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第十三話③

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「……へえ」

 カップを手に持ったまま、僕は答えた。もう一度飲むか迷った挙句、テーブルに置いた。

「で?」

「色々、教わってるんだ」君岡はバウムクーヘンを少々乱暴に口に含み、満足そうに答えた。

「へえ、何を?」

「おぶぅすくらのこと」君岡はクチャクチャと音を立てながら答えた。
「は?」君岡はバウムクーヘンを飲み込んだ。

「オブスキュラ! あの世界について、いや、僕たちの未来について教わったんだよ」

「未来?」僕は眉をひそめた。

「そう。未来さ。それはもうやって来る」謎めいた言い方に頭がくらくらした。

「何がやって来るって?」僕は悪意を込めて聞き返した。だが君岡には効かなかった。

「〝ANNE〟が言ってた。今はまだ、限られた人しかそこにいないけど、これからの二十年で、本格的にVRとAIの時代がやって来るってさ、スマホがそうだったように、誰もがその世界を無視することができなくなるんだって。その世界では個人が個人から、肉体から解き放たれて、なりたい自分になれるんだって」

「……どこかで聞いた話だな。そんなの、記事でも言っていたような気がするがな」

「それだけじゃないんだって!」君岡は声を荒げた。

「〝ANNE〟は僕たちのことを開拓者だとも言ってた。オブスキュラで生きる人たちのことを、これからの未来を作る選ばれた人達だと言ってた。その通りだって思った。〝ANNE〟は僕に、オブスキュラのワールドを作っている人にも会わせてくれた。それを見て、なんてすごいことをしているんだろうって思った。世界の創造だよ、あれは。人は文字通りその世界の神になるんだ」

 まるで何かの新興宗教に熱をあげているような口ぶりに、僕は辟易とした。シュガーの懸念はもっともだった。君岡を〝ANNE〟に会わせてはいけなかったのだ。

「……で? お前はその人や〝ANNE〟の後ろを、金魚の糞みたいにくっついてこの一週間を過ごしてたってわけか?」

「そんなわけないだろ」君岡は明らかに機嫌を悪くして、そう言い切った。

「じゃあなにしてたんだよ」

「未来がそうだとわかったら、もう学校に行く必要もないなって思ったからだよ」それから淡々と、意味のわからないことを言う。

「あのなあ、本気で言ってるのか、それ……」

「冗談を言ってると思った?」君岡は僕を見つめた。確かに、冗談は言っていないようだ。そちらの方が困るのだが。

「正直、意味がわからないんだが。オブスキュラが未来だって言うのは、そうかもしれないけどな。だからって、どうして現実の将来まで捨てる必要がある?」

 僕はじっと、君岡を見つめた。君岡は、呑気にお母さんが買ってきたバウムクーヘンを食べ、コーヒーを飲んでいた。悪いけど、お母さんもこんな息子じゃ苦労が絶えないだろうな、と思わざるを得なかった。

「犠牲は、必要だと思うんだ」

「……は?」

「ぎ、せ、い! 野宮にはわからないと思うけどね、何かを得るには、何かを失わないといけないんだよ」

「……へえ」もっともらしいことを言うな。それだけだが。

「それで? お前がその何かを得るために一週間の犠牲が必要だったってことか?」
「うるさいな」君岡は舌打ちして、僕のことをうっとうしそうに見た。

「野宮、うちに説教しに来たの?」

「いや? そんなつもりはないが」

「また、『いや?』だ! 知ってんだ、野宮がそう言う時は嘘なんだって」

 君岡は僕の口調を真似ると、空になった皿を手に持って立ち上がった。

「どうせ、お母さんに説得しろって頼まれたんだろ!」乱暴にシンクに皿を落とし、君岡が言った。そのまま踵を返し、
「もう野宮にはオブスキュラに入れてやらない!」とぷりぷりしながら部屋に戻ってしまった。

 そうして僕は、一人そこに残された。

「どうでした?」

 僕が残されたバウムクーヘンを摘まんで一口食べていると、奥の部屋から君岡のお母さんがやって来て聞いた。不安げな表情が、君岡と非常によく似ていた。

「ダメだったみたいです。すみません」僕は言った。のどが詰まりそうになったので紅茶を流し込む。

「いいのよ。気にしないで。色々言いにくいこと言ってくれたみたいでありがとう」

 聞かれていたのか。まあでも、そうか。

 がっかりした様子で彼女はキッチンに行き、さっき君岡が置いたばかりの皿を洗った。サーっという水音が音楽に混じって聞こえてくる。僕はバウムクーヘンを皿に戻した。

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