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本編'24
4月19日
何処にでも有る話で、気にし過ぎだと言われればそれまで。
そして、俺はよくそういう事の標的になる。
かと言って今更大騒ぎする程の物でもなく。
この前みたいに晒された訳では無い。
ーー放っておけば良い。
新人の内はどうしても、初めの半年は色々言われる。
けど、そろそろ止んでも良い頃合いだろと思っていた。
実際、ひそひそ話を見掛けることは減ったし、仕事のミスもしなくなった。
なのに。
変な所で運の悪い俺は、偶々聞いた。
「今日メリー君と二人?ええーおつかれー。」
残酷だなと思った。
けど納得もした。
ああ、そうかと。
指摘という建前が無くなった代わりに。
俺個人が気に食わないという話題に変化したのか。
良い歳した独身男が、女っ気も無く、朝からたった3時間のパートをしてる事が気に食わないらしい。
気に食わない、というか。
言いたいだけだ。愚痴ると言う行為が満たされる為なら何でもいい。
その空間を共有する事でチームワークを、自分達の縄張りを主張している。
誰がリーダーと言う訳では無く、残念ながら誰もリーダーでは無かった。
全員でうっすらと化けの皮を被り、他人を笑う。
その割に、乱暴な物言いの客が来た時には手際良く俺を呼ぶ。
ーー男の子の方が相手も大人しくなるのよ、お願い八木君。接客得意なんでしょ?
鼻で笑いそうになるのを、一瞬目を逸らす事で耐えた。
接客が得意だなんて言った覚えは無い。
大昔に本屋でバイトしてたってだけだ。
そうやって幾つか仕掛けた罠は、順調に広がった。
凄いよな。
ひとりにしか話してないのに、皆が知ってた。
それとは別に態と仕掛けた隙には、誰ひとり食い付いてこなかった。
大抵は誰か一人くらい、寄って来てくれるんだけどな。
全員が薄ら寒い化けの皮の着け心地を気に入ってるらしい。
俺からすれば気持ち悪い異様な空気。
向こうからすれば、これが常識。本音と建前の世界。
人が辞めた事もひとつの原因だと思う。
午前と午後のパートから一人ずつ人が減った。
4月だから、誰がどんな転機を迎えるのか他人には分からない。
そして、店長が三人体制を止めて二人ずつで店を回す事に決めた。
たった3時間だ。
その後のことは、その後に来るパートさんに引き継げば良い。
定時退社が何よりも優先だ。
客は待つ事に慣れてるし、人件費は可能な限り削りたい。
それでも二人体制は可能だと俺は思っていたし、実際特に不便は無かった。
お陰でシフト増えたし。
もうすぐ退勤時間だと言うタイミング。
つまり交代のパートさん二人が出勤の為にバックヤードに入って来た。
そこへ、俺のツーマンセルが裏で合流し、お喋りしてる声が偶々聞こえた。
メリー君。
男は俺と店長くらいしか居ない。
もしくは偶に来る業者のお兄さん。
つまり、メリー君は俺。
メリーさんは羊飼いだろ。
せめて郵便屋さんとかにしろよ。ダッセ、と喉元まで迫り上がってたけど。
俺が何を言った所で無駄だ。
相手にするとこちらが痛い目をみる可能性がある。
まさか更衣室に聞き耳を立ててたなんて言われたら、堪らない。
だから。目を瞑ろうと思ってた。
馬鹿馬鹿しい愚痴のコミュニティも、頭の悪い渾名も。
とりあえず12月までの繋ぎだ。
それもたった3時間。
けど、ひとつだけ。
その後に聞こえた言葉がどうしても許せなかった。
「和己、」
「んーー?」
ただいまを言って、殆ど無言でご飯を食べて、パリパリに乾いた陸也のスラックスを畳んでる時に、つい言わずにはいられなかった。
「俺と付き合うのは、つまらなかった?」
分かってる。
馬鹿な質問だって。
どう考えたってそんな筈無い。
「分かった。いつ辞める?」
感情を横に退けて、今から書類でも準備しそうな声が言う。
しかもなんか、タブレットを操作し出した。何、ちょっと何その空気。
「今、素体の需要って上がって来てるんだよね。良悟にも今まで何度もモデル貸してくれって声が来てたけど嫌だから断ってたんだよね。狭い業界だし、何時でも何処でも都合の付く子って中々居ないんだよ。小銭くらいしか稼げないし。だけど、掛け持ちしてる子もいるし、俺はマジで最近人手が欲しいから作業込みでやってくれると助かる。そうじゃなくてもひとりアシスタントを雇いたいって話は本気だよ。良悟なら妥協なんてしないし。遠慮も無いし。チームプレー嫌いな俺にも付き合える。」
「え?なに。」
ガチ過ぎて何か...、よく聞き取れない。
仕事の話だよな。
「楽しいと思うよ。それに、今より給料増えるし、やり甲斐もある。」
「だから、やらないって。」
「なんか良いとか、らしくないとか、新しい感じがするとか。今まで聞かせてくれたそう言う感性だけで十分な素質だし、何事にも基本と応用のテンプレートは有るんだよ。ほら、これが基本。こっちがその応用。他にも流れとか組み合わせとか有るけど、教本見れば分かるよ。良悟、暗記上手だしピックアップも上手いしね。」
思わずタブレットを見て、へぇとか。
応用難し過ぎる、とか考えた辺りで我に帰る。
まだプレゼンを続ける和己へ強行手段を取ることにした。
立って歩いて、態と勢いを付けてから膝に乗る。タブレットから手も離させて、腹回りに巻き付かせて、指を絡めてぎゅっと握る。
和己の時は、横向きの方が顔が見えるからそうしてる。
あと、今度うるさくしたら直ぐにそのくち塞いでやる。
「落ち着け。」
まず、素体が何か分からないし。
俺が手伝ってるモデルの仕事は、元々誰でも良いんだからそんなに需要がある訳ないだろ、と思う。わかんないけど。贔屓目が有ると思うし。
そもそも、拘束時間が長い。
夏にダウン着たり、ひたすらジャンプしたり、変な体勢を維持し続けたり。
「前も言ったけど。カフェか弁当屋をしたいくらいには、俺も和己と仕事したいと思ってる。家族経営はクソだけど3人も居れば他は要らない。」
これは、俺のエゴだなと思う。
二人を困らせて、心配させても、俺は自分で外との関わりを持ち続けたい。
そして二人の手を借りずに完結させたい。
自立したいんだ。
自分の事は自分で出来るし、自分でやりたい事を選んで良いと思いたい。
じゃないと甘えそうになるんだ。
うっかり家に閉じこもって、与えられる物だけを食べて、"お手伝い"が"お仕事"だと勘違いする様な事になった時。
俺はきっと後悔すると思う。
「落ち着けない。」
「少し愚痴ってるだけ、たった3時間だし。俺は大丈夫だよ和己。」
「そうは見えなかったな。」
「まぁ。変なあだ名を付けられてるっぽい。あと、サボるおばさんが居る。それから...俺と付き合ってもつまらなそう、って全然タイプじゃ無いおばさん達に笑われてるのを聞いた。」
俺のタイプは、俺を好きな奴だと思うし。
そんな物好きがこの家に二人も居る。
つまんなそう、とか。
他人に興味無さそうとか言われるのは、初めてじゃ無い。
実際、興味は無いし俺は人より臆病な性質で。
好きでも無い相手と話すのは嫌だ。
態々裏に自分から引っ込んで、そういう話をしに行くおばさんとする雑談なんて俺は持ち合わせて無い。
せっかくシフトが増えて、平日に連勤出来るようになったのに。
おばさん達は気に食わない。
「つまんない事なんて一つも無かったよ、良悟。」
俺だって雑談くらい出来る。
向こうがそうするのと同じ様に、俺も話す相手を選んでるだけだ。
信頼に値する人だと確信出来たら、雑談くらいする。
けど、現段階で俺はおばさん達を信用出来ない。
向こうもそんな物求めてない。
逆に俺がおばさんに懐いたら困るだろうな。
罪悪感で苦虫でも食ってろ。
「んっ。」
こめかみにキスが来た。
「ムキになってごめん。」
「過保護。」
腹に巻き付けた腕がぎゅっと締まって、首に和己の顔が埋まる。
あんまり、嗅がないで欲しい。
キスマークも...っ、ちょっと、こいつ今、見えそうなとこに付けたな、
「和己っ、」
「つまんない男の首に熱烈なキスマークだね。」
「んっ、何個付ける、んだ」
「見せびらかせば良いじゃん。鞄からこれみよがしにキーケースを出して、きっちり締めてる制服の襟を緩めたら良いんじゃない?良悟。」
それは、そう。
どう見ても拘りと金の掛かってる指輪の、内側に彫られたデカい文字はきっとおばさん達の目に入る。
それに、たった今着けたであろう緩めなくても見えそうな位置のキスマークも。
「あそこのスーパー気に入ってるんだ。」
「何で?」
「品出しが凄い。ポテチの袋が綺麗に並んでる。」
「ふーん?」
「だから、辞めてもあそこのスーパーには通いたい。」
嫌な思い出が有る所には近付きたくない。
もし、指輪を見せびらかして何か勘繰られたり聞かれたりしたら。
多分、本当にあの職場を嫌いになる自信がある。
今でもうっすら嫌いなのに。
「俺の大事なものを安っぽく振り翳すみたいで嫌だ。でも、これはちょっと見せても良い。」
エグいキスマークを問い詰めるおばさんにはまだ会った事が無い。
問い詰められたとしても、すみませんだけで済むだろう。
「和己。」
「なぁに?」
「もう一個、付けて欲しい。」
「良いよ。何処が良い?」
腹に巻き付く腕をぺりっと剥がして、和己が喜びそうな所に押し付けてやる。
キラキラのイケメンが鼻の下を伸ばす姿は、ちょっとカッコ悪くて可愛い。
「ここが良い。」
右太腿の内側。
正常位が好きな和己がよく親指で撫で回すとこ。
変態さんめ。
「はぁーかっわいぃー…♡」
ーーーーー
「ほんとに行くの良悟?」
「行く。」
「陸也に言った?」
「言った。遅くなるって。」
「ちょっと無理し過ぎだと思うなぁ。」
思い立ったら即行動。
俺は散歩が好き。
だから、和己の手を取ってまたバスに乗る。
これは、お礼だ。
俺の我儘に付き合ってくれて、またバスに乗るきっかけをくれた。
「和己、さっきの教えて。」
「ん?どれ?」
「デザインの基本と応用。」
「え、?まじ?」
「代わりに俺の勉強も聞いて。」
ファミレスで二人横並びして、やいやい言う。
高校の時によくやった。
陸也には横に並ぶと集中出来ないからやめてくれって言われた。
「良悟の勉強って俺にも分かるー?」
「んーーでも、面白いよ。」
あれやそれやと服を選ぶ和己の後ろで、荷物を揃える。
テキストとタブレット、イヤホン、ノートとボールペンくらいか。
バスは少し早い時間だからか、学生は居なくて。
どちらかと言うと、俺の苦手な雰囲気だった。
「りょーご。」
自分の胸元をトントン、と指してくれる。
「分かってる。」
ぎゅっ、と握り込んだ所にはドッグタグが下げてある。
俺のお守りだ。
ちゃんとGPSの見守り君も鞄に付いてる。
首と人には言えない様な所には、エグいキスマークも付いてるし、着てる服は和己の見立て。
「だいじょーぶ。」
ーーーーー
始めは、良悟を落ち着かせる為だった。
色々試して一番反応が良かったのがキスとハグ。
これは本当に只、二人暮らしの時から良悟が俺のキスとハグを、気に入ってくれたお陰で。
それでも、時々良悟を襲う恐怖が拭えなくなって来たタイミングで、優しく抱きしめて大丈夫だよって言い聞かせるだけじゃ足りないんだな、と思った。
「なに、やめろ、」
「ううん、やめないよ。可愛い乳首こりこりしても良い良悟?」
膝を抱えて泣いてる良悟の背後に周り、シャツの下に手を突っ込んだ。
ガッツリ回した腕と、止まる気配のない俺にびっくりした顔でこっちを見てた。
良悟の言う事を無視したのはそれが初めてだった。
一瞬だけ不安が消えた様に見えた。
そして、期待してる様にも見えた気がする。
涙を流す瞳が揺れて、彷徨って、俯いた。
それだけで、何かがじわじわと指先に滲み出して来るのがわかった。
指が先か脳みそが先かわからないけど。
良いアイデアが湧いてくるのと同じ感覚だった。
「良悟。ちょっとやってみたい事があるんだ。俺を信じてくれる。」
聞き入れるしかない様な言い方だったけど、良悟は頷いた。
今思えば、後ろから抱き締められて、興奮し切った男にそんな風に言われたら断るに断れなかったのかもね。
だけど俺は、少し前に買ったひよこの柄の手拭いを持って来て、良悟の目の前で封を切って見せた。縦長く細く折って、少し震えてる右手首にキュッと巻いた。
「片手、だけ?」
「そう。でも俺の左手も一緒。」
薄くて長い手拭いは俺の左手と、良悟の右手を一纏めにした。
「そっち引っ張って。」
「ん、」
俺が思うよりしっかり、力が入らないだろう震える指で手拭いを引く良悟をじっとみていた。
全く抵抗が無い所か少し興奮してる。
さっきまで泣いてたくせに、手ぬぐいに夢中になってる。
良いね。可愛いね。ほんとに抵抗無いのかな。
寸前まで気遣ってやるつもりが、口から出たのは意地悪な言葉といつになく甘ったるい声だった。
「そんなにしっかり結ぶの良悟?」
途端、ビシッと固まった良悟。
でも右手が俺の左手と一緒になってるから、遠慮なく指を絡めた。
恋人繋ぎで拘束。
えっろ。
「良悟。思ったより良いねこれ。きゅって指だけじゃなくて手首も繋がってるの。」
返事もなく、握り返されもしなかったけど、耳を真っ赤にして自分の右手を見てた。
あんまり可愛いからそのまま床に押し倒してた。
布団敷いてないのにな、痛いよねとか思いつつ。
握り込んだ指はそのままに、またシャツに手を突っ込んだ。
腹を撫でて胸を掠めた。
「俺を信じる良悟?」
「そ、れは、今から何をするかによるっ、」
「確かに。」
俺としては、そうやって答えられただけで、手首を縛った甲斐が有ったね。
聞かれるままに、うんと答えずきちんと思考した結果の返事だった。
良かった。
半日以上抱き締めてキスする以上の効果が見えた。
それと、自分の中にあるじわじわと指先を侵す何か。
もっと。やりたい。
もっと。触りたい。
「良悟、」
その感情が何なのか知ったのは、たっぷり良悟を抱いた後だった。
「良悟、今から少し酷い事をしたいんだ。手首を縛って、押さえ付けて、のし掛かって泣くまで良悟の乳首を吸いたいんだけど。許してくれる?」
そして多分、良悟も気付いた。
自分の中にある厄介な癖に。
「やってみろよ。」
ーーーーー
「言わんこっちゃ無い。」
「俺も説得したんだがな。」
「雨が降ろうが槍が降ろうが何のそのってか。」
お散歩に行くと譲らない黒柴君は、案の定熱を出した。
「その割にはステーキ食ってたな。」
「行く前はおろしハンバーグにするって言ってたんだけどね。」
「本能で栄養を摂りに行ったか。」
「あり得る。」
べそべそグズってさっきまでキスを強請ったり、セックスを強請ったりして大変だった。
熱い身体で潤んだ瞳と、細い声で擦り寄られても我慢した俺達の理性を褒めて欲しい。
下手に手を出すと治りが遅くなる。
大抵は半日も寝れば復活するから、早くて今夜、遅くても明日抱いてやるから寝な、と言い聞かせればスコンと落ちた。
「陸也、今日何かする?」
「いや、暇だな。」
「俺、仕事して来て良い?」
「良いぞ。見とく。」
「毛布暑いかな。」
「どうだろうな、最悪ここに運べば良いだろ。」
「あーーそうだな。任せる。」
良悟が聞かせてくれた勉強は、俺には全く興味無かったけど。
あの声が話してくれてると思うだけで、インプットされるのは笑う。
俺、良悟なら何でも好きなんだなぁ。
馬鹿なんだなぁ俺、と思う。
だけど、良いヒントを貰った。
氷がゴロゴロ入ったアイスコーヒーを持ってデスクへ。
あの時の手ぬぐいはボロボロになって処分しちゃったけど。
同じ柄のコースターが有るんだよね。
未だにこれを見ると、良悟が恥ずかしがってくれるから捨てられない。
キスしたくなる。
その前に仕事。
もし良悟が試験に落ちたら、カッコ良く教えてやりたいじゃん。
「さーて。やりますか。」
そして、俺はよくそういう事の標的になる。
かと言って今更大騒ぎする程の物でもなく。
この前みたいに晒された訳では無い。
ーー放っておけば良い。
新人の内はどうしても、初めの半年は色々言われる。
けど、そろそろ止んでも良い頃合いだろと思っていた。
実際、ひそひそ話を見掛けることは減ったし、仕事のミスもしなくなった。
なのに。
変な所で運の悪い俺は、偶々聞いた。
「今日メリー君と二人?ええーおつかれー。」
残酷だなと思った。
けど納得もした。
ああ、そうかと。
指摘という建前が無くなった代わりに。
俺個人が気に食わないという話題に変化したのか。
良い歳した独身男が、女っ気も無く、朝からたった3時間のパートをしてる事が気に食わないらしい。
気に食わない、というか。
言いたいだけだ。愚痴ると言う行為が満たされる為なら何でもいい。
その空間を共有する事でチームワークを、自分達の縄張りを主張している。
誰がリーダーと言う訳では無く、残念ながら誰もリーダーでは無かった。
全員でうっすらと化けの皮を被り、他人を笑う。
その割に、乱暴な物言いの客が来た時には手際良く俺を呼ぶ。
ーー男の子の方が相手も大人しくなるのよ、お願い八木君。接客得意なんでしょ?
鼻で笑いそうになるのを、一瞬目を逸らす事で耐えた。
接客が得意だなんて言った覚えは無い。
大昔に本屋でバイトしてたってだけだ。
そうやって幾つか仕掛けた罠は、順調に広がった。
凄いよな。
ひとりにしか話してないのに、皆が知ってた。
それとは別に態と仕掛けた隙には、誰ひとり食い付いてこなかった。
大抵は誰か一人くらい、寄って来てくれるんだけどな。
全員が薄ら寒い化けの皮の着け心地を気に入ってるらしい。
俺からすれば気持ち悪い異様な空気。
向こうからすれば、これが常識。本音と建前の世界。
人が辞めた事もひとつの原因だと思う。
午前と午後のパートから一人ずつ人が減った。
4月だから、誰がどんな転機を迎えるのか他人には分からない。
そして、店長が三人体制を止めて二人ずつで店を回す事に決めた。
たった3時間だ。
その後のことは、その後に来るパートさんに引き継げば良い。
定時退社が何よりも優先だ。
客は待つ事に慣れてるし、人件費は可能な限り削りたい。
それでも二人体制は可能だと俺は思っていたし、実際特に不便は無かった。
お陰でシフト増えたし。
もうすぐ退勤時間だと言うタイミング。
つまり交代のパートさん二人が出勤の為にバックヤードに入って来た。
そこへ、俺のツーマンセルが裏で合流し、お喋りしてる声が偶々聞こえた。
メリー君。
男は俺と店長くらいしか居ない。
もしくは偶に来る業者のお兄さん。
つまり、メリー君は俺。
メリーさんは羊飼いだろ。
せめて郵便屋さんとかにしろよ。ダッセ、と喉元まで迫り上がってたけど。
俺が何を言った所で無駄だ。
相手にするとこちらが痛い目をみる可能性がある。
まさか更衣室に聞き耳を立ててたなんて言われたら、堪らない。
だから。目を瞑ろうと思ってた。
馬鹿馬鹿しい愚痴のコミュニティも、頭の悪い渾名も。
とりあえず12月までの繋ぎだ。
それもたった3時間。
けど、ひとつだけ。
その後に聞こえた言葉がどうしても許せなかった。
「和己、」
「んーー?」
ただいまを言って、殆ど無言でご飯を食べて、パリパリに乾いた陸也のスラックスを畳んでる時に、つい言わずにはいられなかった。
「俺と付き合うのは、つまらなかった?」
分かってる。
馬鹿な質問だって。
どう考えたってそんな筈無い。
「分かった。いつ辞める?」
感情を横に退けて、今から書類でも準備しそうな声が言う。
しかもなんか、タブレットを操作し出した。何、ちょっと何その空気。
「今、素体の需要って上がって来てるんだよね。良悟にも今まで何度もモデル貸してくれって声が来てたけど嫌だから断ってたんだよね。狭い業界だし、何時でも何処でも都合の付く子って中々居ないんだよ。小銭くらいしか稼げないし。だけど、掛け持ちしてる子もいるし、俺はマジで最近人手が欲しいから作業込みでやってくれると助かる。そうじゃなくてもひとりアシスタントを雇いたいって話は本気だよ。良悟なら妥協なんてしないし。遠慮も無いし。チームプレー嫌いな俺にも付き合える。」
「え?なに。」
ガチ過ぎて何か...、よく聞き取れない。
仕事の話だよな。
「楽しいと思うよ。それに、今より給料増えるし、やり甲斐もある。」
「だから、やらないって。」
「なんか良いとか、らしくないとか、新しい感じがするとか。今まで聞かせてくれたそう言う感性だけで十分な素質だし、何事にも基本と応用のテンプレートは有るんだよ。ほら、これが基本。こっちがその応用。他にも流れとか組み合わせとか有るけど、教本見れば分かるよ。良悟、暗記上手だしピックアップも上手いしね。」
思わずタブレットを見て、へぇとか。
応用難し過ぎる、とか考えた辺りで我に帰る。
まだプレゼンを続ける和己へ強行手段を取ることにした。
立って歩いて、態と勢いを付けてから膝に乗る。タブレットから手も離させて、腹回りに巻き付かせて、指を絡めてぎゅっと握る。
和己の時は、横向きの方が顔が見えるからそうしてる。
あと、今度うるさくしたら直ぐにそのくち塞いでやる。
「落ち着け。」
まず、素体が何か分からないし。
俺が手伝ってるモデルの仕事は、元々誰でも良いんだからそんなに需要がある訳ないだろ、と思う。わかんないけど。贔屓目が有ると思うし。
そもそも、拘束時間が長い。
夏にダウン着たり、ひたすらジャンプしたり、変な体勢を維持し続けたり。
「前も言ったけど。カフェか弁当屋をしたいくらいには、俺も和己と仕事したいと思ってる。家族経営はクソだけど3人も居れば他は要らない。」
これは、俺のエゴだなと思う。
二人を困らせて、心配させても、俺は自分で外との関わりを持ち続けたい。
そして二人の手を借りずに完結させたい。
自立したいんだ。
自分の事は自分で出来るし、自分でやりたい事を選んで良いと思いたい。
じゃないと甘えそうになるんだ。
うっかり家に閉じこもって、与えられる物だけを食べて、"お手伝い"が"お仕事"だと勘違いする様な事になった時。
俺はきっと後悔すると思う。
「落ち着けない。」
「少し愚痴ってるだけ、たった3時間だし。俺は大丈夫だよ和己。」
「そうは見えなかったな。」
「まぁ。変なあだ名を付けられてるっぽい。あと、サボるおばさんが居る。それから...俺と付き合ってもつまらなそう、って全然タイプじゃ無いおばさん達に笑われてるのを聞いた。」
俺のタイプは、俺を好きな奴だと思うし。
そんな物好きがこの家に二人も居る。
つまんなそう、とか。
他人に興味無さそうとか言われるのは、初めてじゃ無い。
実際、興味は無いし俺は人より臆病な性質で。
好きでも無い相手と話すのは嫌だ。
態々裏に自分から引っ込んで、そういう話をしに行くおばさんとする雑談なんて俺は持ち合わせて無い。
せっかくシフトが増えて、平日に連勤出来るようになったのに。
おばさん達は気に食わない。
「つまんない事なんて一つも無かったよ、良悟。」
俺だって雑談くらい出来る。
向こうがそうするのと同じ様に、俺も話す相手を選んでるだけだ。
信頼に値する人だと確信出来たら、雑談くらいする。
けど、現段階で俺はおばさん達を信用出来ない。
向こうもそんな物求めてない。
逆に俺がおばさんに懐いたら困るだろうな。
罪悪感で苦虫でも食ってろ。
「んっ。」
こめかみにキスが来た。
「ムキになってごめん。」
「過保護。」
腹に巻き付けた腕がぎゅっと締まって、首に和己の顔が埋まる。
あんまり、嗅がないで欲しい。
キスマークも...っ、ちょっと、こいつ今、見えそうなとこに付けたな、
「和己っ、」
「つまんない男の首に熱烈なキスマークだね。」
「んっ、何個付ける、んだ」
「見せびらかせば良いじゃん。鞄からこれみよがしにキーケースを出して、きっちり締めてる制服の襟を緩めたら良いんじゃない?良悟。」
それは、そう。
どう見ても拘りと金の掛かってる指輪の、内側に彫られたデカい文字はきっとおばさん達の目に入る。
それに、たった今着けたであろう緩めなくても見えそうな位置のキスマークも。
「あそこのスーパー気に入ってるんだ。」
「何で?」
「品出しが凄い。ポテチの袋が綺麗に並んでる。」
「ふーん?」
「だから、辞めてもあそこのスーパーには通いたい。」
嫌な思い出が有る所には近付きたくない。
もし、指輪を見せびらかして何か勘繰られたり聞かれたりしたら。
多分、本当にあの職場を嫌いになる自信がある。
今でもうっすら嫌いなのに。
「俺の大事なものを安っぽく振り翳すみたいで嫌だ。でも、これはちょっと見せても良い。」
エグいキスマークを問い詰めるおばさんにはまだ会った事が無い。
問い詰められたとしても、すみませんだけで済むだろう。
「和己。」
「なぁに?」
「もう一個、付けて欲しい。」
「良いよ。何処が良い?」
腹に巻き付く腕をぺりっと剥がして、和己が喜びそうな所に押し付けてやる。
キラキラのイケメンが鼻の下を伸ばす姿は、ちょっとカッコ悪くて可愛い。
「ここが良い。」
右太腿の内側。
正常位が好きな和己がよく親指で撫で回すとこ。
変態さんめ。
「はぁーかっわいぃー…♡」
ーーーーー
「ほんとに行くの良悟?」
「行く。」
「陸也に言った?」
「言った。遅くなるって。」
「ちょっと無理し過ぎだと思うなぁ。」
思い立ったら即行動。
俺は散歩が好き。
だから、和己の手を取ってまたバスに乗る。
これは、お礼だ。
俺の我儘に付き合ってくれて、またバスに乗るきっかけをくれた。
「和己、さっきの教えて。」
「ん?どれ?」
「デザインの基本と応用。」
「え、?まじ?」
「代わりに俺の勉強も聞いて。」
ファミレスで二人横並びして、やいやい言う。
高校の時によくやった。
陸也には横に並ぶと集中出来ないからやめてくれって言われた。
「良悟の勉強って俺にも分かるー?」
「んーーでも、面白いよ。」
あれやそれやと服を選ぶ和己の後ろで、荷物を揃える。
テキストとタブレット、イヤホン、ノートとボールペンくらいか。
バスは少し早い時間だからか、学生は居なくて。
どちらかと言うと、俺の苦手な雰囲気だった。
「りょーご。」
自分の胸元をトントン、と指してくれる。
「分かってる。」
ぎゅっ、と握り込んだ所にはドッグタグが下げてある。
俺のお守りだ。
ちゃんとGPSの見守り君も鞄に付いてる。
首と人には言えない様な所には、エグいキスマークも付いてるし、着てる服は和己の見立て。
「だいじょーぶ。」
ーーーーー
始めは、良悟を落ち着かせる為だった。
色々試して一番反応が良かったのがキスとハグ。
これは本当に只、二人暮らしの時から良悟が俺のキスとハグを、気に入ってくれたお陰で。
それでも、時々良悟を襲う恐怖が拭えなくなって来たタイミングで、優しく抱きしめて大丈夫だよって言い聞かせるだけじゃ足りないんだな、と思った。
「なに、やめろ、」
「ううん、やめないよ。可愛い乳首こりこりしても良い良悟?」
膝を抱えて泣いてる良悟の背後に周り、シャツの下に手を突っ込んだ。
ガッツリ回した腕と、止まる気配のない俺にびっくりした顔でこっちを見てた。
良悟の言う事を無視したのはそれが初めてだった。
一瞬だけ不安が消えた様に見えた。
そして、期待してる様にも見えた気がする。
涙を流す瞳が揺れて、彷徨って、俯いた。
それだけで、何かがじわじわと指先に滲み出して来るのがわかった。
指が先か脳みそが先かわからないけど。
良いアイデアが湧いてくるのと同じ感覚だった。
「良悟。ちょっとやってみたい事があるんだ。俺を信じてくれる。」
聞き入れるしかない様な言い方だったけど、良悟は頷いた。
今思えば、後ろから抱き締められて、興奮し切った男にそんな風に言われたら断るに断れなかったのかもね。
だけど俺は、少し前に買ったひよこの柄の手拭いを持って来て、良悟の目の前で封を切って見せた。縦長く細く折って、少し震えてる右手首にキュッと巻いた。
「片手、だけ?」
「そう。でも俺の左手も一緒。」
薄くて長い手拭いは俺の左手と、良悟の右手を一纏めにした。
「そっち引っ張って。」
「ん、」
俺が思うよりしっかり、力が入らないだろう震える指で手拭いを引く良悟をじっとみていた。
全く抵抗が無い所か少し興奮してる。
さっきまで泣いてたくせに、手ぬぐいに夢中になってる。
良いね。可愛いね。ほんとに抵抗無いのかな。
寸前まで気遣ってやるつもりが、口から出たのは意地悪な言葉といつになく甘ったるい声だった。
「そんなにしっかり結ぶの良悟?」
途端、ビシッと固まった良悟。
でも右手が俺の左手と一緒になってるから、遠慮なく指を絡めた。
恋人繋ぎで拘束。
えっろ。
「良悟。思ったより良いねこれ。きゅって指だけじゃなくて手首も繋がってるの。」
返事もなく、握り返されもしなかったけど、耳を真っ赤にして自分の右手を見てた。
あんまり可愛いからそのまま床に押し倒してた。
布団敷いてないのにな、痛いよねとか思いつつ。
握り込んだ指はそのままに、またシャツに手を突っ込んだ。
腹を撫でて胸を掠めた。
「俺を信じる良悟?」
「そ、れは、今から何をするかによるっ、」
「確かに。」
俺としては、そうやって答えられただけで、手首を縛った甲斐が有ったね。
聞かれるままに、うんと答えずきちんと思考した結果の返事だった。
良かった。
半日以上抱き締めてキスする以上の効果が見えた。
それと、自分の中にあるじわじわと指先を侵す何か。
もっと。やりたい。
もっと。触りたい。
「良悟、」
その感情が何なのか知ったのは、たっぷり良悟を抱いた後だった。
「良悟、今から少し酷い事をしたいんだ。手首を縛って、押さえ付けて、のし掛かって泣くまで良悟の乳首を吸いたいんだけど。許してくれる?」
そして多分、良悟も気付いた。
自分の中にある厄介な癖に。
「やってみろよ。」
ーーーーー
「言わんこっちゃ無い。」
「俺も説得したんだがな。」
「雨が降ろうが槍が降ろうが何のそのってか。」
お散歩に行くと譲らない黒柴君は、案の定熱を出した。
「その割にはステーキ食ってたな。」
「行く前はおろしハンバーグにするって言ってたんだけどね。」
「本能で栄養を摂りに行ったか。」
「あり得る。」
べそべそグズってさっきまでキスを強請ったり、セックスを強請ったりして大変だった。
熱い身体で潤んだ瞳と、細い声で擦り寄られても我慢した俺達の理性を褒めて欲しい。
下手に手を出すと治りが遅くなる。
大抵は半日も寝れば復活するから、早くて今夜、遅くても明日抱いてやるから寝な、と言い聞かせればスコンと落ちた。
「陸也、今日何かする?」
「いや、暇だな。」
「俺、仕事して来て良い?」
「良いぞ。見とく。」
「毛布暑いかな。」
「どうだろうな、最悪ここに運べば良いだろ。」
「あーーそうだな。任せる。」
良悟が聞かせてくれた勉強は、俺には全く興味無かったけど。
あの声が話してくれてると思うだけで、インプットされるのは笑う。
俺、良悟なら何でも好きなんだなぁ。
馬鹿なんだなぁ俺、と思う。
だけど、良いヒントを貰った。
氷がゴロゴロ入ったアイスコーヒーを持ってデスクへ。
あの時の手ぬぐいはボロボロになって処分しちゃったけど。
同じ柄のコースターが有るんだよね。
未だにこれを見ると、良悟が恥ずかしがってくれるから捨てられない。
キスしたくなる。
その前に仕事。
もし良悟が試験に落ちたら、カッコ良く教えてやりたいじゃん。
「さーて。やりますか。」
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