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2話

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 大抵の貴族というやつは、平民と表立って関わることを厭うため、いくら国一番と評価高いエリーゼであっても関わるのは恥だと思っている節があり、とりあえず占ってくれ、と用件だけを言い、用が終わるとさっさと帰るのが一般的だ。まかり間違っても、目の前のこの青年のようにゆっくりとここにいる時間を楽しんでいるような様相は見せない。

 普通の貴族は、エリーゼのこの小さく狭く、蜘蛛の巣と埃が張っている納屋のような家を耐えがたい牢獄のようなものだと感じ、一刻も早く立ち去ろうとする。

 窓ガラスにはひびが入っているし、木の扉は建付けが悪く閉めるのも開けるのも一苦労だ。床はギイギイなるし、木目と木目の間からは何かの植物の目がひょっこり顔を覗かせている。

 灯り取りの窓は全面が余すところなく曇っていて、ただでさえ薄暗い森の縁にある小屋の中に昼間の陽光を届けるのは不十分だし、何か複雑な薬草を煮詰めたような微妙なにおいが部屋中を巡っていて、冬場であるのに窓を開けてもいいかと遠慮がちに尋ねる客もいるほどだ。

 狭い部屋の中にたった一つだけある机の上にはパンくずが落ちていることもままあり、貴族の幾人かはエリーゼに「清潔な館」を提供するか、「自分の館のどれかを貸し与えるか、部屋を貸し出すか、譲渡するか」という提案書まで持ってくることもある。むろん、館を譲渡された場合はその館と土地を売却すると申告すると、「それはちょっと」と苦虫を潰した顔をされるので未だかつて譲られた建物や土地はない。

 また、エリーゼの棲む小屋があまりにもひどい状態であるため、ここに初めて訪れる貴族はエリーゼに横柄な態度をとりがちだ。

 紹介性で一見さんはお断りの制度を導入しているため、事前情報が与えられているはずなのだが、それでも、エリーゼの小屋の状態はすさまじく、外見もそれなりに十分老婆なので占いの後「貧乏な平民風情のボケた老人に出す金はない」と支払いを拒否し帰ろうとする貴族も一定数いる。そういう時は、エリーゼは得意の宮廷魔術師にも引けを取らない爆発系魔術を巧妙に操作して髪の毛をちりちりにしてやるし、何なら靴と下着以外の衣服をすべてはぎ取って貴族街の中心地に瞬間転移する魔術を喰らわせてやるので、この二年の間、支払いをしないまま小屋を脱出した人物はいない。むしろかつて、エリーゼからひどい目にあった貴族の忠告が浸透している節はある。

 変わり者で変人奇人の部類であるもの好きな女公爵も、エリーゼの小屋の状態には呆れるしかないほどで、気前よく支払ってくれる金貨や金塊、ある時は宝石を従者に命じてエリーゼに渡しながら「いつになったら溜め込んだお金で立派な館を建てるのかしら」と冗談めくほどだ。

 エリーゼの小屋が納屋のような状態であることと、彼女が請求する一般からかけ離れた法外な料金の占い料は、つり合いがとれなさ過ぎて彼女の悪名と稀有な才能をさらに高めるのに一役買っていた。
 貧しい平民の老婆が貴族から金品を巻き上げて荒稼ぎをしているという噂は王都でも非常に有名で、三年前占いの仕事をエリーゼが始めた時は、朝駆け夜討ちが如く盗賊が老婆が溜め込んでいるであろう莫大な量の金塊や宝石、金貨を狙って遊びに来ていたものだが、現在はとんと音沙汰がなく寂しいものだ。半裸むいて極寒の冬の氷の湖に首だけ出した状態でたった数分沈めただけなのに。

「おいしい紅茶をありがとうございます、エリーゼさん」
「敬称も敬語もいらないよ。ただのばあさんで結構だ。さあ、兄さん、何のために今日はこんな辺鄙な場所まで来たのか、いい加減本題を聞かせておくれ。おいぼれなんでね、仕事はさっさと終わらせたいのさ」

 エリーゼは喉に寄った深い皺を指先で伸ばしながら、ぼさぼさで黄色と白と灰色が入り混じった髪の毛を邪魔そうに払いのけた。少しは身なりをそれなりに整えた方がもっと客が押し寄せるのに、とは女公爵の言だ。

 さて、この青年はどんな悩みを抱えているのやら。

 女公爵が格別の配慮をと前置きして予約紹介をしたのがこの目の前の人物で、前金として通常の十倍の金額を要求したものの、難なくあっさり支払ってきた。面倒くさい案件であればあるほど、金額を吊り上げれば大抵の客は諦めるのだが、超金持ちの貴族というやつはいったいどこから資金を調達してくるのか。年々エリーゼの占いの基本料金は高くなるのにもかかわらず、客が絶えないのだからもうほんと勘弁してほしいところである。

 実のところ、占い業ももう潮時だと思っていて、そろそろ引退しようと思っていたところにこの客だ。これも何かの縁だと引き受けてはみたのだが、予想を上回る報酬にエリーゼの方が目をひん剥いてそのまま昇天しそうだった程である。

「実は、本日伺ったのはスタンフォード女公爵からお聞きにになっていると思うのですが」
「聞いてないよ」
「え?」

 そこで初めてこの青年の、年頃らしい素の表情が現れた。
 心底驚いた、という色が瞳に浮かんでいる。

「聞いて、ない?」
「聞いてないよ、そんなもん」
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