半分の、君へ

nikka

文字の大きさ
3 / 6

三話

しおりを挟む
 初めてつむぎの唇に触れたのは、僕が十四の時だった。
 にわか雨のような一瞬のあの記憶は、未だ鮮明に頭の中に張り付いている。
 それは、祖父母が亡くなって、つむぎが一人暮らしを始めてから初めての夏休みだった。

 
 兄が一人暮らししてから、初めての夏休み。
 心配する父をなんとか説得して、僕は一人で新幹線に乗って兄の住む街へと向かった。
 向こうで兄も迎えに来てくれると言うし、初めての一人旅は特に不安もなかった。
 新幹線から降りて、溢れる人混みに辟易しながら改札まで辿り着けば、改札を抜けた先に大学生の兄が迎えに来てくれていた。
 僕の姿を捉えても、兄はニコリともせず、寧ろ来ちゃまずかっただろうかと不安になるほどの無表情で。
「ごめん、待った?」
 慌てて駆け寄れば、兄は開口一番に「俺しかいないのに、いいのか?」と聞いてきた。
「え? 兄ちゃん会いに来たんだけど」
 なんでそんなことを聞くのかと、僕は首を捻る。
 兄に会いに行く以外に、こちらに来る理由なんかない。
 今までずっとそうだったし、今更聞かれたことが不思議でならなかった。
 一瞬の間を置いて、兄は小さく吹き出した。
「なんだそれ」
 その時、兄の纏う空気が和らいだ気がして。
 ——許されたのだ。
 そう感じて、胸の奥がじわりと熱くなった。
 その熱は顔まで伝わって、きっと赤くなっているに違いない。
 熱くなった顔を隠すように、僕は慌てて顔を背けた。
 兄はそんな僕の頭に手を乗せて、茶色がかった癖毛をワシャワシャと掻き回した。

 
「まぁ、好きにして」
 初めて部屋を訪れたというのに、兄は特に案内してくれるわけでもなかった。
 エアコンを付けてから、僕に麦茶の入ったグラスを渡すと、お役御免と言わんばかりにダイニングテーブルに置いてあったパソコンに向かってしまった。
 場所が変わろうが、変わらぬ兄になんだかホッとして。
 荷物整理は後回しにして、僕は麦茶を飲み干してから、二人がけのソファに寝転がった。
 初めての一人旅に、気づかないうちに緊張してたのかもしれない。どっと押し寄せてきた疲労に僕は目を閉じる。
 ——変わってなくてよかった。
 兄が鉛筆を走らせる音はパソコンのキーボードを叩く音に、扇風機がカタカタ回る音はエアコンの音に変わったけれど、兄と麦茶のグラスは変わらぬままだった。

 
「ん……」
 ふと、唇に柔らかいものが触れたような気がして、僕は薄っすら目を開ける。
 どうやら、ソファに寝転がっているうちに寝落ちてしまってたらしい。
 視界のすぐ先に兄の顔があって、僕はぼんやりしたまま「にい……ちゃ……?」と声を出す。
 すると、その顔がゆっくりと近づいて。
 唇に押し付けられた先程と同じ柔らかな感触に、息を飲む。
 僕だって、それが何であるかはわかる。
 ——でも、どうして。
 それは、すぐに離れていって。
 呆然としたまま、目を開く。
 見上げれば、兄が優しい顔をして、僕を見下ろしていた。
「いいか?」
 瞼を半分下ろして、兄は囁く。
 何に対しての『いいか?』は明らかで。
 僕はまだ上手く働かない頭で、ぐるぐると思考を巡らせた。
 
 ——これに頷いたら、どうなるんだろう。
 
 ただ、今この瞬間、拒絶すれば、兄は二度と触れてこないであろうことだけは確かだった。
 それは嫌だった。
 僕だって、兄に触れたい。
 僕はソファに肘をついて、背骨を軋ませながら身体を起こす。
 そのまま、兄の唇に唇を寄せ、小さく頷いた。
 頷くと同時に、また唇に柔らかなものが触れる。
 今度はすぐには離れなかった。
 湿り気を帯びた音を響かせて、兄と僕は唇を擦り付け合う。
 これが、兄弟でするものじゃないってことはわかる。
 でも、わかっていても、唇はもっとほしいと強請ってしまう。
 今まで形にできなかった感情が、堰を切ったように溢れていく気がした。
 差し込まれた舌は僕の口内を掻き回して、舌同士を擦り合わせる。呼吸の仕方もわからなくて、僕が小さく喘げば、兄の手が着ていたTシャツから滑り込んできた。
「兄ちゃ……」
 肌を弄る手に戸惑っていれば、兄はわざとらしく不満そうな声で「つむぎ」と、名を強請る。
「……つむぎ?」
 初めてその名を唇で紡げば、つむぎは心底嬉しそうに目尻を下げた。
 ——嗚呼、こんな顔もできるのか。
 知らないつむぎをもっと知りたい。
 目の前の身体に縋り付けば、つむぎは僕の頬から首筋へと唇を落としていく。
「あ……」
 初めての行為をどう受け入れたらいいのかわからず、僕は身を捩る。そんな僕に構わず、つむぎの動きはますます大胆になっていった。
 押し返しても、さらに押されて。
 まるで波のように、僕らは揺れる。
「ン……つむ……ぎ……」
 自分でも驚くほどに甘い声を上げてしまって、恥ずかしさに顔を背けた、その時。
 僕の携帯の通知音が鳴って、僕らは同時に身体を跳ねさせた。
 そして、我に返ったかのように、つむぎの身体があっさりと離れていく。
 夢と現に揺蕩うような時間は、唐突に終わりを迎えた。
「……メシにするか」
 乱れた髪を掻き上げながら、つむぎは立ち上がる。
 まるで、何事もなかったかのように。
 ——どうして、何で。
 その疑問を口にできないまま。
 この日から、僕らは当たり前のように唇を交わすようになった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

先輩、可愛がってください

ゆもたに
BL
棒アイスを頬張ってる先輩を見て、「あー……ち◯ぽぶち込みてぇ」とつい言ってしまった天然な後輩の話

壁乳

リリーブルー
BL
ご来店ありがとうございます。ここは、壁越しに、触れ合える店。 最初は乳首から。指名を繰り返すと、徐々に、エリアが拡大していきます。 俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 じれじれラブコメディー。 4年ぶりに続きを書きました!更新していくのでよろしくお願いします。 (挿絵byリリーブルー)

お腹いっぱい、召し上がれ

砂ねずみ
BL
 料理研究家でαの藤白蒼は幼なじみで10個下のΩ晃と番になった。そんな二人の間に産まれた照は元気いっぱいな男の子。泣いたり、笑ったり、家族の温かみを感じながら藤白家の日常が穏やかに進んでいく。    そんな愛する妻と愛する息子、大切な家族のお腹いっぱい喜ぶ顔が見たいから。蒼は今日も明日もその先も、キッチンに立って腕を振るう。  さあ、お腹いっぱい、召し上がれ。

身体検査その後

RIKUTO
BL
「身体検査」のその後、結果が公開された。彼はどう感じたのか?

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

処理中です...