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三話
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初めてつむぎの唇に触れたのは、僕が十四の時だった。
にわか雨のような一瞬のあの記憶は、未だ鮮明に頭の中に張り付いている。
それは、祖父母が亡くなって、つむぎが一人暮らしを始めてから初めての夏休みだった。
兄が一人暮らししてから、初めての夏休み。
心配する父をなんとか説得して、僕は一人で新幹線に乗って兄の住む街へと向かった。
向こうで兄も迎えに来てくれると言うし、初めての一人旅は特に不安もなかった。
新幹線から降りて、溢れる人混みに辟易しながら改札まで辿り着けば、改札を抜けた先に大学生の兄が迎えに来てくれていた。
僕の姿を捉えても、兄はニコリともせず、寧ろ来ちゃまずかっただろうかと不安になるほどの無表情で。
「ごめん、待った?」
慌てて駆け寄れば、兄は開口一番に「俺しかいないのに、いいのか?」と聞いてきた。
「え? 兄ちゃん会いに来たんだけど」
なんでそんなことを聞くのかと、僕は首を捻る。
兄に会いに行く以外に、こちらに来る理由なんかない。
今までずっとそうだったし、今更聞かれたことが不思議でならなかった。
一瞬の間を置いて、兄は小さく吹き出した。
「なんだそれ」
その時、兄の纏う空気が和らいだ気がして。
——許されたのだ。
そう感じて、胸の奥がじわりと熱くなった。
その熱は顔まで伝わって、きっと赤くなっているに違いない。
熱くなった顔を隠すように、僕は慌てて顔を背けた。
兄はそんな僕の頭に手を乗せて、茶色がかった癖毛をワシャワシャと掻き回した。
「まぁ、好きにして」
初めて部屋を訪れたというのに、兄は特に案内してくれるわけでもなかった。
エアコンを付けてから、僕に麦茶の入ったグラスを渡すと、お役御免と言わんばかりにダイニングテーブルに置いてあったパソコンに向かってしまった。
場所が変わろうが、変わらぬ兄になんだかホッとして。
荷物整理は後回しにして、僕は麦茶を飲み干してから、二人がけのソファに寝転がった。
初めての一人旅に、気づかないうちに緊張してたのかもしれない。どっと押し寄せてきた疲労に僕は目を閉じる。
——変わってなくてよかった。
兄が鉛筆を走らせる音はパソコンのキーボードを叩く音に、扇風機がカタカタ回る音はエアコンの音に変わったけれど、兄と麦茶のグラスは変わらぬままだった。
「ん……」
ふと、唇に柔らかいものが触れたような気がして、僕は薄っすら目を開ける。
どうやら、ソファに寝転がっているうちに寝落ちてしまってたらしい。
視界のすぐ先に兄の顔があって、僕はぼんやりしたまま「にい……ちゃ……?」と声を出す。
すると、その顔がゆっくりと近づいて。
唇に押し付けられた先程と同じ柔らかな感触に、息を飲む。
僕だって、それが何であるかはわかる。
——でも、どうして。
それは、すぐに離れていって。
呆然としたまま、目を開く。
見上げれば、兄が優しい顔をして、僕を見下ろしていた。
「いいか?」
瞼を半分下ろして、兄は囁く。
何に対しての『いいか?』は明らかで。
僕はまだ上手く働かない頭で、ぐるぐると思考を巡らせた。
——これに頷いたら、どうなるんだろう。
ただ、今この瞬間、拒絶すれば、兄は二度と触れてこないであろうことだけは確かだった。
それは嫌だった。
僕だって、兄に触れたい。
僕はソファに肘をついて、背骨を軋ませながら身体を起こす。
そのまま、兄の唇に唇を寄せ、小さく頷いた。
頷くと同時に、また唇に柔らかなものが触れる。
今度はすぐには離れなかった。
湿り気を帯びた音を響かせて、兄と僕は唇を擦り付け合う。
これが、兄弟でするものじゃないってことはわかる。
でも、わかっていても、唇はもっとほしいと強請ってしまう。
今まで形にできなかった感情が、堰を切ったように溢れていく気がした。
差し込まれた舌は僕の口内を掻き回して、舌同士を擦り合わせる。呼吸の仕方もわからなくて、僕が小さく喘げば、兄の手が着ていたTシャツから滑り込んできた。
「兄ちゃ……」
肌を弄る手に戸惑っていれば、兄はわざとらしく不満そうな声で「つむぎ」と、名を強請る。
「……つむぎ?」
初めてその名を唇で紡げば、つむぎは心底嬉しそうに目尻を下げた。
——嗚呼、こんな顔もできるのか。
知らないつむぎをもっと知りたい。
目の前の身体に縋り付けば、つむぎは僕の頬から首筋へと唇を落としていく。
「あ……」
初めての行為をどう受け入れたらいいのかわからず、僕は身を捩る。そんな僕に構わず、つむぎの動きはますます大胆になっていった。
押し返しても、さらに押されて。
まるで波のように、僕らは揺れる。
「ン……つむ……ぎ……」
自分でも驚くほどに甘い声を上げてしまって、恥ずかしさに顔を背けた、その時。
僕の携帯の通知音が鳴って、僕らは同時に身体を跳ねさせた。
そして、我に返ったかのように、つむぎの身体があっさりと離れていく。
夢と現に揺蕩うような時間は、唐突に終わりを迎えた。
「……メシにするか」
乱れた髪を掻き上げながら、つむぎは立ち上がる。
まるで、何事もなかったかのように。
——どうして、何で。
その疑問を口にできないまま。
この日から、僕らは当たり前のように唇を交わすようになった。
にわか雨のような一瞬のあの記憶は、未だ鮮明に頭の中に張り付いている。
それは、祖父母が亡くなって、つむぎが一人暮らしを始めてから初めての夏休みだった。
兄が一人暮らししてから、初めての夏休み。
心配する父をなんとか説得して、僕は一人で新幹線に乗って兄の住む街へと向かった。
向こうで兄も迎えに来てくれると言うし、初めての一人旅は特に不安もなかった。
新幹線から降りて、溢れる人混みに辟易しながら改札まで辿り着けば、改札を抜けた先に大学生の兄が迎えに来てくれていた。
僕の姿を捉えても、兄はニコリともせず、寧ろ来ちゃまずかっただろうかと不安になるほどの無表情で。
「ごめん、待った?」
慌てて駆け寄れば、兄は開口一番に「俺しかいないのに、いいのか?」と聞いてきた。
「え? 兄ちゃん会いに来たんだけど」
なんでそんなことを聞くのかと、僕は首を捻る。
兄に会いに行く以外に、こちらに来る理由なんかない。
今までずっとそうだったし、今更聞かれたことが不思議でならなかった。
一瞬の間を置いて、兄は小さく吹き出した。
「なんだそれ」
その時、兄の纏う空気が和らいだ気がして。
——許されたのだ。
そう感じて、胸の奥がじわりと熱くなった。
その熱は顔まで伝わって、きっと赤くなっているに違いない。
熱くなった顔を隠すように、僕は慌てて顔を背けた。
兄はそんな僕の頭に手を乗せて、茶色がかった癖毛をワシャワシャと掻き回した。
「まぁ、好きにして」
初めて部屋を訪れたというのに、兄は特に案内してくれるわけでもなかった。
エアコンを付けてから、僕に麦茶の入ったグラスを渡すと、お役御免と言わんばかりにダイニングテーブルに置いてあったパソコンに向かってしまった。
場所が変わろうが、変わらぬ兄になんだかホッとして。
荷物整理は後回しにして、僕は麦茶を飲み干してから、二人がけのソファに寝転がった。
初めての一人旅に、気づかないうちに緊張してたのかもしれない。どっと押し寄せてきた疲労に僕は目を閉じる。
——変わってなくてよかった。
兄が鉛筆を走らせる音はパソコンのキーボードを叩く音に、扇風機がカタカタ回る音はエアコンの音に変わったけれど、兄と麦茶のグラスは変わらぬままだった。
「ん……」
ふと、唇に柔らかいものが触れたような気がして、僕は薄っすら目を開ける。
どうやら、ソファに寝転がっているうちに寝落ちてしまってたらしい。
視界のすぐ先に兄の顔があって、僕はぼんやりしたまま「にい……ちゃ……?」と声を出す。
すると、その顔がゆっくりと近づいて。
唇に押し付けられた先程と同じ柔らかな感触に、息を飲む。
僕だって、それが何であるかはわかる。
——でも、どうして。
それは、すぐに離れていって。
呆然としたまま、目を開く。
見上げれば、兄が優しい顔をして、僕を見下ろしていた。
「いいか?」
瞼を半分下ろして、兄は囁く。
何に対しての『いいか?』は明らかで。
僕はまだ上手く働かない頭で、ぐるぐると思考を巡らせた。
——これに頷いたら、どうなるんだろう。
ただ、今この瞬間、拒絶すれば、兄は二度と触れてこないであろうことだけは確かだった。
それは嫌だった。
僕だって、兄に触れたい。
僕はソファに肘をついて、背骨を軋ませながら身体を起こす。
そのまま、兄の唇に唇を寄せ、小さく頷いた。
頷くと同時に、また唇に柔らかなものが触れる。
今度はすぐには離れなかった。
湿り気を帯びた音を響かせて、兄と僕は唇を擦り付け合う。
これが、兄弟でするものじゃないってことはわかる。
でも、わかっていても、唇はもっとほしいと強請ってしまう。
今まで形にできなかった感情が、堰を切ったように溢れていく気がした。
差し込まれた舌は僕の口内を掻き回して、舌同士を擦り合わせる。呼吸の仕方もわからなくて、僕が小さく喘げば、兄の手が着ていたTシャツから滑り込んできた。
「兄ちゃ……」
肌を弄る手に戸惑っていれば、兄はわざとらしく不満そうな声で「つむぎ」と、名を強請る。
「……つむぎ?」
初めてその名を唇で紡げば、つむぎは心底嬉しそうに目尻を下げた。
——嗚呼、こんな顔もできるのか。
知らないつむぎをもっと知りたい。
目の前の身体に縋り付けば、つむぎは僕の頬から首筋へと唇を落としていく。
「あ……」
初めての行為をどう受け入れたらいいのかわからず、僕は身を捩る。そんな僕に構わず、つむぎの動きはますます大胆になっていった。
押し返しても、さらに押されて。
まるで波のように、僕らは揺れる。
「ン……つむ……ぎ……」
自分でも驚くほどに甘い声を上げてしまって、恥ずかしさに顔を背けた、その時。
僕の携帯の通知音が鳴って、僕らは同時に身体を跳ねさせた。
そして、我に返ったかのように、つむぎの身体があっさりと離れていく。
夢と現に揺蕩うような時間は、唐突に終わりを迎えた。
「……メシにするか」
乱れた髪を掻き上げながら、つむぎは立ち上がる。
まるで、何事もなかったかのように。
——どうして、何で。
その疑問を口にできないまま。
この日から、僕らは当たり前のように唇を交わすようになった。
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