6 / 6
オハシラさま
オハシラさま【後編】
しおりを挟む
「おはようございま――……っ!?」
……いつの間にやら別の世界に迷い込んだのだろうか。ここはどこのパラレルワールド? いつもの事務所の筈なのに、いつもの光景の中に溶け込み切れてない異分子がいるんだけど。
「はよ準備しい。さっさと済ませて今日は終わりにするけぇ」
「そ、そ、そ……その恰好、何ですか!? なんでスーツを!?」
先輩がおかしな恰好をしていた。……いや、おかしくない恰好だった。“先輩が”“おかしくない恰好をしている”のがおかしいのだ。
いつものようなジャージではなく、すらりとした紺色のスーツを着ていた。一瞬、別人かと見紛う程に印象が違う。髪は刎ねてないし! きちんとネクタイ締めてるし! ズボンもだぼだぼじゃないし! 革靴まで履いてるし!!
「わざわざ訪問するのに、いつもの恰好じゃおかしいじゃろ。TPOよTPO」
「ここでのTPOはジャージだったんですか……」
まずその判断基準からして間違っているのだが、つっこんだ方がいいのだろうか。いままでは諦めてただけで、認めてはいないのである。
今となっては、目の前でこうしてスーツを着ている先輩に違和感を感じているあたり、自分も毒されているんだろうなぁ……。
「お、おはようございますー」
そうして先輩の車で目的のマンションへ。オートロック式ではなかったので、直接事前に届け出にあった部屋番号まで行ってインターホンを押す。電話口でもそうだけど、相手が見えない状態での挨拶というのは、どことなく緊張する。
「――どちら様でしょう?」
向こうから聞こえてきたのは、落ち着いた女性の声だった。とてもじゃないけど、無茶な苦情を入れるような印象はない。……とりあえず、二人で名乗り、市の役所から来たことを伝えたのだけど――
「あのー、届出をいただいたことについて、お伺いに来たのですけど――」
「…………」
――待てども、沈黙しか返って来ない。あれ、この家じゃなかったのだろうか。いやでも、事前に聞いていたのは確かにここのはず。メモと表札を何度も確認してみるけども、間違いはない。
「座敷わらしを――妖怪の存在を、信じていらっしゃるのですね? 私どもは、これを専門にしている部署です。いま起きている問題の解決を、お任せいただきたいのですが」
「…………!」
「先輩が方言を使っていない……!?」
「しっ。黙っとり」
インターホンの向こうから息を呑む音が聞こえた。私も息を呑んだ。きっと、理由は違うだろうけど。……先輩がまさか方言を使わずに喋るだなんて。
「……どうぞ、お入りください」
そうしてリビングまで上げられ、ご丁寧にもお茶まで頂く。家の中は物が散乱とまではいかないまでも、整理整頓が成されていない状態で。これも『座敷わらしがいなくなった家は衰退する』という言い伝えに関係しているのだろうか。……普通の生活環境の乱れの範疇を、まだ越えていないと思うけど……。
「――あの、『この家で座敷わらしを見た』と聞いたのですが……」
どちらとも話を切り出しにくい空気の中で、口火を切ったのは先輩の方だった。
「姿を見なくなったのは、いつからでしょう?」
ここに本当に座敷わらしがいた体で、話を進めていくつもりらしい。向こうにはこちらが信じていると思わせておいた方が、いろいろと楽なのだろう。
「はっきりと気が付いたのは一昨日のことで……。ほら、糸車の音がするってよく言うじゃないですか……子供の気配もあったんですよ? それが先週ぐらいにはぱったり無くなって、数日経ってこれはおかしいと思ったのよ」
糸車の音? 物がある古民家ならともかく、風の音かなにかと聞き間違えたと考えた方が、幾分か現実的だと思う。旦那さんもいるらしいのだが、今は仕事に出ていて。座敷わらしが幸福を呼び、子宝に恵まれる予定だったのにと悲しそうに話していた。
……それでも、そんなに簡単なものなのだろうか。私の目にはこの人が、自分の人生の波の上下を妖怪のせいにしているだけな様にも見える。
「……どうか、座敷わらしを――この家に、呼び戻しては頂けないでしょうか」
「『専門にしてる』と言いましても、できることには限りがあります。座敷わらしは気まぐれな妖怪、呼び戻すのは難しいのですが――」
そういって鞄から取り出したのは、10cm四方ほどの大きさをした木の箱。薄らと木目が浮き出ており、表面は滑らかで手触りの良さそうな箱だった。中身は可部まで行って貰ってきた繭である。
「――その代わりに、家の幸運を守るものをお持ちいたしました」
……私は知っている。この繭を入れた木の箱――先輩がロッカーを漁って出てきた、湯呑の入っていた箱なのだと。別に高級なものでもなんでもないのだ。
蓋を開けて、その中身を見せる先輩。奥さんが箱の中を覗いて怪訝な顔をするのも仕方のないことだろう。そしてそれが蚕の繭だと知ったときには、眉間に皺が寄るのがよく見て取れた。
私だって、未だに蚕と座敷わらしが繋がっているとは思えない。ここからは自分も知らない、先輩の腕の――というよりは口の見せ所だった。
「――蚕。蚕の神様には、“オシラ様”というのがおります」
さっきまでの濁ったような、停滞したような空気が、まるで幕の上がった舞台のように変わる。もちろん、主演は先輩である。
「はぁ……オシラさま……」
「今はお白様となってはいますが――その昔、お柱様と呼ばれていたのです」
時が流れるにつれ、その呼び名が変わっていく、というのはよくあること。まだ記憶に新しいのは、冬至の七種――“ん”が二つ付く食べ物の話だったかな。うどんは“うんどん”って呼ばれてたとか。ずるい。
「時が経つにつれ、『オハシラ』から“ハ”の字が抜け、『オシラ』となった。柱、大黒柱。家を支えるために無くてはならない、大事なものなのはお分かりですね? それが無くなったとなれば、家が潰れるのも必然というもの――」
『オハシラ様は人々の生活を支える大切な神様でした』と先輩は続ける。まるでバスガイドのように、詰まることなくすらすらと、それでいて聞き取りやすい速度で言葉を紡ぎ続ける。
「カラカラと糸車を回し、繭から生糸を紡ぐ。糸と糸、糸を併せて幸せに。東北の祀りの場では『奉る』のではなく『遊ばせる』と言われています。現地で蚕は“おぼこ”――“子供”の名で呼ばれておりまして。つまりは、やんちゃで気まぐれな神様なのでしょう。座敷わらしと同一、ないし親戚と考えられないでしょうか?」
――繋がった。ここでオシラサマ、蚕から、座敷わらしへ。こんどは紙とペンを取り出し、サラサラと何か難しい感じを書き始めた先輩。
「蚕はその昔、『蠶』と書きました――そう、兓(助ける)、日の、虫となっているのがお分かりになられるでしょうか。天蚕糸は天を繰る糸とも取れ、手繰る糸とも取れ。繭を作る糸は解せば一本、切れることのない繋がりを示す。どれも吉兆に繋がるものです」
それらしい木の箱を用意して、中に紫の布を敷いて、その上に繭を並べて。……どれもタダで貰ったものや、その場で間に合わせたものなのに。さも霊験あらたか、神聖な物のように仕立てあげてしまった。
「この繭も、その東北にいるオハシラ様の……」
「…………。ええ!」
変な間を置いて、先輩がにっこりと笑顔を浮かべて答えた。史上類を見ないほどの大嘘吐きだった。いよいよ『人を騙してるなぁ……』という罪悪感からか、全身から冷や汗が吹き出してくる。けれども、流石に『いえ、車で一時間ほどの田舎で貰って来たんですよ』とは口には出せなかった。
「……っ。すいません、暑かったですか? すぐに冷房をつけますので……」
「えっ!? あ、いえいえ! 大丈夫ですので!」
「…………。自分たちが過ごした思い出の、回顧の念と共に。これを家の四隅に置いてください。これが少しでも、あなたの幸いとなりますよう」
あぁ……いま一瞬だけ睨まれた……。先輩の『なにやっとんねっ』という叱責が、脳内で反響していた。当の先輩は、すぐに表情を切り替えて、やわらかい口調で箱を差し出していたけど。
「汚れてしまい、形が崩れてしまえば、オハシラ様の加護も失われます。代わりの利くものではありませんので、ゆめゆめお忘れにならないよう」
まるで神様の移り身のように、宝石かなにかのように慎重に手に取る家主。一部始終を見て真実を知っている私でも、その繭が神々しく見えてきたのだ。目の前の彼女は完全にご利益のある、ありがたい物だと信じているのだろう。
先輩だったら、ただの壺でも高値で売り付けたりできるんだろうなぁ、と。そんな失礼なことが頭を過ぎってしまったのは、一生心の中にしまっておこうと思う。
「先輩……ちゃんと仕事できるんですね……あいたぁ!?」
「どういう意味かいね」
帰りの車の中。軽口を叩いて、額をばしりと叩かれた。
……先輩の普段のだらけ具合を皮肉っただけなのにあんまりだ。
とはいえ、奥さんはこちらの対応に満足していたみたいだし、すぐには駆け込んでくることもないだろうとは思う。ただ、“幸せかどうか”だなんて、結局は自分自身の主観でしか測れないものだし。そんな曖昧なものを、ずっと維持できるのかが不安だった。
そう口にすると、先輩は気楽な口調で『まぁ、なんとかなるじゃろ』と答える。
「出る前にちゃんと釘をさしておいたけぇ」
「出る前って――」
『繭の中に悪い虫が入り込まないよう、常に家の中を隅々まで綺麗にしておくこと』だっただろうか。それがどうして幸せと繋がるのだろう。
「普段からいろいろな所に気を配れるようになれば、自ずと生活も向上していくものよ。環境が良くなれば、思考も良いものへと変わっていく」
結局のところ、正しい環境の中で生活していれば、人は勝手に幸せになるものだと、先輩はそう言うのだった。そんなものなのだろうか。普段から幸福だとか不幸だとかを意識せずに生活している私にはピンとこない。
「ま、半分ぐらいは本当よ。蚕の神様は、東北で信仰されとる」
「凄い虫なんですね……蚕って」
絹糸を出す虫っていうのがぼんやりとした認識だったけど、絹が高級なものであったことぐらいは常識として知っている。やっぱり、そのあたりも関係しているのだろうか。
「そりゃあねぇ。今となっては代替品が出て規模が縮小してしもうたけど、昔は日本を支えた大切な生き物よ。まぁ、そうなんじゃけど……。悲しいのは、人の手が無いと生きていけないことかね」
「……え?」
蚕は弱い生き物だと先輩は言う。この世で初めて、そして唯一。人に飼われるために産まれ、そして死ぬ。種が人の手で歪められた生き物なのだと。
……人間は強欲だ。自分達の都合のいいように種を歪めて、そして飼いならしていく。この世界の理に触れられるほど強く、あまりにも強く――そして、それらナシじゃ生きられないほど弱い生き物だった。
――人に生み出され、人に縋られ。
妖怪も同じようなものなんだろうな、とぼんやり思う。
これらは――人がいなければ成立しない存在なのだから。
「おはようございます」
「おはようございますー」
朝、いつも通りの時間に出勤。運転中は流石に気を張らざるを得ないけど、こうして降りてしまうと眠気がまたぶり返してきて。まだどこか寝ぼけた状態の頭で、他の人が使うことの無い、狭く照明の寿命が怪しい廊下を一人歩いていると――曲がり角のところで子供が飛び出し、危うくぶつかるところだった。
「わっ!?」
謝ることなく、そのまま駆けていこうとしたので、流石にこれは私も注意をしないといけないだろうと振り返ったのだけれど――
「……あれ?」
その姿がどこにも見えない。まさか、身を隠したなんてことはないだろう。そもそも、そんな隠れられるような場所もないし。かといって、次の曲がり角までは距離がある。そうなると、さっきの子供とぶつかりそうになったこと自体が私の幻覚かなにかのような気さえしてきて。そこまで寝ぼけていたのかなと、不安になりながら事務所の扉を開けた。
「……先輩」
「んー?」
「今回の件、やっぱり自分達が動く必要なんてなかったんじゃないです?」
気のせいで解決するのなら、その程度のこと。自分達がわざわざ動かなくても、なにかのきっかけで気持ちが回復することだってあるだろう。
「頼まれた以上は、なんとかせんといけんじゃろ。クレーム処理ぐらいしとかんと、周りがやいやい言ってくるじゃろうし」
「だって……上手くいかなかったときは、自分達の責任になるかもしれないんですよ? こっちには損しかないじゃないですか」
「万が一、不幸が起きたときにはきっと繭もダメになっとる。『原因が自分の怠慢にある』ということが目に見える形であれば、本人も納得できるじゃろ」
『事故にあって怪我をしたのなら、それぐらいで済んだ。死んだら文句を言う奴はおらんじゃろ』なんて黒いことも呟いていた気がするけど……私はなにも聞いていない。そういうことにしておこう。
「……人の強い願望っていうのは、何を起こすのか分からんものよ」
そう言って、手に持っていた何かを指先でくるくると回している。……糸の束だろうか。……糸……絹糸……?
「あ――」
――その先輩の表情はどことなく嬉しそうで。
「そ、その! さっきそこで子供とすれ違ったような気がしたんですけど――」
そもそも、まだ正面入り口の鍵さえ開けていないこの時間に、子供が入り込んでいるのが土台おかしな話だった。服装は不思議と覚えていないけれど、洋服だったろうか、それとも着物だったかな?
そう熱を持って先輩に尋ねるのだけども『ふぅん』とか『へぇー』だとか、曖昧にしか返してくれない。けれど――その普段はしない返しが、なにがあったのかを如実に物語っていた。
……最近、気が付いたことがある。確かに、歴史の中で人が変えていったものも沢山あって。それらと人は、折り合いを付けながら上手くやっているらしい。
それは、妖怪についても同じことで。当事者である私が言うのだから間違いない。やはり人も妖怪も変わらず、“何かをしてもらったら『ありがとう』”なのだ。なにより――
「覗きにきただけならまだしも、元気な童を無理やりに住み着かせたんじゃ、可哀そうじゃけんね」
――先輩も案外、子供が好きらしい。
……いつの間にやら別の世界に迷い込んだのだろうか。ここはどこのパラレルワールド? いつもの事務所の筈なのに、いつもの光景の中に溶け込み切れてない異分子がいるんだけど。
「はよ準備しい。さっさと済ませて今日は終わりにするけぇ」
「そ、そ、そ……その恰好、何ですか!? なんでスーツを!?」
先輩がおかしな恰好をしていた。……いや、おかしくない恰好だった。“先輩が”“おかしくない恰好をしている”のがおかしいのだ。
いつものようなジャージではなく、すらりとした紺色のスーツを着ていた。一瞬、別人かと見紛う程に印象が違う。髪は刎ねてないし! きちんとネクタイ締めてるし! ズボンもだぼだぼじゃないし! 革靴まで履いてるし!!
「わざわざ訪問するのに、いつもの恰好じゃおかしいじゃろ。TPOよTPO」
「ここでのTPOはジャージだったんですか……」
まずその判断基準からして間違っているのだが、つっこんだ方がいいのだろうか。いままでは諦めてただけで、認めてはいないのである。
今となっては、目の前でこうしてスーツを着ている先輩に違和感を感じているあたり、自分も毒されているんだろうなぁ……。
「お、おはようございますー」
そうして先輩の車で目的のマンションへ。オートロック式ではなかったので、直接事前に届け出にあった部屋番号まで行ってインターホンを押す。電話口でもそうだけど、相手が見えない状態での挨拶というのは、どことなく緊張する。
「――どちら様でしょう?」
向こうから聞こえてきたのは、落ち着いた女性の声だった。とてもじゃないけど、無茶な苦情を入れるような印象はない。……とりあえず、二人で名乗り、市の役所から来たことを伝えたのだけど――
「あのー、届出をいただいたことについて、お伺いに来たのですけど――」
「…………」
――待てども、沈黙しか返って来ない。あれ、この家じゃなかったのだろうか。いやでも、事前に聞いていたのは確かにここのはず。メモと表札を何度も確認してみるけども、間違いはない。
「座敷わらしを――妖怪の存在を、信じていらっしゃるのですね? 私どもは、これを専門にしている部署です。いま起きている問題の解決を、お任せいただきたいのですが」
「…………!」
「先輩が方言を使っていない……!?」
「しっ。黙っとり」
インターホンの向こうから息を呑む音が聞こえた。私も息を呑んだ。きっと、理由は違うだろうけど。……先輩がまさか方言を使わずに喋るだなんて。
「……どうぞ、お入りください」
そうしてリビングまで上げられ、ご丁寧にもお茶まで頂く。家の中は物が散乱とまではいかないまでも、整理整頓が成されていない状態で。これも『座敷わらしがいなくなった家は衰退する』という言い伝えに関係しているのだろうか。……普通の生活環境の乱れの範疇を、まだ越えていないと思うけど……。
「――あの、『この家で座敷わらしを見た』と聞いたのですが……」
どちらとも話を切り出しにくい空気の中で、口火を切ったのは先輩の方だった。
「姿を見なくなったのは、いつからでしょう?」
ここに本当に座敷わらしがいた体で、話を進めていくつもりらしい。向こうにはこちらが信じていると思わせておいた方が、いろいろと楽なのだろう。
「はっきりと気が付いたのは一昨日のことで……。ほら、糸車の音がするってよく言うじゃないですか……子供の気配もあったんですよ? それが先週ぐらいにはぱったり無くなって、数日経ってこれはおかしいと思ったのよ」
糸車の音? 物がある古民家ならともかく、風の音かなにかと聞き間違えたと考えた方が、幾分か現実的だと思う。旦那さんもいるらしいのだが、今は仕事に出ていて。座敷わらしが幸福を呼び、子宝に恵まれる予定だったのにと悲しそうに話していた。
……それでも、そんなに簡単なものなのだろうか。私の目にはこの人が、自分の人生の波の上下を妖怪のせいにしているだけな様にも見える。
「……どうか、座敷わらしを――この家に、呼び戻しては頂けないでしょうか」
「『専門にしてる』と言いましても、できることには限りがあります。座敷わらしは気まぐれな妖怪、呼び戻すのは難しいのですが――」
そういって鞄から取り出したのは、10cm四方ほどの大きさをした木の箱。薄らと木目が浮き出ており、表面は滑らかで手触りの良さそうな箱だった。中身は可部まで行って貰ってきた繭である。
「――その代わりに、家の幸運を守るものをお持ちいたしました」
……私は知っている。この繭を入れた木の箱――先輩がロッカーを漁って出てきた、湯呑の入っていた箱なのだと。別に高級なものでもなんでもないのだ。
蓋を開けて、その中身を見せる先輩。奥さんが箱の中を覗いて怪訝な顔をするのも仕方のないことだろう。そしてそれが蚕の繭だと知ったときには、眉間に皺が寄るのがよく見て取れた。
私だって、未だに蚕と座敷わらしが繋がっているとは思えない。ここからは自分も知らない、先輩の腕の――というよりは口の見せ所だった。
「――蚕。蚕の神様には、“オシラ様”というのがおります」
さっきまでの濁ったような、停滞したような空気が、まるで幕の上がった舞台のように変わる。もちろん、主演は先輩である。
「はぁ……オシラさま……」
「今はお白様となってはいますが――その昔、お柱様と呼ばれていたのです」
時が流れるにつれ、その呼び名が変わっていく、というのはよくあること。まだ記憶に新しいのは、冬至の七種――“ん”が二つ付く食べ物の話だったかな。うどんは“うんどん”って呼ばれてたとか。ずるい。
「時が経つにつれ、『オハシラ』から“ハ”の字が抜け、『オシラ』となった。柱、大黒柱。家を支えるために無くてはならない、大事なものなのはお分かりですね? それが無くなったとなれば、家が潰れるのも必然というもの――」
『オハシラ様は人々の生活を支える大切な神様でした』と先輩は続ける。まるでバスガイドのように、詰まることなくすらすらと、それでいて聞き取りやすい速度で言葉を紡ぎ続ける。
「カラカラと糸車を回し、繭から生糸を紡ぐ。糸と糸、糸を併せて幸せに。東北の祀りの場では『奉る』のではなく『遊ばせる』と言われています。現地で蚕は“おぼこ”――“子供”の名で呼ばれておりまして。つまりは、やんちゃで気まぐれな神様なのでしょう。座敷わらしと同一、ないし親戚と考えられないでしょうか?」
――繋がった。ここでオシラサマ、蚕から、座敷わらしへ。こんどは紙とペンを取り出し、サラサラと何か難しい感じを書き始めた先輩。
「蚕はその昔、『蠶』と書きました――そう、兓(助ける)、日の、虫となっているのがお分かりになられるでしょうか。天蚕糸は天を繰る糸とも取れ、手繰る糸とも取れ。繭を作る糸は解せば一本、切れることのない繋がりを示す。どれも吉兆に繋がるものです」
それらしい木の箱を用意して、中に紫の布を敷いて、その上に繭を並べて。……どれもタダで貰ったものや、その場で間に合わせたものなのに。さも霊験あらたか、神聖な物のように仕立てあげてしまった。
「この繭も、その東北にいるオハシラ様の……」
「…………。ええ!」
変な間を置いて、先輩がにっこりと笑顔を浮かべて答えた。史上類を見ないほどの大嘘吐きだった。いよいよ『人を騙してるなぁ……』という罪悪感からか、全身から冷や汗が吹き出してくる。けれども、流石に『いえ、車で一時間ほどの田舎で貰って来たんですよ』とは口には出せなかった。
「……っ。すいません、暑かったですか? すぐに冷房をつけますので……」
「えっ!? あ、いえいえ! 大丈夫ですので!」
「…………。自分たちが過ごした思い出の、回顧の念と共に。これを家の四隅に置いてください。これが少しでも、あなたの幸いとなりますよう」
あぁ……いま一瞬だけ睨まれた……。先輩の『なにやっとんねっ』という叱責が、脳内で反響していた。当の先輩は、すぐに表情を切り替えて、やわらかい口調で箱を差し出していたけど。
「汚れてしまい、形が崩れてしまえば、オハシラ様の加護も失われます。代わりの利くものではありませんので、ゆめゆめお忘れにならないよう」
まるで神様の移り身のように、宝石かなにかのように慎重に手に取る家主。一部始終を見て真実を知っている私でも、その繭が神々しく見えてきたのだ。目の前の彼女は完全にご利益のある、ありがたい物だと信じているのだろう。
先輩だったら、ただの壺でも高値で売り付けたりできるんだろうなぁ、と。そんな失礼なことが頭を過ぎってしまったのは、一生心の中にしまっておこうと思う。
「先輩……ちゃんと仕事できるんですね……あいたぁ!?」
「どういう意味かいね」
帰りの車の中。軽口を叩いて、額をばしりと叩かれた。
……先輩の普段のだらけ具合を皮肉っただけなのにあんまりだ。
とはいえ、奥さんはこちらの対応に満足していたみたいだし、すぐには駆け込んでくることもないだろうとは思う。ただ、“幸せかどうか”だなんて、結局は自分自身の主観でしか測れないものだし。そんな曖昧なものを、ずっと維持できるのかが不安だった。
そう口にすると、先輩は気楽な口調で『まぁ、なんとかなるじゃろ』と答える。
「出る前にちゃんと釘をさしておいたけぇ」
「出る前って――」
『繭の中に悪い虫が入り込まないよう、常に家の中を隅々まで綺麗にしておくこと』だっただろうか。それがどうして幸せと繋がるのだろう。
「普段からいろいろな所に気を配れるようになれば、自ずと生活も向上していくものよ。環境が良くなれば、思考も良いものへと変わっていく」
結局のところ、正しい環境の中で生活していれば、人は勝手に幸せになるものだと、先輩はそう言うのだった。そんなものなのだろうか。普段から幸福だとか不幸だとかを意識せずに生活している私にはピンとこない。
「ま、半分ぐらいは本当よ。蚕の神様は、東北で信仰されとる」
「凄い虫なんですね……蚕って」
絹糸を出す虫っていうのがぼんやりとした認識だったけど、絹が高級なものであったことぐらいは常識として知っている。やっぱり、そのあたりも関係しているのだろうか。
「そりゃあねぇ。今となっては代替品が出て規模が縮小してしもうたけど、昔は日本を支えた大切な生き物よ。まぁ、そうなんじゃけど……。悲しいのは、人の手が無いと生きていけないことかね」
「……え?」
蚕は弱い生き物だと先輩は言う。この世で初めて、そして唯一。人に飼われるために産まれ、そして死ぬ。種が人の手で歪められた生き物なのだと。
……人間は強欲だ。自分達の都合のいいように種を歪めて、そして飼いならしていく。この世界の理に触れられるほど強く、あまりにも強く――そして、それらナシじゃ生きられないほど弱い生き物だった。
――人に生み出され、人に縋られ。
妖怪も同じようなものなんだろうな、とぼんやり思う。
これらは――人がいなければ成立しない存在なのだから。
「おはようございます」
「おはようございますー」
朝、いつも通りの時間に出勤。運転中は流石に気を張らざるを得ないけど、こうして降りてしまうと眠気がまたぶり返してきて。まだどこか寝ぼけた状態の頭で、他の人が使うことの無い、狭く照明の寿命が怪しい廊下を一人歩いていると――曲がり角のところで子供が飛び出し、危うくぶつかるところだった。
「わっ!?」
謝ることなく、そのまま駆けていこうとしたので、流石にこれは私も注意をしないといけないだろうと振り返ったのだけれど――
「……あれ?」
その姿がどこにも見えない。まさか、身を隠したなんてことはないだろう。そもそも、そんな隠れられるような場所もないし。かといって、次の曲がり角までは距離がある。そうなると、さっきの子供とぶつかりそうになったこと自体が私の幻覚かなにかのような気さえしてきて。そこまで寝ぼけていたのかなと、不安になりながら事務所の扉を開けた。
「……先輩」
「んー?」
「今回の件、やっぱり自分達が動く必要なんてなかったんじゃないです?」
気のせいで解決するのなら、その程度のこと。自分達がわざわざ動かなくても、なにかのきっかけで気持ちが回復することだってあるだろう。
「頼まれた以上は、なんとかせんといけんじゃろ。クレーム処理ぐらいしとかんと、周りがやいやい言ってくるじゃろうし」
「だって……上手くいかなかったときは、自分達の責任になるかもしれないんですよ? こっちには損しかないじゃないですか」
「万が一、不幸が起きたときにはきっと繭もダメになっとる。『原因が自分の怠慢にある』ということが目に見える形であれば、本人も納得できるじゃろ」
『事故にあって怪我をしたのなら、それぐらいで済んだ。死んだら文句を言う奴はおらんじゃろ』なんて黒いことも呟いていた気がするけど……私はなにも聞いていない。そういうことにしておこう。
「……人の強い願望っていうのは、何を起こすのか分からんものよ」
そう言って、手に持っていた何かを指先でくるくると回している。……糸の束だろうか。……糸……絹糸……?
「あ――」
――その先輩の表情はどことなく嬉しそうで。
「そ、その! さっきそこで子供とすれ違ったような気がしたんですけど――」
そもそも、まだ正面入り口の鍵さえ開けていないこの時間に、子供が入り込んでいるのが土台おかしな話だった。服装は不思議と覚えていないけれど、洋服だったろうか、それとも着物だったかな?
そう熱を持って先輩に尋ねるのだけども『ふぅん』とか『へぇー』だとか、曖昧にしか返してくれない。けれど――その普段はしない返しが、なにがあったのかを如実に物語っていた。
……最近、気が付いたことがある。確かに、歴史の中で人が変えていったものも沢山あって。それらと人は、折り合いを付けながら上手くやっているらしい。
それは、妖怪についても同じことで。当事者である私が言うのだから間違いない。やはり人も妖怪も変わらず、“何かをしてもらったら『ありがとう』”なのだ。なにより――
「覗きにきただけならまだしも、元気な童を無理やりに住み着かせたんじゃ、可哀そうじゃけんね」
――先輩も案外、子供が好きらしい。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ほんわかさん
俊凛美流人《とし・りびると》
キャラ文芸
ふと、心が疲れたときに現れる小さなお店「ほんわか堂」
そこでは、お悩みをそっとこぼすかわりに、ちいさな「おくり物」が手渡されます。
お店に訪れるのは、人生に少しだけ立ち止まった人たち。
夢に迷う人、恋に傷ついた人、忙しい日々に埋もれてしまった人……
小説『ほんわかさん』は、そんな“悩みとやさしさ”を集めたお話です。
どのお話から読んでもお楽しみ頂けます。
「ほんわか堂」は、今日もふわっと、あいています。
──あなたの心にも、そっと灯りがともりますように…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる