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第二章:大統領補佐官
補佐官のお散歩'3
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政府敷地内に戻ると、ホッとした。
その足で向かったパン屋さんはやっぱり良い匂いがして、晩御飯はそこのサンドイッチになった。
グゥルの家、好きなんだよなぁ。
それに、俺とは違う具材の切り方をして出来るシチューも。
ジャガイモの下から刃を当て上へ。
シャリシャリと音がして、俺はそれを聞きながら適当に引っ張り出した本を読む。
グゥルの本棚は、色んな物が突っ込んである。
ボロボロになった絵本とか、童話の分厚い小説とか。
こう言うのもある。
<冒険者リッテンツェリの旅行記>
俺からしたら、冒険者の旅行記なんてファンタジー小説の分類だったんだけど。
ここじゃエッセイとか観光ガイドに近い。
もしかしてーー。
そんな期待をしてつい、手に取る。
見つからなくても良いけど、似た様な物で良いから桜が見たい。
寒いから余計にそう思うのか?
「トキ。」
「んー?」
「寒く無い?」
暖房は点いてる。効くのにもうすこし掛かるかも、と言われて大人しくしてたけど。
「ちょっと寒い。」
「良い物が有るよ。母さんからトキに。」
「え。すごいな。」
促されて棚からリボンが掛かった編み物を貰う。
重みが有る。それに。
「おっきぃな。」
肩に掛けて包まっても十分なブランケットだった。
しかもこれ。
「手編み?」
「気に入った…?」
翠色と濃い茶色のブランケットは、ふかふかで。
所々に金色の糸が散りばめられている。
言わなくてもわかる。
これ、俺の好きな色を入れてくれたんだ。
翠が多い所がポイントだな。
「ふふっ。」
無意識に声が漏れる。嬉しい。
「気に入った。ありがとうグゥル。ナタリアさんにお礼言わなきゃ。」
こんなに大きくて、ぽこぽことした模様が入って、手触りが楽しい。
どのくらいの時間を掛けてくれたんだろうか。
どんなに頑張っても1週間は掛かるだろうに。
そんな大事な物を俺が貰って良いのか。
「気にしないで、トキ。」
無理だ。俺がお礼を言いたい。
「本当だよ。毎年、黙々と編んで飽きたら辞めるんだよ。それで俺達にに押し付けるんだ。もう一巡したから渡す相手が居なくて困ってたんだ。」
母さんの趣味に文句を言うのは申し訳ないけど、毎年こんなに大きい物を貰っても持て余してしまう、らしい。
「だからお礼を言うのは僕らの方だよ。母さんの趣味に付き合ってくれてありがとう。」
「そうなんだっ。どういたしまして。俺もありがとうっ。」
これ、あったかいな。
少し重いのが良い。
懐かしい布団の重さに似てる。
ナタリアさん編み物が趣味なのか。
だったら余り糸くらい沢山有るかな。
「グゥル。」
「どうかした?」
「何か糸って余ってる?」
「傷口を縫うのと服を縫うの、どっちが良い?」
「服かな。毛糸とか無いよね。」
「無いね。解けば有ると思うけど?」
「… … 。」
ーーーーー
冗談だったんだけどつい。
トキの困った様な眉が見たくて。
揶揄っただけだよ、ごめんねトキ。
「んー…細いな。」
僕の家で、僕が無造作に寝転ぶ様なソファにトキが座ってる。
テーブルにはさっきまで熱心に見てた旅行記。
気に入ったなら前の号も揃えようかな。
トキが行きたい所が有るかもしれないし。
行くなら僕も連れて行って欲しい。
シチューが煮えるまでトキの側に居たくて、気配を殺してそっと背後に立つ。
「何してるの。」
「うわっ、」
「ごめん。」
「び、っくりするから気配消すやめろっ。」
「職業柄、どうしても癖でね。抜けないんだ。」
わかってるけど、とトキが怒りながら文句を言う。
やっぱり。
僕の気配は分からないんだね。
良かった。そのままで居てね。
じゃないと<護衛>の意味が無くなっちゃう。
トキは守備範囲が広い。
恐らく目に見える範囲、全部がそうだと思う。
ただの人間にしてはかなり警戒心が強い。察知する能力も有る。
だからこそ護身術を覚えるべきだ。
トキは背後が極端に弱い。それは死角だから仕方ないとして。
僕が守るとして。
気になるのは、真正面1メートル。
この距離、この位置だけトキの身体がほんの少し硬直する事。
1メートルより離れるか、近付いてしまえばその反応は消える。
トキから距離を詰める事も有れば向こうが寄る事もある。
苦手な距離、ってだけなら僕にもある。
僕の2メート以内に近付いて良いのは、僕の家族かトキか大統領。
それ以外は何処かに行け、と思うけど。
硬直する、となると話が違う。
トキは主治医と話す時、少しだけ斜め前に座る。
診療室に入る時も椅子に座る前も視線が、ふっと入り口に向く。
その行動に、理由がある事をトキは知ってるかも知れないし。
知らないかも知れない。
でも偽薬効果、なんて物を知ってるくらいだから。
本当は自分の身に何が起こっているのか、分かってるのかも知れない。
「タッセル作ってる。」
指に僕が持って来た糸をぐるぐると巻き付けている。
タッセルって何。カーテン留めるやつで合ってるかな。
「そうそれ。タッセルは通じるんだな。イマイチ分かんない翻訳機だな。」
黙々と巻き付けて、指の間で縛ると両端を切って整えた。
モップみたいだね。
その頭にまた糸をぐるぐる巻き付けて、縛って、輪っかを作ってまたハサミで切り揃える。
「昔、本なら何でも良いからって色々借りて広げてた時期がある。」
「そうなんだ」
「ん。編み物も…本当はやってみたかった。」
「トキなら直ぐに出来そうだね。タッセルも綺麗だよ。」
「ふっ。直ぐ褒める。」
「褒めるよ。トキは器用だから。」
「ありがとう。でも、編み物は男がする物じゃ無いって言われてから諦めた。どっちにしろ難しそうだったし、道具も揃えないといけなかったから。俺には無理だったろうな。」
ああ、そう言えば。
「母さんが沢山の種類の棒と、箱いっぱいの毛糸を持ってるんだけど、あれってどうみても多過ぎると思うんだけど。もしかして必要な物を揃えたからあの量なの?」
「さぁ。でも、集めちゃうのは分かるな。グゥルも変な資料集めてるだろ。ナイフとか、刺青の図柄とか。」
「あれは資料だよ。仕事で使うんだから必要な物だよ。」
「毛糸だって必要だろ。この翠、グゥルに似てる。」
「そう?」
「ん。綺麗だ。」
肩にかけたブランケットの、僕の瞳と似てるって言う翠をトキの指先が撫でる。
そんな風に撫でるなら僕も撫でて欲しい、
「トキ」
「… … っ。」
柔らかくて、自分から吸い付いて来てくれる唇に、背筋がゾクゾクした。
このキスは誰に教わったの。
大統領がそうさせたのか、元からそうだったのか。
考えただけで嫉妬で羽が騒つく。
それでも僕は、トキに唇を吸われるのが好きだと思った。
繰り返し繰り返し、柔く唇を食みながら待つ。
吸い付かれて、2回に1回くらい唇の間から舌先がぺろっと僕の唇を舐めていく。
「はぁ...可愛い、トキ」
「ん...ふ、... ...っ。」
キスに夢中になって、舌を出してる事に気が付いてる?
可愛い、可愛い、可愛い、
もう、我慢できない…僕も、トキと舌を絡めたい
「トキ、舌だして…」
「ん、駄目。」
「駄目?どうして。キスしたくない、?」
混乱する僕に吐息だけで笑う。胸がドクンと鳴った。
柔らかい表情も相まって、煩いくらい血が騒ぎ出す。
そんな顔で駄目なんて言わないで。
目一杯上を向くトキの頬と顎を捕まえる。
「僕はキスがしたい。」
「俺はシチューが食べたい。」
「んっ、?ふっ!?何、お腹空いたの。」
「笑うなよ。」
「トキは結構、食いしん坊だよね。僕じゃダメなのっ?」
「グゥルは。食べてお風呂入って…その後なら考える。」
「考える?んぅ、そこは欲しがって良いよトキ。僕なら直ぐ用意できるのに。」
「駄目だって!サンドイッチとシチューが食べたいっ。」
可愛いからつい、後ろから抱きしめたままでトキのお腹をなぞる。
今朝、大統領に着せてもらったであろう服の上から手を滑り込ませて、ズボンの中へ指先が入ろうとした所で、ガッチリと手首を掴まれた。
痛い。
ねぇトキ。そう言う所だよ、僕がおかしいって思うのは。
普通の人は手首と言っても少し腕の方を掴む。普通はね。
でも今、トキが掴んでるのは手首の骨の部分。
そこを掴まれると、ちょっと振り解けないんだよね。
なんでそんな所を掴めるのかが僕は気になる。
少しずつあちこちに散らばる違和感を集めても、一向にトキの過去は見えて来ない。
厄介で不思議で可愛いくて、沢山の才能がある事くらいしか僕には分からない。
「もし、僕がこの手を逆に拘束してベッドに運んだら…大統領に報告する?トキに晩御飯を食べさせなかったって。」
「言う。空きっ腹で抱かれたって言い付けてやる。」
「そ、んなにお腹空いた…?待たせてごめんね?」
「んふっ、言わないよ。そこまで心狭く無い。でもお腹空いたのは本当。」
さらっ、と掴んでいた僕の手首を撫でてトキがキッチンへ入って行く。手首はまだ痺れたまま。
やっぱり、何か隠してる。
頑丈な宝箱だねトキ。
カギはいっぱいチラつかせておいて、どれが本物のなのか全く分からない。
「グゥル。」
「どうかしたトキ。」
「こっちのコンロにも、火点けてくれる?」
「良いよ。何するの?」
「え?お茶淹れるだけ。」
「なんだ。」
僕はちょっとだけ期待した。
トキの手料理が食べられるんじゃ無いかって。
だから不意打ちの様に漏らした本音に、自分でも冷や汗が出た。
そして、訂正する前にトキが気付く。
「どうかした?」
「ぁ、っと」
「あ?」
クソッ、
そうじゃないだろっ、なんだって何。
たった一言漏らしただけでトキにはバレるって気を付けてたのに
「嗚呼。そう言う事ー…♡」
ほら。バレた。
相手は頭の悪いゴロツキなんかじゃ無い。
この国の大統領補佐をする、父さんが仕込んだ子だ。
そんな子の恋人兼護衛で居られる僕は、幸運で他に適任なんか作らせない。
その為に鍛えてる筈なのに、ふと甘えた事がしたくなる。
厄介な仕事だよ、本当、
護衛と愛人の両立なんてどうすれば良いんだろ。
それもこれも、トキが可愛いのがいけないんだ。
それに賢くて可愛いくて、可愛い。
こんな失敗をする度に僕は、自分の頭が悪くなった様な気がする。
僕の方が歳上の筈なのに。
全然、格好良く居られない。
「ふっ、言えば良いのに。」
「ちがっ、ぅよ、?」
「違う?何が違うのグゥ。」
「うっ、」
可愛い子が僕を見てる。
楽しそうにキラキラした茶色の目が、ジッと僕だけを見てる。
おかしくなりそうだ…っ、
「分かった。交換条件を出そう、グゥル。」
「その手には乗らない。」
「乗れば、良い物が3つくらいかな...手に入るけど乗らない?」
「乗らない。僕は一度君に負けてるからね。」
「俺に勝つ必要は無い。」
「うん?」
「大統領に勝てば良い。脅すの手伝ってくれるんだろグルーエント。」
「ぇ゛」
「どうする?」
ズィッと、一歩トキが距離を詰める。
やっぱりこれを心理戦、なんて言うのは間違ってると思う。
脳味噌が焼き切れそうだ、
好きな子が胸が当たりそうな程近くにいて、唇が目に映る。
そのキスはさっき味わった所だから、非常に分が悪い。
もう、僕は負けたかもしれない。
というか、僕は抗えない。
トキの言う事を聞けば、ご褒美しか貰えない事を知ってる。
「僕に、何をくれるの」
「ひとつ、明日の昼食。」
「そ、れってつまり」
「ふたつ、俺。」
「嬉しい。それは凄く嬉しい、トキ。」
「みっつ目は、よく分からない。」
「分からない?」
「ん。」
「それは、どうして?」
シューと音がしてやかんのお湯が沸く。
僕がポットに茶葉を入れて、お湯を注ぐ間もトキはキッチリに立って僕の側に居てくれる。
何を悩んでるんだろう。
「今日ずっと、俺を探る様に見てただろ。」
まさかバレた。
もしそうだとしたら、それは色々な方面で不味い。
大統領にも父さんにも殺されるーー。
<護衛>の意味がひとつ減る。それだけは駄目だ。
「俺は今日、具合悪く無いし途中滑って転びそうになったり、初めて敷地の外に出て怖かった事もあるけど。なんでグゥルがそんなに俺の事を知りたいのか、分からなかった。」
「そう、なんだ」
「目が合う度にグゥルの目を見ても、綺麗だなって思ってたら何か探る前に逸れるし。だから、全然分からないからもう自分で決めてくれ、と思ったんだけど。どう?何かある?」
有るどころじゃないよ。
沢山有るよ。
「トキの事は、全部知りたい」
それは、何を聞いても良いんだろうか。
もしかしたらトキは聞かれたくない事かも知れない。
でも、聞けば俺達は少しだけトキの事がわかるかも知れない。
分かれば、手をこまねいてる僕や父さんや大統領も。
トキの為に何をしてあげられるのか、手立てを考えられる。
「グゥルが俺の条件を飲めばな。」
「言ってみて。」
「叶える、とは言ってくれないんだな。」
トントン、と胸を摩られる。
本当っにソレは反則だよトキー!?
ドキドキする、胸が痛い、分かってやってるんだよね。
「ねぇトキ、それなんて言うか知ってる?」
「△△△だろ。知ってる。♡」
聞き取れなかった。
でも、ひゅって片方の眉を上げて、また俺の胸に指を這わせるから多分、同じ事を考えてる筈だ。
分かっててやってるんならーーと、いうか、
初めからトキはそうだっただろ。
僕はあの日、最初からトキに狙われてた。
兄さんまで引き入れて僕を手に入れた。
じゃあ、もう良いかな。
僕はもうトキには勝てなくて良いかも知れない。
条件は飲むよ。
そのくらい何とかして見せる。
だから
「僕が三つ目に欲しいのは、」
その足で向かったパン屋さんはやっぱり良い匂いがして、晩御飯はそこのサンドイッチになった。
グゥルの家、好きなんだよなぁ。
それに、俺とは違う具材の切り方をして出来るシチューも。
ジャガイモの下から刃を当て上へ。
シャリシャリと音がして、俺はそれを聞きながら適当に引っ張り出した本を読む。
グゥルの本棚は、色んな物が突っ込んである。
ボロボロになった絵本とか、童話の分厚い小説とか。
こう言うのもある。
<冒険者リッテンツェリの旅行記>
俺からしたら、冒険者の旅行記なんてファンタジー小説の分類だったんだけど。
ここじゃエッセイとか観光ガイドに近い。
もしかしてーー。
そんな期待をしてつい、手に取る。
見つからなくても良いけど、似た様な物で良いから桜が見たい。
寒いから余計にそう思うのか?
「トキ。」
「んー?」
「寒く無い?」
暖房は点いてる。効くのにもうすこし掛かるかも、と言われて大人しくしてたけど。
「ちょっと寒い。」
「良い物が有るよ。母さんからトキに。」
「え。すごいな。」
促されて棚からリボンが掛かった編み物を貰う。
重みが有る。それに。
「おっきぃな。」
肩に掛けて包まっても十分なブランケットだった。
しかもこれ。
「手編み?」
「気に入った…?」
翠色と濃い茶色のブランケットは、ふかふかで。
所々に金色の糸が散りばめられている。
言わなくてもわかる。
これ、俺の好きな色を入れてくれたんだ。
翠が多い所がポイントだな。
「ふふっ。」
無意識に声が漏れる。嬉しい。
「気に入った。ありがとうグゥル。ナタリアさんにお礼言わなきゃ。」
こんなに大きくて、ぽこぽことした模様が入って、手触りが楽しい。
どのくらいの時間を掛けてくれたんだろうか。
どんなに頑張っても1週間は掛かるだろうに。
そんな大事な物を俺が貰って良いのか。
「気にしないで、トキ。」
無理だ。俺がお礼を言いたい。
「本当だよ。毎年、黙々と編んで飽きたら辞めるんだよ。それで俺達にに押し付けるんだ。もう一巡したから渡す相手が居なくて困ってたんだ。」
母さんの趣味に文句を言うのは申し訳ないけど、毎年こんなに大きい物を貰っても持て余してしまう、らしい。
「だからお礼を言うのは僕らの方だよ。母さんの趣味に付き合ってくれてありがとう。」
「そうなんだっ。どういたしまして。俺もありがとうっ。」
これ、あったかいな。
少し重いのが良い。
懐かしい布団の重さに似てる。
ナタリアさん編み物が趣味なのか。
だったら余り糸くらい沢山有るかな。
「グゥル。」
「どうかした?」
「何か糸って余ってる?」
「傷口を縫うのと服を縫うの、どっちが良い?」
「服かな。毛糸とか無いよね。」
「無いね。解けば有ると思うけど?」
「… … 。」
ーーーーー
冗談だったんだけどつい。
トキの困った様な眉が見たくて。
揶揄っただけだよ、ごめんねトキ。
「んー…細いな。」
僕の家で、僕が無造作に寝転ぶ様なソファにトキが座ってる。
テーブルにはさっきまで熱心に見てた旅行記。
気に入ったなら前の号も揃えようかな。
トキが行きたい所が有るかもしれないし。
行くなら僕も連れて行って欲しい。
シチューが煮えるまでトキの側に居たくて、気配を殺してそっと背後に立つ。
「何してるの。」
「うわっ、」
「ごめん。」
「び、っくりするから気配消すやめろっ。」
「職業柄、どうしても癖でね。抜けないんだ。」
わかってるけど、とトキが怒りながら文句を言う。
やっぱり。
僕の気配は分からないんだね。
良かった。そのままで居てね。
じゃないと<護衛>の意味が無くなっちゃう。
トキは守備範囲が広い。
恐らく目に見える範囲、全部がそうだと思う。
ただの人間にしてはかなり警戒心が強い。察知する能力も有る。
だからこそ護身術を覚えるべきだ。
トキは背後が極端に弱い。それは死角だから仕方ないとして。
僕が守るとして。
気になるのは、真正面1メートル。
この距離、この位置だけトキの身体がほんの少し硬直する事。
1メートルより離れるか、近付いてしまえばその反応は消える。
トキから距離を詰める事も有れば向こうが寄る事もある。
苦手な距離、ってだけなら僕にもある。
僕の2メート以内に近付いて良いのは、僕の家族かトキか大統領。
それ以外は何処かに行け、と思うけど。
硬直する、となると話が違う。
トキは主治医と話す時、少しだけ斜め前に座る。
診療室に入る時も椅子に座る前も視線が、ふっと入り口に向く。
その行動に、理由がある事をトキは知ってるかも知れないし。
知らないかも知れない。
でも偽薬効果、なんて物を知ってるくらいだから。
本当は自分の身に何が起こっているのか、分かってるのかも知れない。
「タッセル作ってる。」
指に僕が持って来た糸をぐるぐると巻き付けている。
タッセルって何。カーテン留めるやつで合ってるかな。
「そうそれ。タッセルは通じるんだな。イマイチ分かんない翻訳機だな。」
黙々と巻き付けて、指の間で縛ると両端を切って整えた。
モップみたいだね。
その頭にまた糸をぐるぐる巻き付けて、縛って、輪っかを作ってまたハサミで切り揃える。
「昔、本なら何でも良いからって色々借りて広げてた時期がある。」
「そうなんだ」
「ん。編み物も…本当はやってみたかった。」
「トキなら直ぐに出来そうだね。タッセルも綺麗だよ。」
「ふっ。直ぐ褒める。」
「褒めるよ。トキは器用だから。」
「ありがとう。でも、編み物は男がする物じゃ無いって言われてから諦めた。どっちにしろ難しそうだったし、道具も揃えないといけなかったから。俺には無理だったろうな。」
ああ、そう言えば。
「母さんが沢山の種類の棒と、箱いっぱいの毛糸を持ってるんだけど、あれってどうみても多過ぎると思うんだけど。もしかして必要な物を揃えたからあの量なの?」
「さぁ。でも、集めちゃうのは分かるな。グゥルも変な資料集めてるだろ。ナイフとか、刺青の図柄とか。」
「あれは資料だよ。仕事で使うんだから必要な物だよ。」
「毛糸だって必要だろ。この翠、グゥルに似てる。」
「そう?」
「ん。綺麗だ。」
肩にかけたブランケットの、僕の瞳と似てるって言う翠をトキの指先が撫でる。
そんな風に撫でるなら僕も撫でて欲しい、
「トキ」
「… … っ。」
柔らかくて、自分から吸い付いて来てくれる唇に、背筋がゾクゾクした。
このキスは誰に教わったの。
大統領がそうさせたのか、元からそうだったのか。
考えただけで嫉妬で羽が騒つく。
それでも僕は、トキに唇を吸われるのが好きだと思った。
繰り返し繰り返し、柔く唇を食みながら待つ。
吸い付かれて、2回に1回くらい唇の間から舌先がぺろっと僕の唇を舐めていく。
「はぁ...可愛い、トキ」
「ん...ふ、... ...っ。」
キスに夢中になって、舌を出してる事に気が付いてる?
可愛い、可愛い、可愛い、
もう、我慢できない…僕も、トキと舌を絡めたい
「トキ、舌だして…」
「ん、駄目。」
「駄目?どうして。キスしたくない、?」
混乱する僕に吐息だけで笑う。胸がドクンと鳴った。
柔らかい表情も相まって、煩いくらい血が騒ぎ出す。
そんな顔で駄目なんて言わないで。
目一杯上を向くトキの頬と顎を捕まえる。
「僕はキスがしたい。」
「俺はシチューが食べたい。」
「んっ、?ふっ!?何、お腹空いたの。」
「笑うなよ。」
「トキは結構、食いしん坊だよね。僕じゃダメなのっ?」
「グゥルは。食べてお風呂入って…その後なら考える。」
「考える?んぅ、そこは欲しがって良いよトキ。僕なら直ぐ用意できるのに。」
「駄目だって!サンドイッチとシチューが食べたいっ。」
可愛いからつい、後ろから抱きしめたままでトキのお腹をなぞる。
今朝、大統領に着せてもらったであろう服の上から手を滑り込ませて、ズボンの中へ指先が入ろうとした所で、ガッチリと手首を掴まれた。
痛い。
ねぇトキ。そう言う所だよ、僕がおかしいって思うのは。
普通の人は手首と言っても少し腕の方を掴む。普通はね。
でも今、トキが掴んでるのは手首の骨の部分。
そこを掴まれると、ちょっと振り解けないんだよね。
なんでそんな所を掴めるのかが僕は気になる。
少しずつあちこちに散らばる違和感を集めても、一向にトキの過去は見えて来ない。
厄介で不思議で可愛いくて、沢山の才能がある事くらいしか僕には分からない。
「もし、僕がこの手を逆に拘束してベッドに運んだら…大統領に報告する?トキに晩御飯を食べさせなかったって。」
「言う。空きっ腹で抱かれたって言い付けてやる。」
「そ、んなにお腹空いた…?待たせてごめんね?」
「んふっ、言わないよ。そこまで心狭く無い。でもお腹空いたのは本当。」
さらっ、と掴んでいた僕の手首を撫でてトキがキッチンへ入って行く。手首はまだ痺れたまま。
やっぱり、何か隠してる。
頑丈な宝箱だねトキ。
カギはいっぱいチラつかせておいて、どれが本物のなのか全く分からない。
「グゥル。」
「どうかしたトキ。」
「こっちのコンロにも、火点けてくれる?」
「良いよ。何するの?」
「え?お茶淹れるだけ。」
「なんだ。」
僕はちょっとだけ期待した。
トキの手料理が食べられるんじゃ無いかって。
だから不意打ちの様に漏らした本音に、自分でも冷や汗が出た。
そして、訂正する前にトキが気付く。
「どうかした?」
「ぁ、っと」
「あ?」
クソッ、
そうじゃないだろっ、なんだって何。
たった一言漏らしただけでトキにはバレるって気を付けてたのに
「嗚呼。そう言う事ー…♡」
ほら。バレた。
相手は頭の悪いゴロツキなんかじゃ無い。
この国の大統領補佐をする、父さんが仕込んだ子だ。
そんな子の恋人兼護衛で居られる僕は、幸運で他に適任なんか作らせない。
その為に鍛えてる筈なのに、ふと甘えた事がしたくなる。
厄介な仕事だよ、本当、
護衛と愛人の両立なんてどうすれば良いんだろ。
それもこれも、トキが可愛いのがいけないんだ。
それに賢くて可愛いくて、可愛い。
こんな失敗をする度に僕は、自分の頭が悪くなった様な気がする。
僕の方が歳上の筈なのに。
全然、格好良く居られない。
「ふっ、言えば良いのに。」
「ちがっ、ぅよ、?」
「違う?何が違うのグゥ。」
「うっ、」
可愛い子が僕を見てる。
楽しそうにキラキラした茶色の目が、ジッと僕だけを見てる。
おかしくなりそうだ…っ、
「分かった。交換条件を出そう、グゥル。」
「その手には乗らない。」
「乗れば、良い物が3つくらいかな...手に入るけど乗らない?」
「乗らない。僕は一度君に負けてるからね。」
「俺に勝つ必要は無い。」
「うん?」
「大統領に勝てば良い。脅すの手伝ってくれるんだろグルーエント。」
「ぇ゛」
「どうする?」
ズィッと、一歩トキが距離を詰める。
やっぱりこれを心理戦、なんて言うのは間違ってると思う。
脳味噌が焼き切れそうだ、
好きな子が胸が当たりそうな程近くにいて、唇が目に映る。
そのキスはさっき味わった所だから、非常に分が悪い。
もう、僕は負けたかもしれない。
というか、僕は抗えない。
トキの言う事を聞けば、ご褒美しか貰えない事を知ってる。
「僕に、何をくれるの」
「ひとつ、明日の昼食。」
「そ、れってつまり」
「ふたつ、俺。」
「嬉しい。それは凄く嬉しい、トキ。」
「みっつ目は、よく分からない。」
「分からない?」
「ん。」
「それは、どうして?」
シューと音がしてやかんのお湯が沸く。
僕がポットに茶葉を入れて、お湯を注ぐ間もトキはキッチリに立って僕の側に居てくれる。
何を悩んでるんだろう。
「今日ずっと、俺を探る様に見てただろ。」
まさかバレた。
もしそうだとしたら、それは色々な方面で不味い。
大統領にも父さんにも殺されるーー。
<護衛>の意味がひとつ減る。それだけは駄目だ。
「俺は今日、具合悪く無いし途中滑って転びそうになったり、初めて敷地の外に出て怖かった事もあるけど。なんでグゥルがそんなに俺の事を知りたいのか、分からなかった。」
「そう、なんだ」
「目が合う度にグゥルの目を見ても、綺麗だなって思ってたら何か探る前に逸れるし。だから、全然分からないからもう自分で決めてくれ、と思ったんだけど。どう?何かある?」
有るどころじゃないよ。
沢山有るよ。
「トキの事は、全部知りたい」
それは、何を聞いても良いんだろうか。
もしかしたらトキは聞かれたくない事かも知れない。
でも、聞けば俺達は少しだけトキの事がわかるかも知れない。
分かれば、手をこまねいてる僕や父さんや大統領も。
トキの為に何をしてあげられるのか、手立てを考えられる。
「グゥルが俺の条件を飲めばな。」
「言ってみて。」
「叶える、とは言ってくれないんだな。」
トントン、と胸を摩られる。
本当っにソレは反則だよトキー!?
ドキドキする、胸が痛い、分かってやってるんだよね。
「ねぇトキ、それなんて言うか知ってる?」
「△△△だろ。知ってる。♡」
聞き取れなかった。
でも、ひゅって片方の眉を上げて、また俺の胸に指を這わせるから多分、同じ事を考えてる筈だ。
分かっててやってるんならーーと、いうか、
初めからトキはそうだっただろ。
僕はあの日、最初からトキに狙われてた。
兄さんまで引き入れて僕を手に入れた。
じゃあ、もう良いかな。
僕はもうトキには勝てなくて良いかも知れない。
条件は飲むよ。
そのくらい何とかして見せる。
だから
「僕が三つ目に欲しいのは、」
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そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて幸せすぎっ!【完結】
ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
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ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
【完結】国に売られた僕は変態皇帝に育てられ寵妃になった
cyan
BL
陛下が町娘に手を出して生まれたのが僕。後宮で虐げられて生活していた僕は、とうとう他国に売られることになった。
一途なシオンと、皇帝のお話。
※どんどん変態度が増すので苦手な方はお気を付けください。
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