きずもの華族令嬢は初恋の男とクズ夫に復讐する 〜わたしたちは、罪悪です。〜

サバ無欲

文字の大きさ
1 / 18

《一》

しおりを挟む

「死体ですって」

 アイロンが充分にあてられた皺ひとつない朝刊をめくると、見開きのはじに不気味な記事があった。

 近所の川で男の死体があがったらしい。

「新聞を動かしなさいませ奥様。また首を悪くしますよ」

「まつ、男の死体ですって」

「ええ、存じ上げておりますとも……いやなことばかり目につきますわねえ」

 ばあやのまつがテエブルに置いたままの皿をどかして新聞を見やすい位置にすえてくれる。十三参りの帰り、野犬に片目片足を食われてからというもの、わたしはいまだに見えなくなった空間の把握が不得手にがてだった。

「きっとまた川上かわかみの村から流れてきたんでございましょ? あちらさん、炭鉱も工場も軒並み閉鎖で最近ずっと不景気だって聞きますもの……ア、そうそう! うしろの長者番付、五番目に旦那様のお名前がありましたのよ!」

「あらそう」

 珈琲を飲みつつ適当にあいづちを打つ。
 人より二時間起床が早いばあやのまつは、毎朝のアイロンがけに乗じて新聞のどこになんの記事があるのかすっかり覚えてしまう。そして自分が気に入った記事について話すのがこの時間の日課だった。

 新聞をうしろまでめくる。
 確かに旦那様の──尾上 千晃(おのえ ちあき)の名があった。数ヶ月前の子会社合併が資産増に寄与したと書かれている。

「……こんなこと言っちゃなんですが、それもこれも、千景(ちかげ)様が失踪してくださったおかげですわね」

 板張りの床を雑巾で拭きながらまつの口が止まらない。
 鼻の穴が大きく開いて、たのしげだった。こういうときのまつの話はたいてい聞き流してしまうのが一番だから、わたしは今日の予定を思い出すことにする。昼からは女中相手にお茶のお稽古をする曜日だから、その前に、そろそろお中元の宛名書きを終わらせなければ。

「イエ、おかげなんておかしいんですけど……でもあの方がいなくならないと、子会社も合併できなかったわけですし。あのときはお爺様が亡くなったそばから手紙一枚で家出だなんて、まあ不義理なと思いましたけれど……あとは旦那様も、お妾だけなんとかしていただければねえ」

「これ、ばあや」

「だってねぇ奥様。旦那様ったら最近、離れにこもりっきりじゃございませんか。前は奥様を目の中に入れても痛くないほどのお可愛がりようでしたのに……それにお妾が三人だなんてお坊ちゃんの教育にもようございませんわよ」

「あら、妾の人数で言うなら亡くなったお義父様は五人。旦那様より二人も多かったわ。でもご立派にお家を盛り立てているじゃないの」

 生まれる前からわたしを知るまつは、それ以上言っても無駄だとおかしげに肩をすくめて、板張りの床の拭き上げを再開した。

 蝉しぐれがみんみんみんと耳をつんざく。
 テエブルの上に朝刊を広げなおして、もう一度はじの記事を見る。

 あがった死体は腐敗が進んで、身元も年齢も、いつから沈んでいたのかもわからないらしい。
 警察は事件事故両方の可能性を視野に捜査を進めているという。


 みぃぃんみんみんみんみんみんみんみん──


「おはようございます」

「アラッ! おはようございます旦那様、もうご出勤で?」

「ええ……千之助せんのすけは?」

「お坊ちゃんはまだおやすみです。乳離れしてから寝ぐずりがひどくて」

「そうかあ。まつさん、悪いんだけど弁当とは別に朝めしを包んでくれ。急がないから」

「はいはい。少々お待ちくださいませね」

 どたどたとまつの歩く足音が遠ざかってゆく。
 新聞を握りしめるわたしに、男の影が重なった。視線をあげる。

 男はいつもうつくしかった。
 日本人にしては珍しいくらいに彫りが深く、きりりとした眉に柔和な琥珀色の目。陶磁器のようになめらかな肌に、濃く煮出した紅茶色の髪。知り合って随分経ったあと、遠い異国の血がまざっていると聞かされた。

 夫婦で並べばまるで日本人形と西洋人形だと褒められるが、そのたびわたしは消えたくなるほど恥ずかしい。彼がガラス箱に入った完璧な西洋人形なら、わたしはさながら、打ち捨てられたがらくただ。

「……やぶれますよ、お嬢さん」

 握ったこぶしがたやすくほどかれる。
 いつのまにか朝刊のはじはぐしゃりと潰れ、手のひらには新聞のインキと汗がべったりついていた。

「きづかなかったわ……」

 見えない方はいつもこうだ。
 身元不明の水死体の記事はところどころにじんでかすれてしまっている。

「汚れてしまいましたね」

 男が、わたしの手をなでる。鞄を床に置き、床にひざをついて舌を伸ばした。わたしのそれよりひと回りもふた回りも大きな舌が、くちゃくちゃと下品な音を立てながらわたしの手のひら、指の股、皺の谷間のひとつひとつまで丁寧になぞって濡らしてゆく。

「ふ……」

 わたしは声を出さぬよう、くちびるを噛んだ。
 なにかをこらえれば余計に感覚は鋭くなる。這うような舌先の動きに、まとわりつく琥珀色の視線に呼吸が震える。腰がずんと重い。


 このうつくしい男は昨日、どの妾を抱いたのだろう。
 この舌先で、女のどの部分をいじめて、何度いかせたのだろう。


 ──わたしはまだこの男に抱かれてすらいないのに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

処理中です...