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第一章
旦那様は手合わせをご所望です。
(どぉして、こんなことになっているのでしょう?)
コーデリアは目をぱちくりさせ、心の中で自問した。
辺境伯が魔獣狩りを生業とする特殊な一族であることは聞いていた。しかし、この要塞のような屋敷に、専用の屋根付き訓練所まで備わっているとは想像していなかった。
無言のカイルにエスコートされながら供だって歩いた廊下は薄暗く陰鬱な雰囲気を漂わせていたが、重厚な鉄製の扉を開けて訓練所に足を踏み入れれば、手入れが行き届いた広い空間が広がっていた。
(屋敷の中はどこもかしこも隙間風だらけで壁にはひびが入っていたのに、ここだけ異世界みたいだわ)
剣戟の音が辺りに響き、訓練用の木剣を振るう人々の姿が目に入る。夜だというのに、まだこれほど熱心に修練を重ねているなんて。
(何故こんなところに連れてこられたのかしら)
思考の片隅でそんな疑問が浮かぶ。
ここに来て数時間、奥様と呼ばれ、丁重にもてなされ、晩餐まで振る舞われたのだが、肝心の「なぜ辺境伯夫人として迎えられたのか」という説明は一切ないままだった。
道中も聞けずじまいで、邸に着けば何かしらの説明があるだろうと期待していたのに、気が付けば晩餐が終わり、今は訓練所に立たされている。
ふと横を見ると、カイルが無言で模擬剣を差し出してきた。うつむき加減でこちらを見ようともしない。一体何を考えているのかと小首を傾げていると、不意に何かを片手で差し出された。
「これを」
簡潔にそう告げられ、コーデリアが両手で受け取ったのは木剣だった。
予想以上にずっしりとした重みがあり、手に馴染む感触が懐かしい。
(あら? 思いのほかずっしりしてるわね。中に何か仕込んでいるのかしら?)
柄に手を這わせ、握り込むと両腕に重力とは違う重みが加わる。手元に持っ剣を引き寄せてひっくり返すと継ぎ目の部分に薄っすら鉛色の物体が見え隠れしていた。
「手合わせを願いたい」
「んん??」
聞き間違いだろうか。
(今旦那様は何とおっしゃった? 手合わせ願いたいこの野郎とか、言いやがりませんでしたこと)
突然の言葉に真意を測りかねて首を傾げると、こちらを見ようともしなかったカイルが顔を振り上げて、まっすぐにコーデリアを見下ろした。
がっちりとした筋肉を感じられる体躯が目の前に巨岩のように押し寄せる。
「手合わせを」
(マジかい)
真剣な紫の瞳でまっすぐ見つめられ、コーデリアは目をもう一度瞬かせた。
結婚当日。
普通なら新婚夫婦が迎えるべきは甘い初夜のはずだが、自分の場合は違ったらしい。望まれたのは、寝台を共にする相手ではなく、剣を交える相手だったのだ。
これでも腐っても貴族の令嬢として、相応の知識と覚悟を持ってきたつもりだったが、予想外すぎて肩透かしを食らった気分だ。
(予想外過ぎて、びっくりしたけど……悪くないわね)
しかし――とコーデリアは自分の姿を思い返す。
ドレス姿のまま剣を交えるのはさすがに不利すぎる。華美な布が動きを妨げるのは言うまでもないし、裾を踏む危険もある。
しかも相手は、「魔獣」と異名をとるほどの実力を持つ、魔獣狩りの一族の辺境伯である。
(別に戦うのはやぶさかではないし、全く問題ないんだけど。この服がねぇ)
せっかくイェニーたちが苦心して用意してくれたのに、魔獣討伐の時の同じようにドレスをダメにしてしまうのはいたたまれない。しかも明日着る服がない今、どのようにして汚さずに戦えばよいのか。と唸りながら思考を巡らせていた時だった。
「コーデリア様、こちらを」
「アルマー?」
背後から静かに声がして振り返ると、アルマーが衣服を一式抱えて立っていた。
白いシャツに砂色の布は、おそらくズボンだろう。
「随分と、準備がいいのね」
頬がやや引きつってしまったのは仕方のない事だろう。
「お手伝いはマートルがお手伝いいたします」
そう言われた瞬間、今度は後ろからマートルの鼻息荒い声が響いた。
「いいですか、坊ちゃま! コーデリア様は貴婦人です! お顔やお体に傷をつけるようなことがあったら、このマートル、一生坊ちゃまを許しませんからね!」
憤然とした口調で言い放ちながら、マートルは三角のメガネをきらりと光らせた。
その勢いに、カイルがたじろぐのがわかる。
コーデリアは、危うく小さく吹き出しそうになるのをこらえた。
(坊ちゃま、だって。旦那様はマートルに頭が上がらないようね)
侍女のイェニーが姿を見せないことを不思議に思っていたのだが、マートルがいれば安心だ。顔を合わせてから数刻しか経っていないが、彼女の言動からはコーデリアへの真摯な気遣いがひしひしと伝わってくる。
ふん、と鼻息荒くカイルを睨みつけ、マートルはさらに間合いを詰めていた。項垂れたカイルがぼそぼそ、と何かを呟いていたのを、「聞こえませんが?」とやや大きな声で耳に手を当てながら執拗に追っている。
「約束ですからねッ!」
そう言い放った後、マートルはふと態度を和らげ、今度はコーデリアに向かって足を進めてきた。そして、申し訳なさそうに眉根を下げる。
「申し訳ございません、コーデリア様。このような粗野な場所に足を運んでいただくことになりまして。先ほど、散々坊ちゃまにお控えいただけないかと願い出たのですが、どうしても、と話を聞いて下さらず……」
そこまで言うと、一瞬言葉を切ったマートルは、続けざまに耳元でこそっと囁いた。
「イェニーたちは奥様のお部屋の準備と、明日お召し替えに必要な衣類の調達で街まで下りております。大変申し訳ございませんが、坊ちゃまは――剣を交わさないと、奥様のような美しい方と会話が成り立たない困った方でいらっしゃいまして……」
思わぬ言葉に、コーデリアは目を丸くした。
「え? どういう……」
困惑するコーデリアに答えることなく、マートルは目線で訓練場の奥を示す。
コーデリアがその方向に目を向けると、黒い巨体がのっしりと動くのが見えた。短く切りそろえられた黒髪の間から、形のいい耳がちらりと覗いている。その耳は、赤面しているのがはっきりとわかるほど真っ赤に染まっていた。
「えっ、あの、まさか……」
困ったように後頭部をガシガシとかきながら、カイルは無言で訓練場の奥へと歩み去っていく。背中にどことなく気まずさがにじみ出ているのが、コーデリアにはわかった。
「くれぐれも、ご無理をなさいませんように。旦那様には加減をするよう、よくよく言い含めましたので」
マートルが念を押すように言葉を重ねると、コーデリアは軽く顎をしゃくって応えた。
長い馬車の旅で、鍛錬をすっかり休んでいたのが気になっていたところだ。この機会を逃す手はない。心の中でそう決意すると、コーデリアは口元に不敵な笑みを浮かべた。
「旦那様。剣を交わす間に、ちゃんと事情を説明してくださいね」
軽やかにそう言い添えると、手の中の木剣を軽く振り、確かな手ごたえを確かめる。
その感触に満足すると、コーデリアは視線を正面に向け、足取りも軽やかに訓練場の中心へと向かった。
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