20 / 43
第20話 帰路
しおりを挟む
……え?
頭の中に無数の疑問符が発生する。春道は泰宏の台詞を思い出す。奥さんと血が繋がってない子供も、きちんと自分の娘として受け入れた。それが意味するのはつまり――。
「……あれ? もしかして、知らなかったのかな……」
返事をしない春道の態度を見て、泰宏がまたやらかしてしまったのかと、実に気まずそうにする。
「いえ、大丈夫ですよ。少し考え事をしてただけですから」
「ああ、よかった。余計なことを言ってしまったのかと思ったよ。和葉に怒られる案件が無駄にひとつ増えてしまうところだった」
心の底からホッとしている泰宏に、充分余計な情報を与えてくれたので、あとで妹さんから大目玉を食らうと思いますなんて春道にはとても言えない。
妹との結婚を受け入れたのだから、当然娘の問題も承諾済みだと相手は思っていたのだろう。勝手な推測で物事を口にするあたり、慎重かつ冷静な和葉の実兄とはとても信じられない。
むしろ泰宏と和葉に血が繋がっていないと言われた方がピンとくる。
「昔から大事なところでひと言多くてね。親父からも妹からもよく怒られたよ。こういうところは母親に似てしまったみたいでね」
愛想笑いを浮かべてはいるが、春道にとって泰宏の性格が父親似だろうと、母親似だろうとそんなのはどうでもよかった。
重要なのは、和葉と葉月に血が繋がっていない点についてである。
もっともそのあたりの事情を知っている感じをだした以上、泰宏に実情を聞くわけにもいかない。
仮に問われた時点で「知らなかった」と答えていても、春道と和葉の夫婦間の問題になるので相手は答えてくれなかっただろう。
ただ松島の実家を訪ねるだけと思いきや、とんだ重大な情報を得る結果になってしまった。葉月は知らない可能性が高いし、直接和葉に尋ねても「貴方には関係ありません」で終わりそうだ。
そのあたりの事情については、時期が来たら和葉が娘に直接教えるに違いない。春道が余計な口を挟むのは、それこそ筋違いになる。ここは知らないふりをしておくのが一番いい。それが考えた末に導き出された結論だった。
ふと気づけば、泰宏は自分たちの母親についての話をしていた。父親とは違っておっとりしており、滅多に怒ったりしなかったらしい。
「その代わり、一度怒ったら親父でさえも手をつけられなくてね。優しさと厳しさを兼ね備えた人だったよ」
泰宏の母親についての話が一段落すると、それを待っていたかのように足音がひとつ近づいてきた。
「ここにいたのね」
スッと姿を現したのは和葉だった。玄関まで行ったはいいものの、なかなか春道がついてこないので心配になったのかもしれない。
「……悪かったな」
気まずそうに謝罪した兄に、妹は無表情のままで首を左右に振った。
「勘当された実家に戻ると決めた時に、こうなると大体予想はついてたから。わからなかったのは、きっと兄さんだけよ」
穏やかな口調ではあったものの、言っている内容はかなりドギつい。要するに、泰宏の思慮不足を暗に責めたのである。
「そうかもしれないな」
妹の真意に気づくと同時に、父親と積極的に仲直りするつもりもないと悟ったのだろう。兄である泰宏はどことなく寂しそうだった。
「……兄さんのせいではないわ。何もなかったとしても、いずれはこうなっていたと思う。私とあの人は、まるで火と油だもの」
娘だからこそ、父親との相性がよくわかっているのだ。加えて頑固な性格をしている和葉は、自分からは決して頭を下げない。
意地を張り合ってしまうだけの事件があったのだと簡単に推測できるが、わざわざ春道が自分から首を突っ込むべき案件でないのだけは確かだった。
泰宏の迂闊な発言のせいで、半分程度は巻き込まれてしまっているが、今後気をつければ問題はない。
「そうか。でも、このままでお前は本当に後悔しないか?」
あくまで長男として、家族の不和を心配しての発言だった。それがわかっているからこそ、和葉も邪険には扱えないのだ。
「……わからないわ。でも、今はこのままでいいと思ってる。心配しないで」
わからない――。
正直な和葉の心境に違いない。兄である男性もそれを理解して、これ以上うるさく言うつもりはないようだった。
「わかった。和葉の好きなようにすればいい。最後はお前の問題なんだからな」
「ごめんなさい。兄さんにはいらない迷惑と心配をかけてしまったわね」
「いや、気にしないでくれ。これまでは親父と一緒に住んでるだけになかなか連絡できなかったけど、今回はなんか嫌な予感がしてな。和葉を呼んだ方がいいような気がしたんだ」
「嫌な予感?」
泰宏が発した言葉に、和葉が眉を顰《ひそ》めた。
「あ、また余計なことを言ってしまったな。気にしないでくれ。何かの確証があるわけじゃないんだ。あれだけ元気だった親父が急に倒れたから、変に神経質になってるのかもしれないな」
「そう……」
これまで素っ気ない態度をとっていた和葉の表情に、かすかな暗い影ができた。勘当されていても、血を分けた実の父親である事実に変わりはない。意味深な発言をされれば気になって当然である。
「ま、何かあっても大丈夫だ。こうして長男である俺が一緒に暮らしてるんだからな」
ほんの少し不安顔になった妹を元気付けようと、泰宏が笑みを見せた。名字は別になってしまっても、二人はやはり兄妹なのだと実感する。
「本来なら早く結婚して、跡継ぎでも見せてやれば親父も喜ぶんだろうが、いかんせん相手がいないからな」
春道に視線を移したあとで、泰宏が照れ臭そうに笑った。妹に先を越されたと思っているようだが、実際には和葉も独身みたいなものだ。
相手はそこまでの事情を知らないらしく、妹をお願いしますと春道に握手を求めてきた。
ここで真実を説明するわけにもいかず、春道は「わかりました」と応じるしかなかった。泰宏とガッチリ握手をしている光景を、側にいる和葉が複雑そうに見守る。
「親父が何と言おうと、ここはお前の実家なんだ。好きな時に帰って来い」
春道と短い握手を終え、泰宏が実妹にそう声をかけた。
「追い返されるだけだわ」
「……それを言わないでくれよ」
泰宏が苦笑いを浮かべたのとほぼ同時に、葉月もまた春道たちのところへやってきた。
「ごめんなさい。待たせてしまったわね」
実兄との別れの挨拶もそこそこに、和葉は娘の下へ歩み寄っていく。
春道も泰宏へ挨拶をしてから、和葉の後をついて戸高家の玄関へと向かう。相当な広さなので、ひとりで行動すれば大人でも迷子になる可能性があった。
泰宏は結局玄関先まで見送ってくれ、春道たちが車に乗り込む姿を眺めている。途中で葉月に小遣いを渡そうとしたのだが、それは和葉が丁重にお断りしていた。
例え兄といえど、戸高家の人間に借りみたいなものを作るのが嫌だったのかもしれない。本来なら文句を言いそうな葉月も、祖父との一件がよほど応えたのか何も言わなかった。
全員が車に乗り込んだのを確認したあとで、春道は泰宏に運転席で一礼してからアクセルを踏んだ。
田舎には不似合いな豪快なマフラー音が響き渡り、戸高家の窓がカタカタと震える。出発した時同様に、和葉が何かを言いたそうにしながらも途中で口をつぐむ。
恐らくは排気音のうるささに文句をつけたいのだろうが、戸高家まで連れてきてもらった手前、なかなか言い辛いのだ。ましてや溺愛してる娘の葉月は、春道の車を特に気に入っているようだった。
「……いいのか」
春道の問いかけに、和葉は頷いて答えとする。事は和葉の問題であるだけに、本人の意思に従えばいい話だ。
本格的にアクセルを踏み、長い時間をかけて来たわりにはほとんど滞在しなかった戸高家――和葉の実家を後にする。
このまま自宅に戻るのもいいが、それだと次の日の朝になってしまう可能性が高い。ほとんど休みもなく運転してきて、帰りも徹夜になるのはさすがにキツかった。
「……宿を取った方が良さそうですね」
助手席から見ているだけでも、春道の疲労具合が想像できたのか、思いがけない提案が和葉からされた。
これに喜んだのは葉月だった。後部座席から身を乗り出し、ホッとしている春道と、背筋を伸ばしたまま座っている和葉の間に割り込んでくる。
「どこかにお泊りするのー?」
祖父である人物に冷たくされ、しょんぼりしていたかと思いきや、すでに本来の明るさを取り戻している。
「ええ。温泉があって、料理がおいしいと評判の旅館よ」
娘に説明しながら、和葉が春道に道順を告げる。実家に泊まるものとばかり思っていたが、和葉はこうなるのを予測して事前に宿を予約していたのだ。
春道が大丈夫そうなら宿を電話でキャンセル。大丈夫じゃなさそうなら、予約していた宿に向かう。大手会社の役職をもらっているだけあって、なかなかの手際のよさである。
葉月も色々とショックを受けていたので、嫌なだけの思い出にしないためにも母親らしく気を遣ったのだろう。例え血が繋がっていなくとも、葉月は大事な娘なのだ。
そこまで考えてから、春道は小さく舌打ちをした。血の繋がり云々は松島母娘の問題だ。変な態度をしてしまって、葉月に不信感を抱かれでもしたらマズい。
あくまでも春道は何も知らない。そういった意識で松島母娘に応対しなければいけないのだ。和葉が真相を告白する前に、事が露見してはどうしようもない。
「……」
「……どうかしたか?」
いつの間に娘と話し終えたのか、和葉が助手席から春道の横顔をジーっと見ていた。
「……いえ。そこを左です」
まったく表情を崩さずに、和葉は口頭でナビの役割を果たす。
一体何だったんだと悠長に考えている暇はない。ここは春道も通った経験のない場所なのだ。うっかり助手席からの指示を聞き逃すと面倒なことになる。
「温泉ってどれぐらい広いかなー」
そんな春道の微妙な焦りを露知らず、にこにこと楽しそうに葉月が声をかけてくる。
「ママが見たパンフレットでは、なかなか綺麗で大きかったわよ」
「えー。ママひとりで泊まるところ、決めちゃったのー」
「だって、葉月は気持ち良さそうに寝てたもの。起こしたらかわいそうでしょう」
「そういう時はいいのー。あーあ、葉月も一緒に決めたかったなー」
拗ねかたも、すっかりいつもの葉月に戻っている。これなら何の心配も――。
春道が何気なく、戸籍上は娘になっている少女の顔を見ると、頬に薄っすらと涙のあとが残っていた。細かく観察すれば目も充血している。幼い少女にとって祖父のキツい態度は、精神的なダメージが大きかったのだ。
いつまでも悲しんでいると、春道や和葉が心配するかもしれない。幼い少女は大人の二人を気遣って、わざと気丈に振舞っていた。
衝撃の事実に気づいて、春道は思わず苦笑する。
もしかしたら、自分なんかより葉月の方がよっぽど大人かもしれない。和葉もそうした心遣いに気づいたからこそ、いつもと変わらぬ調子で娘と会話をしているのだ。
「ごめんなさい。次は葉月が起きてる時間に決めましょう。そうすれば、自然と話に加われるもの」
お祖父さんと仲良く遊ぶつもりだった葉月の前で、万が一の保険として宿を取っておくね、などと説明できるわけがない。春道が和葉の立場でも、間違いなく同じようにしていた。
「うんー。その時はパパも一緒だからねー」
何て返事をするべきか。春道が迷っていると、助手席から凛とした声が発せられた。
「見えました。あそこにある旅館が本日の宿です」
頭の中に無数の疑問符が発生する。春道は泰宏の台詞を思い出す。奥さんと血が繋がってない子供も、きちんと自分の娘として受け入れた。それが意味するのはつまり――。
「……あれ? もしかして、知らなかったのかな……」
返事をしない春道の態度を見て、泰宏がまたやらかしてしまったのかと、実に気まずそうにする。
「いえ、大丈夫ですよ。少し考え事をしてただけですから」
「ああ、よかった。余計なことを言ってしまったのかと思ったよ。和葉に怒られる案件が無駄にひとつ増えてしまうところだった」
心の底からホッとしている泰宏に、充分余計な情報を与えてくれたので、あとで妹さんから大目玉を食らうと思いますなんて春道にはとても言えない。
妹との結婚を受け入れたのだから、当然娘の問題も承諾済みだと相手は思っていたのだろう。勝手な推測で物事を口にするあたり、慎重かつ冷静な和葉の実兄とはとても信じられない。
むしろ泰宏と和葉に血が繋がっていないと言われた方がピンとくる。
「昔から大事なところでひと言多くてね。親父からも妹からもよく怒られたよ。こういうところは母親に似てしまったみたいでね」
愛想笑いを浮かべてはいるが、春道にとって泰宏の性格が父親似だろうと、母親似だろうとそんなのはどうでもよかった。
重要なのは、和葉と葉月に血が繋がっていない点についてである。
もっともそのあたりの事情を知っている感じをだした以上、泰宏に実情を聞くわけにもいかない。
仮に問われた時点で「知らなかった」と答えていても、春道と和葉の夫婦間の問題になるので相手は答えてくれなかっただろう。
ただ松島の実家を訪ねるだけと思いきや、とんだ重大な情報を得る結果になってしまった。葉月は知らない可能性が高いし、直接和葉に尋ねても「貴方には関係ありません」で終わりそうだ。
そのあたりの事情については、時期が来たら和葉が娘に直接教えるに違いない。春道が余計な口を挟むのは、それこそ筋違いになる。ここは知らないふりをしておくのが一番いい。それが考えた末に導き出された結論だった。
ふと気づけば、泰宏は自分たちの母親についての話をしていた。父親とは違っておっとりしており、滅多に怒ったりしなかったらしい。
「その代わり、一度怒ったら親父でさえも手をつけられなくてね。優しさと厳しさを兼ね備えた人だったよ」
泰宏の母親についての話が一段落すると、それを待っていたかのように足音がひとつ近づいてきた。
「ここにいたのね」
スッと姿を現したのは和葉だった。玄関まで行ったはいいものの、なかなか春道がついてこないので心配になったのかもしれない。
「……悪かったな」
気まずそうに謝罪した兄に、妹は無表情のままで首を左右に振った。
「勘当された実家に戻ると決めた時に、こうなると大体予想はついてたから。わからなかったのは、きっと兄さんだけよ」
穏やかな口調ではあったものの、言っている内容はかなりドギつい。要するに、泰宏の思慮不足を暗に責めたのである。
「そうかもしれないな」
妹の真意に気づくと同時に、父親と積極的に仲直りするつもりもないと悟ったのだろう。兄である泰宏はどことなく寂しそうだった。
「……兄さんのせいではないわ。何もなかったとしても、いずれはこうなっていたと思う。私とあの人は、まるで火と油だもの」
娘だからこそ、父親との相性がよくわかっているのだ。加えて頑固な性格をしている和葉は、自分からは決して頭を下げない。
意地を張り合ってしまうだけの事件があったのだと簡単に推測できるが、わざわざ春道が自分から首を突っ込むべき案件でないのだけは確かだった。
泰宏の迂闊な発言のせいで、半分程度は巻き込まれてしまっているが、今後気をつければ問題はない。
「そうか。でも、このままでお前は本当に後悔しないか?」
あくまで長男として、家族の不和を心配しての発言だった。それがわかっているからこそ、和葉も邪険には扱えないのだ。
「……わからないわ。でも、今はこのままでいいと思ってる。心配しないで」
わからない――。
正直な和葉の心境に違いない。兄である男性もそれを理解して、これ以上うるさく言うつもりはないようだった。
「わかった。和葉の好きなようにすればいい。最後はお前の問題なんだからな」
「ごめんなさい。兄さんにはいらない迷惑と心配をかけてしまったわね」
「いや、気にしないでくれ。これまでは親父と一緒に住んでるだけになかなか連絡できなかったけど、今回はなんか嫌な予感がしてな。和葉を呼んだ方がいいような気がしたんだ」
「嫌な予感?」
泰宏が発した言葉に、和葉が眉を顰《ひそ》めた。
「あ、また余計なことを言ってしまったな。気にしないでくれ。何かの確証があるわけじゃないんだ。あれだけ元気だった親父が急に倒れたから、変に神経質になってるのかもしれないな」
「そう……」
これまで素っ気ない態度をとっていた和葉の表情に、かすかな暗い影ができた。勘当されていても、血を分けた実の父親である事実に変わりはない。意味深な発言をされれば気になって当然である。
「ま、何かあっても大丈夫だ。こうして長男である俺が一緒に暮らしてるんだからな」
ほんの少し不安顔になった妹を元気付けようと、泰宏が笑みを見せた。名字は別になってしまっても、二人はやはり兄妹なのだと実感する。
「本来なら早く結婚して、跡継ぎでも見せてやれば親父も喜ぶんだろうが、いかんせん相手がいないからな」
春道に視線を移したあとで、泰宏が照れ臭そうに笑った。妹に先を越されたと思っているようだが、実際には和葉も独身みたいなものだ。
相手はそこまでの事情を知らないらしく、妹をお願いしますと春道に握手を求めてきた。
ここで真実を説明するわけにもいかず、春道は「わかりました」と応じるしかなかった。泰宏とガッチリ握手をしている光景を、側にいる和葉が複雑そうに見守る。
「親父が何と言おうと、ここはお前の実家なんだ。好きな時に帰って来い」
春道と短い握手を終え、泰宏が実妹にそう声をかけた。
「追い返されるだけだわ」
「……それを言わないでくれよ」
泰宏が苦笑いを浮かべたのとほぼ同時に、葉月もまた春道たちのところへやってきた。
「ごめんなさい。待たせてしまったわね」
実兄との別れの挨拶もそこそこに、和葉は娘の下へ歩み寄っていく。
春道も泰宏へ挨拶をしてから、和葉の後をついて戸高家の玄関へと向かう。相当な広さなので、ひとりで行動すれば大人でも迷子になる可能性があった。
泰宏は結局玄関先まで見送ってくれ、春道たちが車に乗り込む姿を眺めている。途中で葉月に小遣いを渡そうとしたのだが、それは和葉が丁重にお断りしていた。
例え兄といえど、戸高家の人間に借りみたいなものを作るのが嫌だったのかもしれない。本来なら文句を言いそうな葉月も、祖父との一件がよほど応えたのか何も言わなかった。
全員が車に乗り込んだのを確認したあとで、春道は泰宏に運転席で一礼してからアクセルを踏んだ。
田舎には不似合いな豪快なマフラー音が響き渡り、戸高家の窓がカタカタと震える。出発した時同様に、和葉が何かを言いたそうにしながらも途中で口をつぐむ。
恐らくは排気音のうるささに文句をつけたいのだろうが、戸高家まで連れてきてもらった手前、なかなか言い辛いのだ。ましてや溺愛してる娘の葉月は、春道の車を特に気に入っているようだった。
「……いいのか」
春道の問いかけに、和葉は頷いて答えとする。事は和葉の問題であるだけに、本人の意思に従えばいい話だ。
本格的にアクセルを踏み、長い時間をかけて来たわりにはほとんど滞在しなかった戸高家――和葉の実家を後にする。
このまま自宅に戻るのもいいが、それだと次の日の朝になってしまう可能性が高い。ほとんど休みもなく運転してきて、帰りも徹夜になるのはさすがにキツかった。
「……宿を取った方が良さそうですね」
助手席から見ているだけでも、春道の疲労具合が想像できたのか、思いがけない提案が和葉からされた。
これに喜んだのは葉月だった。後部座席から身を乗り出し、ホッとしている春道と、背筋を伸ばしたまま座っている和葉の間に割り込んでくる。
「どこかにお泊りするのー?」
祖父である人物に冷たくされ、しょんぼりしていたかと思いきや、すでに本来の明るさを取り戻している。
「ええ。温泉があって、料理がおいしいと評判の旅館よ」
娘に説明しながら、和葉が春道に道順を告げる。実家に泊まるものとばかり思っていたが、和葉はこうなるのを予測して事前に宿を予約していたのだ。
春道が大丈夫そうなら宿を電話でキャンセル。大丈夫じゃなさそうなら、予約していた宿に向かう。大手会社の役職をもらっているだけあって、なかなかの手際のよさである。
葉月も色々とショックを受けていたので、嫌なだけの思い出にしないためにも母親らしく気を遣ったのだろう。例え血が繋がっていなくとも、葉月は大事な娘なのだ。
そこまで考えてから、春道は小さく舌打ちをした。血の繋がり云々は松島母娘の問題だ。変な態度をしてしまって、葉月に不信感を抱かれでもしたらマズい。
あくまでも春道は何も知らない。そういった意識で松島母娘に応対しなければいけないのだ。和葉が真相を告白する前に、事が露見してはどうしようもない。
「……」
「……どうかしたか?」
いつの間に娘と話し終えたのか、和葉が助手席から春道の横顔をジーっと見ていた。
「……いえ。そこを左です」
まったく表情を崩さずに、和葉は口頭でナビの役割を果たす。
一体何だったんだと悠長に考えている暇はない。ここは春道も通った経験のない場所なのだ。うっかり助手席からの指示を聞き逃すと面倒なことになる。
「温泉ってどれぐらい広いかなー」
そんな春道の微妙な焦りを露知らず、にこにこと楽しそうに葉月が声をかけてくる。
「ママが見たパンフレットでは、なかなか綺麗で大きかったわよ」
「えー。ママひとりで泊まるところ、決めちゃったのー」
「だって、葉月は気持ち良さそうに寝てたもの。起こしたらかわいそうでしょう」
「そういう時はいいのー。あーあ、葉月も一緒に決めたかったなー」
拗ねかたも、すっかりいつもの葉月に戻っている。これなら何の心配も――。
春道が何気なく、戸籍上は娘になっている少女の顔を見ると、頬に薄っすらと涙のあとが残っていた。細かく観察すれば目も充血している。幼い少女にとって祖父のキツい態度は、精神的なダメージが大きかったのだ。
いつまでも悲しんでいると、春道や和葉が心配するかもしれない。幼い少女は大人の二人を気遣って、わざと気丈に振舞っていた。
衝撃の事実に気づいて、春道は思わず苦笑する。
もしかしたら、自分なんかより葉月の方がよっぽど大人かもしれない。和葉もそうした心遣いに気づいたからこそ、いつもと変わらぬ調子で娘と会話をしているのだ。
「ごめんなさい。次は葉月が起きてる時間に決めましょう。そうすれば、自然と話に加われるもの」
お祖父さんと仲良く遊ぶつもりだった葉月の前で、万が一の保険として宿を取っておくね、などと説明できるわけがない。春道が和葉の立場でも、間違いなく同じようにしていた。
「うんー。その時はパパも一緒だからねー」
何て返事をするべきか。春道が迷っていると、助手席から凛とした声が発せられた。
「見えました。あそこにある旅館が本日の宿です」
10
あなたにおすすめの小説
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
Emerald
藍沢咲良
恋愛
教師という仕事に嫌気が差した結城美咲(ゆうき みさき)は、叔母の住む自然豊かな郊外で時々アルバイトをして生活していた。
叔母の勧めで再び教員業に戻ってみようと人材バンクに登録すると、すぐに話が来る。
自分にとっては完全に新しい場所。
しかし仕事は一度投げ出した教員業。嫌だと言っても他に出来る仕事は無い。
仕方無しに仕事復帰をする美咲。仕事帰りにカフェに寄るとそこには…。
〜main cast〜
結城美咲(Yuki Misaki)
黒瀬 悠(Kurose Haruka)
※作中の地名、団体名は架空のものです。
※この作品はエブリスタ、小説家になろうでも連載されています。
※素敵な表紙をポリン先生に描いて頂きました。
ポリン先生の作品はこちら↓
https://manga.line.me/indies/product/detail?id=8911
https://www.comico.jp/challenge/comic/33031
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます
難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』"
ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。
社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー……
……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!?
ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。
「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」
「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族!
「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」
かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、
竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。
「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」
人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、
やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。
——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、
「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。
世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、
最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕!
※小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる