ヒールオメガは敵騎士の腕の中~平民上がりの癒し手は、王の器に密かに溺愛される

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5 運命の番の特別な力

6 王と伴侶の資質

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 追い詰められた紅眼は、対抗意識のあるレクスでも、罪を挙げ連ねたエリセイでもなく、ニキータに注がれている。
 ニキータの後ろ姿は、レクスと接近したことによる発情発作を抑えるので精一杯の様子だ。

(先ほどより発作が重くなっている)

 ルドルフが石床を蹴り、ニキータに斬り掛かった。

(させない)

 革布から飛び出す。
 ルドルフからニキータまで、円卓四分の一周。間に座る数人は呆気に取られている。
 ルドルフより自分のほうがニキータに近い。ニキータ本人が発作で動けず逃げそびれても、間に合う。

「くっ……!」

 だが計算外に、騎士の一人が割って入ってきた。
 壁際に控えていたプナイネン家の近衛騎士だ。彼は先代から長く仕えていた。
 老練な剣が横手から迫る。だが怯まない。

(わたしなら治癒できる。たとえ斬られても、レクス殿下の大切な人を斬らせない)

 剣のぶつかり合う音が、高い天井に反響した。
 ルドルフの剣を、風のように部屋を縦断してきたレクスが。
 ルドルフの近衛騎士の剣を、エリセイが防いだのだ。

(エリセイ、ニキータ殿下よりわたしを守ってくれた)

 胸が熱くなった。主人のために働けたことにも、エリセイの判断にも。

「なぜアナトリエの雌を庇う、レクス! こやつの首を取ればソコロフ派の勝利だろうが」

 ルドルフが血走った目で叫ぶ。

(何でも剣で解決せんとは、短絡的過ぎる)

 レクスの相手にもならないと思った。

 だがレクスは、「スフェン!?」と、斜めに血の染みが残った騎士服を纏う、死んだはずの近衛騎士に気を取られる。
 その隙にルドルフが二撃目を放った。

「つっ」

 対応が遅れたレクスの右腕から、ぼたぼた血が滴る。端整な顔が痛みに歪む。

「おやめください!」

 ニキータが思わずといったふうに立ち上がり、レクスの右半身を抱き締める形で盾になった。

(何ということだ。わたしのせいで殿下がお怪我を)

 青褪めるのは後だ。せめてもの罪滅ぼしにと、エリセイの背後から踏み出す。
 ルドルフの剣を払う。体格差は鍛錬の積み重ねによって埋められる。
 瞬く間に壁際へ追い立て、喉もとに剣を突きつけてやった。

「お前……、死に損ないめ。オメガごときがどこまでおれの邪魔をする」

 ルドルフもやっとこちらに気づいた。驚きと憎悪と、手に入らないもどかしさみたいなものを顔に浮かべる。
 オメガごときが、か。

「言ってやれ、スフェン」

 彼の近衛騎士はエリセイが押さえてくれている。
 今こそ、と口を開いた。

「わたしがオメガである限り、です。同じオメガゆえ、ニキータ殿下が『自分はなぜオメガに生まれたのか』をずっと考えてこられたとわかります。そして、答えを見つけられた。運命の相手であるレクス殿下と手を取り合い、イスの未来を変えるためです」

 自分がオメガだと明かした上で、熱弁する。
 この体質はそういうものと思って対抗するのみだった。
 だが今は、隠すものでも恥じるものでもなく、未来へつなぐべきものだと言える。

「運命の番の条件の三つ目。運命の番を持つオメガ――ヒールオメガは、番を、つまり王に相応しいアルファを治癒することができます。何よりの客観的証拠になりましょう」

 三つ目の条件は検証できていない。
 だがその気高さから、ニキータは王を選ぶヒールオメガだという確信があった。

 ルドルフが唇を噛む。
 円卓で固唾を飲んでいた裁定人たちが、「おお」と心動かされた様子なせいだ。

「なるほど。では、私が負った傷をニキータ殿が癒せれば、運命の番だと証明できるのだな」

 三つ目の条件を知ったレクスが、静かに、だが風格を漂わせながら言う。

「ニキータ」

 一転して優しく促す。
 ニキータは無言で、緊張と発作とで小刻みに震える身体をずらした。
 あんなに出ていた腕の血が、止まっている。

「これは……まさしく加護だ」

 みな一様に息を呑む。
 ソコロフとアナトリエでも、どんな逆境でも、運命の番は愛し合い、癒し合えるのだ。
 レクスが円卓を見渡して言葉を継いだ。

「精霊王が愛した善き王は、大地を損なう戦いを好まなかった。戦って勝つ者でなく、戦いを起こさず大地と民を守る者こそが玉座に即くべきだ」
「慈悲深き、王」

 イスの民なら知る伝承の一節を呟く。「戦いを好まない」「戦いを起こさない」と聞いて、浮かんできた。

「そうとも。『番となった男が戦いに出る度、精霊王はその慈悲を信じて癒した』。慈悲深さが『善き王』の要件だ。貴公の遺志を継ぎ、我が城の書庫で史料を調べたよ。立場があるからといって指を咥えて見ているだけではいられない」

 レクスが威厳を湛えて微笑む。
 彼は、ヒールオメガに選ばれるアルファの要件を自力で突き止めたらしい。
 エリセイが「その調子」とばかりに頷いている。

 国全体を巻き込む恋の仕上げは、主人その人にしか果たせない。

「空位時代も王の器たるアルファはいたろうが、大地を守るより戦ってしまい、運命の番を得られずじまいで力尽きたと思われる。そもそもソコロフ家とアナトリエ家の戦い自体、ヒールオメガをめぐっての対立が始まりだった」
「なんと」
「私とニキータ殿は、互いに運命の番として手を取り合い、戦いとは違う形で恨みを融かし、刻がかかってもイスを豊かに栄えさせていきたい。各位、私たちについてきてくれるか」

 所信表明するレクスの頭上には、もう王冠が輝いているように見える。
 合議の議題は今や、百年前以前に行われていた、「新王の選出」に変わった。
 不毛な戦いに終止符を打つ歴史的瞬間に、もちろん異論はない――一名を除いて。

「恨みを融かす? 殺された恨みは、殺すことでしか晴らせない。過去にソコロフとアナトリエの戦いで命を落とした、プナイネンの者たちの仇を取らねば。数代ぶりにアルファに生まれたおれこそが、プナイネン家の栄光を取り戻すんだ。アナトリエ家公子を討てば、功績でソコロフ家をも上回れる。王に相応しいのはおれだ……」

 ルドルフがぶつぶつ言う。
 だが、彼につく者はない。

「イスの王に相応しい男は戦わない、って話がわからんか? それにアルファだからって、子孫を残すためにオメガを襲ってよしともならんぞ」

 エリセイがきっぱり断罪した。
 レクスが、他の騎士にルドルフを連行するよう指示する。

「おれこそが……」

 ルドルフは自失状態で、それ以上抵抗はせず、合議の間を出ていく。彼の近衛騎士も粛々と付き従った。
 それを見るに、一門を想う気持ちが始まりではあったのかもしれない。

 だが、玉座の狙い方やオメガの扱いに同情の余地はない。

「スフェン。特に貴公には最後までついてきてほしい。しっかり静養して、私のそばに戻ってくるように」

 レクスが腕の手当て――抱き締めるのみでは傷を塞ぐまではいかなかった――に向かいざま、個別に声を掛けてくれた。
 ニキータをぴたりと寄り添わせているが、そんなふたりを見ても胸は痛まない。

(別の意味でちょっぴり羨ましいだけだ)

 合議は、予想できない形でお開きとなった。

「ふう。ヒールオメガのくだりでおまえさんを呼んで、レクスの反応をみなに見せつつ、癒しの力について説明する段取りだったのに。あやうく密会での失態を繰り返すところだった。二度とやらんでくれって頼んだだろ?」

 新王が現れた昂揚渦巻く中、エリセイがこそりと耳打ちしてくる。
 そうだったのか。また察せなかった。

「……済まない」
「まあ、スフェンの迫力とどさくさに紛れたのとで、運命の番が二組いることには気づかれず済んだがな。ややこしくなるから秘密のままにしとこう」

 円卓の空気を一変させて両公子の交際公認のきっかけをつくり、ルドルフを追及もした頼もしさはどこへやら、緑眼を和ませる。

「君がその調子だから新王候補に挙がらな……何だその脇は」

 一件落着に免じて笑ってやろうとして、血相を変えた。
 エリセイの騎士服の脇腹が、赤黒く染まっている。彼の大きな手でも覆いきれていない。

「あー、若造の近衛騎士が、責任感なのか自分の腹を斬ろうとしたのを止めたときにちょっと。掠り傷だよ。しかしあの騎士、若造にはもったいない手練れだな?」
「軽口を叩いている場合か。……~っ」

 よく見れば額に薄っすら汗が滲んでいる。無理をしているのだ。
 早く手当てせねば。守りたい。癒したい――。

 焦りが爆発したみたいに、目の前が明滅した。熱に浮かされ、足がふらつく。
 頬の雀斑を叩いても立て直せない。
 発作だ。これほど強いのははじめてだった。

「スフェン?」

 エリセイが自分の怪我を顧みず、胸板に寄り掛からせてくれる。
 今は逆効果でしかない。
 彼の体温によって、小屋で癒されたときの快感が喚起され、腰が疼いた。

(まだ近くに裁定人たちがいるというのに。わたしを隠してくれ……)

 かろうじてエリセイを見上げる。
 発作を重くさせている張本人に助けを乞うのもおかしいが、彼のほかに頼れる人はいない。

 エリセイは瞬時に異変を把握した。緑眼の奥に、じわりと欲が灯る。

「芳香を他の男に嗅がせたくない。屋根裏部屋へ行こう」

 それでもこちらの腕を肩に回し、怪我の痛みも忘れたかのような大股で廊下を縫っていく。
 螺旋状の石階段を、下ではなく上へと駆け上がった。


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