後悔しても、もう遅い

花霞つばき

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 会場を支配していた華やかな祝祭の調べは、一瞬にして凍りついた。
 
 床に無様に転がった漆黒の王太子、ダーク・ル・フォン。
 その目の前に立つタート・コイールズ公爵から放たれる殺気は、もはや物理的な圧力となって、周囲の貴族たちの呼吸を止めるほどに苛烈だった。

 タートは、ホワイトを背後に庇うようにして一歩前へ踏み出す。
 その漆黒の軍靴が、大理石を鳴らしてダークの鼻先へと迫った。

「……聞き捨てならんな。ダーク・ル・フォン殿下。貴様、今、誰に向かって『掃除係』などと抜かした?」

 氷の刃を突きつけるような、底冷えする声。
 
 タートの青い瞳には、もはや理性的な対話の意志など微塵も残っていない。
 そこにあるのは、己の至宝を汚そうとした害虫を、一足飛びに踏み潰そうとする獣の情熱だった。

「ひ、ひぃっ……! こ、公爵閣下、これは……これは誤解だ! 私はただ、元々私の持ち物であった女を、正しい場所へ戻そうとしただけで……!」

 ダークは床を這いずりながら、必死に言い訳を並べ立てる。
 
 だが、その焦りからくる脂汗が、会場に満ちる「浄化」の気に触れ、シュウシュウと音を立てて黒い霧へと変わっていく。
 彼から漂う腐敗臭は、今や隠しようもないほどに鼻を突き、周囲の貴族たちは扇で鼻を覆って一斉に後退した。

「持ち物、だと? 貴様、この女性を何だと思っている」

 タートは冷笑を浮かべ、会場に集った列国の重鎮たちを見渡した。

「諸君、聞くがいい。この愚鈍な男は、伝説に謳われる『浄化の聖女』を、自国の王宮で雑用係として酷使し、挙句の果てに無能と称して泥の中に捨てたのだ」

 ざわり、と会場が大きくどよめいた。
 
「聖女……!? あの輝きは、やはり……」
「信じられん。一国の至宝を、掃除婦のように扱っていたというのか?」
「漆黒の王太子……正気か? 自ら国の守護神を追い出すなど、正気の沙汰ではないぞ」

 冷ややかな囁き声が、ダークの耳を容赦なく刺す。
 
 リリアは顔面を蒼白にし、震える指で自分のドレスを掴んだ。
 彼女が「ゴミ女」と蔑んでいた相手が、今や世界が羨む聖女として君臨している。
 その残酷な事実が、彼女の薄っぺらなプライドを粉々に砕いていく。

「ホワイトは、我がコイールズ公国にとって、何にも代えがたい救世主だ。彼女が微笑むだけで領土の病は消え、彼女が歩むだけで大地は黄金の恵みをもたらす」

 タートは、ダークを見下ろしたまま、その声をさらに低く沈めた。

「それを、ゴミ拾いのように扱うだと? 貴様のその薄汚れた手で、彼女の神聖な肌に触れようとした罪……万死に値すると思わんか?」

「ま、待ってくれ! ホワイト、貴様からも言ってくれ! 私たちは婚約していた仲だろう!? 私がどれほど貴様を……!」

 ダークは、今度はホワイトに縋るように手を伸ばした。
 
 かつての彼女なら、その情けない姿に胸を痛め、手を差し伸べたかもしれない。
 だが、今のホワイトの瞳には、かつての献身も、そして憎しみさえも残っていなかった。
 
 そこにあるのは、ただ、未知の汚物を見つめるような、透き通った「無関心」だった。

「ダーク殿下。……私に、あなたの声はもう届きませんわ」

 ホワイトは、タートの腕の中から静かに告げた。
 
「私は、ワンオペで王宮を磨いていたあの時、すでに死んだのです。……雨の中に私を捨てた瞬間に、あなたと私の糸は、永遠に断ち切られました」

 彼女の言葉が、物理的な衝撃となってダークの胸を撃ち抜く。

「今の私には、守るべき場所があります。……私を愛し、私の価値を認め、私の居場所を最高に『綺麗』にしてくださる、タート様という方がいらっしゃるのです」

 ホワイトは、慈しむような眼差しでタートを見上げた。
 
 タートは満足げに目を細めると、彼女の腰に回した腕にさらに力を込め、見せつけるように彼女を抱きしめた。

「聞こえたか。……ホワイトは私のものだ。貴様のような、己の足元の汚れさえ見えぬ無能な男が、二度と口にしていい名前ではない」

 タートは冷徹に言い放つと、傍らに控える騎士たちに短く顎で指示を出した。

「……この汚物を、今すぐ会場の外へ摘み出せ。コイールズの空気が汚れる。……それと、漆黒の王国とのすべての外交関係を、今日この瞬間をもって断絶する」

「なっ……外交断絶!? 待て、そんなことをすれば我が国は……!」

 ダークの絶叫は、騎士たちによって無情にも遮られた。
 
 リリアも共に、引きずられるようにして会場から追い出されていく。
 
 彼女が叫んだ「私は悪くない、あの女が化かしたのよ!」という醜い言い掛かりも、ホワイトの放つ清浄な魔力によって、霧散して消えた。

 静寂が戻った会場で、タートはホワイトの手を取り、再びダンスフロアの中央へと導いた。

「……すまない、ホワイト。少し、言葉が過ぎたか」

「いいえ。……スカッといたしましたわ。タート様」

 ホワイトは、悪戯っぽく微笑んだ。
 
 漆黒の王宮で、喉の奥まで押し殺してきた「正論」。
 それをタートが代弁してくれたことで、彼女の心にこびりついていた最後の「滓」が、完全に消え去ったのを感じていた。

 タートは、彼女の指先に、情熱的なまでの口づけを落とした。
 
「……式典が終わったら、たっぷりと『浄化』してもらおう。……他人の視線に晒された、私の嫉妬をな」

 独占欲に満ちた公爵の囁きに、ホワイトは顔を赤らめながらも、幸せそうに目を細めた。
 
 断罪の序曲は、今、鳴り響いたばかりだ。
 
 追い出されたダークたちが、これから直面する本当の「地獄」を。
 そして、自分たちの捨てた聖女がどれほどの奇跡であったかを、骨の髄まで知る時間は、まだ始まったばかりなのだから。```
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