愛すべき不思議な家族

桐条京介

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第3話 松島母娘の事情

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 松島母娘に連れてこられたのは一軒家だった。
 結構な大きさだが、比例するかのように築年数もなかなか凄そうだ。それでも春道が住んでいるボロアパートよりは、遥かにマシである。

 田舎には人の住んでない一軒家が比較的多数存在する。様々な事情で住人が家を手放すのだ。その際に貸家や売家になる。仮に貸家だとしても、普通にマンションを借りるより安い家賃で済むのだ。

 春道自身も住居を決める際に、一軒家にしようかどうか悩んだくらいである。
 最終的にはひとり暮らしする身に、広すぎる家は不要だと判断して現在のボロアパートに落ち着いた。

「パパの家でもあるんだから、遠慮なんかしちゃ駄目だよ」

 早く家の中に入ってとばかりに、少女はこれまで以上の力で春道を引っ張った。
 子供の力なので簡単に振り解けもしたが、元々お邪魔するつもりだったので、されるがままに玄関へと導かれる。

 内装も外装と同じような状態だった。歴史があると言えば聞こえはいいが、要はボロ屋だ。何度も言うようだが、それでも春道が住んでるアパートよりは十二分に立派だった。

 横から聞こえてきた「汚い家ですみません」という和葉の言葉に、心の底から「とんでもない」と返した。

 家の程度は多少難ありでも、母娘がふたりで住むには充分な広さだった。逆に部屋数が多すぎて、持て余してるくらいだろう。

 玄関から見渡せる範囲で家内を眺めていた春道に、すでに靴を脱いで家に上がっている葉月が目を輝かせて声をかけてくる。

「パパ、ただいまは」

「え? あ……ただいま」

 意表を突かれてしまったせいで、思わず春道は自宅でもないのに、素直に帰宅の挨拶をしてしまった。

 聞きたかったひと言を聞けた少女は、満面の笑みで「はい、お帰りなさい」と応える。

 お帰りなさい、か。

 実家から出てひとり暮らしをしてるだけに、何年かぶりに聞いた出迎えの言葉だった。
 それが十歳にも満たない少女のものなのが何とも言えずに物悲しいが、これも男の独り身の侘びしさとして耐えざるを得ないだろう。

「どうか遠慮せずに上がって下さい」

 玄関先でボーッとしっ放しだった春道に、和葉がスリッパを出してくれた。娘の葉月が何も履かずに家の中に居るのを見ると、客である春道を気遣って差し出してくれたに違いない。

 断る理由もないので、礼を言ってから靴を脱いで春道はスリッパに足を通す。

 サイズが女性用のだったのか、それほど大足ではない春道の足でさえ、スリッパからかすかにはみ出てしまう。
 と言っても、それほど気になるレベルではないので構わずに履き続ける。ボロアパートではスリッパなんて高級なのは使ってないし、実家も県営の団地だったので家内で使用した経験はない。

 履きなれないスリッパで何とか廊下を歩きつつ、春道は和葉の案内で居間に通された。

 よほど春道が気に入ったのか、それとも本気で父親と信じてるのか、葉月は常にべったりで決して側を離れようとはしなかった。

「葉月、貴女は宿題があったはずよ」

 十二畳くらいはあるだろうか。居間とキッチンが繋がってるとはいえ、結構なサイズだ。その他にもトイレやお風呂、それに二部屋ほど個室があるみたいだった。
 これだけでも春道からすれば羨ましいのに、どうやら二階にも二部屋存在してるようだ。

「でも、今日はせっかくパパがいるし……」

「宿題をしなくてもいい理由にはなりません」

 食卓として使ってるっぽい木製のテーブルセットに着席するよう春道を促したあと、和葉は急に母親の顔になった。
 先ほどまで見せていた優しげな表情から一転、口答えを許さない教育ママのオーラで娘を威圧している。

 春道と会話するにあたって、邪魔だから名目をつけて一時的にでも追い払いたいのだろう。子供が得意ではない春道からしても、和葉の行動は有難いものだった。

 宿題を題材にしての言い争いは、それでもわずかなあいだ続いたが、結局は母親である和葉が勝利した。
 途中、何度も助けを求めて葉月が視線を送ってくるも、春道はことごとく無視をした。
 こういったややこしい状況になっている原因を説明してもらうには、なにかと口を挟んでくる女児は不要だった。

 母親に言い負けた娘は、すごすごと自分の部屋へ戻っていく。居間を出て、すぐのところにある個室が葉月の部屋らしい。ドアが閉まる音で、それくらいなら春道にも判断できた。

 向かい合って存在していたもうひとつの個室が、和葉の部屋になるのだろうか。それとも一階を子供に預けて、二階を自分の部屋として使っているのだろうか。

 いや、それはないな。

 自分で考えた後者の推測を春道は即座に否定した。キッチン等がある一階を子供に全部与えていたら、夜中に何かあった場合に対応しきれない。
 二階を娘に与えるケースはあっても、逆の可能性は低い。となれば、やはり和葉は子供部屋の向かいにある部屋を自室にしているはずだ。

 二階部分は完全に余るな。

 物の置き場所に常に苦労している視点から見れば、贅沢極まりない状況だった。
 そんなことを考えてると、いつの間にか春道の正面に座っていた和葉が、テーブルの上で深々と頭を下げていた。

「見ず知らずの方に、二度もご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

 心底悪いと思ってるのだろう。和葉の謝罪は、春道が経験してきた中でも最上級に丁寧なものだった。

「別に構わないけど、なんであそこまで俺を父親にしたがるか、その理由くらいは聞かせてくれるんだよね」

 早く帰宅して晩飯にしたい春道は、早速本題について切り出した。
 静かに頷くと松島和葉は席を立ち、近くにあった本棚から一冊の本を取り出した。

 戻ってきた和葉が両手に持っていたものをテーブルに置くと、ようやく本ではないと気づいた。表紙にアルバムの文字が見えたからだ。

 訝しげな春道の視線に気づいてるようだったが、再びイスに座って向かい合っている和葉は何も言わずにアルバムのページをめくっていく。

 その途中で相手の指がピタリと止まった。目当ての写真を見つけられたらしい。該当の一枚をアルバムから抜いて、春道の前へ差し出してくる。

 写真を手に取り、じっくり見てみる。
 今よりも若い松島和葉が写っていた。同じような年頃の女性たちと仲良く戯れている。見るからに学生時代の想い出の一枚という感じの写真だった。

「これが何か?」

 和葉と同級生だった記憶もないし、当時の自分の学生時代を思い返しても、春道と彼女に接点があるとは思えない。

「よく……見てください」

「よく見ろと言われても、俺と何の関係が――」

 言いかけた春道の呼吸が、驚きで一瞬だけ停止した。
 はしゃぐ少女たちの背後にとてもよく見慣れた横顔があった。
 どう見てもただ通り過ぎてるだけで、無意識に写真に写ってしまったと表現するしかない。

 記憶の糸を手繰る。そう言えば高校の卒業旅行と称して、友人たちと北海道の遊園地らしき場所に行った覚えがある。

 なんという偶然だろうか。まさか松島和葉とそんな場所ですれ違ってたとは思わなかった。

 しかしこれが自分とどんな関係が――。

 疑問が浮かんだ瞬間に、本来ならあり得ないであろう理由が答えとして思い当たった。

「まさか、この写真で俺を――」

 父親だと説明したのか。
 最後まで質問するまえに、松島和葉はさらに申し訳なさそうに表情を曇らせた。

 これで少女が、どうしてあれだけしつこく春道を父親と呼んだのか合点がいった。

 問題はひとつ解決したが、代わりに新たな疑問点が生じる。和葉がどうして春道を父親だと、娘である葉月に告げたのかだ。

 そのことをズバリ尋ねると、相手の顔が途端に険しくなった。居間の外で葉月が聞き耳をたててないか、わざわざ確認までしに行ってから、食卓まで戻ってきて声を潜めた。

「実はあの子に父親はいないんです」

 大体予測がついていたので、春道は別段驚きもしなかった。離婚か死別か理由はあるのだろうが、あれこれ詮索する趣味はない。

「それならそうと、正直に言ったらいいんじゃないか。バラすのとバレるのでは、相手に与える心証はまるで違う」

「わかってます。けれど、あの子が物心ついた時に、周囲の友達には父親がいるのに、どうして自分にはいないのかと聞かれてしまって……」

 その後を言い難そうに和葉は語尾を濁した。
 相手の反応で説明されるまでもなく、いないはずの父親を存在しているように、和葉が娘に嘘をついたのだとわかった。

「理由があって、あの子には父親がいません。それが不憫で、少しでも夢を持たせてあげようとしたんです」

「大人のエゴだな。バレた時、どれだけ彼女の心が傷つくのかを思えば、嘘をつくべきじゃなかった」

「それもわかっています。それでも、当時の私は葉月に対して本当のことを言えませんでした。困っていた時にアルバムをめくると、丁度その写真が目についたんです」

 春道と和葉の視線が、同時にテーブル上の写真へと戻る。

「北海道にはこの一度しか行ってないですし、たまたま写っていた貴方に偶然出会うとも思えなかったので、申し訳ないとは感じながらも、この人が葉月の父親だと言わせてもらったのです」

 一度息を切ってから、再び和葉が口を開く。

「あの子には、事情があって父親は遠い所で仕事をしていて、ひと段落ついたら帰ってきてくれると説明していました。そうしてしかるべき時期がきたら、きちんと説明するつもりだったんです」

「なるほど。その時期がくるまえに、奇跡的に会うはずのない俺と遭遇してしまったと」

 春道の口調が相手を責める、キツく厳しいものへと変化する。
 和葉もそれを感じとったのだろう。蚊の鳴くような声で「すみません」とひと言だけ絞りだした。

「でも考えようによっては、今が告白する時期なんじゃないか」

 刺々しさが全開になってるのは春道も承知の上だが、勝手に騒動に巻き込んでくれた目の前の女性に、少なからず怒りを覚えてるのも事実だった。

 母親としては辛いかもしれないが、春道からすれば多少残酷でも、さっさとこの問題にケリをつけてほしかった。
 春道に引っ越してくれとは、相手の立場からすれば口が裂けても頼めないだろうし、松島家が居住を移すにしても、本気で父親に会えたと思ってる娘は納得しないだろう。

 松島和葉がどう悩んだところで、選択肢なんて最初からひとつしかないのである。
 この場に葉月を呼んで、母親の和葉が事情説明をする。結局はそこに落ち着くしかない。

 半ば確信めいたものを持っていた春道だったが、松島和葉の口から出てきた台詞は予想を遥かに超える内容だった。

「あの子の父親になってもらえませんか」
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