9 / 59
第一章

旦那様は手合わせをご所望です。


(どぉして、こんなことになっているのでしょう?)

 コーデリアは目をぱちくりさせ、心の中で自問した。

 辺境伯が魔獣狩りを生業とする特殊な一族であることは聞いていた。しかし、この要塞のような屋敷に、専用の屋根付き訓練所まで備わっているとは想像していなかった。

 無言のカイルにエスコートされながら供だって歩いた廊下は薄暗く陰鬱な雰囲気を漂わせていたが、重厚な鉄製の扉を開けて訓練所に足を踏み入れれば、手入れが行き届いた広い空間が広がっていた。

(屋敷の中はどこもかしこも隙間風だらけで壁にはひびが入っていたのに、ここだけ異世界みたいだわ)

 剣戟の音が辺りに響き、訓練用の木剣を振るう人々の姿が目に入る。夜だというのに、まだこれほど熱心に修練を重ねているなんて。

(何故こんなところに連れてこられたのかしら)

 思考の片隅でそんな疑問が浮かぶ。

 ここに来て数時間、奥様と呼ばれ、丁重にもてなされ、晩餐まで振る舞われたのだが、肝心の「なぜ辺境伯夫人として迎えられたのか」という説明は一切ないままだった。

 道中も聞けずじまいで、邸に着けば何かしらの説明があるだろうと期待していたのに、気が付けば晩餐が終わり、今は訓練所に立たされている。

 ふと横を見ると、カイルが無言で模擬剣を差し出してきた。うつむき加減でこちらを見ようともしない。一体何を考えているのかと小首を傾げていると、不意に何かを片手で差し出された。

「これを」

 簡潔にそう告げられ、コーデリアが両手で受け取ったのは木剣だった。

 予想以上にずっしりとした重みがあり、手に馴染む感触が懐かしい。

(あら? 思いのほかずっしりしてるわね。中に何か仕込んでいるのかしら?)

 柄に手を這わせ、握り込むと両腕に重力とは違う重みが加わる。手元に持っ剣を引き寄せてひっくり返すと継ぎ目の部分に薄っすら鉛色の物体が見え隠れしていた。

「手合わせを願いたい」
「んん??」

 聞き間違いだろうか。

(今旦那様は何とおっしゃった? 手合わせ願いたいこの野郎とか、言いやがりませんでしたこと)

 突然の言葉に真意を測りかねて首を傾げると、こちらを見ようともしなかったカイルが顔を振り上げて、まっすぐにコーデリアを見下ろした。

 がっちりとした筋肉を感じられる体躯が目の前に巨岩のように押し寄せる。

「手合わせを」
(マジかい)

 真剣な紫の瞳でまっすぐ見つめられ、コーデリアは目をもう一度瞬かせた。

 結婚当日。

 普通なら新婚夫婦が迎えるべきは甘い初夜のはずだが、自分の場合は違ったらしい。望まれたのは、寝台を共にする相手ではなく、剣を交える相手だったのだ。

 これでも腐っても貴族の令嬢として、相応の知識と覚悟を持ってきたつもりだったが、予想外すぎて肩透かしを食らった気分だ。

(予想外過ぎて、びっくりしたけど……悪くないわね)

 しかし――とコーデリアは自分の姿を思い返す。

 ドレス姿のまま剣を交えるのはさすがに不利すぎる。華美な布が動きを妨げるのは言うまでもないし、裾を踏む危険もある。

 しかも相手は、「魔獣」と異名をとるほどの実力を持つ、魔獣狩りの一族の辺境伯である。

(別に戦うのはやぶさかではないし、全く問題ないんだけど。この服がねぇ)

 せっかくイェニーたちが苦心して用意してくれたのに、魔獣討伐の時の同じようにドレスをダメにしてしまうのはいたたまれない。しかも明日着る服がない今、どのようにして汚さずに戦えばよいのか。と唸りながら思考を巡らせていた時だった。

「コーデリア様、こちらを」
「アルマー?」

 背後から静かに声がして振り返ると、アルマーが衣服を一式抱えて立っていた。

 白いシャツに砂色の布は、おそらくズボンだろう。

「随分と、準備がいいのね」

 頬がやや引きつってしまったのは仕方のない事だろう。

「お手伝いはマートルがお手伝いいたします」

 そう言われた瞬間、今度は後ろからマートルの鼻息荒い声が響いた。

「いいですか、坊ちゃま! コーデリア様は貴婦人です! お顔やお体に傷をつけるようなことがあったら、このマートル、一生坊ちゃまを許しませんからね!」

 憤然とした口調で言い放ちながら、マートルは三角のメガネをきらりと光らせた。

 その勢いに、カイルがたじろぐのがわかる。

 コーデリアは、危うく小さく吹き出しそうになるのをこらえた。

(坊ちゃま、だって。旦那様はマートルに頭が上がらないようね)

 侍女のイェニーが姿を見せないことを不思議に思っていたのだが、マートルがいれば安心だ。顔を合わせてから数刻しか経っていないが、彼女の言動からはコーデリアへの真摯な気遣いがひしひしと伝わってくる。

 ふん、と鼻息荒くカイルを睨みつけ、マートルはさらに間合いを詰めていた。項垂れたカイルがぼそぼそ、と何かを呟いていたのを、「聞こえませんが?」とやや大きな声で耳に手を当てながら執拗に追っている。

「約束ですからねッ!」

 そう言い放った後、マートルはふと態度を和らげ、今度はコーデリアに向かって足を進めてきた。そして、申し訳なさそうに眉根を下げる。

「申し訳ございません、コーデリア様。このような粗野な場所に足を運んでいただくことになりまして。先ほど、散々坊ちゃまにお控えいただけないかと願い出たのですが、どうしても、と話を聞いて下さらず……」

 そこまで言うと、一瞬言葉を切ったマートルは、続けざまに耳元でこそっと囁いた。

「イェニーたちは奥様のお部屋の準備と、明日お召し替えに必要な衣類の調達で街まで下りております。大変申し訳ございませんが、坊ちゃまは――剣を交わさないと、奥様のような美しい方と会話が成り立たない困った方でいらっしゃいまして……」

 思わぬ言葉に、コーデリアは目を丸くした。

「え? どういう……」

 困惑するコーデリアに答えることなく、マートルは目線で訓練場の奥を示す。

 コーデリアがその方向に目を向けると、黒い巨体がのっしりと動くのが見えた。短く切りそろえられた黒髪の間から、形のいい耳がちらりと覗いている。その耳は、赤面しているのがはっきりとわかるほど真っ赤に染まっていた。

「えっ、あの、まさか……」

 困ったように後頭部をガシガシとかきながら、カイルは無言で訓練場の奥へと歩み去っていく。背中にどことなく気まずさがにじみ出ているのが、コーデリアにはわかった。

「くれぐれも、ご無理をなさいませんように。旦那様には加減をするよう、よくよく言い含めましたので」

 マートルが念を押すように言葉を重ねると、コーデリアは軽く顎をしゃくって応えた。

 長い馬車の旅で、鍛錬をすっかり休んでいたのが気になっていたところだ。この機会を逃す手はない。心の中でそう決意すると、コーデリアは口元に不敵な笑みを浮かべた。

「旦那様。剣を交わす間に、ちゃんと事情を説明してくださいね」

 軽やかにそう言い添えると、手の中の木剣を軽く振り、確かな手ごたえを確かめる。

 その感触に満足すると、コーデリアは視線を正面に向け、足取りも軽やかに訓練場の中心へと向かった。



感想 4

あなたにおすすめの小説

『お前の針仕事など誰でもできる』——なら社交界のドレスの裏地を、めくってごらんなさい

歩人
ファンタジー
「地味な針仕事しかできない令嬢は要らない」——公爵家の嫡男にそう言い渡された伯爵令嬢ティナは、 裁縫道具だけを持って屋敷を出た。その翌週、社交界が凍りつく。王妃の夜会服も、公爵令嬢の舞踏会 ドレスも、第一王女の外交用ローブも——仕立てた職人が消えたのだ。しかもティナが十年かけて縫った 全てのドレスの裏地には、二重縫いで隠された署名が残されていて——。 辺境の小さな仕立て屋で穏やかに暮らすティナの元に、王都から使者がやってくる。

神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!

カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。 前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。 全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!

『教育係など誰でもできる』と私を捨てた婚約者だけが、誰にも教わらなかった

歩人
ファンタジー
頭上に才能値が見える加護を持つ伯爵令嬢セシリアは、貴族子弟の家庭教師として十年を捧げた。 「教育係など誰でもできる」——婚約者の侯爵嫡男に捨てられた翌年、異変が起きる。 宰相の息子が「セシリア先生のおかげです」と宣言し、騎士団長の娘が「戦術は先生から」と語り、 第三王子が即位演説で頭を下げた。王国の未来を作った女性が名もなき家庭教師として捨てられていたと 知ったとき——教えを拒んだたった一人の男だけが、取り残された。

わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。

織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。 父であるアーヴェント大公に疎まれている―― 噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。 しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。 フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。 クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。 ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。 番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。 ご感想ありがとうございます!! 誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。 小説家になろう様に掲載済みです。

王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。が、その結果こうして幸せになれたのかもしれない。

四季
恋愛
王家に生まれたエリーザはまだ幼い頃に城の前に捨てられた。

襲ってきた王太子と、私を売った婚約者を殴ったら、不敬罪で国外追放されました。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

追放されたお茶係の令嬢ですが、辺境で開いた茶館が『本音で話せる唯一の場所』として大繁盛しています

歩人
ファンタジー
「お茶を淹れるだけの令嬢に、婚約者の資格はない」——宮廷お茶会の筆頭給仕だった伯爵令嬢ユーフィリア は追放された。翌月から宮廷は混乱する。約束は破られ、密約は露見し、外交は紛糾する。 実はユーフィリアのお茶には「真実の一煎」の加護が宿っていた。一煎目で本音がこぼれ、二煎目で嘘が 苦しくなり、三煎目で心の底が溢れ出す。辺境で開いた茶館「一煎堂」は「ここで話すと夫婦喧嘩が 解決する」と評判に。そして最後のお茶会で、三煎目が全てを暴く——。