11 / 17
第一章
<止まり木亭>
しおりを挟む
カレットがソチと共に<止まり木亭>に帰ってくると、食堂の机の上に肘をついて座り、ぼんやりとしているホプキンスさんと目が合った。
カレットは頭を下げて彼女に近づいた。
「遅れてしまってごめんなさい。ソチと散歩に行っていて、途中で会長に出会ってつい話し込んでしまったの」
カレットは申し訳なさそうに弁明した。ホプキンスはそれを聞くと顔をほころばせた。
「なあんだ。そうだったの! いやあ、よかったよ。カレットちゃんが約束を破ることなんかないからさ。てっきりなんかあったのかと思って」
「すみません」
カレットはもう一度頭を下げた。ホプキンスは手を振って煩わしそうに言った。
「いいのよ。そんな謝んなくて。ところで、朝ご飯食べるだろ?」
ホプキンスは席を立った。
「うん。ありがとう。お願い」
カレットが言うと、ホプキンスはエプロンをつけながら頷いた。
「ところで、勇者さんはもう食事を済ませたの?」
それからカレットは食堂を見渡しながら聞いた。ホプキンスは笑いながら、
「いや? まだだね。起こしてくるかい?」
と言った。カレットは頷いた。ホプキンスはそれを言い終えた後でもふふふと笑っていたから、カレットは、
「どうしたの?」
と聞いた。
「いや、さっきね、うちの悪ガキがご飯を食べ終わって、同じことを言ったから。今頃勇者様の部屋に突撃しているんじゃないの?」
ホプキンスは朝食を作りながらそう答えた。カレットは耳を澄ました。すると確かに、はしゃぐトッドの声と共に、なにやら怪物のうめき声のような音が聞こえてきた。
カレットはホプキンスに一言伝えてから、勇者織部の部屋に向かった。扉の前まで来るとその声がはっきりと聞こえた。
「ねぼう♪ ねぼう♪ ねぼすけ勇者♪ うんち♪ うんち♪ うんち♪」
トッドの歌い声に、くぐもった声がだるそうに反論した。
「あぁ~ガキ! うるせえぞ、下手くそな歌、歌いやがって。何時だと思ってる! ていうか、退けよ! 俺はまだ寝たいの! 十時くらいまでお布団で自堕落にぬくぬくすんだよ。ったく、異世界に来たってのに習慣で六時に起きちまったじゃねえか。クソっ、俺はもう二度と満員電車なんか乗んねえだよ!」
織部はカレットにはよくわからないことをぶつぶつ呟いていた。
「知らないの? 朝起きない奴はピーグス(豚のような生き物だ)とか、モウ(牛)みたいになっちゃうんだよ 勇者様がピーグスなんて俺、嫌!」
「はいはい。色んなこと知ってて僕チン、偉いね~。わかったから早く出てけって言ったろ。俺はな、おこちゃまのお前と違って疲れてんだよ!」
「やだやだ! 母さん、朝ご飯作って待ってんだよ、早く起きろよ、ねぼすけ勇者!」
トッドは譲らなかった。ぼすぼすと、何かを叩く音が聞こえた。カレットは扉をノックして中に入った。トッドが振り向き、毛布にくるまっていた織部も頭を覗かせた。
「カレット――」
「カレット姉ちゃん! おはよう!」
またしてもトッドは織部の声をかき消した。トッドは毛布に引きこもった織部にまたがっていたが、ぴょんと飛び降りてカレットに近づいた。
「痛っ、お前! 蹴るんじゃねえ!」
織部が顔をしかめて抗議した。
「そんなところで寝てるのが悪いんだろ」
トッドは口を尖らせて反論した。
「そんなところって、ベッドだが!?」
「それよりさ、ねえねえ! カレット姉ちゃん! 今日行くの?」
トッドは目をキラキラとさせてカレットの袖を引っ張った(「話を聞け!」と後ろで織部が抗議した)。カレットは微笑みながらトッドの頭を撫でて言った。
「そうよ。そこのお寝坊勇者様と一緒にね」
「ええ~! 俺も行きたい~!」
トッドは地団太を踏みながら主張した。
「ダメ。学校があるでしょ?」
カレットはトッドを諭した。
「学校なんかつまんない。休めばいいんだ。ねえ、明日は? 明日に伸ばそうよ!」
「ダメ。もう会長に伝えちゃったもの。ほら、もういいから、準備してきなさい」
カレットはトッドに言い聞かせ、トッドは「ええ~」と不平を垂れながらも、渋々部屋を出て行った。
「やっといなくなったか、あのガキ。ノックばっかしやがるからうるせえって怒鳴ってやったら、ますます騒がしくしてな。そんで耐え切れなくなって、開けてやったらああだ。まったくここの教育はどうなってるんだ」
静かになった部屋で、織部が横になって毛布から頭を出した状態のままそう言った。
カレットは小さくため息をついて、織部に近づいた。
「おはようございます。織部さん。朝ですよ。もう朝ご飯の準備もできています」
それから、そう言った。
「……わあってるって」
織部は不満そうにぷいと顔をそむけた。不安になってカレットがそれを見つめていると、織部はふいににんまりと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「……どうしたのですか?」
その意味が気になってカレットが聞いた。織部はその笑みを張り付けたままカレットに向き合った。
「いや、俺の夢だったんだよね。朝、美少女に起こされるっていうのがさ。それが叶って、今、その全身から湧き上がる多幸感っていうの? そいつに打ち震えているんだよね。俺の人生に必要だったのは、やっぱりこれだったんだって」
そう言い終えると、織部は満足そうに目を閉じた。
「……そう、ですか」
カレットには織部が何を言っているのかよくわからなかったが、とにかく、織部がなにかとてつもなく気持ち悪い感情を味わっているということだけは伝わった。
カレットは部屋を見渡した。机の上に、昨日の夜読んだ紙がそのまま乗っていた。ただ心なしか、文量が増えているようだ。カレットは言った。
「続きを書いたのですか?」
「……読むなよ?」
織部は短くそう答えただけだった。それから、にゅっと毛布を胸まで下げたが、
「いや、読んでもらった方がいいのか……?」
と、迷いを見せた。毛布をどけて、ベッドから足を下ろすと、
「朝飯、できてんだよな?」
とカレットに聞いた。カレットは頷いて、
「はい。私もまだなので一緒に食べましょう」
と言った。織部はそれを聞くと、またしても気持ち悪い笑みをして、
「ああ、いいね」
と答えた。その耳には、昨日カレットがあげたイヤリングが輝いていた。
「それ、寝る時は外してください、と言ったはずです」
カレットが言った。
「え? これ? だって離さないって言ったじゃん」
織部は悪びれもせずに言った。カレットはふうっと小さくため息をつくと、織部にずいと近づき、織部の耳を触った。
「カ、カレットさん!? あ、朝から刺激が強すぎるって!」
織部はその大胆な行動に驚き、戸惑った。
「何を言っているんですか。ほら、これ」
カレットは呆れながら織部から離れると、外したイヤリングを手の平の上にのせ、彼に差し出した。
「え、なんだ。外しちゃったの」
織部は戸惑いながらイヤリングを受け取った。
「耳が赤くなっていたので。そのままじゃいつ血を出してもおかしくないですよ」
カレットが忠告した。
「血!?」
織部が両手で両耳を抑えながら、青ざめた。
「あ、ていうか、あの、ありがとうございます」
それから思い出したかのように礼を言った。
「なんでそんなによそよそしいんですか。それより、早く行きますよ。せっかくのホプキンスさんの朝ご飯が冷めてしまいます」
カレットは織部の横を通り過ぎると、彼を急かした。織部はカレットに続いて部屋を出た。
その後、二人は食堂で向かい合ってホプキンスが作ってくれた朝食を食べた。カレットは目玉焼きを食べている時、視線を感じて顔を上げた。
すると織部は慌てて、にやにや笑いをやめて目をそらし、黙々と朝食を食べていましたよ、という体で千切ったパンを口にいれるのだった。
カレットは頭を下げて彼女に近づいた。
「遅れてしまってごめんなさい。ソチと散歩に行っていて、途中で会長に出会ってつい話し込んでしまったの」
カレットは申し訳なさそうに弁明した。ホプキンスはそれを聞くと顔をほころばせた。
「なあんだ。そうだったの! いやあ、よかったよ。カレットちゃんが約束を破ることなんかないからさ。てっきりなんかあったのかと思って」
「すみません」
カレットはもう一度頭を下げた。ホプキンスは手を振って煩わしそうに言った。
「いいのよ。そんな謝んなくて。ところで、朝ご飯食べるだろ?」
ホプキンスは席を立った。
「うん。ありがとう。お願い」
カレットが言うと、ホプキンスはエプロンをつけながら頷いた。
「ところで、勇者さんはもう食事を済ませたの?」
それからカレットは食堂を見渡しながら聞いた。ホプキンスは笑いながら、
「いや? まだだね。起こしてくるかい?」
と言った。カレットは頷いた。ホプキンスはそれを言い終えた後でもふふふと笑っていたから、カレットは、
「どうしたの?」
と聞いた。
「いや、さっきね、うちの悪ガキがご飯を食べ終わって、同じことを言ったから。今頃勇者様の部屋に突撃しているんじゃないの?」
ホプキンスは朝食を作りながらそう答えた。カレットは耳を澄ました。すると確かに、はしゃぐトッドの声と共に、なにやら怪物のうめき声のような音が聞こえてきた。
カレットはホプキンスに一言伝えてから、勇者織部の部屋に向かった。扉の前まで来るとその声がはっきりと聞こえた。
「ねぼう♪ ねぼう♪ ねぼすけ勇者♪ うんち♪ うんち♪ うんち♪」
トッドの歌い声に、くぐもった声がだるそうに反論した。
「あぁ~ガキ! うるせえぞ、下手くそな歌、歌いやがって。何時だと思ってる! ていうか、退けよ! 俺はまだ寝たいの! 十時くらいまでお布団で自堕落にぬくぬくすんだよ。ったく、異世界に来たってのに習慣で六時に起きちまったじゃねえか。クソっ、俺はもう二度と満員電車なんか乗んねえだよ!」
織部はカレットにはよくわからないことをぶつぶつ呟いていた。
「知らないの? 朝起きない奴はピーグス(豚のような生き物だ)とか、モウ(牛)みたいになっちゃうんだよ 勇者様がピーグスなんて俺、嫌!」
「はいはい。色んなこと知ってて僕チン、偉いね~。わかったから早く出てけって言ったろ。俺はな、おこちゃまのお前と違って疲れてんだよ!」
「やだやだ! 母さん、朝ご飯作って待ってんだよ、早く起きろよ、ねぼすけ勇者!」
トッドは譲らなかった。ぼすぼすと、何かを叩く音が聞こえた。カレットは扉をノックして中に入った。トッドが振り向き、毛布にくるまっていた織部も頭を覗かせた。
「カレット――」
「カレット姉ちゃん! おはよう!」
またしてもトッドは織部の声をかき消した。トッドは毛布に引きこもった織部にまたがっていたが、ぴょんと飛び降りてカレットに近づいた。
「痛っ、お前! 蹴るんじゃねえ!」
織部が顔をしかめて抗議した。
「そんなところで寝てるのが悪いんだろ」
トッドは口を尖らせて反論した。
「そんなところって、ベッドだが!?」
「それよりさ、ねえねえ! カレット姉ちゃん! 今日行くの?」
トッドは目をキラキラとさせてカレットの袖を引っ張った(「話を聞け!」と後ろで織部が抗議した)。カレットは微笑みながらトッドの頭を撫でて言った。
「そうよ。そこのお寝坊勇者様と一緒にね」
「ええ~! 俺も行きたい~!」
トッドは地団太を踏みながら主張した。
「ダメ。学校があるでしょ?」
カレットはトッドを諭した。
「学校なんかつまんない。休めばいいんだ。ねえ、明日は? 明日に伸ばそうよ!」
「ダメ。もう会長に伝えちゃったもの。ほら、もういいから、準備してきなさい」
カレットはトッドに言い聞かせ、トッドは「ええ~」と不平を垂れながらも、渋々部屋を出て行った。
「やっといなくなったか、あのガキ。ノックばっかしやがるからうるせえって怒鳴ってやったら、ますます騒がしくしてな。そんで耐え切れなくなって、開けてやったらああだ。まったくここの教育はどうなってるんだ」
静かになった部屋で、織部が横になって毛布から頭を出した状態のままそう言った。
カレットは小さくため息をついて、織部に近づいた。
「おはようございます。織部さん。朝ですよ。もう朝ご飯の準備もできています」
それから、そう言った。
「……わあってるって」
織部は不満そうにぷいと顔をそむけた。不安になってカレットがそれを見つめていると、織部はふいににんまりと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「……どうしたのですか?」
その意味が気になってカレットが聞いた。織部はその笑みを張り付けたままカレットに向き合った。
「いや、俺の夢だったんだよね。朝、美少女に起こされるっていうのがさ。それが叶って、今、その全身から湧き上がる多幸感っていうの? そいつに打ち震えているんだよね。俺の人生に必要だったのは、やっぱりこれだったんだって」
そう言い終えると、織部は満足そうに目を閉じた。
「……そう、ですか」
カレットには織部が何を言っているのかよくわからなかったが、とにかく、織部がなにかとてつもなく気持ち悪い感情を味わっているということだけは伝わった。
カレットは部屋を見渡した。机の上に、昨日の夜読んだ紙がそのまま乗っていた。ただ心なしか、文量が増えているようだ。カレットは言った。
「続きを書いたのですか?」
「……読むなよ?」
織部は短くそう答えただけだった。それから、にゅっと毛布を胸まで下げたが、
「いや、読んでもらった方がいいのか……?」
と、迷いを見せた。毛布をどけて、ベッドから足を下ろすと、
「朝飯、できてんだよな?」
とカレットに聞いた。カレットは頷いて、
「はい。私もまだなので一緒に食べましょう」
と言った。織部はそれを聞くと、またしても気持ち悪い笑みをして、
「ああ、いいね」
と答えた。その耳には、昨日カレットがあげたイヤリングが輝いていた。
「それ、寝る時は外してください、と言ったはずです」
カレットが言った。
「え? これ? だって離さないって言ったじゃん」
織部は悪びれもせずに言った。カレットはふうっと小さくため息をつくと、織部にずいと近づき、織部の耳を触った。
「カ、カレットさん!? あ、朝から刺激が強すぎるって!」
織部はその大胆な行動に驚き、戸惑った。
「何を言っているんですか。ほら、これ」
カレットは呆れながら織部から離れると、外したイヤリングを手の平の上にのせ、彼に差し出した。
「え、なんだ。外しちゃったの」
織部は戸惑いながらイヤリングを受け取った。
「耳が赤くなっていたので。そのままじゃいつ血を出してもおかしくないですよ」
カレットが忠告した。
「血!?」
織部が両手で両耳を抑えながら、青ざめた。
「あ、ていうか、あの、ありがとうございます」
それから思い出したかのように礼を言った。
「なんでそんなによそよそしいんですか。それより、早く行きますよ。せっかくのホプキンスさんの朝ご飯が冷めてしまいます」
カレットは織部の横を通り過ぎると、彼を急かした。織部はカレットに続いて部屋を出た。
その後、二人は食堂で向かい合ってホプキンスが作ってくれた朝食を食べた。カレットは目玉焼きを食べている時、視線を感じて顔を上げた。
すると織部は慌てて、にやにや笑いをやめて目をそらし、黙々と朝食を食べていましたよ、という体で千切ったパンを口にいれるのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる