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生きている意味を見失ったカエル
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「虚無だ!」
カエルは、その声が天井に当たって跳ね返ったのが自分でもわかるくらいに大きな声で叫びました。
「虚無だ!」
それからもう一度繰り返しました。そのままもう一度それを言うかと思いきや、やめ、ぐるぐると、池のそばにあるその小さな自分の穴の中を行ったり来たりしました。
「どうして今まで気付かなかったんだろう? 蛙生というのは、いや、生きている意味というのは、実のところ何もない! それなのに今まであると思い込んでいたんだからな!」
カエルは台所に行って、びんを取り出し、落ち着くために花の蜜でつけておいた虫をひとなめしました。それが済むと、また叫びました。
「うん! そうだ! このことをみんなに伝えなくては! きっとみんなこれを聞いたら驚くに違いない!」
カエルはそう思いたつと、さっそく外に出るために、水鏡の前に立ちました。
それから自分の顔色を眺め(それは綺麗な緑色をしていました)、肌艶を確認し(水気を吸ってつるんとした素晴らしい肌でした)、問題ないと感じ取ると、にんまりと笑い、ゲココ、と小さく鳴いて穴の外に出ました。
そしてぴょんぴょん跳ねながら池のそばを探していると、兄弟カエルのグルッグに会いました。グルッグは春の陽気の中、カキツバタの根元に手足を揃えて座り、その大きな黒い目で静かに辺りを見渡していました。
「グルッグ! 聞いてくれ! 僕はついさっき、重大なことを発見したぞ!」
カエルは両手をあげて飛び跳ねながらグルッグにそう訴えました。
「なんだよ藪から蛇に。俺は今起きたばっかりなんだがね」
グルッグは不満そうにそう鳴き、
「今日は暖かいなあ」
と太陽を見上げて目を細めました。
「そんなことどうでもいい!」
カエルは叫びました。
「何よりも重要なことなんだ!」
ぴょんぴょん跳ねまわりながら主張します。
「へえ」
グルッグはゆっくりとまばたきし、目を細めたまま言いました。
「ショウジョウバエの集団でも見っけたかね?」
そしてぐっぐっぐと笑いました。
「違う。あのな、聞いてくれ。ついさっき気付いたんだ。実はさ、僕たちには生きている意味なんてないんだよ!」
カエルは、そう言った時のグルッグの反応を密かに楽しみにしていました。
驚くばかりでなく、このような重大な真理を伝えてくれたことに感謝されると思っていたのです。
でも、グルッグはぽかぽかと暖かい春の陽気に再び目を細めただけでした。
「そうかい。それは大変だなあ」
そうして喉をぐいいと鳴らすと、また辺りを見渡すのを続けました。
「それだけ?」
カエルは不満を抱いて聞きました。
「もっとこう、草の先まで飛び上がるとか、胃袋を出すとか、急いで他のみんなにも伝えなきゃ、とか思わない?」
カエルが言うと、グルッグは首を傾げました。
「どうしてだね? だってそんなのどうでもいいじゃないか」
グルッグはあっけらかんとして答えました。
「信じられない!」
カエルは驚いて自分が飛び上がりそうになりました。
「だって、生きている意味がないんだったら生きている意味がないじゃないか!」
「ああ」
「そうしたら、僕らはみんな騙されていることになる」
「ああ」
「それはいけないことだと思わないか」
「ああ」
カエルは、グルッグの素っ気ない態度に口を閉じました。二匹はしばらく無言で見つめ合いました。
しばらくして、グルッグは前足で顔をかき、ゆっくりと片目を閉じると、
「でも生きているんだからしょうがないじゃないか」
と言いました。
これにはさすがのカエルもたまりませんでした。せっかくの長い舌も、口の中で丸まって大人しくなったまま、出てきませんでした。
グルッグは動かざることガマガエルのごとし、と言った感じで座っていました。
カエルは、もうこれ以上グルッグと話しても無駄だと思い、彼の元から去りました。
そして、またぴょんぴょん跳ね、この重大な真理を必要としてくれる相手を探し始めました。
少し行くと、池のほとりの石の上で調子はずれの歌を歌っている兄弟カエルのグロウルがいました。カエルは彼を見つけると一直線に跳ねていきました。
「おおい! グロウル! 聞いてくれ! 大事なことなんだ!」
でも、歌に夢中になっているグロウルには聞こえません。
「おおい! ちょっと聞いてくれ!」
カエルはグロウルの前に来て言いました。グロウルは驚いて石の上から落ちてしまいました。
「わっ! びっくりした。なんだ、君か。てっきりアオサギが来たのかと思った」
グロウルはカエルを見るとホッとして、元いた石の上に座り直しました。
「あんな気味の悪い奴と一緒にするな。それより聞いてくれ。重大なことを発見したんだ」
カエルはお腹をベコベコさせながら呼吸を整えて言いました。
「へえ、そいつは僕にも関係があるのか?」
グロウルは同じようにお腹を膨らませながら聞きました。
「うん。そうだと思うよ」
カエルはそう言うと、ぶるぶると震え、さあいよいよ言うぞ、といった風に前足をきちんと揃えました。
「あのな、僕たちが生きている意味なんてないんだ!」
それから、カエルはそう言って、真理を言われた時の反応が見たくて、グロウルを見つめました。
でもグロウルはまるで雨にうたれた時みたいに瞼を薄っすら閉じただけでした。
それが済むと、間違って石を飲み込んでしまった時のような顔をし、暗い声で、
「……そうか。つまり、君は僕がどんなに練習しても歌が上手くなることはない、って言っているんだね」
と言いました。
「えっ!」
カエルは驚き、胃袋を出しそうになりました。
「僕がそう言ったの?」
慌ててそれを引っ込めると聞き返します。グロウルは拗ねた調子で、
「そうだ。君は僕に『カエルのくせに音痴なお前は生きている意味がない』と言ったんだ」
と答えました。
「まさか! そんなことないよ!」
カエルは慌てて、きっぱりと否定しました。
「でも君は、僕たちは生きている意味がない、と言ったじゃないか。それと何が違うんだ?」
グロウルの気持ちは雨雲のように暗くなって、晴れませんでした。
「違うよ。それに僕が言ったのは、僕たち『が』! だよ」
カエルは訂正します。
「何が違うんだ?」
「全然違うよ!」
本当のところ、自分でも違いがわからなかったのですが、とりあえずカエルは飛び跳ねて主張しました。
「それはつまり……ええと、この真理はこれまでも、これからも変わらないってことだもの!」
「……よくわからないな」
グロウルは首を傾げました。
「でも、君が言うんだから本当なのかもしれないね。けど、歌には関係なさそうだ」
それからグロウルは、気を取り直して再び歌い始めました。
そうして、カエルは一心不乱に歌い続けるグロウルの様子を見ていると、自分の “真理”がなんだかちっぽけな干からびたアリの死骸のように思えてきました。
それで彼の元から離れると、またしても話を聞いてくれる相手を探してぴょんぴょん跳ねていきました。
すると池の中をすいすいと泳いでいるゲルゲを見つけました。
「おおい! ゲルゲ! ちょっといいか?」
カレルは大声で呼びかけました。
「なんだよ、いきなり。今じゃないとダメか?」
ゲルゲが聞き返します。カエルは少し考えた後、
「うん。そうだと思う」
と返しました。
ゲルゲは、そわそわして、カエルを無視したそうにどこか別のところを見ていましたが、やがて方向転換し、平泳ぎで水面に波紋を広げながらカエルの元にやってきました。
「俺、やることがあるんだよ。さっさと済ませてくれ」
ゲルゲが身体を震わせ、池の水を吸った艶やかな肌を見せつけながら言いました。
「重大なことを発見したんだ。きっと驚くぞ」
カエルは少しもったいぶって言いました。
「いいから、早くしてくれ」
ゲルゲが急かします。
「じゃ、言うぞ。あのな、僕たちって生きている意味がないんだ!」
そう言ってカエルは、ワクワクしながらゲルゲの表情を見ました。でも今度も同じでした。ゲルゲはきょとんとした表情のまま、
「それだけ?」
と言いました。
「……え」
カエルは口を開けたまま、言葉を失ってしまいました。ゲルゲは続けます。
「じゃあ俺、もう行っていい? 奥さんが待っているんだけど」
カエルはしょんぼりしたものの、気を取り直して、
「これから産卵かい?」
と聞きました。ゲルゲは舌を出して、ゲココ、と鳴くと、
「ああ。そうだ。さっきから緊張が止まらなくてな」
とウッと胃袋を出しそうになって、心情を吐露しました。
「そうか。頑張れよ」
カエルが励ましました。
カエルは、もうそれ以上言うつもりはありませんでした。ゲルゲはこれから、一世一代の大仕事をしようというのですから、自分の発見したそんな“真理”などは何の役にも立たないとわかってしまったのです。
「ありがとう! お前も、いい奥さんを見つけろよ」
ゲルゲはそう言って池に飛び込むと、すいすいと泳いでどこかに消えていきました。
それを見送ると、カエルはしばらくその場に佇んで、本当に自分の見つけたことが“真理”だったのかどうか再び考え込みました。
でも、それは何度考えてもやっぱり真理だと思いました。それでこのことを必要としてくれる相手を探そうと思って跳ねていきました。
でも、その後も他の兄弟カエルたちと会って真理を告げたものの、カエルが思っているように受け止めてくれる相手は誰もいませんでした。
それで失望したカエルがとぼとぼ穴に帰っていると、その隙を狙われて、アオサギに食べられそうになりました。
カエルが、何度もしつこく狙って来るアオサギから、命からがらなんとか逃げ切って、お腹を風船みたいに膨らませながら呼吸を整えていると、頭上で笑い声が響きました。
見上げるとトンボが楡の木の枝の先っぽにとまっていました。
「惜しかったなあ。あと少しで君が食べられるところを見られたのに」
トンボは首を何度も傾げながらそう言いました。
「なんだと、この羽虫! 生意気なことを言ってたら食ってやるぞ」
カエルはシャッと舌をトンボに向かって伸ばしました。トンボは飛び上がって避けます。
「おっと。危ない危ない。ったく、君たちは、大人しく食われていればいいのに、どうしてそんなにぶくぶく大きくなっちゃったのか」
トンボはカエルの舌が届かないすれすれの位置を保ちながら言いました。
「おたまじゃくしの時とは違うんだぞ」
カエルが言い返します。
「本当にね、どうしてこうなっちゃったんだろう」
トンボは、やれやれ、と言った感じで言って、ちらりと下を見ると、
「やっとあの薄暗い池から飛び出せたというのに」
と言って、カエルの元から離れようとしました。
「待て」
カエルが呼び止めます。
「なんだ。ふん、どうせ食う気なんだろ。俺を騙そうたって、そうはいかないぜ」
トンボは無視して先を行こうとします。
「違う。ちょっと聞いていいか。お前、僕たちが生きている意味ってあると思うか?」
それを聞くと、トンボは上下に揺れながら笑いました。
「何を言い出すかと思えば、そんなことを聞くとはね。君、頭おかしいんじゃないの」
カエルは頷きました。
「僕もそうなんじゃないかって思ってきたんだ。でも、何度考えても自分の考えは変わらないんだ。なあ、お前はヤゴの時、あんなに強かったのに、どうしてトンボになんかなったんだ?」
トンボは不服そうにブーンと羽ばたきました。
「なんかとはなんだ。お前なんか跳ねることと、ゲコゲコうるさい音を出すしか能がないくせに。……だが、そんなこと考えたこともなかったな。俺はただ、あの小さくて薄暗い池から無限に広がる空を目指して生きていただけだ。そのためにお前たちの兄弟を頂いたわけだが」
トンボは、今度は不思議そうに答えました。
「それはつまり、意味を見つけて生きていたわけじゃないんだよな?」
カエルは言いました。
「何を言っているのかよくわからないな。空を飛びたいと思ってたんだから、意味を見つけていただろうに」
「では今は? 空を飛べるようになった今は?」
カエルは食い下がりませんでした。もう少しで何かが掴めそうな気がしたのです。
「しつこいな。空を飛べるようになったら、今度は生きるために餌を探す毎日さ。ハエ、蚊、蝶。あいつらはみんな俺たちの獲物だ。そいつらを食う。お前もそうだろう」
カエルは頷きました。
「だがそこに意味はない」
トンボは首を傾げ、馬鹿にしたように笑いました。
「お前は何だったら意味を見出せるんだ? いいか、そうしてたらふく食わないと生きていけないんだ。それが終わったら、俺たちはメスを見つける。そして、子を産ませるんだ。その後、メスを他の奴にとられないように、俺たちがくっついて飛んでいるのはお前だってよく知っているだろう。メスは子を産み、その子がまた子を産む。そうしてこの何万、何億回と続いてきた営みを繰り返すだけさ」
「だけどそれは意味じゃない」
トンボは呆れて笑いました。
「やっぱりお前、頭おかしいよ。アオサギに食われちまった方がましだったな」
トンボはそう言うと、付き合いきれないと思ったのかそこから飛び去っていきました。
「だけどそれは意味じゃないんだ」
カエルはトンボの姿が見えなくなってもまだそう呟いていました。
それからカエルはとぼとぼと歩いて自分の穴に帰ると、目を閉じて眠りました。
そして、次の日になってもまだ、自分の見つけたこと――生きる意味などない――は、真理だと思うのでした。
カエルの頭にはその後何日も何日も、蜘蛛の巣が張ったように、そのことがずっと頭にありました。
でも、桜が咲いて、散り、そこに鮮やかな若葉が生い茂るようになった頃、カエルの考えは変わっていました。
確かに、蛙生に意味はないようだ。でも、どうせ意味がないのなら、自分で作ればいいのだと考えるようになったのです。
そうすれば、自分が他のカエルたちが信じるものを信じられなくても、たとえ何をしても死ぬ運命にあったとしても、少しは意味があるような気がしたのです。
カエルは、歌の下手なグロウルのために、新しい歌を作ってあげました。
何日も苦心して作ったおかげか、それはなかなか、興味深い歌でした。
その歌のおかげで、グロウルは奥さんを手に入れることもできました。
やがて、カエルは死にました。今では、カエルのことを知っている者は誰もいません。
でも、今でもその池の近くに行くと、その時カエルが作った歌が、――それは少しずつ形を変えながら――聞こえてくるそうです。
おしまい
カエルは、その声が天井に当たって跳ね返ったのが自分でもわかるくらいに大きな声で叫びました。
「虚無だ!」
それからもう一度繰り返しました。そのままもう一度それを言うかと思いきや、やめ、ぐるぐると、池のそばにあるその小さな自分の穴の中を行ったり来たりしました。
「どうして今まで気付かなかったんだろう? 蛙生というのは、いや、生きている意味というのは、実のところ何もない! それなのに今まであると思い込んでいたんだからな!」
カエルは台所に行って、びんを取り出し、落ち着くために花の蜜でつけておいた虫をひとなめしました。それが済むと、また叫びました。
「うん! そうだ! このことをみんなに伝えなくては! きっとみんなこれを聞いたら驚くに違いない!」
カエルはそう思いたつと、さっそく外に出るために、水鏡の前に立ちました。
それから自分の顔色を眺め(それは綺麗な緑色をしていました)、肌艶を確認し(水気を吸ってつるんとした素晴らしい肌でした)、問題ないと感じ取ると、にんまりと笑い、ゲココ、と小さく鳴いて穴の外に出ました。
そしてぴょんぴょん跳ねながら池のそばを探していると、兄弟カエルのグルッグに会いました。グルッグは春の陽気の中、カキツバタの根元に手足を揃えて座り、その大きな黒い目で静かに辺りを見渡していました。
「グルッグ! 聞いてくれ! 僕はついさっき、重大なことを発見したぞ!」
カエルは両手をあげて飛び跳ねながらグルッグにそう訴えました。
「なんだよ藪から蛇に。俺は今起きたばっかりなんだがね」
グルッグは不満そうにそう鳴き、
「今日は暖かいなあ」
と太陽を見上げて目を細めました。
「そんなことどうでもいい!」
カエルは叫びました。
「何よりも重要なことなんだ!」
ぴょんぴょん跳ねまわりながら主張します。
「へえ」
グルッグはゆっくりとまばたきし、目を細めたまま言いました。
「ショウジョウバエの集団でも見っけたかね?」
そしてぐっぐっぐと笑いました。
「違う。あのな、聞いてくれ。ついさっき気付いたんだ。実はさ、僕たちには生きている意味なんてないんだよ!」
カエルは、そう言った時のグルッグの反応を密かに楽しみにしていました。
驚くばかりでなく、このような重大な真理を伝えてくれたことに感謝されると思っていたのです。
でも、グルッグはぽかぽかと暖かい春の陽気に再び目を細めただけでした。
「そうかい。それは大変だなあ」
そうして喉をぐいいと鳴らすと、また辺りを見渡すのを続けました。
「それだけ?」
カエルは不満を抱いて聞きました。
「もっとこう、草の先まで飛び上がるとか、胃袋を出すとか、急いで他のみんなにも伝えなきゃ、とか思わない?」
カエルが言うと、グルッグは首を傾げました。
「どうしてだね? だってそんなのどうでもいいじゃないか」
グルッグはあっけらかんとして答えました。
「信じられない!」
カエルは驚いて自分が飛び上がりそうになりました。
「だって、生きている意味がないんだったら生きている意味がないじゃないか!」
「ああ」
「そうしたら、僕らはみんな騙されていることになる」
「ああ」
「それはいけないことだと思わないか」
「ああ」
カエルは、グルッグの素っ気ない態度に口を閉じました。二匹はしばらく無言で見つめ合いました。
しばらくして、グルッグは前足で顔をかき、ゆっくりと片目を閉じると、
「でも生きているんだからしょうがないじゃないか」
と言いました。
これにはさすがのカエルもたまりませんでした。せっかくの長い舌も、口の中で丸まって大人しくなったまま、出てきませんでした。
グルッグは動かざることガマガエルのごとし、と言った感じで座っていました。
カエルは、もうこれ以上グルッグと話しても無駄だと思い、彼の元から去りました。
そして、またぴょんぴょん跳ね、この重大な真理を必要としてくれる相手を探し始めました。
少し行くと、池のほとりの石の上で調子はずれの歌を歌っている兄弟カエルのグロウルがいました。カエルは彼を見つけると一直線に跳ねていきました。
「おおい! グロウル! 聞いてくれ! 大事なことなんだ!」
でも、歌に夢中になっているグロウルには聞こえません。
「おおい! ちょっと聞いてくれ!」
カエルはグロウルの前に来て言いました。グロウルは驚いて石の上から落ちてしまいました。
「わっ! びっくりした。なんだ、君か。てっきりアオサギが来たのかと思った」
グロウルはカエルを見るとホッとして、元いた石の上に座り直しました。
「あんな気味の悪い奴と一緒にするな。それより聞いてくれ。重大なことを発見したんだ」
カエルはお腹をベコベコさせながら呼吸を整えて言いました。
「へえ、そいつは僕にも関係があるのか?」
グロウルは同じようにお腹を膨らませながら聞きました。
「うん。そうだと思うよ」
カエルはそう言うと、ぶるぶると震え、さあいよいよ言うぞ、といった風に前足をきちんと揃えました。
「あのな、僕たちが生きている意味なんてないんだ!」
それから、カエルはそう言って、真理を言われた時の反応が見たくて、グロウルを見つめました。
でもグロウルはまるで雨にうたれた時みたいに瞼を薄っすら閉じただけでした。
それが済むと、間違って石を飲み込んでしまった時のような顔をし、暗い声で、
「……そうか。つまり、君は僕がどんなに練習しても歌が上手くなることはない、って言っているんだね」
と言いました。
「えっ!」
カエルは驚き、胃袋を出しそうになりました。
「僕がそう言ったの?」
慌ててそれを引っ込めると聞き返します。グロウルは拗ねた調子で、
「そうだ。君は僕に『カエルのくせに音痴なお前は生きている意味がない』と言ったんだ」
と答えました。
「まさか! そんなことないよ!」
カエルは慌てて、きっぱりと否定しました。
「でも君は、僕たちは生きている意味がない、と言ったじゃないか。それと何が違うんだ?」
グロウルの気持ちは雨雲のように暗くなって、晴れませんでした。
「違うよ。それに僕が言ったのは、僕たち『が』! だよ」
カエルは訂正します。
「何が違うんだ?」
「全然違うよ!」
本当のところ、自分でも違いがわからなかったのですが、とりあえずカエルは飛び跳ねて主張しました。
「それはつまり……ええと、この真理はこれまでも、これからも変わらないってことだもの!」
「……よくわからないな」
グロウルは首を傾げました。
「でも、君が言うんだから本当なのかもしれないね。けど、歌には関係なさそうだ」
それからグロウルは、気を取り直して再び歌い始めました。
そうして、カエルは一心不乱に歌い続けるグロウルの様子を見ていると、自分の “真理”がなんだかちっぽけな干からびたアリの死骸のように思えてきました。
それで彼の元から離れると、またしても話を聞いてくれる相手を探してぴょんぴょん跳ねていきました。
すると池の中をすいすいと泳いでいるゲルゲを見つけました。
「おおい! ゲルゲ! ちょっといいか?」
カレルは大声で呼びかけました。
「なんだよ、いきなり。今じゃないとダメか?」
ゲルゲが聞き返します。カエルは少し考えた後、
「うん。そうだと思う」
と返しました。
ゲルゲは、そわそわして、カエルを無視したそうにどこか別のところを見ていましたが、やがて方向転換し、平泳ぎで水面に波紋を広げながらカエルの元にやってきました。
「俺、やることがあるんだよ。さっさと済ませてくれ」
ゲルゲが身体を震わせ、池の水を吸った艶やかな肌を見せつけながら言いました。
「重大なことを発見したんだ。きっと驚くぞ」
カエルは少しもったいぶって言いました。
「いいから、早くしてくれ」
ゲルゲが急かします。
「じゃ、言うぞ。あのな、僕たちって生きている意味がないんだ!」
そう言ってカエルは、ワクワクしながらゲルゲの表情を見ました。でも今度も同じでした。ゲルゲはきょとんとした表情のまま、
「それだけ?」
と言いました。
「……え」
カエルは口を開けたまま、言葉を失ってしまいました。ゲルゲは続けます。
「じゃあ俺、もう行っていい? 奥さんが待っているんだけど」
カエルはしょんぼりしたものの、気を取り直して、
「これから産卵かい?」
と聞きました。ゲルゲは舌を出して、ゲココ、と鳴くと、
「ああ。そうだ。さっきから緊張が止まらなくてな」
とウッと胃袋を出しそうになって、心情を吐露しました。
「そうか。頑張れよ」
カエルが励ましました。
カエルは、もうそれ以上言うつもりはありませんでした。ゲルゲはこれから、一世一代の大仕事をしようというのですから、自分の発見したそんな“真理”などは何の役にも立たないとわかってしまったのです。
「ありがとう! お前も、いい奥さんを見つけろよ」
ゲルゲはそう言って池に飛び込むと、すいすいと泳いでどこかに消えていきました。
それを見送ると、カエルはしばらくその場に佇んで、本当に自分の見つけたことが“真理”だったのかどうか再び考え込みました。
でも、それは何度考えてもやっぱり真理だと思いました。それでこのことを必要としてくれる相手を探そうと思って跳ねていきました。
でも、その後も他の兄弟カエルたちと会って真理を告げたものの、カエルが思っているように受け止めてくれる相手は誰もいませんでした。
それで失望したカエルがとぼとぼ穴に帰っていると、その隙を狙われて、アオサギに食べられそうになりました。
カエルが、何度もしつこく狙って来るアオサギから、命からがらなんとか逃げ切って、お腹を風船みたいに膨らませながら呼吸を整えていると、頭上で笑い声が響きました。
見上げるとトンボが楡の木の枝の先っぽにとまっていました。
「惜しかったなあ。あと少しで君が食べられるところを見られたのに」
トンボは首を何度も傾げながらそう言いました。
「なんだと、この羽虫! 生意気なことを言ってたら食ってやるぞ」
カエルはシャッと舌をトンボに向かって伸ばしました。トンボは飛び上がって避けます。
「おっと。危ない危ない。ったく、君たちは、大人しく食われていればいいのに、どうしてそんなにぶくぶく大きくなっちゃったのか」
トンボはカエルの舌が届かないすれすれの位置を保ちながら言いました。
「おたまじゃくしの時とは違うんだぞ」
カエルが言い返します。
「本当にね、どうしてこうなっちゃったんだろう」
トンボは、やれやれ、と言った感じで言って、ちらりと下を見ると、
「やっとあの薄暗い池から飛び出せたというのに」
と言って、カエルの元から離れようとしました。
「待て」
カエルが呼び止めます。
「なんだ。ふん、どうせ食う気なんだろ。俺を騙そうたって、そうはいかないぜ」
トンボは無視して先を行こうとします。
「違う。ちょっと聞いていいか。お前、僕たちが生きている意味ってあると思うか?」
それを聞くと、トンボは上下に揺れながら笑いました。
「何を言い出すかと思えば、そんなことを聞くとはね。君、頭おかしいんじゃないの」
カエルは頷きました。
「僕もそうなんじゃないかって思ってきたんだ。でも、何度考えても自分の考えは変わらないんだ。なあ、お前はヤゴの時、あんなに強かったのに、どうしてトンボになんかなったんだ?」
トンボは不服そうにブーンと羽ばたきました。
「なんかとはなんだ。お前なんか跳ねることと、ゲコゲコうるさい音を出すしか能がないくせに。……だが、そんなこと考えたこともなかったな。俺はただ、あの小さくて薄暗い池から無限に広がる空を目指して生きていただけだ。そのためにお前たちの兄弟を頂いたわけだが」
トンボは、今度は不思議そうに答えました。
「それはつまり、意味を見つけて生きていたわけじゃないんだよな?」
カエルは言いました。
「何を言っているのかよくわからないな。空を飛びたいと思ってたんだから、意味を見つけていただろうに」
「では今は? 空を飛べるようになった今は?」
カエルは食い下がりませんでした。もう少しで何かが掴めそうな気がしたのです。
「しつこいな。空を飛べるようになったら、今度は生きるために餌を探す毎日さ。ハエ、蚊、蝶。あいつらはみんな俺たちの獲物だ。そいつらを食う。お前もそうだろう」
カエルは頷きました。
「だがそこに意味はない」
トンボは首を傾げ、馬鹿にしたように笑いました。
「お前は何だったら意味を見出せるんだ? いいか、そうしてたらふく食わないと生きていけないんだ。それが終わったら、俺たちはメスを見つける。そして、子を産ませるんだ。その後、メスを他の奴にとられないように、俺たちがくっついて飛んでいるのはお前だってよく知っているだろう。メスは子を産み、その子がまた子を産む。そうしてこの何万、何億回と続いてきた営みを繰り返すだけさ」
「だけどそれは意味じゃない」
トンボは呆れて笑いました。
「やっぱりお前、頭おかしいよ。アオサギに食われちまった方がましだったな」
トンボはそう言うと、付き合いきれないと思ったのかそこから飛び去っていきました。
「だけどそれは意味じゃないんだ」
カエルはトンボの姿が見えなくなってもまだそう呟いていました。
それからカエルはとぼとぼと歩いて自分の穴に帰ると、目を閉じて眠りました。
そして、次の日になってもまだ、自分の見つけたこと――生きる意味などない――は、真理だと思うのでした。
カエルの頭にはその後何日も何日も、蜘蛛の巣が張ったように、そのことがずっと頭にありました。
でも、桜が咲いて、散り、そこに鮮やかな若葉が生い茂るようになった頃、カエルの考えは変わっていました。
確かに、蛙生に意味はないようだ。でも、どうせ意味がないのなら、自分で作ればいいのだと考えるようになったのです。
そうすれば、自分が他のカエルたちが信じるものを信じられなくても、たとえ何をしても死ぬ運命にあったとしても、少しは意味があるような気がしたのです。
カエルは、歌の下手なグロウルのために、新しい歌を作ってあげました。
何日も苦心して作ったおかげか、それはなかなか、興味深い歌でした。
その歌のおかげで、グロウルは奥さんを手に入れることもできました。
やがて、カエルは死にました。今では、カエルのことを知っている者は誰もいません。
でも、今でもその池の近くに行くと、その時カエルが作った歌が、――それは少しずつ形を変えながら――聞こえてくるそうです。
おしまい
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そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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