【完結】ナイトシェードの毒薬〜毒殺事件の容疑者にされかけましたが、事実無根なので必ず犯人を見つけ出します〜

雲井咲穂(くもいさほ)

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第一章

05.泥かぶりの子爵令嬢

 アルヴィスとリタは、王都でも有名な裁縫店のアトリエに到着した。

 扉をくぐると店内には色とりどりの布地やレースが美しく並んでおり、どれもが職人の手によって繊細に作られたものだった。

 いつもお世話になっている侍女頭のマリーへの贈り物として、レースのハンカチを選ぶために訪れたのだ。流行のものがいいのか、長く使える時流にとらわれないものが良いのか。色は白にしようか、それとも淡い桃色にしようか。

 それとも、彼女の瞳のような向日葵色にしようか。

 アルヴィスは真剣な表情で棚に並ぶレースの一つ一つを手に取り、指先でその柔らかさや美しいレースの模様を確かめていた。

「マリーへの贈り物に……どれがいいかしら」

 アルヴィスはひとりごちるように呟き、もう一度レースを手に取った。

 その時、ふと背後から鋭い声が響き渡る。

「いやだわぁ。店が泥だらけになるじゃない」

 既に記憶の端に鍵をかけて閉ざしたはずの人の声だった。

 霧の中からくっきりと正体を現すように明瞭になったその記憶に、アルヴィスは動揺で瞳を揺らす。

 声のした方向へゆっくりと振り返ると、緋色の瞳をした気の強そうな女性が立っていた。

 ヴァネッサ・フェリュイーヌ男爵令嬢。

 彼女はまるで王宮の舞踏会にでも出席するかのように、豪華で華やかなドレスに身を包んでいた。淡いピンクのサテン生地で、金糸やビーズで細かな刺繍が施されたどこまでも上品で贅沢な作りだ。

 ライトブラウンの髪はきっちりと整えられ、大粒の真珠で作られた耳飾りが上品に耳元を彩っている。まるで絵画から抜け出したような美しい姿をしているが、その美しさは一歩踏み外せば、冷徹なまでの高慢さをも感じさせた。

 ヴァネッサの周りには、学生時代からの取り巻きの友人二人セルフィーナとリエンティーナ。そしてその背後にそれぞれの侍女が遠巻きに控えめに従い、ヴァネッサに同調したように冷ややかで侮蔑を込めた視線をアルヴィスに投げかけていた。

「まぁ、今日は泥だらけじゃないのね」

 ヴァネッサの言葉が、アルヴィスに突き刺さるように響く。

 その声は気を使ったようなどこか甘い音色を持っているが、その中には確かな軽蔑が含まれていた。

「でも、彼女。靴は随分汚れてるみたい」

 くすくす、と笑いながら薄青の瞳をこちらに向けたのはセルフィーナだ。

 あらぁ、ほんと。と芝居がかった仕草で両手で顔の半分を覆い、ライトブラウンの瞳を三日月型に歪めたのはリエンティーナだ。その目には、泥にまみれたアルヴィスを嘲笑うような意図が見え隠れしている。

「社交界で姿を見なかったから、領地の下男とでも結婚なさったのかと思っていましたけど……」

 ヴァネッサの言葉は、さらに冷ややかな笑みと共に続けられる。彼女の声はまるで、アルヴィスの存在そのものを軽蔑しているように響いた。

「まぁ、元気そうで安心しましたわ」

 周りの取り巻きたちも同じように微笑み、その笑顔の裏には一層の嘲笑が感じられた。

 アルヴィスは言葉を詰まらせ、目を伏せてしまう。

 こんな風に辱められるのは久々だ。学生時代はほぼ日常茶飯事だったから、年月を経てもある程度の耐性があると思っていたのに、とんでもない勘違いだった。

 彼女は、ただ領地で薬草を育て、薬草園の管理に従事することを誇りに思っていた。それが、未だにこんなにも見下され、あざ笑われることだとは。

 アルヴィスは自分の顔が熱くなるのを感じる。

 周囲の視線が一斉に彼女に集まり、その重圧に胸が締め付けられるようだった。彼女は視線を足元に落とし、何も言えずに黙り込む。ヴァネッサの言葉がまるで槍のように突き刺さり、その痛みを受け入れるしかなかった。

「アルヴィス様、どうかお許しを……」

 リタがその場を収めようと、アルヴィスの肩をそっと叩いたが、ヴァネッサはその動きなどお構いなしに、さらに続けた。

「でもまぁ、せいぜい泥にまみれて、領地でお仕事を楽しんでいらしたらよいのではなくて?忙しすぎて、社交界に出る必要もないでしょうし、私たちもあなたを王都で見ることもなくなるでしょうから」

 領地に引っ込んで二度と出て来るなと暗に言っているようなものだ。

 ヴァネッサは最後に、まるでアルヴィスを見下ろすように笑みを浮かべ、取り巻きたちと共にその場を後にした。

 アルヴィスはしばらくその場に立ち尽くし、ヴァネッサの背中を見送った。

 周りの空気が、ますます重く感じられる。

 ヴァネッサの言葉は、単なる嫌味ではなく、彼女の価値観そのものを反映したものであった。彼の令嬢にとって、泥にまみれて働くことは「下賤な仕事」であり、それを誇りにすることが理解できなかったのだろう。彼女にとって、労働階級の仕事は「貴族の恥」として映るのだ。

「アルヴィス様……」

 リタが心配そうに声をかけ、優しく彼女の腕に手を添えた。アルヴィスは深呼吸をして、力なく笑顔を浮かべる。
「大丈夫よ、リタ。また明日、帰る前にお土産をじっくり選ぶことにするわ」

 手に持っていたレースのハンカチをそっと棚に戻し、逃げるように店を出る。

 店内でヴァネッサに侮辱されたことが、頭の中でぐるぐると回り、胸の奥にずっしりとした重さを残していた。
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