はじめて愛をくれた人

たがわリウ

文字の大きさ
5 / 18

赤い頬に引き寄せられ

しおりを挟む
 箸を持ち上げ、ふっくらとした魚の身を口に含む。この地域でよく食すという川魚は、淡泊ながらもどこか甘さを感じた。

「うん、今日の飯も美味いな。松葉はどうだ? 美味いか?」
「はい、とても美味しゅうございます」
「そうか、飯を美味いと感じるのは良いことだ」

 向かいに座る竜胆が、自分と同じように箸を動かしている。
 美味しいと返した私に、にっこりとした笑みを向けた。給仕をする従者たちも微笑んでいるのがなんだかくすぐったい。ぼんやりとした明かりの中、私と竜胆は夕飯を食べていた。
 竜胆のもとに来て今日で一週間が経つ。何か企みがあるのだろうかと疑っていたが、相変わらず竜胆も邸の従者たちも、私のことを丁重に扱った。
 初めて共にした食事の時も蘇芳様にやっていたのと同じように、隣に寄り添い酌をしようとしたら、慌てて止められた。
 蘇芳様は毎晩のようにお酒を飲まれ、気分が良くなると食事の途中でも体を求めたが、竜胆はまったく違う。そもそもお酒もあまり飲まないようだった。
 竜胆は私に、ただ、向かい合って食事をすることを望む。

「竜胆様は……」
「なんだ? 松葉」

 竜胆はこちらから話しかけても鬱陶しそうにしない。それどころか、私の声を聞き漏らすまいと、少し身を乗り出してくる。

「本日はもうお休みになるのでしょうか」
「あぁ、いや、そのだな……今晩も遅くなりそうだ」
「そうですか……」

 竜胆と夜を過ごしたことは、まだ一度もない。
 今の食事のようにふたりで過ごす時間は毎日あるのに、竜胆の手が私に触れたことはなかった。
 竜胆の様子は日によって変化するわけでもなく、毎日機嫌よく見える。どうやら私のことを鬱陶しく思っているわけではないらしい。
 私をそばに置いておくのに、ただ会話をするだけ。それも、庭に咲いている花が綺麗だ、松葉の好物は何か、部屋は冷えないか、という話をぽつりぽつりとするだけだった。
 蘇芳様からの扱いしか知らない私は、正直戸惑っていた。竜胆の思惑がわからないまま、毎日を快適に過ごしている。穏やかすぎる日々に、そろそろ疑い続けるのが疲れてきていた。

「……この煮物も、美味しいですね」
「あ、あぁ、そうだろう、たくさん食べてくれ」

 少し気まずそうにしていた竜胆がまた表情を和らげる。この男はただ話し相手が欲しいだけなのだろうかと思いながら、味がしみた人参を口に運んだ。



「松葉、少しよいか?」

 背中にかかった声に振り返る。朗らかな微笑みをたずさえた竜胆が部屋に入ってきた。
 何をするでもなくぼんやり庭を眺めていた私は、声の主に体を向ける。微笑みはいつもどおりだが、竜胆はどこか落ち着きがないように見えた。
 何の用だろうかと思っている私に、風呂敷に包まれた物が差し出される。

「竜胆様、これは……?」
「松葉のためにこしらえたのだ。おぬしの好みがわからず色合いは儂が選んだのだが……」

 差し出されていた物を受け取り、風呂敷を解いてみると、ふわっと良い香りが広がる。最初に目に入ったのは深緑の巾着だった。白檀に似た落ち着く香りがするから、匂い袋だろう。
 小さな巾着を鼻先に持ち上げ一度匂いを嗅ぐと、次はその下にあった布を広げた。丁寧に折り畳まれていたのは、濃い紫色の着物だった。
 手触りもよく上品な色合いの着物を見て、素直に袖を通してみたいと思う。匂い袋の香りが移っていて、広げただけでまた良い香りが漂った。
 匂い袋と着物を見つめる私は、驚きを隠すことができなかった。

「これを私に……?」
「あ、あぁ……気に入らないか?」

 私を窺うように声を落とした竜胆。驚きが大きすぎてろくに反応を返せていないと気づき、慌てて居住まいを正した。

「いえ、とても嬉しいです……しかし、何故私に?」
「何故と言っても……。伴侶に贈り物をするのはおかしいことなのか?」

 伴侶。竜胆の口から出た言葉にまた驚く。毎日ただ言葉を交わすだけで、体に触れる様子を見せないから竜胆は私のことを伴侶として考えてはいないのだと思っていた。
 まじまじと竜胆を見ると、初めて視線を外される。竜胆の視線は所在なさげにさ迷った。

「いや、白状しよう。……松葉の気が少しでも晴れればと思ってな」
「私の、ですか?」
「あぁ……いや、これも真だが、その、つまりは儂がおぬしの喜ぶ顔を見たかったのだ」

 そういえばここ最近は緊張や安堵を感じることはあったが、喜びを感じたのは随分昔な気がする。竜胆にはいつも笑いかけるようにしていたが、何か思うところがあったのだろうか。

「……ありがとうございます、竜胆様。大切に致します」

 匂い袋と着物を優しくひと撫でする。蘇芳様から何かをいただいたことはもちろんあるが、すべて形式上の物で私を喜ばせるためではなく、ただ贈ることを目的にしていた。

「こんなに私のことを考えていただけたのは、初めてでございます」
「……そうか」

 私のことを考え、私のために何かを選んでもらえたのは初めてのことだった。抑えようとしても隠しきれない喜びが、ふつふつと湧き上がってしまう。

「おぬしはそのような顔もできるのだな」

 無意識に口元が緩んでいたのだろう。引き締めなければと思うが、優しくこちらを見つめる竜胆に、今だけはこのままでいようと思う。

「なんだか暑いな……」

 竜胆の顔はみるみるうちに赤く染まっていく。さ迷った視線はまた私のものと重なる。日焼けした頬からはしばらく熱が引かなそうだった。
 贈り物をしただけでこんなにも照れる竜胆を少しだけ可愛らしく感じてしまう。この人は蘇芳様とは違うのだと当然のことがやっと胸に落ちた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる

彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。 国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。 王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。 (誤字脱字報告は不要)

【完結済】虚な森の主と、世界から逃げた僕〜転生したら甘すぎる独占欲に囚われました〜

キノア9g
BL
「貴族の僕が異世界で出会ったのは、愛が重すぎる“森の主”でした。」 平凡なサラリーマンだった蓮は、気づけばひ弱で美しい貴族の青年として異世界に転生していた。しかし、待ち受けていたのは窮屈な貴族社会と、政略結婚という重すぎる現実。 そんな日常から逃げ出すように迷い込んだ「禁忌の森」で、蓮が出会ったのは──全てが虚ろで無感情な“森の主”ゼルフィードだった。 彼の周囲は生命を吸い尽くし、あらゆるものを枯らすという。だけど、蓮だけはなぜかゼルフィードの影響を受けない、唯一の存在。 「お前だけが、俺の世界に色をくれた」 蓮の存在が、ゼルフィードにとってかけがえのない「特異点」だと気づいた瞬間、無感情だった主の瞳に、激しいまでの独占欲と溺愛が宿る。 甘く、そしてどこまでも深い溺愛に包まれる、異世界ファンタジー

欠陥Ωは孤独なα令息に愛を捧ぐ あなたと過ごした五年間

華抹茶
BL
旧題:あなたと過ごした五年間~欠陥オメガと強すぎるアルファが出会ったら~ 子供の時の流行り病の高熱でオメガ性を失ったエリオット。だがその時に前世の記憶が蘇り、自分が異性愛者だったことを思い出す。オメガ性を失ったことを喜び、ベータとして生きていくことに。 もうすぐ学園を卒業するという時に、とある公爵家の嫡男の家庭教師を探しているという話を耳にする。その仕事が出来たらいいと面接に行くと、とんでもなく美しいアルファの子供がいた。 だがそのアルファの子供は、質素な別館で一人でひっそりと生活する孤独なアルファだった。その理由がこの子供のアルファ性が強すぎて誰も近寄れないからというのだ。 だがエリオットだけはそのフェロモンの影響を受けなかった。家庭教師の仕事も決まり、アルファの子供と接するうちに心に抱えた傷を知る。 子供はエリオットに心を開き、懐き、甘えてくれるようになった。だが子供が成長するにつれ少しずつ二人の関係に変化が訪れる。 アルファ性が強すぎて愛情を与えられなかった孤独なアルファ×オメガ性を失いベータと偽っていた欠陥オメガ ●オメガバースの話になります。かなり独自の設定を盛り込んでいます。 ●最終話まで執筆済み(全47話)。完結保障。毎日更新。 ●Rシーンには※つけてます。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

処理中です...