びんの悪魔 / 2023

yamatsuka

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第八章

第二話

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「ここで何してるの?」

 さっきまで自分が見ていた場所まで降りて来て、智香は鬼平に話しかけた。鬼平は声に反応して土の乗ったスコップを落とした。土がどさどさと音を立てて落ちる。鬼平は智香を見て目を丸くした。

「あのさ、鬼平くん。このあいだもここにいた? 私、あなたがここにいるのを見た気がするんだけど」

 智香は、鬼平を中心に、一定距離を保ちながらぐるっと弧を描いて、立っていた場所から移動した。鬼平の目の前の小さくなった穴、四方に散らばった土を見ながら、向こうの石段まで歩く。

 鬼平は智香を呆然と眺め、額に滲んだ汗を腕で拭った。それで、頬に傷跡のような土の跡がついた。彼は、声が出せないかわりに、とりあえず何度も頷いた。

「そう。でも今日は一人なんだ。あの時は、もう一人いたよね。あの人はどうしたの? どうして今日は一人なの? ……ま、私もそうか」

 智香はそう言って、鬼平の全身を眺めた。鬼平の泥まみれの表情や、猫背は、疲労がにじみ出ていた。

「それ、手伝おうか?」

 智香に指を差されて、鬼平は身体を震わせた。それから全力で否定するために、首を横に振る。

「そ。まあ、別に無理には手伝わないけどさ」

 鬼平は、それで智香がどこかに去っていくのだと思った。だが智香はそこに立ち、鬼平が罰として行っている作業を眺めていた。

 そのせいで鬼平は、それまでは何とかやれていたのに、途端に自分が惨めな存在に感じた。作業が著しく滞ると共に、全身の力も抜けてしまったみたいだった。鬼平はスコップを下ろした。

 ――悪いけど、どこかへ行ってくれない? そう穏やかに微笑みながら言って、智香をこの場から去らせる自分の姿を妄想したが、それは現実ではただ、もうひと踏ん張りした後、埋め立てた地面を固めるためにスコップでペタペタと地面を押しただけだった。

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど……」

 鬼平はその声で、手を止めた。腕が痺れてきている。スコップを持ったまま、鬼平は緊張と疲労で倒れそうになった。智香が何かを聞こうとしている。だが、おそらくそれには答えられないだろう、と思い、彼は憂鬱になった。

「あれ、鈴本じゃん。こんなところで何してんの?」

 その時、鬼平の後ろから、馴れ馴れしい声が聞こえた。声を聞いて、すぐさま智香が顔をしかめて腕を組む。鬼平が振り返ってその姿を捉える前に、声の主は横に来ていた。

「え? なに?……お前さ、こういうのが好みだったわけ?」

 鬼平を見て馬鹿にしたように笑い、同意を求めるように智香を見たその男子生徒は、短髪で日焼けをして浅黒い肌に、人懐っこい目つきで、甘ったるい顔立ちをしていた。

 彼は練習着を着ていて、白い短パンの下には、青いソックスを履いていた。それを見てサッカー部だと気付いた鬼平はとっさに目を逸らす。

「あのさ、“お前”って言うの、やめてって言ったよね? それからさ、そういう言い方って彼に失礼だと思うけど?」

 智香は不機嫌そうに抗議した。鬼平はそれを見て、その男子生徒が怒り出すのではないかと思った。だが彼はあっさり表情を崩した。

「怒んなって、悪気があって言ったわけじゃないんだからさ。な、ごめんな」

 名前も知らないその男から、親し気に手が伸びてくる。鬼平は肩をすくめて逃れようとしたが、もう一段、手が伸びてきて肩を掴まれた。鬼平は長い髪の間から彼をじろりと見たが、彼は嫌味なく、にこやかに笑った。

 気持ちの悪いくらいに爽やかな笑顔だった。まるですべての悪意がそれで許されてしまうかのような天使の笑みだった。鬼平は、彼が、誰かが隣で悲鳴を上げていても同じように笑う場面を想像した。多くの人がそうであるように、鬼平も彼を許してしまうだろうと思った。

「俺よりも、こういう奴の方がいいんだ?」

 彼は鬼平の返事を置き去りにしてそう続けた。その言葉が鬼平の心に靄をかけ、下を向かせた。智香はため息をつく。

「ねえ篠田。あんたはそんなことを言いにここに来たの? 練習はどうしたの? 大事な時期じゃなかった?」

 智香は話の主導権を握ろうと言い返した。篠田は余裕たっぷりに笑い返した。

「練習、練習か……」

 篠田はその言葉を咀嚼するように何度も呟いた。

「もう今日は終わり?」

「まさか。大事な時期にそんなことあり得ない」

「じゃあサボり?」

「馬鹿にしてんのか?」

 篠田はそう言いながらも、まったく怒っているようには見えない。むしろ、楽しそうだ。智香は煮え切らない篠田の態度にいら立ちながら言った。

「じゃあ何?」

「ま、サボりっていうか、罰っていうか……」

「はっきりしなよ」

 篠田は声をあげて笑ったが、それ以上答えることはなかった。

「もしかしてさ、お前らもそう?」

 篠田は鬼平と智香を交互に見て、からかうように言った。

「何が?」

「それってさ、なんかの罰?」

 篠田は鬼平の持っているスコップを指差した。

「そうなの?」

 智香も鬼平に聞いた。鬼平は視線をゆっくり逸らしてから、頷く。

「やっぱり?」

 篠田は楽しそうに笑った。それで納得がいったのか、そのまま笑いながら去っていった。

「なんなの? あいつ、何しに来たわけ?」

 智香は口を尖らせて、文句を言った。篠田の姿が完全に見えなくなってから、

「……ちょっと変わってるでしょ。でもね、いつもああだから」

 と、弁明するように鬼平に言った。鬼平は、その言葉になんて返したらいいのか考えたが、それはまた独り言のようでもあったので、またしても言葉にすることはなく、肩をすくめただけだった。それよりもどうやってこの場から逃れようかと考え、とりあえず手に持っているスコップを片付けるために、こびりついた土を靴の裏で叩いて落とした。

 するとこの威嚇のような音で、智香はそれを察し、別れを告げることになった。鬼平は少し心苦しかったが、それでも胸をなでおろした。そのまま彼女に背を向ける。別れ際、

「……なんか本当、どうしてこうなっちゃったんだろ」

 智香がそう呟いたのを、鬼平は聞いていた。

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