ただ美しく……

桐条京介

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第二部

最終話 糸原杏里

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 実家に帰った夜。母親から借りたアルバムを、私の部屋で満と一緒に見た。
 容姿は整っていなくとも、希望に満ち溢れた笑顔を披露する私――東雲杏里が写真の中にいた。

 それを見た満の第一声はストレートなものだった。

「可愛らしいじゃないか。あんまり脅かすから、怪獣みたいだと思ってたよ」
「……私には十分、怪獣に見えるけど」
「そんなことはないよ。仮に整形せずに大学へ来てたとしても、僕は君と出会って恋に落ちていた。それだけは間違いない。保証するよ」

 事実であるなら、掛井広大とも出会っていなかった。整形とは無縁の人生を送っていたかもしれない。

 けれど綺麗になりたいと願ったからこそあの大学へ行き、整形手術をして満と出会えたのだ。選択を間違えたと言うつもりはなかった。

「驚いたわ。満はブス専だったのね」
「そういう言い方はどうかな。それに僕は杏里専だよ」
「はいはい。話半分に聞いておくわ」

 言いながらも、私は嬉しくてたまらなかった。過去の私を見ても眉一つしかめず、あっさりと受け入れてくれた満の態度がありがたかった。
 泣き顔を見られないように何気なく背を向けたものの、すぐにバレてしまう。

「君は美しさを失うくらいならと死にたがったけど、僕はどんな君であれ一緒に生きたい。許してもらえるかな?」
「許すも何もないわ。私自身が満の隣を歩いていきたいのだもの。
 これからよろしくね、あなた」
「ああ。末永くよろしく」

 抱き合い、どちらかともなく唇を重ねる。どんなスイーツよりも甘くて蕩けそうなキスの味を、私は生涯忘れないだろう。

   *

 実家に帰って以降、事態は目が回るくらいに慌ただしく動いた。
 私と満の住民票を地元に移し、程なくして婚姻届けを提出。

 晴れて夫婦になったのを喜び、しばらくは私の実家で暮らそうと決めた。両親も望んでくれたからだ。

 けれど実際はすぐに地元を離れることになった。所属していた事務所の社長が、満に新しい仕事を紹介してくれたからである。

 その電話で結婚の報告をすると、式には出られないがという前置きつきて祝福してくれた。
 結婚祝いはあとで送るとのことだったが、満の就職のお世話だけで十分だった。

 満の新たな仕事先となったのは、地方ながらも政令都市の大手広告代理店の営業である。社長の仲介だけあって、給料もかなり良かった。

 話をしたら両親は喜んでくれた。これからはいつでも会いに行けるし、無事なのもわかっているからと。ただしマメに連絡をしてほしいと何故か私ではなく、満に念押しをしていた。

 こうして息つく暇もなく引っ越しをして、私の新婚生活が始まった。

「はい、お弁当」

 新居となったのは六階建ての三階にあるマンションで、間取りは3LDKである。白い塗装が清潔感を演出する造りで、比較的まだ新しい。その分だけ家賃はお高いが、満の稼ぎが同年代の男性と比べても良い部類に入るのでやってはいけそうだった。

 元々浪費癖があるわけではなく、美のためだけにお金を使っていた。そのため思っていたよりもずっと簡単に私は豪華な生活を捨てられた。

 高層マンションから見下ろす夜景も素敵ではあったが、愛する旦那様と肩を並べて見る月明かりに照らされた夜の歩道も悪くはない。

 リビングで朝食を食べ終えた満は玄関へ向かいつつ、私が朝から早起きして作ったお弁当を受け取る。

「ありがとう。今夜は遅くなるかもしれないから、夕食は食べてていいよ。帰れるようになったら電話するね」
「わかった。いってらっしゃい」

 新婚らしくキスをして夫を送り出す。学生時代から密かに憧れていた朝のやり取りに、不覚にも私の中にある乙女心がキュンとする。

 玄関前まで出て、手を振って愛する満の背中を見送る。今度は手すりに肘を預け、マンションのホールから外に出てくるのを待つ。
 姿を見せた満は出勤前に一度だけこちらを振り返り、軽く手を振ってから駐車場に止めてある自家用車に乗り込む。社長から貰った例の車である。

 朝恒例となったやりとりを終えたあと、部屋に戻って洗濯機を回す。乾燥機と一体型を購入したので洗濯物を外に干す必要がないのは便利だった。
 食器も自動洗い機がセットである。私が希望したのではなく、すべて社長が事前に用意してくれたものばかりだった。

 掃除も自動掃除機があり、ソファに座りながら何とも便利な時代になったものだと実感する。
 細かい部分の掃除と、自動洗い機では無理なものを手早く洗う。たいした作業にならないので、一時間もあればすべて完了する。

 朝食は満と一緒にとっているので、午前十時にもなれば自由を得る。暇な時間を利用して働きに出ればいいのかとも思ったが、満にやんわりと拒否された。
 美人な妻を外に出すのが怖いと言われれば、従わざるをえない。それに子供が出来れば必然的に自由な時間が減るというのも納得できる理由だった。

「昼まで何をしようかしら」

 適当に呟いていると、インターホンが来客を知らせた。立ち上がって誰かを確認すると、にこやかな轟和美が部屋の前に立っていた。
 新幹線を使えば地元から二時間かかるかどうか程度でやってこられるので、新居に招待して以降はたまにこうして遊びに来る。

「すぐ開けるから待ってて」

 室内で告げてから、玄関へ行ってドアを開ける。

「ごめんね、いきなり押しかけちゃって。迷惑じゃなかったかな」
「全然。これからどうしようか悩んでいたところよ。
 専業主婦というのも意外と暇よね」

「杏里ちゃんたら贅沢。はいこれ、お土産のドーナツ」
「……貴女、私を太らせようとしてない?」

 家の中へ招待しつつ、疑惑の眼差しを和美に向ける。
 わざとらしく目を逸らした彼女は、口笛を吹いてみたりする。実に似合わない。

「まあ、いいけどね。痩せ気味だったし、少し太るくらいなら問題ないわ。この前もお母さんに、もっと食べなさいと言われたばかりだしね」

 モデルをしていた影響もあって、身長と体重を比較すると明らかに細かった。そのため母親も和美も単純に心配しているのである。

「お母さんも遊びに来てたんだね」
「ええ、年金暮らしだから頻繁にね。この前も二泊して、繁華街を物珍しそうに遊び歩いて帰っていったわ」
「アハハ。いいじゃない、親孝行になって」

 まあねと私も表情を崩す。実際に親子で色々な店を見て回るのは楽しかった。
 私のためにと用意していた分や、生命保険が満期になって戻ってきた分で交遊費は意外とあるらしい。無理はしないでと言ってあるが、二人にとっては娘の私と過ごせる時間が何よりの宝物なのだそうだ。
 夫の満も義理の両親となった二人を快く迎え入れてくれ、夜は皆で焼き肉を食べに行ったり家ですき焼きをしたりした。

 3LDKのうちの一部屋が寝室で、もう一つはお客様用。残ったのは子供部屋にする予定である。まだ妊娠もしてない現在では部屋が余っているので、何組かの家族が同時に宿泊させても大丈夫だった。

「来たばかりでなんだけど、帰りはどうするの?」
「旦那が迎えに来てくれるの」

「明日は日曜日だし、婿養子の旦那さんも休みなのね。それなら泊まっていってよ。満も今夜は遅いらしくて暇してるの」
「実はそのつもりだったんだ。ありがとう」

 外出してランチを食べるというのもありだが、お金があるからといって無駄遣いはよくない。私と和美は家にあったパスタを昼食にする。

 調理の最中にテレビをつけていると、昼の番組に里亜砂が出演していた。

「この人、最近凄い人気だよね。確か杏里ちゃんと同じ事務所だったんだっけ?」

 和美には優綺美麗を辞めたいきさつも話してあるので最初は私の前でテレビをつけるのも躊躇っていたが、最近ではようやくこちらの言う通り気にしなくなってくれつつあった。

「そうよ。事務所の稼ぎ頭といったところね」
「凄いね。あ、そういえば同じ事務所から、新しいモデルさんがデビューしたんだよ。知ってた?」

 東雲杏里が優綺美麗となって以降、大ファンになっていた和美は事務所の情報にも精通していた。癖と化しているらしく、現在でも無意識に最新の動向をチェックしてしまうらしい。

 事務所が大々的に新しいモデルをデビューさせたと聞き、私は冷めた目をテレビ画面内の里亜砂へ向ける。

「意外と持たなかったわね。やはり媚びすぎも良くないということなのかしら」
「え? 何か言った?」
「いいえ、何でもないわ」

 里亜砂の不幸を望んでるわけでなく、近いうちに訪れる可能性の高まった彼女の転落を思えば同情すら覚える。
 しかしあの業界で立場の入れ替わりなど珍しくない。私がそうだったように。

 もう離れた世界の心配をする必要もないので、私は再び同じ時間を過ごせるようになった親友との時間を楽しむことにした。

   *

 夜になって和美の夫と満も合流した。せっかくだからと少しお高い焼き肉店で遅めの夕食を楽しんだあと、自宅に戻って軽い酒盛りを堪能中だ。
 何気ない話題で笑い、親友の肩を叩いて感情を素直に表現する。楽しい以外に表現のしようがなかった。

「杏里ちゃんも私も幸せだね。お互いに、こんなに素敵な旦那さんと巡り会えて」
「そうね。心からそう思うわ」

 照れ臭そうにする満のコップに缶ビールを注ぐ。

「ありがとう」
「こちらこそ」

 そう言った私に一瞬だけきょとんとしたあと、満は破顔した。
 私達夫婦のやりとりを、和美と彼女の夫は肩を寄せ合って微笑ましそうに見つめていた。

   *

 翌朝。まだ就寝中の和美夫妻を起こさないようにしつつ、日曜でも仕事に向かう満をいつものように部屋の前まで見送る。
 いってらっしゃいのやりとりをした直後、不意に隣の部屋のドアが開いた。同じくらいの年代の夫婦である。

「おはようございます」

 送り出す際にはきちんと着替えているので、パジャマ姿を見られて慌てたりなんて事態にはならない。
 満と同じくスーツ姿の隣室の旦那さんはすぐに頭を下げた。幾度か会話をしたこともあるので、二人の夫は並んで移動する。

 その途中、不意に隣室の奥さんが私の顔をまじまじと見た。

「顔に何かついてます?」
「いえ……前に人気だった優綺美麗ってモデルに似てるなと思って」

 声が聞こえたのかドキッとしたように立ち止まる満へ、目でそのまま出かけていいわよと合図する。その上で私は微笑んで彼女に告げる。

「ええ、よく言われます」
「ですよね。前から思ってたんですよ。そっくりさんとかでテレビに出られるかもしれませんよ」

「そうかしら? でも優綺美麗さんはまだ消息不明なのよね。とてもそんな気になれないわ。似ていると言われて嬉しいですけどね」
「ああ、そういえばそうでしたね。ごめんなさい」
「いえ、気にしないでください」

 和やかな応対を見届けると、安心したように満の背中も視界から消えた。

 隣の奥さんとの会話も終えて、リビングまで一人で戻る。まだ和美達は起きてこない。二人の分の朝食の準備はテーブルの上に終わっている。

 何をしようとかと思っていたら、ふと室内に飾ってある私と満の写真が目に入った。婚姻届けを出した際に撮ったもので、二人の嬉しそうな様子が伝わってくる。

 東雲杏里と優綺美麗の面影を残した自分自身に軽く笑いかける。

 東雲杏里でも優綺美麗でもない。

 私は糸原杏里。

 ただの女。
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