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第四章(フォネスト視点)
30.マリシュとフリル
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マリシュと再会してから半月が経過した。
今ではフォネストと少しの間離れても、鳴き叫ぶことはなくなった。傍にフォネストの服を置いてやると落ち着いて過ごせるようになってきている。
ヒートの終わりが近い。
フォネストには、それが感覚で分かっていた。
日常が少しずつ戻り始めている。
騎士団の任務にも、そろそろ復帰しなければならない時期だった。
だが、マリシュを一人にはできない。
(誰かに預けなければいけないのか……)
(マリシュのことをよく知り、彼が信頼を置いている人物……)
考えを巡らせたそのとき、ふと脳裏に浮かんだのは懐かしい面影だった。
「……フリル」
マリシュが心から信頼を寄せている、たった一人の大切な妹。
彼女ならきっと、今のマリシュを受け入れてくれるかもしれない。
──初めて、マリシュのこの姿をフリルに見せる時がきた。
妹にとっては、あまりにも残酷な現実かもしれない。けれど、それでも──彼女なら、きっと。
◇◇
数日後。
扉が開かれ、フリルは部屋の中に入る。
彼女がソファーに腰を下ろして待っていると、フォネストが小さな存在を連れてきた。
目の前に立っていたのは、かつて“美しい”と称された兄ではなかった。
冷たい色を捉えた瞳、鋭く変形した爪、歪んだ体躯は、まさに“魔物”だった。
その姿にフリルの胸が恐怖で締め付けられた。
(違う、これは……お兄ちゃんなんかじゃない)
フリルは唇が震え、声が出てこない。ただ、全身が恐怖に支配されていた。
だが、その“魔物”──マリシュが、ゆっくりフリルへ近づいてくる。
一歩、また一歩。警戒するように距離を詰め、そっと彼女に手を伸ばす。
そして、フリルの頭にぽん、と小さな手が触れた。
冷たく、硬い手。しかし、そこには確かな温もりがあった。
思い出す。
幼いころ、泣いている自分の頭にそっと添えられたあの手の感触。兄はいつも何も言わず、ただ優しく撫でてくれた。フリルはその優しい手が大好きだった。
──変わらない。何も変わっていない。
姿は変わっても、この手はあの時のままだ。
涙が止めどなく溢れ出した。
止めようとしても止まらない。
フリルは涙を拭いながら、兄の手を握り返し、その手に自分の頬をそっと寄せた。
あのころの──幼い自分と同じように。
「……おにいちゃん」
嗚咽を漏らしながら、しっかりと伝える。
「……おかえり」
その言葉は、ずっと胸にしまっていた想いだった。
その言葉を聞いた瞬間、マリシュの小さな体がふるりと小さく揺れた。冷たい瞳に、一瞬だけ微かな光が差す。
けれど、表情は読み取れず声も出さない。ただじっと、妹の顔を見つめている。
小さな手が、もう一度そっとフリルの髪に触れた。やさしく、やさしく撫でるように──何度も、何度も。
そして、鳴き声もあげないまま、小さな頭をフリルの肩にそっと寄せた。
フリルはそのまま兄を強く抱きしめた。
変わってしまった姿に戸惑いはある。けれど、変わらないものが確かにあると、確かに思えた。
そこにはもう恐怖はなかった。
ただ温かい涙が二人の間を濡らしていた。
◇
部屋の中には、柔らかな静けさが満ちていた。
マリシュとフリルは寄り添っている。
その光景を、フォネストは扉の前から静かに見つめていた。
フリルの恐怖が和らぎ、マリシュを受け入れてくれたこと。──そして、マリシュ自身もまた、確かに“心”を持ち続けていると感じられたこと。
ほんの少しずつ確かに前に進み始めていた。
フォネストはそっと扉を閉じた。それは兄妹二人の時間を守るためでもある。
廊下を歩きながら、微かに笑みがこぼれる。
(よかった……)
そう心の中で呟く。
まだ道のりは長い。けれど一歩ずつ進んでいる。
今日の光景は、それを教えてくれた気がした。
◇◇◇
次の話から第五章になります。
マリシュ視点の話に戻ります。よろしくお願いします。
今ではフォネストと少しの間離れても、鳴き叫ぶことはなくなった。傍にフォネストの服を置いてやると落ち着いて過ごせるようになってきている。
ヒートの終わりが近い。
フォネストには、それが感覚で分かっていた。
日常が少しずつ戻り始めている。
騎士団の任務にも、そろそろ復帰しなければならない時期だった。
だが、マリシュを一人にはできない。
(誰かに預けなければいけないのか……)
(マリシュのことをよく知り、彼が信頼を置いている人物……)
考えを巡らせたそのとき、ふと脳裏に浮かんだのは懐かしい面影だった。
「……フリル」
マリシュが心から信頼を寄せている、たった一人の大切な妹。
彼女ならきっと、今のマリシュを受け入れてくれるかもしれない。
──初めて、マリシュのこの姿をフリルに見せる時がきた。
妹にとっては、あまりにも残酷な現実かもしれない。けれど、それでも──彼女なら、きっと。
◇◇
数日後。
扉が開かれ、フリルは部屋の中に入る。
彼女がソファーに腰を下ろして待っていると、フォネストが小さな存在を連れてきた。
目の前に立っていたのは、かつて“美しい”と称された兄ではなかった。
冷たい色を捉えた瞳、鋭く変形した爪、歪んだ体躯は、まさに“魔物”だった。
その姿にフリルの胸が恐怖で締め付けられた。
(違う、これは……お兄ちゃんなんかじゃない)
フリルは唇が震え、声が出てこない。ただ、全身が恐怖に支配されていた。
だが、その“魔物”──マリシュが、ゆっくりフリルへ近づいてくる。
一歩、また一歩。警戒するように距離を詰め、そっと彼女に手を伸ばす。
そして、フリルの頭にぽん、と小さな手が触れた。
冷たく、硬い手。しかし、そこには確かな温もりがあった。
思い出す。
幼いころ、泣いている自分の頭にそっと添えられたあの手の感触。兄はいつも何も言わず、ただ優しく撫でてくれた。フリルはその優しい手が大好きだった。
──変わらない。何も変わっていない。
姿は変わっても、この手はあの時のままだ。
涙が止めどなく溢れ出した。
止めようとしても止まらない。
フリルは涙を拭いながら、兄の手を握り返し、その手に自分の頬をそっと寄せた。
あのころの──幼い自分と同じように。
「……おにいちゃん」
嗚咽を漏らしながら、しっかりと伝える。
「……おかえり」
その言葉は、ずっと胸にしまっていた想いだった。
その言葉を聞いた瞬間、マリシュの小さな体がふるりと小さく揺れた。冷たい瞳に、一瞬だけ微かな光が差す。
けれど、表情は読み取れず声も出さない。ただじっと、妹の顔を見つめている。
小さな手が、もう一度そっとフリルの髪に触れた。やさしく、やさしく撫でるように──何度も、何度も。
そして、鳴き声もあげないまま、小さな頭をフリルの肩にそっと寄せた。
フリルはそのまま兄を強く抱きしめた。
変わってしまった姿に戸惑いはある。けれど、変わらないものが確かにあると、確かに思えた。
そこにはもう恐怖はなかった。
ただ温かい涙が二人の間を濡らしていた。
◇
部屋の中には、柔らかな静けさが満ちていた。
マリシュとフリルは寄り添っている。
その光景を、フォネストは扉の前から静かに見つめていた。
フリルの恐怖が和らぎ、マリシュを受け入れてくれたこと。──そして、マリシュ自身もまた、確かに“心”を持ち続けていると感じられたこと。
ほんの少しずつ確かに前に進み始めていた。
フォネストはそっと扉を閉じた。それは兄妹二人の時間を守るためでもある。
廊下を歩きながら、微かに笑みがこぼれる。
(よかった……)
そう心の中で呟く。
まだ道のりは長い。けれど一歩ずつ進んでいる。
今日の光景は、それを教えてくれた気がした。
◇◇◇
次の話から第五章になります。
マリシュ視点の話に戻ります。よろしくお願いします。
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