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ヨルノサンポ
しおりを挟む眠れない夜はよく散歩をしている。
午前二時半、今日も眠れない僕はパジャマを着替えて散歩に行く。眠る父と母、そして弟を起こさないように静かに行動し、家の鍵を閉めて歩き出す。もちろん行く当てはないが、毎回同じコースになって門扉を出て右方向へと歩く。数メートル先にある公園のベンチに座りぼーっとして、しばらくしてから帰る。しかし今日は違った。
「今日は左かな。」
無意識に同じルートに飽きを感じていたのか、今日は左方向へ行こうと思った。この時偶然左へ向かったことを後に僕は後悔することになるが、そんなこととはつゆ知らず僕は左方向へと進んだ。
左へと進むこの道は、僕の学校への通学路である。小、中、高校と、どこに何があるか覚えているほど長い間通った道であり見慣れているはずだが、夜は違った景色を見せている気がする。皆が寝静まる夜の暗い世界に一人取り残されるようなそんな感覚が好きだった。
僕は別に、夜が好きなわけでも、眠りたくない訳でもない。ただ、眠れないのだ。僕は学校でいじめを受けている。そのストレスのせいもあるかもしれないが、詳しいことは分からない。いじめのことで両親には迷惑をかけたくないし、学校へ訴えると両親にまでバレてしまう。心配かけるくらいなら一人でじっと耐え続ける方がよっぽどいい。眠れない夜くらい、なんてことはない。でも、心の奥底ではずっと永遠に眠っていたいという気持ちがあることも僕はちゃんと分かっている。いつか向き合わなければならないことも。
暗い世界に輝く星を、ぼーっと眺めながら歩いていると暗い気持ちになった。僕はいつの間にか通学路から外れた道を歩いていたようで、まずい、と思った時にはここがどこだか分からなくなっていた。
とりあえず来た道を帰ろうと思っていたら、家の中から一人の青年が出てきた。歳は僕と同じくらいか、もしくは上か、いずれにせよ歳は近いと感じた。
よく見たら青年は泣いていた。
実際には泣いていたように見えただけであるが、その悲しげな雰囲気に思わず声をかけてしまった。
「こんばんは。」
青年は驚くとこちらを向いた。涙は流れていなかったので、この時初めて泣いていなかったことに気がつく。
「こんばんは。」
青年は笑って答えてくれた。
しかし、声をかけた分際で何を話せばいいかわからなかった。星が綺麗ですね、気持ちいい夜ですねなどと発してもそうですねと言われるのがオチだろうと思い何も話せなかった。そもそも同じクラスの人とも話さないのだ、初対面の人に何を話せばいいかなんてわかるはずもなかった。
「こんな夜中に、どちらへ?」
青年の方が先に声を出してくれた。こんな時は疑問形で返すと良いということを学んだ瞬間だと思う。返事に困らないし、聞き返して話を盛り上げることもできる。話術に関しては相手の方が一歩上手だった。
「眠れないので散歩をしてました。そちらは?」
「同じです。散歩をしようと思って。」
なんか上品な主婦たちの会話みたいで笑いそうになってしまった。
「僕は日野光といいます。女の子みたいな名前でしょう。」
青年が自己紹介をしてくれた。女の子みたいな名前もそうであるが、苗字とあわせた「ひのひかり」という名前の方が気になった。「日の光」なんと暖かい名前だろうと思う。
いつの間にか同じ方向に向かって散歩をしていたことに気がつく。この不思議な縁を楽しもうと思った。
「僕は伊塚秀也です。」
「いつか・・・しゅうや、いい名前ですね!」
光は何かを考えた後にいい名前であると言ってくれた。なんだか僕は恥ずかしくなって目を背けた。名前を褒められることなんてよくあることではないためか、それともずっと嫌いだったこの名前を素直に褒めてくれる人がいたからか理由は分からないがとにかく恥ずかしかった。
今日は月の綺麗な夜だった。光の顔もはっきりと見ることができた。楽しげに笑って見せているがどこか憂いを帯びるその顔は学校で過ごす僕の顔と似ている気がした。
話しているうちに、光は僕よりも一つ下であること、同じ学校に通っていることがわかった。もしかしたら僕がいじめられていることを知っているかと思ったが、そのことについては触れてこなかった。初対面なはずなのに、心がとても安らぐ感じがした。彼のおっとりとした性格と、付かず離れずの距離感が非常に心地よかった。
「もうこんな時間ですね。」
腕時計は三時二十七分を指していた。家を出てから一時間近く外にいたことになる。そろそろ帰らなければと思い光の方を向く。
「また会えたらいいね。」
光は驚いた顔をし、たちまち笑顔になって「また会いましょう」と言ってくれた。その顔にはやはり憂いが見えて、その理由も後に知ることになるが、この時はあまり深くは考えないようにした。そしてお互いがお互いの家路につき帰宅後ベッドに入ったらびっくりするほどすぐに眠ることが出来た。
その日の朝、いつもの通り億劫な朝を乗り切り学校へ着く。机には安定の落書きと花瓶が置いてあった。僕はいつもそれらをそのままにして授業に臨む。先生も気にせずホームルームがはじまる。休み時間の度にいじめられる。毎日それの繰り返しだった。
ふと、光の元に行こうと思った。しかし、迷惑がかかると思いとどまった。その日一日いじめを乗り切り家に帰った。
相変わらず夜は眠れない。
日付が変わった。それから二時間半、また家を出た。この時間に会うという約束などしてないが、この時間に出ればもしかしたら会えるかもしれないと思った。光の家へ向かい歩き、案の定、光が家から出てきた。今日も眠れなくて窓の外を見てたら僕が歩いていたから出てきたそうだ。なんだか少し疲れているようだった。
それから少し散歩に出た。今日はあまり遠くへは行けないらしいので、光の家の周りを少し回る程度の散歩だったが、とても楽しい時間だった。話が合う訳ではなく光は僕の話をしっかりと聞いてくれるから話しやすかったし、光の話も非常に面白いものばかりだった。
それから何度も光と会った。もちろん毎日会っていたわけではない。時々光が体調を崩して出てこなかったり、僕も眠くなって寝てしまうことがあった。それでも何度も光と会った。彼の寛容な性格に僕はどんどん惹かれていった。
ある日の晩、両親と弟が親戚の家に泊まりに行っている隙に光を家へ招いた。ちょっとしたお泊まり会のつもりだった。
光を部屋に招いていつものように話をした。飲み物がなくなりキッチンに取りに行き、部屋に戻った僕は言葉を失った。
勉強机には、悪口が書かれた教科書やノート、破かれた体操着など、いじめられていることがすぐに分かる物が広がり、それを光は見つめていた。
「なんで・・・それ。」
「・・・ごめんなさい、ベッドの隙間からはみ出ていて、気付かないふりできませんでした。」
僕は言葉を発することができなかった。その場を動くこともできずにいると、光が「話をしましょう」と僕の手にある飲み物を机に置いて、ベッドの上に座らせてくれた。
「いじめられているんですか?」
直球にそう聞かれることがなかったため、返答に困る。いじめられている事実を知って光は困らないか、もう会ってくれなくなるのではないかと、そればかり心配だった。
「僕は、秀也さんがいじめられていても離れたりしません。何かできる訳でもないけど、そばにいることはできますよ。」
涙が溢れ出てきた。先生にも両親にも弟にも話せず、ずっと一人で戦っていた。もう一人で悩まなくていいと言われたようで僕は嬉しくてありがたくて、泣きじゃくった。
「もう大丈夫です。僕がいます。」
そういうと光は抱きしめてくれた。僕が泣き止むまでずっと、何も言わずに。
「光、ありがとう。もう大丈夫。」
そう言うと心配そうに見つめてくれた。僕は笑顔で答えると、光も笑顔で返してくれた。
その翌日も相変らずいじめは続いていく。しかし、もうひとりじゃないという心強さから、臆することはなくなっていた。そんな僕に比例して、いじめてくる奴らはどんどん酷いことをしてくる。永遠に眠り続けたいという気持ちも、ほんの少しまだ残っている。
その気持ちもついには、溢れ出した。
「あの子、虐められていたのね・・・。」
「そんな風には見えなかったんだが・・・。」
またいつものように散歩に繰り出そうとした夜だった。珍しくリビングの明かりがついていてドアの隙間から両親が話してるのが見えた。テーブルの上には、あの日光が机の上に広げていたノートや体操着が置いてある。
ついにバレてしまったのだ。
「私たちのせいかしら・・・気づいてあげられなかった。」
「ちゃんと見てなかったのは俺もそうさ・・・。」
両親が悲しんでいる。いじめられているのは俺なのに、俺のせいなのに。その事実が耐えられなくて、家を飛び出した。ただただ死にたかった。永遠に眠りたかった。無意識に足は光の家に向かっていた。
「もう・・・嫌だ・・・。」
「秀也さん!」
家から光が飛び出してきた。そして何度も何度も名前を呼んでくれた。悲しそうで辛そうで、顔をあげると光が泣いていた。
「もう、死にたい・・・永遠に眠りたい・・・!」
「そんなこと言ったらダメですよ!」
頬を両手で強く叩かれた。激しい痛みが襲う。すぐごめんなさいと謝るような性格をしているのに、今回は話し続けた。
「じぶんの意思で生きることのできる人間が、自ら命を絶つようなことをしてはいけないんです!」
「でももう、いじめが辛いっ」
「いじめがなんだって言うんですか!」
いじめの辛さをわかってくれたと勝手に思っていたのは僕だった。光の言葉に初めての絶望を感じた。
「あなたまだ、生きれるじゃないですか!」
その言葉に、ハッとした。光の顔を見ると、泣きながらも強く怒っている。僕はこの時、察した。光が、死を望んだ僕になぜこんなに怒るのか、まだ生きれるという言葉の意味も、全て、察してしまった。
僕は何も言えなかった。何も言えず、ただ、静かにお互いを見つめていた。
「秀也さんのご両親に、いじめの事実を知らせたのは僕です。」
「え?」
「余計なことをしてしまったのなら謝ります。でも、現状は行動を起こせばいくらだって変わるんです!」
いじめの現状がそう簡単に変わるとも思えない。両親が知ったところで、できることも限られている。でも学校を辞める訳にはいかない。僕が耐えればそれで良かったのに・・・今更変えようなんて、そんな・・・。
「僕は変わりましたよ。」
涙と鼻水がいっぱいの顔で光はまっすぐ僕の目を見つめた。
「僕はずっと、寝るのが怖かったんです。もしかしたら明日、目が覚めないかもしれない。永遠に眠ったままかもしれない。そう思うと怖かった。だから、あの夜勇気を出して外に出たんです。」
あの夜とはきっと、二人が初めて出会った夜のことだ。僕はあの夜のことを思い出す。
「あなたと初めて出会って言葉を交わして、家に着いたらもう、眠るのは怖くなかった。気づいたらまた、日は昇ってるんです。」
知らなかった。短い付き合いだとはいえ、光のことを何も知らなかった。その悔しさがまた僕を泣かせた。光が少し体調が悪そうにしてた日があった。待っても出てきてくれない日があった。僕が死にたいという気持ちを抱いて光に会いに行く時、光はずっと死にたくないって思いながら苦しんでた。学校に行きたくないとボヤいた日もあった。光はどんな気持ちでそれを聞いていたのだろうか。僕は光になんて酷いことをしていたのだろう。
「変えましょう、今からだって間に合います。命ある限り、変えることは出来るんです。」
「ごめん光・・・ごめんね・・・。」
「僕は大丈夫です。むしろ、あなたのおかげで眠れるようになったんです。ありがとうございます。」
この時初めて、光の本当の笑顔が見れた気がした。
その日の朝、僕は両親にいじめを打ち明けた。母は泣きながら抱きしめてくれた。父は、今後どうするか、一緒に考えようと言ってくれた。誰も怒らなかった。僕を理解しようと、両親は尽くしてくれた。弟は、分かっているのかいないのか、良かったねと言ってくれた。家族のありがたみを感じた。
「通信制の学校に行くことになったよ。」
「良かったじゃないですか!一歩前進ですね!」
あれから、何度も家族で話し合って同じ高校に預けられないと両親が判断し、でも高校は卒業したいという気持ちがつよかったため、通信制の学校で学ぶことにした。光がいったとおり、これは大きな一歩だと思う。
「光は体調大丈夫?」
「もう大丈夫ですよ。」
「・・・そっか。」
もう大丈夫。光の病気は治るものでは無い。もしかしたら、光はそろそろ・・・
「伊塚秀也」
突然名前を、しかもフルネーム、そして呼び捨てで呼ばれたことに驚いた。光は相変わらずにこにこしている。憂いのない、素直な笑顔だった。
「僕この名前、素敵だと思います。しゅうやを終夜と変えたら、いつかおわるよる、になるじゃないですか、いつか夜も終わりが来るって考えると、怖くないんですよ。」
「こじつけがすぎるでしょ・・・」
「何かを変えれば、きっと新しい発見や出会いがあるんです。生きてさえいれば、いくらだって行動できますからね!」
「いつか終わる夜の先に、出会えるのは暖かな日の光だな。」
「そうですね!」
そんな会話をした夜が明けた時、光は息を引き取った。眠りながら、亡くなったそうだ。
「怖くなかったか?光。」
葬式の日、棺桶の中で眠る光に声をかけた。もちろん返事はなかったが、光の安らかに眠るその顔を見て、僕は安心した。
あの日の出会いを後悔した。でもそれ以上に、あの日の出会いには感謝でいっぱいである。僕は絶対に忘れないで生きていこうと誓った。
いつか長い夜が終わった先に、日の光に出会えるまで。
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