悪人が登場しない?!完全無欠なやさしい世界 〜『電気』魔術を極めたら理想郷はぶっ壊れた〜

UMA

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『パシャン!』 

ついていない。 
都会の汚れた水溜りを踏んでしまった。 

ここ1ヶ月間という期間限定で、自分は最も不幸で惨めな人間だ。 

 ゆっくり歩く人の隙間を縫いながら、細かい歩幅で走る。 
なんとか終電に間に合うように会社を出たつもりが、駅までの道は傘を指す人に邪魔されていて、想定より時間が掛かる。 

そして、まだ梅雨前にも関わらず、今週は毎日のように雨が降る。 
もはや嫌がらせとしか思えない。 
いつも決まって出勤と帰宅時間を狙って降るからだ。 
今は、ぎりぎり傘を刺さなくても耐えられるくらいの、小雨が霧状に舞っている。 
紺色のジャケットは細かい水滴を一時的に弾いてくれるが、ズボンは外の雨と中の汗を両面から吸収したことで黒く染まり、肌にピタッと張り付いている。 
しかし、それを気にしていられるほど心に余裕はない。 

 発端は一ヶ月ほど前、仕事で冒してしまった一つのミスだ。 
ミスの内容は単純で、大量の発注を忘れたまま放置してしまったことにある。 

 商社に務めており、海外から部品を仕入れ、家電メーカーへ販売する仕事をしている。 
そして、もし部品が欠品してしまうと製造ラインを止めることに直結するので、多めに手配しておき、後で少しずつキャンセルすることがある。 
しかし、気づいた時には既に遅く、キャンセル可能な期日を大幅に過ぎてしまっていたという訳だ。 

 その瞬間は秒単位で鮮明に覚えている。 
きっと一生忘れることは無い。 
ミスに気づいた瞬間、頬が硬直し、背中を通じて足先まで順に血の循環が止まっていく。 
暑くはないのに頭頂部から冷たい汗が後ろ首を伝う。 
何かの間違いではないかと、すがる想いで何度も確認をするが、確信に変わるばかり。 
きっと地震や強盗事件に巻き込まれても、あれほどの絶望と恐怖は味わえない。 
生命よりも、社会的な危機のほうが何倍も怖い。 

確認を重ねた結果、入荷されてくる部品は約5億円に相当することが判った。 
実際に使用される分を差し引くと、余る在庫は約2億円。 
それらの余った在庫は売れる見込みがない、『死んだ』在庫となる。 
液晶テレビに使われる部品だが、昨今の海外・国内格安メーカーにシェアを奪われているので、追加生産の見込みもない。 

出張と会食が続く多忙な時期だった。 
入社して4年目で気が緩み始めていたことも自覚している。 
自分が悪い、そんなことは分かっている。 
だが、それにしても周囲の反応は冷ややかなものだった。 
同じチームで一緒に担当している先輩は、普段の優しさから一変。 

「ちゃんと指示は出していた。それをやらなかったお前の責任だ」 

と真っ先に切り捨てられた。 
直属の上司となる課長は、自身の管理責任であると口では言う。 
だが、部長への説明には俺の落ち度を並べるばかり。 

「知らなかった。発注時の細かい条件について、担当から十分に共有されていなかった」 

と巻き込まれた側の言い分。 
その報告を聞いた部長はというと、自部門の問題が更に役員や他部門に知られたくないのだろう。 
社内で大事となる前に問題解決したい、その必死な想いだけは一番伝わってくる。 
だが、その部長の焦りと怒りの矛先は全て自分に襲いかかってきた。 
思いつきレベルの雑な対応策。 
それが超特急スケジュールの最優先業務となって落ちてくる。 
部長の自己満足としか思えない無駄な追加業務、顧客への販売交渉、仕入先への返品交渉、反省文のような社内への膨大な報告資料、それらが普段の通常業務に加わる。 

誰も助けてくれない。 
毎日のように深夜残業して、心を削る日々が続いている。 
しかし、そんな頑張りも良い結果には繋がらなかった。 
部長の想いは叶わず、結局は役員及び他部門への報告と協力要請をするに至った。 

俺は何度も何度も同じ報告と謝罪を繰り返した。 
だが、事態は収まるどころか、今や会社の経営に響く重要事案にまで成り上がった。 
責められる相手が増え、その重みも増すばかり。 
そして、とうとう明日は社長含めた取締役全員への報告会がセッティングされている。 

ここで本来ありえないことが起こった。 

資料作成から説明まで全て一人で担わされることになったのだ。 
当然、全て一人で完結させて良い訳はなく、既に資料作成の時点で背後から細かく指導されている。 
それも各方面から無責任に好きなことを言うものだから、一つの資料として纏めるには、骨が折れるどころではない。 
正解も終わりも見えないまま、何度もやり直しを命じられた。 
結果、報告前日の夜中までなんと計18回の修正を経て、ようやく関係者全員の合意を得て今に至る。 
最終版は確かに情報量こそ増えたが、資料としての纏まりは一切なく、その質は恥ずかしいほどに低い。 
前日ギリギリまで追い込んだプロセス、そして修正回数に皆が自己満足しているに過ぎない。 

「どうでもいい」 

苛立ちを断ち切るように独り言を呟き、改札機にスマホを押し当てる。 

小走りの小さな頑張りだけは報われて、なんとか終電には飛び乗れた。 

乗れたことで一息ついて安堵はするが、ちっとも嬉しさは湧いてこなかった。 
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