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第一章
辺境伯邸の使用人たち
しおりを挟むコーデリアは四人の姿をじっと見つめながら、アルマーが順番に紹介する名前を耳にする。一つずつ頷き、相手の目を見て礼儀正しく返す。
(えーっと、一番最初に入ってきた三角眼鏡の人が使用人頭のマートル。次に赤毛のミレッタ、オレンジ色の髪がキャリーン、そして左目の下に泣きホクロがあるのが侍女のイェニーね。よし、覚えたわ)
イェニーはミレッタやキャリーンより少し年上で、焦げ茶色の髪と緋色の瞳が印象的な美人だった。彼女は勝気そうな雰囲気を醸し出しているが、その瞳にふと柔らかな光が宿る瞬間もあり、意外にも温かい印象を受ける。
会ったことのない人なのに、どことなく想い出に引っかかるような、不思議な印象の人物だった。
「お待ち申し上げておりました、奥様。イェニーと申します」
「どうぞよろしく、イェニー」
はにかむように微笑むイェニーに、コーデリアもつられて笑みを返す。その温かな表情に、少し心が和らいだ。
次に、厳格そうではあるがどこか柔らかな声色で話すマートル、そしてミレッタ、キャリーンと次々に挨拶を交わす。どの顔も、見た目にしっかりとした印象を与えつつも、どこか安心感を抱かせる表情で、コーデリアの緊張を少しずつほぐしていく。
その後、マートルがアルマーと視線を交わし、コーデリアを一瞥すると、少しばかり深く頷き、眼鏡を鋭く光らせた。そして、手をひとつ打つようにパン、と音を立てた。
「さあ、忙しいですよ。」
その言葉に、コーデリアの目が少し大きくなる。
「まずはお体を綺麗にしなくては。ミレッタ、キャリーン、イェニー。奥様の為に湯あみの準備を」
その言葉と共に、急に動き出した三人の女性たちが、それぞれ手際よく動き始める。アルマーはマートルと何事か話すと、「それでは、失礼いたします」と一礼し、きびきびと部屋を出て行ってしまった。
取り残されたコーデリアが躊躇し、所在なくしていると、マートルが歩み寄り、両手を突然ぎゅっと掴んできた。
「奥様」
「ひゃっ!」
顔をぐっと近づけられ、コーデリアは眉間に深く刻まれた皺をさらに濃くし、マートルが真っ直ぐに見つめるのを感じた。何か叱られるのではないかと、ぎょっとして体が硬直する。しかし、次の瞬間、思いもよらない感覚がコーデリアを襲った。
「よくぞご無事で」
「――へ?」
間の抜けた声でぱちくりと目を見開くコーデリアを、マートルは鋭い瞳の奥から涙を滂沱と流し、顔を真っ赤にさせて唇を震わせながら見つめていた。
「お怪我はございませんか? 随分と恐ろしい思いをされたと聞きました」
「え、ど、えっと、オソロシイ思い?」
まさか実家のことだろうか、と小首を傾げたコーデリアだが、どうやら別のことだったようだ。
マートルはコーデリアからそっと手を放し、取り出したハンカチで目元をぬぐいながら、おいたわしいというように声を震わせる。
「先ほど帰ってきたうちの息子に、こちらに向かう途中でレグーナの群れに襲われたと聞きました」
「あ、あたしも聞きました!」
はいはーい、と元気よく声を上げたのは赤毛のミレッタだった。片手を上げて、まるで報告をするかのように宣言する。
隣でタオルを用意していたキャリーンは、顔をしかめ、片手でミレッタの後頭部を軽く叩いて注意する。
「うるさい」
「ひどーい! キャリーン、ひどぉーい!」
バシ、と音がしてミレッタが再び叩かれる。
「最近、このあたりでもよくレグーナが出没するとは聞いておりましたが、まさか奥様の馬車を襲うだなんて…。どこか痛いところなどございませんか? 気分はお悪くはございませんか? もしそうでしたら、本日のお夕食はこちらのお部屋で摂られても良いのですよ?」
顔を覗き込まれ、コーデリアは目を見開いた。
こんなにも心配してくれる人がこれまでいなかったため、どう返してよいか分からない。ラドフェレーグもヴェルグーザもコーデリアを娘のように可愛がってくれたが、母親のように感情を注いでくれる人は誰もいなかった。
「お母さま、弟が十分にお守りする前に、奥様ご自身で退治されたそうですよ」
そっと寄り添って肩を叩くのはイェニーだった。
(あ、なるほど。どこかで見たことのある瞳の色だと思ったら、フェンネルのお姉さんなのか)
緋色の瞳がそっくりだと思っていたその瞬間、マートルが顔をひきつらせるのを見逃さなかった。
「奥様ご自身で?」
その声は、闇の底から低く唸るような響きを帯びていた。
(あ、これはまずいのでは?)
マートルは顔をひきつらせたまま、コーデリアを見つめながら深く息をついた。息子の無能さに対する怒りが込み上げたのだろう。
その様子を見ていたイェニーが、穏やかな笑みを浮かべてコーデリアに近づき、深く一礼した。
「奥様。弟の命を救ってくださって、本当にありがとうございました」
イェニーが深く一礼し、心からの感謝を告げる。その真摯な言葉に、コーデリアは戸惑いながらも、静かに頷いた。
「さて。時間がありませんよ」
気を取り直したらしいマートルがパン、と手を叩き、再び声を張り上げる。その声に背中を押されるように、準備が慌ただしく再開された。
湯あみを終えたコーデリアは、ようやく落ち着く間もなく、本日最大の難題――初対面の旦那様との最初の晩餐の席にふさわしいドレス選びという試練に直面することになるのだった。
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