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婚約者の「病弱な幼馴染」が意外に常識人だったので話を聞いてみたら、どうにも様子がおかしい
私ことスカーレット・アーレンは、そろそろ限界だった。
婚約者が「病弱な幼馴染」ばかり優先するから。
「またですの、ラルフ様?」
「すまない、ヴィオラの容態が悪くて…どうしてもそばにいてほしいと言うものだから」
聞き飽きた言い訳に、つい声が厳しくなってしまう。
「けれど…!この劇場のチケットはなかなか取れなくて、ずっと楽しみに…」
「君が病人よりオペラを優先するような冷たい人だとは、がっかりだ」
そう言い返されて、口を閉ざす。
命より尊いものはない。
それでも…
「”オペラくらい別の誰かと”と言うのなら、看病だって別の誰かがしてもいいのではありませんか?」
「彼女を看病できる人は他にもいるでしょうけれど、私の婚約者はあなたおひとりでしょう」
いくら家同士が決めた婚約とは言え、あんまりではないだろうか。
「幼馴染がいつ死ぬかもしれない」と言われてから、はや一年。
言いたいことは何ひとつ言えないまま、怒りと疑念だけが心に降り積もり続けていた。
◆
数日後、私はたまりかねてその「病弱な幼馴染」を訪ねた。
婚約者には何も言えないのに、立場の弱そうな平民の幼馴染に一言言ってやろうなんて、我ながら卑怯だと思いながら。
質実剛健な佇まいのハミルトン商会に到着すると、珍しい薄紫の髪にピンクレッドの瞳をもつ儚げな美女が、車椅子に乗って出迎えてくれる。
「ヴィオラ・ハミルトンです。アーレン伯爵令嬢様には、いつも大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」
しおらしい態度。
「グレンデール子爵令息様にはいつも、”アーレン伯爵令嬢様を優先してほしい”とお伝えしているのですが…」
ラルフ様はいつも「ヴィオラが、どうしても僕にいてほしいと訴える」と言うのに、話が食い違う。
嘘つきは…どっち?
ヴィオラ様がまだ頭を下げたまま、ゴホゴホと咳をする。
彼女の「病弱さ」が仮病ではないかと数分前まで疑っていた自分を、叱ってやりたい。どう見ても、彼女は本当に病弱だ。
それに彼女はラルフ様のことを名前では呼ばない。
友人たちの話から、「婚約者より優先される病弱な〇〇」というものは、死にそうなふりをして元気で、さらに身分差を気にもせず男性を馴れ馴れしく名前で呼ぶのが相場だと思っていたのだけれど。
けれど彼女はどうやら…
本当に病気で、さらに常識人のようだ。
「お顔を上げてください、ヴィオラ様。そんな姿勢でお話をされては、お体に触ります」
ヴィオラ様が「ありがとうございます」と青白い顔を上げ、車椅子を押していた背の高い男性が「ヴィオラ」と心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
使用人かと思っていたけれど、どうやら違うらしいと気づく。
「大丈夫よ、リアム」
この二人の雰囲気は…
「ええと…無粋な質問をお許しいただきたいのですけれど、ヴィオラ様はこちらの男性とお付き合いをしていらっしゃるのですか?」
二人はぽっと頬を赤らめた。それだけで、聞かなくても答えはわかる。
「…ええ」
ならば、ヴィオラ様がラルフ様と私の婚約を邪魔する理由などないわけで。
「…けれどラルフ様は、”ヴィオラが私を呼びつけて引き止めるのだ”とおっしゃいますの」
「まさか!」
驚いたヴィオラ様はまた咳き込んでしまい、私はリアム様と一緒に彼女の背中をさする。
「彼にそばにいてくださいと頼んだことは、一度もありません。リアムさえいてくれればいいので…」
「…でしょうね」
つまり、ヴィオラ様が私とラルフ様の邪魔をしているのではない。
ラルフ様が看病にかこつけて、ヴィオラ様とリアム様の邪魔をしているのだ。
「…よくわかりました、ヴィオラ様。誤解して押しかけたことを心からお詫びいたします」
「いえ、そんな…!誤解されて当然の状況ですので…」
「いいえ。よく確かめもせず、本当に恥ずかしいことですわ。ラルフ様には、ヴィオラ様とリアム様が迷惑を被られていることをお伝えいたしますね」
◆
その日のうちに、私はラルフ様に会いに行った。
「ヴィオラ様は、ラルフ様の看病を望まれておりませんわ」
「誰に聞いた」
「ご本人です」
「ヴィオラに会ったのか!?」と腕をすごい力で掴まれる。
視線に狂気と怒りを感じて、私は息を止めた。彼のこんな顔は、見たことがない。
「君が押しかけて脅したのなら、ヴィオラはそう言うに決まっているだろう。だが本当は違う。ヴィオラは私を必要としているんだ」
「でもヴィオラ様には恋人が…リアム様がいらっしゃるではないですか」
「リアム…リアム…っ」
ラルフ様はリアム様の名を嚙み潰すように呟く。どう見ても様子がおかしい。
「ラ…ルフ様…?あの…どうかお二人の時間を邪魔しないで差し上げて…」
「…その必要はない」
「でも”いつ死ぬかもわからぬ”と言うのなら、せめて…」
「ヴィオラは死なない!」
私との予定を断るときにはいつも「いつ死んでしまうとも知れない」と言っていたのに、今になって、どうしてそう言い切れるのだろう。
死なないと信じているのではない、と感じた。
ラルフ様は、ヴィオラ様が死なないことを、知っている。
「――私が、死なせないのだから」
胸の奥に、嫌な…ひらめきのようなものが芽生えた。
◆
ぞっとするようなひらめきを確かめるために、私はもう一度ハミルトン商会を訪ねた。
「ヴィオラ様、失礼ながら…あなた様が生まれつき病弱でいらっしゃいますの?」
「いいえ。ずっと風邪もひいたことがないくらいに健康だったのに、ここ一年ほどで急激に…医師にも原因がわからないと言われています」
リアム様がそっとヴィオラ様の手を握った。
「僕たちの想いが通じ合って、これからというときに…」
胸の中で暗く光っていたひらめきが、冷たさを増す。
「…ヴィオラ様とリアム様の想いが通じ合った後に、体調を崩されたのね?」
「ええ…」
「もしかして、正確には…ラルフ様がヴィオラ様とリアム様の関係を知った後、ではありませんか?」
ヴィオラ様とリアム様は「どういう意味?」と、顔を見合わせた。
一瞬の間があって、息をのむ音がする。
「確かに…リアムとの初めてのデートで、グレンデール子爵令息様に偶然お会いして…それからかもしれません…」
私は額に手を当てた。
「他にその…ラルフ様とヴィオラ様の体調の関係で、何か気になることはございませんか?」
「そういえば…グレンデール子爵令息様がお見舞いに来てくださったあとは、決まって熱が高くなったり、吐き気がしたり…」
私たち三人は、恐ろしい予感を共有した。
「調べましょう、徹底的に」
◆
ヴィオラ様の体調不良の原因がラルフ様にあるのだと見当がつけば、あとは早かった。
ラルフ様が「滋養のある食べ物」として持ち込んでいたあれこれに、毒物が仕込まれていたのだ。
私と双方の父が揃った会食の場で、私はその事実を告げる。
「誤解だ!毒なんて知らない!私はただヴィオラが心配で、必死に彼女を治そうと――」
ラルフ様は父親たちに助けを求める。
「スカーレットはやきもちを焼いて、こんな茶番で私を困らせようとしているのです!」
「いいえ」
私は一冊の手帳を差し出した。
「…!?」
「ラルフ様の私室の…鍵付きの引き出しに、大切にしまわれていたものです。ですから、もちろんラルフ様のものですわね?」
「返せ!!」
ラルフ様の顔色が変わるけれど、いくらすごまれても返すはずがない。
印をつけておいたページを開いて、読み上げる。
『ヴィオラが男と会っていたので問い詰めたら、”恋人ができた”などと言う。そんなことはあってはならない。ヴィオラは私のものだ』
『彼女を不治の病にしてしまえば、恋人とやらも諦めるのではないだろうか。そうすればヴィオラのそばには私しかいなくなる』
「やめろと言っている!!」
『毒を盛って三カ月。まだ気づかれていない。愚かで可愛い私のヴィオラ』
『死なせてはいけない。量の調整は慎重に』
「やめろ…やめてくれ…」
『リアムという男は、まだヴィオラから離れようとしない。ヴィオラもまだ、彼に騙されている。ヴィオラの目が醒めないのならばいっそ、ヴィオラを殺したほうがいいのだろうか』
そこでページを閉じた。
誰も、言葉を発せない。
自白ともいえる手帳に、手土産の検証結果。証拠は十分だった。
ラルフ様は殺人未遂で拘束され、家からも切り捨てられた。
◆
「スカーレット様…本当に、ありがとうございました」
ハミルトン商会の一等いい応接室でソファに腰掛けたヴィオラ様は、私に深く頭を下げる。
「当然のことですわ。そんなことよりも、体調はいかが?」
「万全とはいきませんが、以前よりはかなり」
「ソファにも座れるようになりましたし」と、彼女は嬉しそうに微笑む。
「よかったわ。私にできることがあれば、なんでもおっしゃってくださいましね。これも…何かの縁ですから」
とある男に狂気じみた愛を向けられて弱らされた女と、婚約者でありながら何の関心も向けられなかった女。
どちらがよりマシでどちらがより不幸なのかはわからないけれど、彼の手帳にスカーレットのスの字も出てこなかったことだけは確かだ。
愛おしそうにヴィオラ様を見つめるリアム様が目に留まって、私は愛想笑いを浮かべてすっと席を立つ。
「では、これで」
狂った男に振り回され続けた結果――彼女にはリアム様が残った。
けれど私には、虚しさ以外には何も残らなかった。
――そう、思っていたのだけれど。
「お待ちください」とヴィオラ様に腕を握られる。まだうまく力が入らないのだろう。弱々しいけれど、離すつもりはないらしい。
「ヴィオラ様…?」
「あの…あの…!お礼にもならないかもしれませんが…スカーレット様に、私の心からの友情を一生涯捧げます」
真剣なピンクレッドの瞳。
「私はリアムと一緒にハミルトン商会をもっと大きくします。そしてスカーレット様に何かあったときには、必ずお助けしますから」
「…それは心強いですわね」
本当に。
「狂人からの愛」よりも、「常識人からの友情」のほうがよほどいい。
そう気づいたら、ラルフ様に愛されなかったことなど、驚くほどどうでもよくなる。
あの男に選ばれて尊重されることになど、何の価値もなかったのだから。
ありがとう。
今度は心から笑って、別れを告げられる。
「嬉しいお言葉をいただいたところで、今度こそ失礼いたしますわ。お身体が回復されましたら、ぜひ我が家にお越しくださいませね」
「ありがとうございます…!ぜひ、ぜひ…!」
家に誘っただけなのに涙を流さんばかりに感激してくれるヴィオラ様。「心からの友情を一生涯捧げる」という言葉の真実味を感じて、また笑みがこぼれてしまう。
外に出ると、風がやわらかく頬を撫でた。視界はひらけていて、足取りは軽い。
虚しさが支配していた胸には、温かい友情と未来への期待が流れ込んでいる。
もうあの男に縛られることはない。そう考えて、すぐにどうでもよくなった。だって、今さら思い返すほどの価値もない。
そんなことよりも――ヴィオラ様が伯爵邸に来てくださるときには、どんなお茶を用意しようか。
婚約者が「病弱な幼馴染」ばかり優先するから。
「またですの、ラルフ様?」
「すまない、ヴィオラの容態が悪くて…どうしてもそばにいてほしいと言うものだから」
聞き飽きた言い訳に、つい声が厳しくなってしまう。
「けれど…!この劇場のチケットはなかなか取れなくて、ずっと楽しみに…」
「君が病人よりオペラを優先するような冷たい人だとは、がっかりだ」
そう言い返されて、口を閉ざす。
命より尊いものはない。
それでも…
「”オペラくらい別の誰かと”と言うのなら、看病だって別の誰かがしてもいいのではありませんか?」
「彼女を看病できる人は他にもいるでしょうけれど、私の婚約者はあなたおひとりでしょう」
いくら家同士が決めた婚約とは言え、あんまりではないだろうか。
「幼馴染がいつ死ぬかもしれない」と言われてから、はや一年。
言いたいことは何ひとつ言えないまま、怒りと疑念だけが心に降り積もり続けていた。
◆
数日後、私はたまりかねてその「病弱な幼馴染」を訪ねた。
婚約者には何も言えないのに、立場の弱そうな平民の幼馴染に一言言ってやろうなんて、我ながら卑怯だと思いながら。
質実剛健な佇まいのハミルトン商会に到着すると、珍しい薄紫の髪にピンクレッドの瞳をもつ儚げな美女が、車椅子に乗って出迎えてくれる。
「ヴィオラ・ハミルトンです。アーレン伯爵令嬢様には、いつも大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」
しおらしい態度。
「グレンデール子爵令息様にはいつも、”アーレン伯爵令嬢様を優先してほしい”とお伝えしているのですが…」
ラルフ様はいつも「ヴィオラが、どうしても僕にいてほしいと訴える」と言うのに、話が食い違う。
嘘つきは…どっち?
ヴィオラ様がまだ頭を下げたまま、ゴホゴホと咳をする。
彼女の「病弱さ」が仮病ではないかと数分前まで疑っていた自分を、叱ってやりたい。どう見ても、彼女は本当に病弱だ。
それに彼女はラルフ様のことを名前では呼ばない。
友人たちの話から、「婚約者より優先される病弱な〇〇」というものは、死にそうなふりをして元気で、さらに身分差を気にもせず男性を馴れ馴れしく名前で呼ぶのが相場だと思っていたのだけれど。
けれど彼女はどうやら…
本当に病気で、さらに常識人のようだ。
「お顔を上げてください、ヴィオラ様。そんな姿勢でお話をされては、お体に触ります」
ヴィオラ様が「ありがとうございます」と青白い顔を上げ、車椅子を押していた背の高い男性が「ヴィオラ」と心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
使用人かと思っていたけれど、どうやら違うらしいと気づく。
「大丈夫よ、リアム」
この二人の雰囲気は…
「ええと…無粋な質問をお許しいただきたいのですけれど、ヴィオラ様はこちらの男性とお付き合いをしていらっしゃるのですか?」
二人はぽっと頬を赤らめた。それだけで、聞かなくても答えはわかる。
「…ええ」
ならば、ヴィオラ様がラルフ様と私の婚約を邪魔する理由などないわけで。
「…けれどラルフ様は、”ヴィオラが私を呼びつけて引き止めるのだ”とおっしゃいますの」
「まさか!」
驚いたヴィオラ様はまた咳き込んでしまい、私はリアム様と一緒に彼女の背中をさする。
「彼にそばにいてくださいと頼んだことは、一度もありません。リアムさえいてくれればいいので…」
「…でしょうね」
つまり、ヴィオラ様が私とラルフ様の邪魔をしているのではない。
ラルフ様が看病にかこつけて、ヴィオラ様とリアム様の邪魔をしているのだ。
「…よくわかりました、ヴィオラ様。誤解して押しかけたことを心からお詫びいたします」
「いえ、そんな…!誤解されて当然の状況ですので…」
「いいえ。よく確かめもせず、本当に恥ずかしいことですわ。ラルフ様には、ヴィオラ様とリアム様が迷惑を被られていることをお伝えいたしますね」
◆
その日のうちに、私はラルフ様に会いに行った。
「ヴィオラ様は、ラルフ様の看病を望まれておりませんわ」
「誰に聞いた」
「ご本人です」
「ヴィオラに会ったのか!?」と腕をすごい力で掴まれる。
視線に狂気と怒りを感じて、私は息を止めた。彼のこんな顔は、見たことがない。
「君が押しかけて脅したのなら、ヴィオラはそう言うに決まっているだろう。だが本当は違う。ヴィオラは私を必要としているんだ」
「でもヴィオラ様には恋人が…リアム様がいらっしゃるではないですか」
「リアム…リアム…っ」
ラルフ様はリアム様の名を嚙み潰すように呟く。どう見ても様子がおかしい。
「ラ…ルフ様…?あの…どうかお二人の時間を邪魔しないで差し上げて…」
「…その必要はない」
「でも”いつ死ぬかもわからぬ”と言うのなら、せめて…」
「ヴィオラは死なない!」
私との予定を断るときにはいつも「いつ死んでしまうとも知れない」と言っていたのに、今になって、どうしてそう言い切れるのだろう。
死なないと信じているのではない、と感じた。
ラルフ様は、ヴィオラ様が死なないことを、知っている。
「――私が、死なせないのだから」
胸の奥に、嫌な…ひらめきのようなものが芽生えた。
◆
ぞっとするようなひらめきを確かめるために、私はもう一度ハミルトン商会を訪ねた。
「ヴィオラ様、失礼ながら…あなた様が生まれつき病弱でいらっしゃいますの?」
「いいえ。ずっと風邪もひいたことがないくらいに健康だったのに、ここ一年ほどで急激に…医師にも原因がわからないと言われています」
リアム様がそっとヴィオラ様の手を握った。
「僕たちの想いが通じ合って、これからというときに…」
胸の中で暗く光っていたひらめきが、冷たさを増す。
「…ヴィオラ様とリアム様の想いが通じ合った後に、体調を崩されたのね?」
「ええ…」
「もしかして、正確には…ラルフ様がヴィオラ様とリアム様の関係を知った後、ではありませんか?」
ヴィオラ様とリアム様は「どういう意味?」と、顔を見合わせた。
一瞬の間があって、息をのむ音がする。
「確かに…リアムとの初めてのデートで、グレンデール子爵令息様に偶然お会いして…それからかもしれません…」
私は額に手を当てた。
「他にその…ラルフ様とヴィオラ様の体調の関係で、何か気になることはございませんか?」
「そういえば…グレンデール子爵令息様がお見舞いに来てくださったあとは、決まって熱が高くなったり、吐き気がしたり…」
私たち三人は、恐ろしい予感を共有した。
「調べましょう、徹底的に」
◆
ヴィオラ様の体調不良の原因がラルフ様にあるのだと見当がつけば、あとは早かった。
ラルフ様が「滋養のある食べ物」として持ち込んでいたあれこれに、毒物が仕込まれていたのだ。
私と双方の父が揃った会食の場で、私はその事実を告げる。
「誤解だ!毒なんて知らない!私はただヴィオラが心配で、必死に彼女を治そうと――」
ラルフ様は父親たちに助けを求める。
「スカーレットはやきもちを焼いて、こんな茶番で私を困らせようとしているのです!」
「いいえ」
私は一冊の手帳を差し出した。
「…!?」
「ラルフ様の私室の…鍵付きの引き出しに、大切にしまわれていたものです。ですから、もちろんラルフ様のものですわね?」
「返せ!!」
ラルフ様の顔色が変わるけれど、いくらすごまれても返すはずがない。
印をつけておいたページを開いて、読み上げる。
『ヴィオラが男と会っていたので問い詰めたら、”恋人ができた”などと言う。そんなことはあってはならない。ヴィオラは私のものだ』
『彼女を不治の病にしてしまえば、恋人とやらも諦めるのではないだろうか。そうすればヴィオラのそばには私しかいなくなる』
「やめろと言っている!!」
『毒を盛って三カ月。まだ気づかれていない。愚かで可愛い私のヴィオラ』
『死なせてはいけない。量の調整は慎重に』
「やめろ…やめてくれ…」
『リアムという男は、まだヴィオラから離れようとしない。ヴィオラもまだ、彼に騙されている。ヴィオラの目が醒めないのならばいっそ、ヴィオラを殺したほうがいいのだろうか』
そこでページを閉じた。
誰も、言葉を発せない。
自白ともいえる手帳に、手土産の検証結果。証拠は十分だった。
ラルフ様は殺人未遂で拘束され、家からも切り捨てられた。
◆
「スカーレット様…本当に、ありがとうございました」
ハミルトン商会の一等いい応接室でソファに腰掛けたヴィオラ様は、私に深く頭を下げる。
「当然のことですわ。そんなことよりも、体調はいかが?」
「万全とはいきませんが、以前よりはかなり」
「ソファにも座れるようになりましたし」と、彼女は嬉しそうに微笑む。
「よかったわ。私にできることがあれば、なんでもおっしゃってくださいましね。これも…何かの縁ですから」
とある男に狂気じみた愛を向けられて弱らされた女と、婚約者でありながら何の関心も向けられなかった女。
どちらがよりマシでどちらがより不幸なのかはわからないけれど、彼の手帳にスカーレットのスの字も出てこなかったことだけは確かだ。
愛おしそうにヴィオラ様を見つめるリアム様が目に留まって、私は愛想笑いを浮かべてすっと席を立つ。
「では、これで」
狂った男に振り回され続けた結果――彼女にはリアム様が残った。
けれど私には、虚しさ以外には何も残らなかった。
――そう、思っていたのだけれど。
「お待ちください」とヴィオラ様に腕を握られる。まだうまく力が入らないのだろう。弱々しいけれど、離すつもりはないらしい。
「ヴィオラ様…?」
「あの…あの…!お礼にもならないかもしれませんが…スカーレット様に、私の心からの友情を一生涯捧げます」
真剣なピンクレッドの瞳。
「私はリアムと一緒にハミルトン商会をもっと大きくします。そしてスカーレット様に何かあったときには、必ずお助けしますから」
「…それは心強いですわね」
本当に。
「狂人からの愛」よりも、「常識人からの友情」のほうがよほどいい。
そう気づいたら、ラルフ様に愛されなかったことなど、驚くほどどうでもよくなる。
あの男に選ばれて尊重されることになど、何の価値もなかったのだから。
ありがとう。
今度は心から笑って、別れを告げられる。
「嬉しいお言葉をいただいたところで、今度こそ失礼いたしますわ。お身体が回復されましたら、ぜひ我が家にお越しくださいませね」
「ありがとうございます…!ぜひ、ぜひ…!」
家に誘っただけなのに涙を流さんばかりに感激してくれるヴィオラ様。「心からの友情を一生涯捧げる」という言葉の真実味を感じて、また笑みがこぼれてしまう。
外に出ると、風がやわらかく頬を撫でた。視界はひらけていて、足取りは軽い。
虚しさが支配していた胸には、温かい友情と未来への期待が流れ込んでいる。
もうあの男に縛られることはない。そう考えて、すぐにどうでもよくなった。だって、今さら思い返すほどの価値もない。
そんなことよりも――ヴィオラ様が伯爵邸に来てくださるときには、どんなお茶を用意しようか。
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