白鴉が鳴くならば

末千屋 コイメ

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第十五話

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 デスクで事務作業をし、雑務を終わらせたところで三時間が経とうとしていた。俺はホワイトボードに示された出勤表を、外回り直帰に変更する。
 部下達に指示をそこそこした後、会社を出た。少し霧が出ていた。空気が湿っぽい。一雨来るだろうか。
 車を走らせ、都の大病院へ向かう。ここからなら十分もあれば着くだろう。道も混雑していない。白鴉パァィアの求める幼女がどのようなものか見てやろうじゃないか。せっかく表で平穏な暮らしをしているというのに、裏に戻されるとは、可哀想な女だ。あの害鳥に目をつけられたのが運の尽きだな。
 駐車場に車を停め、正面玄関へ向かう。周りにいる奴らよりも頭一つぶん抜けた男がいた。本当に来やがったのか。
「ハイハイ老大哥にーに、こっちだよ!」
「そんなに大声を出さなくとも聞こえるし、見えている。キミはデカいからな」
「そうだね、オレ、でっかいもんね」
 大きな口を開けて哈哈哈わははと笑う。鋭く尖った犬歯が見えた。あれで喉笛を噛み裂き、血を啜るのだろう。
 白鴉パァィアは白い服を着ていた。長袖ではないので先日のような暗器は飛び出してこないだろう。ビジネスパートナーとして認められたと見て間違いないか。俺のことを「気に入った」とか言っていたくらいだしな。だが、気に入ってようが気に入ってなかろうが、こいつは死肉を貪る害鳥だ。化け物だ。飼い慣らすには、餌付けをして、調教するしかあるまい。
 子どものような笑みを浮かべ、俺と目線を合わせるために屈んでくる態度が気に食わん!
「わざわざ屈まなくとも、そのままで良い」
「だーめ。オレね、耳はけっこう良いし、目も良いし、鼻も良いんだけど、ヤン老大哥にーにの声は聞き取りづらいんだ。けっこう酒飲むでしょ?」
「……声で、わかるのか?」
「わかるよ。そうだなぁ、老大哥にーには珍味になりそうだね」
「俺を食う気か?」
当然是开玩笑啦じょうだんだけどね、もちろん
 冗談のようには聞こえない。こいつは本当に人間を食うからな、隙を見せた瞬間に持っていかれちまいそうだ。
 せせら笑うようにしながら、白鴉パァィアは屈むのをやめた。話を続ける必要もあるまい。とっくに手続きは済んでいよう。
 俺は病院の奥へ進んでいく。背後から気配を感じる。背中を見せたほうが危険か? いや、これだけ人目に晒されている中で殺しはしまい。表の世界なのだから、今はただの料理人だろう。
 院内の保護施設の受付に辿り着く。受付の女に用件を伝えるとバタバタやかましい足音をたてていきやがった。やかましい女は嫌いだ。従順で、絶対に逆らわない。下僕のような女が良い。女は、性処理の道具として使われるだけなのだから、愛情など必要無い。子どもができたらするだけだ。そうだ、次にする時は、白鴉パァィアに食わせてやろうか。鴉は残飯処理が得意だからな。
サイ様、お連れ様、こちらへどうぞ」
「ああ」
 馴染みの医者が現れ、案内をしてくれる。白鴉パァィアもきちんとおとなしくついてきていた。
 子ども達の声があちこちから聞こえてくる。保護された者は多いようだ。親が死んじまった奴らもここに入っていると聞くので、九割がそうだろう。この街の裏側に関わる奴らなら、孤児みなしごになりやすい。組織の対立、抗争、果ては全滅。どちらも滅びてしまえば良いと思いつつ、裏側が無いと俺の金も減るから困ったものだ。裏側ではクスリが飛ぶように売れるからな。脱法ハーブなど売上の第一位だ。そのハーブの売り方で揉めた組織が爆発事故で消し飛んだのも記憶に新しい。鴉が焼死体を食っていたとも聞く。焼肉だな。
「こちらです。鴉のエサにしやすいように加工済みです」
 案内された部屋のドアには、霊安室と書かれていた。おい、まさか、嘘だろ。生きてると聞いてたぞ。
 俺が怒鳴る前に医者は去っていきやがった。くそ、なんて余計なことをしてくれたんだ!
「へえ、にしてくれたんだ?」
「冗談だろう。あいつは、そんな奴だ」
「で、入って良いんだよね?」
「ああ。対面してやれ。キミの探す子でないと良いな」
「何言ってんの? オレは、盗まれたが見つかったら良いんだ」
 やはり食うために飼育中だったのか。ゾッとした。得体の知れない興奮と狂気が胸の中で渦巻く。こいつは全くよくわからないが、俺の何かを刺激してくる。こんな化け物を飼い慣らすことができればどれほど楽しいか。
 キイィ……錆びついたドアを開き、中に入る。部屋の中は冷えていた。肉が腐らないように配慮されているのだろう。弔うような形跡もなく、全体に白い布をかけられた幼女が台に乗っている。
 白鴉パァィアは躊躇うことなく、白い布を剥ぎ取った。
「…………どうだ? キミの食材で間違いないか?」
「ううん。雨涵ユーハンはもっと細くて、骨と皮が浮いてるような子だ。顔もこんなに醜くない。可愛い子なんだ」
「それは残念だが、良かった」
「子どもの肉は軟らかくて甘くておいしーんだよね……」
 幼女の腹を撫でながら白鴉パァィアは呟く。舌舐めずりをする姿が、娼婦のようだった。
 こいつには、死んだ子どもの処理ーーいいや、孕んだ女の処理をさせてやろう。よく、愛人を孕ませて困った奴らが堕胎薬を求めてくる。愛人がいた事すら闇に消せるのだから、良いだろう。白鴉パァィアも腹に胎児がいると食うものが増えて喜ぶだろうしな。
「この子、持って帰るか?」
「良いの?」
「ああ。引き取る手続きをしてあるからな」
「ありがとう老大哥にーに! オレ、子どもの肉が好きなんだ! あと、胎児もうまいんだよね」
「それなら朗報だ。キミに依頼する内容ーー調理してもらいたいのは、子を孕んだ女なんだ」
「それは、オレが全部食べて良いやつ? それとも、誰かに提供するの?」
「キミが好きに食べると良い。報酬金はーー」
「全部食べて良いなら、要らない。あ、冷凍カエル貰えるなら欲しいなぁ。あと、先日の輸血パックとね!」
「承知した。詳細はまた明日にでも」
 俺はすぐ部下に冷凍カエルと輸血パックの手配をメールで連絡する。ついでに愛人問題を抱えている男のデータを入手した。男には一応調の確認をしておかないとな。本妻にバレる前に処理したいと言っていたくらいだが、万が一のために確認しよう。
「手配をしておいたよ」
「やったー! じゃあ、後は雨涵を見つけるだけだね」
「それも近日中に見つけるようにしよう」
 絞り込んであるから問い合わせも簡単だ。明日にでも連絡してやろう。だが、その前にだ。
「その、雨涵ちゃんとやらの外見的特徴を教えてくれないか」
「雨涵はね、オレとお揃いの琥珀色の目で、髪は銀のような白のような、色素の薄い子だったよ」
「よし、見つけやすくなったよ」
「でも老大哥にーに、今度は鴉の餌にしないようにしてね」
 急に低くなった声に、臓器が震えた。
 が素の彼だろうか。変な痺れが身体を駆け巡った。俺は何に興奮しているんだ。化け物を飼う優越感にか? それなら良い。こんな化け物、そういない。
「覚えておく。では、食材を包んでもらって帰ろうか」
「うん。ヤン老大哥にーにはこれ、食べる?」
「いいや。俺は遠慮しよう。キミとキミの家族で食べると良い」
「さすが部長さんは違うね! ありがたく頂戴するよ」
 猫の目のように表情が変わる奴だ。見ていて飽きないが、妙な違和感を抱かせる。
 俺は備え付けの内線電話で医者に連絡を取り、子どもの包装を頼んだ。運び屋が店まで届けてくれる旨を白鴉パァィアに伝える。
「きちんとした運び屋じゃないと食材がぐちゃぐちゃになるから嫌だなぁ」
「それならキミが信用するところに頼むと良い」
「んーん。良いや。オレ、あんたを信じてみるから」
 これはつまり、食材が破損していたら、俺を食うつもりか? 俺は再び内線で連絡する。金はいくら出しても良いから丁寧に運ぶ奴にしてくれと頼んだ。
「わぁお! 部長さん太っ腹だね!」
「食材が汚いのは俺も嫌だからな」
「良いね! オレ達、仲良くやれそうだよ」
 白鴉パァィアは俺の手を掴んで握る。冷たい手だった。料理人に向いた冷たい手だ。笑っている顔が年よりも幼く見えて愛らしいくらいだ。元から童顔ではあるが、笑うとそれが際立つ。
 病院から出ると空は赤く焼けていた。鴉が数羽飛びながら鳴いている。人が死ぬのだろうか。
「あれはね、仲間の居場所を確認してるだけだよ。今日は人が死なないよ」
「……そうか」
 白鴉パァィアが横から解説してきた。
 今日は、という言葉が妙に引っかかった。


 
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