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第十話③
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「ああ、聞いたことあるかな? 〝ルクリテール〟っていうんだけど」僕と君人は首を振った。
「あー……、まあ、そうだよな。説明すると、彼女たちはいわばVRアーティストで、よく第十二宇宙のライブスペースでパフォーマンスをしている」
シュガーは少々がっかりした後、根気強く説明してくれた。
「プロの人も呼んだって、聞いたことがあるんですけど」君人が聞いた。
「一周年記念ライブの時だな。確かにあの時は現状のオブスキュラの最高潮だった。当時の最大人数である四百人が一つのヴァーチャル空間に集まって音楽に熱狂した」シュガーは懐かしむようにしみじみと答えた。
「持ってきたアーカイブはそれじゃないの?」僕が聞く。
「ああ。それはちょっと、手に入らなかった。まあ、でも、彼女たちのライブもその時行われたし、実は、これを機に、彼女のファンになってもらいたくてな。このアーカイブのライブが行われたのは三か月前だけど、今も、金曜日の夜とかによくライブをしている。もし気に入って暇なら見に行ってほしくてね」
シュガーはそう言って、手に紫とピンクのペンライトを出現させた。
「どうやって見るんですか?」君人がシュガーから紫のそれを受け取り聞いた。
「普段は、そういうことはしなくてもいいんだが、今回は三人で同時に見るために、十二番ゲートからライブスペースに飛ぶ」
シュガーはエントランスの奥の方を指差した。
「その〝ルクリテール〟っていうのは、どういうグループ?」
一緒にゲートに向かう途中、僕が聞いた。シュガーから貰って咥えたピンクのペンライトが歩くたびに揺れて視界に入って煩わしい。
「どういうグループ? どういうグループって?」シュガーが聞き返す。
「そのままの意味。……名前の由来とか、どうして、現実世界じゃなくてこっちでやっているのか、とか」
「ああ、そういうこと? まあ俺も詳しくは知らないんだが、名前の由来は、なんだったかな、確か、架空のお菓子の名前らしい。音が気持ちいいんだとか」
「へえ」僕にはよくわからない感性だ。
「それと、こっちでやっている理由は、ヴォーカルの〝Mikan〟の意向なんだよ」「どうして?」僕は突っ込んで聞いた。
「さあ? そこまでは知らない。色々理由はあるんじゃないか? 歌は歌いたいが、人前には立ちたくないとか、お金……チケットノルマとか。現実だとどうして人件費や機材にお金がかかる。人気な箱を押さえるのもそうだ。それと、ライブをしたいけど、そもそも地方じゃそこまで人が集まらないとか。自粛期間で、随分ライブハウスも潰れたと聞いているしね。その点、こっちでやれば土地代がかからないからノルマもないし、収益もほとんど手にできるらしい。まあその代わりに、投げ銭とか音源で稼ぐしかないらしいから、楽というわけではないらしいが。感覚的には、路上ライブに近いのかな」
「でも、それじゃ、そこまで人は来ないんじゃないの?」
僕は寒空の下、道端でもこもこのジャケットを着ながら必死にギターをかき鳴らして歌っているシンガーの姿を思い浮かべた。そういう人の足元のギターの空箱にお金がこぼれるほど一杯になったり、道行く人たちがその素晴らしい歌声に足を止めて聞き入ったりしてくれるのは、まあほとんどないだろう。都会では、みんな自分のことで忙しくて、構っていられないのだ。
「もちろん、最初の頃は利益なんて度外視だったらしい。一人か二人しかいない時が続いて、やめようと何度も思ったとか。が、今ではファンも増えなんとか黒字をキープしているみたいだ。それに伴ってライブの演出もどんどん豪華になっているしね」
シュガーは十二番ゲートの階段を下りながら答えた。十二番ゲートは、打ちっぱなしのコンクリートの壁が囲む、薄暗い階段を下って、落書きやステッカーまみれの小さな扉だ。
シュガーが扉を開けて僕たちが後に続いて中に入った。そこは百人ほどが入れるような小さなホールだった。正面に簡素なステージがあり、照明がその中央に向いている。天井にはミラーボールがくるくると回っている。
「これがデフォルトのライブハウスだ。五十人規模くらいかな。雰囲気が出るだろう?」
シュガーは同意を求めるように言い、パッと明かりを消した。どこからかガスが発生し地を這いずると、ステージを浮かび上がらせた。
「ここが面白いのは、色々な場所をステージにできることだ。ほら」
と、シュガーが合図を出すと、僕たちがいる場所が、地下のライブハウスから、スタジアム、どこかで見たことのあるような公民館、芝生の上の野外ステージへと移り変わった。それだけでなく、常夏の砂浜、南国の海の中、月の上、宇宙空間、すべてが折り紙で出来たところ、お菓子の国、など、想像上のステージにもなった。
「どうだ? すごいだろ」まるで自分が作ったみたいな口ぶりでシュガーが言った。
「すごい!」君人はどこまでも素直だ。
「その、ルクリテールっていうグループは、こういうステージを利用しているってこと?」巨大な神殿のステージから地下のライブハウスに戻ってくると僕が聞いた。
「そうだな。ただ、彼女たちはもっと意欲的でね。プリセットを使うだけじゃ飽き足らず、自分たちでワールドを作成しているんだ。それが、また、独特な世界観でね。俺が彼女たちを推している理由の一つだ」
「どういうワールドなんですか?」待ち切れないのか君人が聞く。
「それは見てのお楽しみさ」シュガーは爽やかに笑って答えた。
「さ、こんなことをしていてもしょうがない。さっそく見よう。ここでアーカイブを再生すれば、俺たちは同じ空間を共有できるはずだが……」シュガーはステージの裏の方で、何やら準備を進めていた。
「こっちのアーカイブは、その時の空間と時間を再現するんだって。だから、あちこちに動き回れるし、その時誰が何を言ったのかも保存されているんだってさ」
その間に暇になって君人が僕に伝えてきた。僕は「へえ」と答えただけだったが、それって随分、動画なんかよりずっと容量があるんじゃないかとか、迂闊に変なこと言えないなとか考えていた。
情報量、没入感、再現性。それらが本物と大差ないなら、ライブの価値も変わっていくのだろうか。いや、結局ライブの熱気を共有することはできない。だとすればむしろ価値が上がるのか、とかよくわからないことを考えていると、「よし!」とシュガーが言い、アーカイブが再生されたのか、僕たちの立っている場所が、真っ暗な何もない空間に置き換わった。と思うと、いきなり見知らぬ人たちに囲まれた。ざわめき声が辺りに響いている。
「あー……、まあ、そうだよな。説明すると、彼女たちはいわばVRアーティストで、よく第十二宇宙のライブスペースでパフォーマンスをしている」
シュガーは少々がっかりした後、根気強く説明してくれた。
「プロの人も呼んだって、聞いたことがあるんですけど」君人が聞いた。
「一周年記念ライブの時だな。確かにあの時は現状のオブスキュラの最高潮だった。当時の最大人数である四百人が一つのヴァーチャル空間に集まって音楽に熱狂した」シュガーは懐かしむようにしみじみと答えた。
「持ってきたアーカイブはそれじゃないの?」僕が聞く。
「ああ。それはちょっと、手に入らなかった。まあ、でも、彼女たちのライブもその時行われたし、実は、これを機に、彼女のファンになってもらいたくてな。このアーカイブのライブが行われたのは三か月前だけど、今も、金曜日の夜とかによくライブをしている。もし気に入って暇なら見に行ってほしくてね」
シュガーはそう言って、手に紫とピンクのペンライトを出現させた。
「どうやって見るんですか?」君人がシュガーから紫のそれを受け取り聞いた。
「普段は、そういうことはしなくてもいいんだが、今回は三人で同時に見るために、十二番ゲートからライブスペースに飛ぶ」
シュガーはエントランスの奥の方を指差した。
「その〝ルクリテール〟っていうのは、どういうグループ?」
一緒にゲートに向かう途中、僕が聞いた。シュガーから貰って咥えたピンクのペンライトが歩くたびに揺れて視界に入って煩わしい。
「どういうグループ? どういうグループって?」シュガーが聞き返す。
「そのままの意味。……名前の由来とか、どうして、現実世界じゃなくてこっちでやっているのか、とか」
「ああ、そういうこと? まあ俺も詳しくは知らないんだが、名前の由来は、なんだったかな、確か、架空のお菓子の名前らしい。音が気持ちいいんだとか」
「へえ」僕にはよくわからない感性だ。
「それと、こっちでやっている理由は、ヴォーカルの〝Mikan〟の意向なんだよ」「どうして?」僕は突っ込んで聞いた。
「さあ? そこまでは知らない。色々理由はあるんじゃないか? 歌は歌いたいが、人前には立ちたくないとか、お金……チケットノルマとか。現実だとどうして人件費や機材にお金がかかる。人気な箱を押さえるのもそうだ。それと、ライブをしたいけど、そもそも地方じゃそこまで人が集まらないとか。自粛期間で、随分ライブハウスも潰れたと聞いているしね。その点、こっちでやれば土地代がかからないからノルマもないし、収益もほとんど手にできるらしい。まあその代わりに、投げ銭とか音源で稼ぐしかないらしいから、楽というわけではないらしいが。感覚的には、路上ライブに近いのかな」
「でも、それじゃ、そこまで人は来ないんじゃないの?」
僕は寒空の下、道端でもこもこのジャケットを着ながら必死にギターをかき鳴らして歌っているシンガーの姿を思い浮かべた。そういう人の足元のギターの空箱にお金がこぼれるほど一杯になったり、道行く人たちがその素晴らしい歌声に足を止めて聞き入ったりしてくれるのは、まあほとんどないだろう。都会では、みんな自分のことで忙しくて、構っていられないのだ。
「もちろん、最初の頃は利益なんて度外視だったらしい。一人か二人しかいない時が続いて、やめようと何度も思ったとか。が、今ではファンも増えなんとか黒字をキープしているみたいだ。それに伴ってライブの演出もどんどん豪華になっているしね」
シュガーは十二番ゲートの階段を下りながら答えた。十二番ゲートは、打ちっぱなしのコンクリートの壁が囲む、薄暗い階段を下って、落書きやステッカーまみれの小さな扉だ。
シュガーが扉を開けて僕たちが後に続いて中に入った。そこは百人ほどが入れるような小さなホールだった。正面に簡素なステージがあり、照明がその中央に向いている。天井にはミラーボールがくるくると回っている。
「これがデフォルトのライブハウスだ。五十人規模くらいかな。雰囲気が出るだろう?」
シュガーは同意を求めるように言い、パッと明かりを消した。どこからかガスが発生し地を這いずると、ステージを浮かび上がらせた。
「ここが面白いのは、色々な場所をステージにできることだ。ほら」
と、シュガーが合図を出すと、僕たちがいる場所が、地下のライブハウスから、スタジアム、どこかで見たことのあるような公民館、芝生の上の野外ステージへと移り変わった。それだけでなく、常夏の砂浜、南国の海の中、月の上、宇宙空間、すべてが折り紙で出来たところ、お菓子の国、など、想像上のステージにもなった。
「どうだ? すごいだろ」まるで自分が作ったみたいな口ぶりでシュガーが言った。
「すごい!」君人はどこまでも素直だ。
「その、ルクリテールっていうグループは、こういうステージを利用しているってこと?」巨大な神殿のステージから地下のライブハウスに戻ってくると僕が聞いた。
「そうだな。ただ、彼女たちはもっと意欲的でね。プリセットを使うだけじゃ飽き足らず、自分たちでワールドを作成しているんだ。それが、また、独特な世界観でね。俺が彼女たちを推している理由の一つだ」
「どういうワールドなんですか?」待ち切れないのか君人が聞く。
「それは見てのお楽しみさ」シュガーは爽やかに笑って答えた。
「さ、こんなことをしていてもしょうがない。さっそく見よう。ここでアーカイブを再生すれば、俺たちは同じ空間を共有できるはずだが……」シュガーはステージの裏の方で、何やら準備を進めていた。
「こっちのアーカイブは、その時の空間と時間を再現するんだって。だから、あちこちに動き回れるし、その時誰が何を言ったのかも保存されているんだってさ」
その間に暇になって君人が僕に伝えてきた。僕は「へえ」と答えただけだったが、それって随分、動画なんかよりずっと容量があるんじゃないかとか、迂闊に変なこと言えないなとか考えていた。
情報量、没入感、再現性。それらが本物と大差ないなら、ライブの価値も変わっていくのだろうか。いや、結局ライブの熱気を共有することはできない。だとすればむしろ価値が上がるのか、とかよくわからないことを考えていると、「よし!」とシュガーが言い、アーカイブが再生されたのか、僕たちの立っている場所が、真っ暗な何もない空間に置き換わった。と思うと、いきなり見知らぬ人たちに囲まれた。ざわめき声が辺りに響いている。
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