出来損ないの誘拐

サッキー(メガネ)

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木崎智哉という存在

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身代金の受け渡し時間まで残り3時間。

俺は相変わらず拘束されたままの状態だった。

1つ変わったことがあるとすれば、後ろ手の拘束が前になっただけだ。

今はパンを食べている。

「後ろ手じゃ食えないから何とかして欲しい。」

そう言ったら案外すんなり了承してくれた。

どうやら本当に望みを聞いてくれるようだ。

これで「逃がしてくれ」と言って本当に逃がしてくれればいいのだが、それはいくらなんでも無理だろう。

それに、望みを聞いてくれると言っても、命を取らないわけではない。

いつ犯人の怒りを買うか分からないのだ。

迂闊に頼みごとはできない。


にしても妙だ。

見張り1ついていない。

部屋には俺1人。

これでもし俺が拘束を解いたら、逃げられる可能性だってある。

4人で犯行に及んだのなら、1人くらい見張りをつけてもいいものだ。

よほど逃げられない自信があるのか。

もしくは逃げられても問題がないと思っているのか。

不可解なことが多い。

そんなことを考えているうちにパンをを食べ終えた俺は、ふと眠気に襲われた。

どうやら精神的に疲れてしまったようだ。

どんな状況でも眠気っていうのはくるものだ。

時計がないので分からないが、身代金受け渡しまでまだ時間があるはすだ。

考えるのはあとにしよう。

俺はそう思い、少しの間眠ることにした。



身代金の受け渡し時間まで残り2時間。

捜査一課の一之瀬は木崎昭蔵の経歴について調べていた。

彼は15年前に彼の父親、つまり木崎智哉の祖父から会社を受け継いだ。

彼はその手腕を存分に発揮し、会社を大きくしていった。

しかし、彼の評判はあまり良いものではなかった。

むしろ最悪だ。

少しのミスをしただけでも、「無能なやつはいらない」とクビを切り捨てる。

彼によって会社を辞めさせられた人間はたくさんいる。

恐らく100人は越えているだろう。

クビを言い渡された人間は路頭に迷い、家族共々夜逃げしたり、ホームレスになったり。

自殺をした人間もいる。

行方を探すのも一苦労で、手が回らない状態だ。


家庭についても決して良いものとは言えない。

昭蔵と妻の幸枝が結婚したのは25年前。

幸枝は木崎ファイナンスで働いていた。

上司と部下のような関係だった。

しかし、馴れ初めはハッキリしないが二人は惹かれ合い、そして結婚した。

その後、息子の誠治が生まれた。

この話を聞く限り幸せな家庭に聞こえるだろう。

しかし、昭蔵は相当なプレイボーイなようで、結婚後の環境の変化からか、または仕事のストレスか、とにかく女性遊びが激しくなった。

彼の愛人と噂される女性も少なくない。

社長になってからもそれは変わらなかった。

さらに、幸枝に対する態度も変わった。

幸枝を家政婦のように扱い、家のことを全て彼女に任せるようになった。

今や幸枝は彼の言いなりとなっている。

息子の誠治は有名大学に通う秀才だ。

大学での彼の人気は高い。

そのため、昭蔵は彼のことを溺愛している。


一方、もう1人の息子の智哉は、至って普通の高校生だ。

対した話題は聞かない。

というよりも、彼が木崎昭蔵の息子だということ自体、あまり知られていないようだ。

どういうことだろうか。

さらに気になるのは、木崎智哉と言う人間だ。

誘拐された時の声を聞く限り、緊張はしているようだが、恐怖を感じているようには聞こえなかった。

その上、助けを求めるわけではなく、「父の方を調べた方がいい」と言った。

まるで自分の命を投げ出しているようだ。

彼は一体どういう人間なんだ。



一之瀬は木崎智哉のことをよく知るために、彼が通っている学校へ向かった。

彼は学校では普通の人間だったようだ。

特に目立つわけでもなく、だからといって地味なタイプでもなく、ごくごく普通の高校生だった。

ただ、やはり木崎昭蔵の息子だということを知っている人間は、担任と友人しかいなかった。

一之瀬は彼の友人である霧島幸一と本田桜から話を聞くことにした。

「智哉は『家族が嫌いだ』って言ってました。」

「家族が嫌い?」

「『嘘で塗り固められたあの家が嫌いだ』って。『あの家族は黒で塗りつぶされた闇の絵そのものだ』って。」

幸一はそう言った。

…黒で塗りつぶされた闇の絵そのもの、か。

「木崎くんが他に親しくしている人はいなかったかい?」

一之瀬は尋ねた。

「智哉くんが他の人と話してるのあんまり聞いたことないです。他にいるとすれば、近所のおじさんくらいかも。」

「近所のおじさん?」

桜の問いに一之瀬は首をかしげた。

「なんか『自分が描いた絵を気に入ってくれて、そこからよく話をするようになった』って。確か巽さんって言ってた気がします。」

近所のおじさんか。

当たってみるか。

一之瀬は巽と言う人物に会ってみることにした。

「刑事さん!」

去り際に幸一に呼び止められた。

「どうかしたかい?」

「あいつが見つかったら、俺たちに連絡くれませんか。」

幸一はそう言った。

「あいつ、多分家族に会っても何も言わない気がするんです。『怖かった』とか、『不安だった』とか。親友として、そういうの真っ先に聞いてやりたいんです。お願いします。」

「お願いします。」

幸一と桜はそう言って頭を下げた。

「…分かった。必ず連絡する。」

一之瀬はそう頷いて教室を出た。

「…こーちゃん。」

「うん?」

「智哉くん大丈夫だよね?」

「大丈夫。きっと大丈夫だ。」

そう言った幸一の手が強く拳を握っているのを、桜は見逃なかった。



一之瀬は車へ戻ろうと学校の廊下を歩いていた。

「あ、あの!」

後ろから突然声をかけられた。

振り返ると、1人の少女が立っていた。

ショートの黒髪にふんわりとした雰囲気を持った少女だ。

「もしかして、刑事さんですか?」

少女は尋ねた。

「ああ、そうだけど。」

一之瀬は素直に質問に答えた。

「わ、私神崎さなえって言います。木崎先輩と同じ美術部に所属してます。」

美術部。

一之瀬は智哉の部屋に置いてあったスケッチブックの絵を思い出していた。

風景画ばかりだったが、どれも美しいものだかりだった。

「先輩は大丈夫でしょうか?」

さなえは恐る恐る聞いてきた。

「あぁ、大丈夫。心配ないよ。」

今はそう言うしかなかった。

少なからず、身代金の受け渡しまでは犯人も手を出さないはずだ。

でなければ、警察である俺を窓口にしないはずだ。

やつらすぐ人質を殺害するなんて短気なことはしない。

一之瀬はそう考えていた。

すると、彼女は急に泣き出した。

「お願いします。木崎先輩を助けてください。先輩がいないと、私学校に来る意味無くなっちゃいます。」

彼女は泣きながらそう言った。

彼女は愛しているのだ。

木崎智哉という人間を。

「…大丈夫。必ず助けるよ。」

一之瀬は力強くそう言って歩きだした。


身代金の受け渡しまで残り1時間を切った。



一之瀬は智哉が親しくしていたという人物、巽敬助の自宅に来ていた。

「お茶をどうぞ。」

「ありがとうございます。早速で悪いんですが、木崎智哉くんのことについてお聞きしてもよろしいですか?」

一之瀬は出されたお茶には手をつけず、早速話題を切り出した。

「彼とはどういう経緯で知り合われたんですか?」

「別に特別な出会いではありません。2年ほど前でしたかね。彼が家の近くにある公園で絵を描いてるのを見て、その絵があまりにも綺麗だったのでね。思わず声をかけてしまったんですよ。」

「彼が木崎昭蔵の息子だとは知ってましたか?」

「ええ、彼から直接聞きました。正直驚きました。何て言うんですかね。裕福な家庭に住んでるのに全くそんな雰囲気みたいなものを彼からは感じなかったんですよ。純粋というかなんというか。」

「彼の家庭については。」

「…私が言うのもなんですが、とても不憫に思いました。父親には認められず、母親にも助けてもらえず、兄を信じることもできない。彼は言っていました。『あの家では俺は死んでいるのと一緒だ』と。私も教師という仕事をやっていましたが、あんな寂しそうな目をした子供を見たのは初めてでした。」

彼はそう言った。

「刑事さん。彼のこと、どうかよろしくお願いします。」

彼はそう言って頭を下げた。


敬助の家から出た一之瀬はなんとも言えない気持ちになった。

… 彼は絶対に助けないといけない。彼を待っている人たちのために。しかし、戻ってきても彼には家族としての居場所はない。これからも形見の狭い思いをすることになるだろう。果たして彼はそれを望んでいるのだろうか。

一之瀬は葛藤していた。

もうすぐ身代金の受け渡しの時間だ。

果たして一之瀬は人質を助けることができるのか。

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