え、待って。「おすわり」って、オレに言ったんじゃなかったの?!【Dom/Sub】

水城

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従うということ(2)

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 あの立派過ぎる門のある、表玄関へは回らなかった。
 暗く無人の公園を突っ切って、裏の通用口へと向かう。

 公園の敷地との境目で、アプリの通話ボタンを押した。
 すぐに隆督が応答する。
 
「裏の垣根のトコロにいる」
 そう伝えれば、

「鍵、開けます」と、小さな返事。

 どうやら、この裏手の鉄扉の方が設備が新しいらしい。 
 内側から鍵の開け閉めができるようで、カチャリと小さな音とともに、かすかに扉が動いた。

 押し開けて中に入る。そのまま、鉄扉は静かに元の場所に戻り、自動的に施錠された。 
 
 オレは小走りに母屋へ向かう。
 ポツリと、頬に冷たい何か。

 ああ、降り出したな――

 通用口の脇の、手水場の石桶に大きな雨粒が落ち始めた。
 波立つ水面。
 
 重く転がる雷鳴が数回。
 それは低く近づいてくる。

 庇に飛び入り、ドアを叩く。
 返事はなかった。

 ノブに手を掛ける。カギはかかっていない。

「入るぞ」と言いながら、扉を押し開け、足を踏み入れる。

 抱き合って肩を震わせる一人と一頭――
 
 稲妻が光る。
 両腕を広げて、オレはふたりを抱き寄せた。





 今夜の雷雨は、それほど長くは続かなかった。
 雷自体も、だいぶ遠いままに終わっていく。

「……はた、てさん……かさ、は?」
 
 ゆっくりと顔を上げながら、隆督が、濡れてうねったオレの前髪に触れた。

「たお……る」
 
「ああ、大丈夫だよ。そんなに濡れてねぇから」
 言ってオレは、腕を解いて小さく笑う。

 ムギが、ブルリと身体を振った。
 そしてノソノソ、奥へと歩いていく。
 オレと隆督も、床から一緒に立ち上がった。





 ムギが入っていたのは、この前のダイニングルームのような部屋だった。
 明かりがついていて、フワリと食べ物の匂いがした。

「あ、メシ、喰ってたのか?」

「ハイ」

 テーブルの上には、ごく一般的な夕食のメニュー。
 サバの塩焼き、キャベツ。澄まし汁に白飯。副菜の小鉢は、おひたしに煮豆。
 ひじき。昆布の煮しめ。

「……なんっつうか、渋いメニューだな」

 ここんはよ。
 おやつといい、食事といい。
 なんかこう「中学生」っていうより、「中高年」な趣味っていうか。

「佐竹さんは……ずっと、おじいさまのところで働いてた人だから」

 さたけ。
 ああ、「通いの家政婦さん」だっけか。

「旗手さん、仕事帰りなんでしょう?」
 言って隆督が、オレのネクタイに目をやる。

「夕ごはん、もう食べたんですか?」

 ――喰った。
 そう言おうと思った。気を遣わせないために。
 けど、腹の虫はウソが下手だった。

 ってさ。まあ、それがオレの本質ってヤツなのかもな。
 処世術っていうかさ、そういうのが基本、全然上手くない。

「一緒に食べましょう」
 隆督が言う。

「たくさんありますから。『はんぶんこ』して」

「いやいや、そんなにあるようには見えないって。ちょっとオマエの様子見に来ただけだから。もう帰るし」

 両手を振って固辞をして。
 踵を返し、またさっきの通用口へと歩き出す――オレのスラックスが。

 ピッと、なにかに引っ張られた。

 振り返れば、ズボンの尻の布地に、ムギのヤツが噛みついていた。

「おいっ、ムギ! バカ、おま……っ、離せって、破れる。ケツが」
 
 カプリとスラックスに噛みついたまま、ムギは微動だにしない。
 隆督も無言のまま、ただオレたちを見ているだけだった。

「おい、隆督! マジ、やめさせろ。このスーツ、まだ買ったばっかなんだから」

 そんな風に、オレが、かなり本気で詰め寄って初めて。
 隆督はやっと渋々、口にする。

「……ムギ、OUTはなせ
 
 ゆっくりと、デカ犬の口が離れていった。
 微妙に唾液で濡れてた布地の、ヒヤリとした感覚を腿が拾う。

「あのな、オマエなぁ」と。
 
 ムギの金色の目を見据えて、オレは小言を言いかける。
 だがデカ犬は、隙あらばまた、オレのシャツの袖に食いつこうと、飛びかかる気配を見せた。

 とっさに、危険だと判断した隆督が鋭く言う。

 ――Stayまて

 ビクリと、オレの肩が痙攣した。 
 
 ちがう、違う。commandじゃない――
 オレへのcommandじゃない。

 なのに。
 「それ」はズサリと、オレの中のある場所へ刺さった。

 ――カラダが、動かない。

 ただ、睫毛だけが小刻みに震えて――

 ゆっくりと、近づいてくる影。
 オレの目の前で、それは止まる。

「『動かないで』、旗手さん」

 声。
 ――隆督の、声。


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