気を獲得した。

 その後もインターネットを中心に存在が認知され、次第に雑誌だけではなくテレビなどへの露出の機会も増えた。

 わずか数ヶ月で、ここまで状況が変化するものなのかと驚くも、決して動揺を表に出したりしない。この程度は売れると、最初からわかっていた。そのような態度を前面に押し出して、私は目の前に広がる道を闊歩する。

 妬みや嫉みを受けるのはわかっていたけれど、芸能界で生き抜くには生意気なくらいで丁度良いと勝手に判断していた。何より、他者に対して従順になったら、私の長所が失われると思った。誰かに媚びへつらって生きるくらいなら、芸能界など辞めればいい。契約書には、こちらが好きなときに引退できるという条項もあった。

 よほど私の美貌ならいけると思ったのか、事務所サイドが大幅に譲歩して、こちらに有利な条件を受け入れてくれた。多少の恩は感じているため、今のところはまだ辞めるつもりはない。けれどいつ口にされるかわからないため、専属でついてくれているマネージャーは女王様へ従う下僕みたいに身の回りの世話を何でもしてくれる。

 マンションもより高級で、セキュリティがしっかりしているところへ引っ越せた。まさにセレブな生活に、すっかり私はご満悦だった。

 見晴らしの良い高層ビルの一室にて、私は窓から夜の風景を眺める。車道を流れる自動車のヘッドライトが、闇夜に染まったアスファルトに美しい輝きを描く。それはまるで地上に存在する星だった。空に近い場所から見下ろした先にある光景が、私の自尊心を満たしてくれる。高級なワインを片手に、夜のひと時を満喫する。

 中学、高校時代と、とにかくコケにされ続けてきたこの私が、今ではその年代のファッションリーダーともてはやされている。窓に映る自分の顔の口端がわずかに上がる。笑みを浮かべても、怒っても、私は綺麗だった。だからこそ、今の幸せを手に入れられた。

 昔から考えていたとおり、所詮は外見がすべてだったのだ。容姿が人並み外れて整っていれば、強気で生意気な性格でさえも素晴らしい個性と分類される。

 瞬く間に給料も上昇し、歩合分も加えれば相当な額が私の口座に振り込まれる。これからも女優業に歌手業と、事務所は様々な舞台で私を活躍させるつもりだった。休みも極端に少なくなるだろうけれど、一切構わなかった。行く先々で美しいと褒められる。それが私にとっては、何よりの喜びになる。

 テレビで競演した恐れ知らずの芸人が、私にアドレスを手渡してきたけれど、すべてその場で破いて見せた。高飛車な女王様。いつしか、周囲からそんなあだ名をつけられていた。

 望むところだ。私は仕事のためなら、誰にでも媚を売るような安い女ではない。いつでも辞めてやるという覚悟があるからこそ、どこまでも強気に出られた。

 連絡先を交換するのは、イケメンの金持ちばかりだ。一般人なら選り好みしてると非難されるかもしれないけれど、今の私には相手を選ぶ権利があった。相手男性も私に選ばれるのがステータスになる。他の女と格が違うと評価されるからこそ、同性からのジェラシーも格段に増える。

 執念や怨念。そうした感情でさえも、私を綺麗にしてくれる化粧品のように思える。まさにこの世の春を味わっている最中だった。

 そんなある日、東雲杏里の地元からトークショウの依頼がきた。とても小さな仕事なので、事務所は即座に断ろうとしたけど、私が待ったをかけた。

 優綺美麗のプロフィールは、年齢や出身地などが秘密になっており、これまで一切公表されていない。ゆえに縁を頼っての依頼とは考えられなかった。

 事務所の反対を押しきり、私はその仕事をすることを決める。久しぶりに足を踏み入れる土地は、どのような顔で出迎えてくれるだろうか。

 誰にでもけなされ、疎まれていた東雲杏里はもういない。私は優綺美麗として、優雅な記憶を新たに刻み込むつもりだった。

   *

 久しぶりに降り立った懐かしの地。事務所の車から現れた私――優綺美麗を見つけ、地元の若者たちが狂喜乱舞する。

 軽く手を上げて挨拶をすれば、より熱烈な歓迎を受けられるだろうけど、生憎と優綺美麗はそのようなキャラではなかった。

 騒いでいるファンには目もくれない。ジャケットとパンツだけで、露出度はほとんどなくとも、私の独特のファッションとして賛美される。

 すぐさま真似をする若い女性が現れ、あっという間に流行となる。ファッション雑誌だけではなく、ドラマやCMにも引っ張りだこだった。

 なにせ私が出演するとわかるだけで、視聴率がアップするのだ。各TVはこぞって、優綺美麗の争奪戦を繰り広げた。

 そんな人気絶頂の芸能人が、田舎とも呼べる地方へわざわざやってきた。騒ぎになるのは当然で、ネットでは数日前からお祭り騒ぎになっていた。

 この場にいる誰もが、かつて東雲杏里という女性が住んでいたことなど覚えてないだろう。仮に知っていたとしても、ろくでもない感想しか聞けないはずだった。

 ――あんな不細工と、優綺さんとでは比べ物になりませんよ。といった感じの言葉しか返ってこない。簡単に予測できるのが悲しいけれど、これが現実なのだ。

 自らの境遇を変えるためには、多少なりとも強引な手法を使う必要がある。元々、恵まれた容姿を持っている人物には理解できない思考だけど、おかげで私は周囲からチヤホヤされる人生を手に入れられた。

 生まれた時から大きなハンデを背負わされていたけど、見事に乗り越えてみせたのだ。私は今の自分を、心から誇らしく思っていた。

 地元の主催者に案内され、たいした報酬でもない仕事をソツなくこなす。写メは禁止されているため、携帯電話を取り出したりすれば、即座にガードマンによって注意を受ける。

 そのことに文句を言うギャラリーもいるけれど、この私――優綺美麗の姿を無料で画像として残すなど、暴挙もいいところだった。

 感慨深くなったりするのかと思っていたものの、実際には他の仕事とあまり変わらなかった。私にとって、所詮は過去――いいえ、それどころか、忘れ去られた土地にすぎなかったのだ。

 さっさと仕事を終わらせて、帰ろう。すでに私のホームはここでなくなっている。人がたくさん集まっている繁華街で、注目を一身に浴びながら、好きなだけ買い物をしたりするのだ。

 そんな願望を頭の中で描いている最中、私の視界に見覚えのある男性の顔が映った。忘れもしない。東雲杏里をこっぴどく振り、変身を決意させた牧田友行だった。

 丁度地元に戻ってきていたのかは不明だけど、確かに牧田友行だった。高校時代よりは成長していても、私が見間違うはずがない。

 隣にはこれまた見慣れた顔の女がいる。高校時代は学校のアイドルとして、もてはやされていた北川希だった。仲良さそうに手を繋ぎながら、ギャラリーの一員として私を見つめている。

 不意に過去に味わわされた屈辱が蘇る。タイミングよく休憩時間になると、北川希が牧田友行の側を離れた。

 これはチャンスだとばかりに、私は自ら牧田友行に近づく。間近でこちらの顔を見ただけで、かつて東雲杏里の想い人だった男は赤面する。

「あ、あの……俺に、何か……?」
「一緒にいた女性は恋人なのかしら」
「え? え……あ、一応……っていうか、違います。なんというか、腐れ縁みたいなもので……」

 すぐにこれだ。私は笑顔を浮かべる反面、内心でため息をついた。どんなに恋人を愛していても、絶対的な美女に声をかけられればすぐ虜になる。男なんて全員同じ、単純極まりない生物だ。

「そうなのね。良かったわ。それなら、これからこの街を案内してくれないかしら。初めての場所なので、どこに何があるのかわからないのよ」

 もちろん大嘘なのだけど、私を優綺美麗としか思っていない牧田友行に見抜けるはずもなかった。

 少しは躊躇ったりするかと思いきや、牧田友行は二つ返事で承諾した。いつかの掛井広大と同じ反応に、私は心の中で男という生物に呆れ果てていた。
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