【完結】変態αのフェロモン観測記録

加賀ユカリ

文字の大きさ
13 / 37
第二章

13.守られている

 瑞樹のヒートは数日でピークを越え、徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
 その間、食事や身の回りの世話はすべて慧が引き受けてくれていた。  

「瑞樹くん、身体は大丈夫?」  
「う、うん……」  

 ヒート中のぼんやりとした意識とは違い、理性が戻りつつある今は、慧と目を合わせるだけでどこか気まずさがあった。

 数日間の熱や慧の腕に抱かれた記憶がフラッシュバックし、頬が勝手に熱を持つ。  

「僕、今日から授業に復帰するね。瑞樹くんはこのままベッドで休んでて」  
「……わかった」  
「何かあったらすぐに電話してね」  
「うん……」  

 慧がそっと瑞樹の頭を撫でる。その手の温もりに、胸がきゅっと締め付けられる。
 慧が部屋を出ていくと、静けさと自身の心臓の音だけが残った。  

(俺……本当に、ヒート来たんだな)  

 初めてのヒートは、Ωの友人から聞いていた話よりもはるかに重く、身体に刻み込まれるような体験であった。わずかに残る筋肉の痛みが、あの数日間の現実を突きつけてくる。  

(他のΩは、これを普通に乗り越えてるのか……?)  

 もし慧がいなかったら、自分はどうなっていたのだろうか。
 あの大きな身体に守られ、抱きしめられるたび、Ωであることを否応なく意識させられた。

 Ωのヒートを受け止められるのはαだけ。  
 そして、αの欲望を受け止められるのもΩだけ。  

 ──瑞樹は、正真正銘“Ω”だったのだ。

 ◇  

 瑞樹がベッドの上で軽く伸びをすると、ふと首元のネックガードに指が触れた。  

「……あ」  

 その感触に、慧の声が脳裏に蘇る。

『これは簡易のものだからね。いつかちゃんとしたものを選ぶから』  

 真剣な声で何度も繰り返していた、あの言葉。  


 かつて公的機関から配布されたネックガードは、ヒートが来ない自分には必要ないと、とうに使わなくなっていた。  
 だが、今、首に残る慧の匂いが染み込んだネックガードは、妙に安心感を与えてくれる。  


 久しぶりにスマホを開くと、友人たちからのメッセージが溜まっていた。  

『天橋くん、授業休んでるけど大丈夫!?』  
『瑞樹、生きてるかー?』  

(……やば、返してなかった)  

 瑞樹は慌てて『ヒートが来て休んでた。もう大丈夫』と返信した。  

(……俺も、授業行かなきゃな)  

 今日は午後に一つだけ授業がある。
 すぐ帰れば問題ない──そう思い、瑞樹はカバンを手に取った。

 ◇  

「あぁー! 数日ぶりの外だぁー!」  

 外の空気を吸い込むと、頭はまだ少しぼんやりしているのに、心がふっと軽くなる。  
 だが、大学に着くと、周囲からチラチラと視線を感じた。  

(……なんだ? まあ、いいか)


 昼食を取ろうとカフェテリアの隅でうどんを食べていると、突然、見知らぬ学生たちに囲まれた。  

「天橋くん、Ωだったんだ……」  
「可愛いね」  
「番はまだいないんだね?」  
「俺ならもっと良いネックガード贈るよ?」  
「天橋くんのフェロモン、めっちゃいい香りだね」  

 瑞樹を値踏みするような視線。そして、こちらへ伸ばされる手。  
 身体は強張り、息が詰まる。心臓がバクバクと鳴り、瑞樹の頭は真っ白になった。

 (え……急になに? 誰か……!!)


「ちょっと、何やってるんだ!!」


 その瞬間、慧の声が鋭く響いた。  
 険しい表情で駆け寄ってきた慧を前に、学生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。  

「校内で瑞樹くんの匂いがして……ほんと、ヒヤヒヤしたよ! なんでここにいるの? まだ休んでなきゃ!」  
「……授業、受けなきゃって」  
「ヒート期間は免除されるんだから、家で休まないとダメでしょ! 危ないんだから!」  
「ご、ごめん……」  

 瑞樹は思わず縮こまる。慧の声は強いのに、その手は優しく瑞樹の肩を包んでくれた。  

「絶対に無理しちゃダメ。なにかあったらすぐに連絡して」  
「うん……」  
「絶対に一人になっちゃダメ。僕が迎えに行くから、授業が終わったらここで待ってて。人目のないところに行っちゃダメだよ」  

 慧はそう言うと、羽織っていたパーカーを瑞樹にそっと着せた。  

「……僕のパーカー着てて。絶対に脱いじゃダメだから」 

 頭を軽く撫でられ、瑞樹は小さく頷いた。

「……ダメばっかりじゃん」  

 その小さな呟きは、慧には届かなかったようだった。

 ◇  

 教室に入ると、友人の崇がすぐに駆け寄ってきた。  

「瑞樹! お前、大丈夫か? ヒートが来たって……」  
「うん、もう大丈夫。心配かけてごめん」  
「いや、ていうか……お前、ほんとにΩだったんだな!」  
「おいっ!」  

 瑞樹が冗談交じりに崇の肩を叩こうとすると、崇の目がふっと変わった。  
 さっきまでの軽い笑顔が消え、ほんの少し距離を取られる。  

「……瑞樹。お前、自分がΩだって自覚あるのか? そんなにフェロモン振りまいてたら危ないぞ」  
「……振りまく?」  
「今、お前からめっちゃΩフェロモン出てんぞ」  
「え?」  

 崇の真剣な表情に、瑞樹は思わず自分の服を見下ろした。羽織っているのは、慧から借りたパーカーである。

「そのパーカー、例のαのやつだろ?」  
「……分かるの?」  

 パーカーの袖口をそっと口元に寄せると、慧の匂いが鼻腔を満たした。不思議と胸の奥がじんわりと落ち着く。  


 少し間を置いて、瑞樹はふっと笑ってみせた。  

「そういえばさ、Ωって意外とαの匂いが分からないもんなんだな」  
「え?」  
「久しぶりに学校来たけど、αもβもΩも、違いが全然分からないんだよ。でも、お前は俺のフェロモンが分かるんだろ? 不思議だよな」  
「ほんとに言ってんのか? 瑞樹、俺のαフェロモンが分からないの?」  
「うん、全然分からん」  


 崇は眉をひそめ、同じ学科のΩの友人たちを何人か呼び寄せた。  

「え? 僕、αのフェロモン分かるけど……天橋くん、ほんとに分からないの?」  
「私もΩだけど、何となく分かるよ?」  

 瑞樹は返ってきた答えに呆然とする。

「え、そうなの?」  

 女子のΩが笑いながら続ける。

「相性の良いαだったら、極上の香りなんだって! 安心するっていうかさ」  


 瑞樹の脳裏に、数日前の出来事が鮮やかに蘇った。

 呼吸するたびに胸を満たす甘い匂い。  
 全身が震えるほどの欲と渇き。

 そして、慧の腕の中でだけ感じた、圧倒的な安心感。  

「あ……でも、確かに……ひとりだけ分かるやつ、いるかも」  

 瑞樹は無意識にパーカーの袖をぎゅっと握りしめた。  

「もしかして、そのパーカーの持ち主?」  
「え?」  
「瑞樹くん、その人に守られてるもんね。“瑞樹くんに手を出すな”って圧力、めっちゃ感じるよ」  
「そうそう! 並のαじゃ、瑞樹くんに近寄れないって~」

 その言葉が耳に残った。

 ──慧のフェロモンに守られている。  
 その事実に気づいた瞬間、胸の奥が熱くなった。  

 ◇  

 授業が終わり、瑞樹は食堂の片隅で慧を待っていた。  
 周囲からの視線は相変わらず感じるが、慧のパーカーを着ているせいか、誰も近づいてはこない。

(……やっぱり、守られているのかな)  

 胸の内でそっと呟き、瑞樹は机に突っ伏す。  
 ヒート明けのぼんやりした頭と、勝手に重くなるまぶたに抗えず、うとうとと意識が揺れ始める。


 どのくらい眠っていたのだろうか。
 ふと、胸の奥を落ち着かせる甘い匂いに包まれた。  
 ──慧だ、とすぐに分かった。  

「瑞樹くん……!」  

 駆け寄ってきた慧が、まっすぐこちらを覗き込む。その眉間には心配そうな皺が刻まれていた。  

「瑞樹くん、しんどいの? 体調は大丈夫?」  
「うん、平気。ちょっと眠たかっただけで……元々元気だし」  

 強がる声とは裏腹に、フェロモン計測器が容赦なく数値を表示する。  

 フェロモン値:111.2(ヒートの可能性大)

 慧の小さく息を呑む気配がした。

「またフェロモン値、高くなっちゃったね……」

 瑞樹は返事の代わりに、慧の腕をぐいっと掴み、そのまま自分の頬の下に引き寄せた。  
 腕枕のようにして目を細めると、無意識に甘えた声が漏れた。

「……ん。頭、ぼやぼやする……」  
「瑞樹くん、歩けそう?」  
「うん……」  

 その曖昧な返事に慧は困ったように微笑み、そしてすぐに真剣な声に戻った。

「瑞樹くん、一緒に病院行こう。実は、もう予約を入れてあるんだ」
「え?」  
「ヒートが来てから一度も受診してないでしょ? 僕も付き添うからさ」

 慧の手が自然に瑞樹の肩を抱き寄せる。
 その温もりに支えられ、瑞樹はゆっくりと立ち上がった。

 外へ踏み出した瞬間、慧の匂いと存在だけが、眩しいほどに鮮明に感じられた。
感想 32

あなたにおすすめの小説

人気アイドルの俺、なぜかメンバー全員に好かれてます

七瀬
BL
デビュー4年目の人気アイドルグループ「ECLIPSE(エクリプス)」に所属する芹沢 美澄(せりざわみすみ)は、昔からどこか抜けていてマイペースな性格。 歌もダンスも決して一番ではないはずなのに、なぜかファンからもメンバーからも目を離されない存在だった。 世話焼きな幼なじみ、明るく距離の近い同い年、しっかり者で面倒見のいい年上、掴みどころのない自由人、そして無言で隣にいるリーダー——。 気づけば、美澄の周りにはいつも誰かがいて、当たり前のように甘やかされていく。

【完結】末っ子オメガ

鉾田 ほこ
BL
「晴にいさま、大好き」 アルファばかりのエリート一家の四人兄弟の末っ子に生まれた 亜季。 思春期の第二性検査を受けるまで、誰もがアルファだと信じて疑っていなかったが、結果は「オメガ」だった。確かに他の息子たちに比べて、身体も小さく、性格もおっとりしていた末っ子オメガ。親戚を含めてアルファばかりで、オメガがいないゆえに扱いがわからない。 だが、はじめは家族の誰一人として末っ子がオメガであることを疎むことなく可愛がっていた。 ある日、転機が訪れる── 末っ子オメガに発情期(ヒート)が訪れ、事故が起こってしまう。それを理由に亜季はひとり家族と離れて暮らすことになった。 そして末っ子は──男娼になって……長男 晴臣と再会する。 すれ違いオメガバース。

こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡

なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。 あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。 ♡♡♡ 恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

アルファな彼とオメガな僕。

スメラギ
BL
  ヒエラルキー最上位である特別なアルファの運命であるオメガとそのアルファのお話。  

当たり前の幸せ

ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」