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妖精の森編

幼き妖精と西の魔女

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 「うんしょ、うんしょ」

 星降りの丘と妖精の森を繋ぐ道に、一輪のアネチアの花と本を大事そうに抱えた、幼き妖精がフラフラと一生懸命に飛んでいた。

 「あと半分くらいかな? あ!」
 
 一瞬の気の緩みか、アネチアの花と胸の間に抱えていた本がずれ、そのまま道へと落ちていった。
 幼き妖精は慌てて本を拾おうと地面へ降り、本へ手を伸ばすが、風の悪戯か、本はそよ風に吹かれ幼き妖精の小さな手から離れていく。

 「あ、あ、待って、待って」

 そよ風に何処へとも運ばれて行く本を、幼き妖精はアネチアの花を抱えたまま、ヨタヨタと追いかけた。
 追いつけそうで追いつけない。ヨタヨタしながらそれを何度も繰り返す。
 涙目になりながらも、アネチアの花を大事そうに抱え、必死に追いかける。 
 すると、そよ風に吹かれていた本がパサリと誰かの足先へ辿り着いた。

 「あら? 貴女、妖精じゃない」
 
 幼き妖精は声の主を見上げた。
 姫系の黒いゴスロリ衣装を着た年齢的には中学生くらいだろうか、これまた黒のレースが特徴的なパタゴ傘を差していた。姫系のゴスロリ少女は幼き妖精を見て、少し不思議そうな表情を浮かべた。
 
 「妖精がこんな所で何をしているの?」

 幼き妖精は驚きの余り声が出せない。
 ゴスロリ少女は自分を見て固まっている幼き妖精に優しく声を掛ける。

 「何もしないから、そんなに怖がらなくても良いわ」
 
 ゴスロリ少女はそう言うと、自分の足先に落ちている本を拾い上げた。

 「これ、貴女の?」

 幼き妖精は、アネチアの花をキュッと抱きかかえたまま小さく頷く。

 「そう。はい」

 ゴスロリ少女は屈むと手のひらに置いた本を笑顔で差し出す。幼き妖精はゴスロリ少女の手のひらから恐る恐る本を受け取った。

 「……あ、ありがとう」
 「どういたしまして」

 ゴスロリ少女は優しい目でニコリと微笑む。
 幼き妖精はその優しげな目を見て、危害を加える人物ではないと悟り自分の名を告げた。
 
 「わ、私はリリー。リリー・フラッシェン」
 
 それを聞いたゴスロリ少女は驚いた顔をした。
 それもそのはず、幼き故の行為なのかもしれないが、妖精は心を許した相手以外に名を告げる事は無いからだった。 
 パニティーも変質者と勘違いした大三郎に名を告げたが、”それはパニティーだから”としか言いようがない。それは、どの妖精に聞いても同じことを言うだろう。
 
 「私はティリス・ルイ・アンシエ。ティリスでいいわ。よろしくね、リリー」
 「ティリス?」
 「ええ。リリーはここで何をしているの?」
 
 ティリスは優しい笑顔のまま小首を傾げる。

 「今日ね、大切なお客様が来るの。だから、星降りの丘にアネチアのお花を摘みに行ってたの」
 「アネチアのお花?」
 「アネチアのお花には、いっぱいお話しましょうって花言葉があるの」
 「そう。いっぱいお話しできると良いわね。処で、リリーしか居ないようだけど、他の妖精は?」
 「リリーだけだよ」
 
 それを聞いたティリスは、幼い妖精が一人で居る事に目を見開き驚いた。
 
 「貴女一人じゃ危険でしょうに。他の妖精は一緒に来てくれなかったの?」
 
 リリーは俯きながら「皆に内緒で来たから……」と言うと、ティリスは小声で「まぁ……」と驚きの声を上げた。

 アネチアの花と本を大事そうに抱えたまま俯くリリーに、ティリスは手を差し伸べ優しい微笑みを受けべる。

 「私が家まで送っていくわ」
 「え?」
 「貴女一人じゃ危険だもの」
 「いいの?」
 「ええ」

 俯いていた顔を上げるリリーにティリスはにこりと微笑んだ。
 そっと差し伸べられた手のひら。リリーは戸惑いながらも、その手のひらに乗る。
 ティリスは手のひらに乗ったリリーを自分の肩に乗せた。
 
 「リリーのお家はどこ?」
 「この道を真っ直ぐ行った妖精の森にあるの」
 「この先にはマストアの森があるはずだけど、そこの事?」
 「うん。マストアの森の中に妖精の森があるの」
 「そう。分かったわ。じゃ、行きましょうか」
 「うん」

 星降りの丘と妖精の森を繋ぐ道。
 ティリスはリリーを肩に乗せ歩き出した。
 妖精一人では危険な道も、誰かと共に居るだけでほのぼのとした道へと変わる。

 「良い香りね」
 
 リリーが抱えているアネチアの香り。
 甘い香りと、それを中和するハーブの様な爽やかな香りが、ティリス達を包む。

 「うん。アネチアのお花の香りはリリーも好き。ティリスも好きになった?」
 「ええ」
 「じゃあ、今度、ティリスにも摘んで来てあげるね」
 「ふふふ。ありがとう」

 ティリスはリリーの幼さ故の純粋な思いに優しい微笑みを浮かべた。
 
 「ティリスはリトットから来たの?」
 「いいえ。遠い所から来たの」
 「そうなの?」
 「ええ」
 「どこから来たの?」
 「ペイラドワールと言う所からよ」
 「どこにあるの?」
 「西へずっとずっと行った所よ」
 「そうなんだ。ティリスは遠い所からここに何しに来たの?」
 「ある人物に来いって呼ばれたの」
 「お友達?」
 「友達ではないわ。寧ろ、会いたくもない奴ね」
 「そうなの?」
 「ええ。とっても嫌な奴なのよ」
 
 ティリスはそう言うと優しい微笑みが消え、嫌悪感丸出しの本当に嫌そうな顔をする。
 リリーはその横顔を見ながら、それだけ嫌っている相手に、わざわざ遠い所から会いに来るティリスを可哀想に思った。
 
 「ティリス」
 「なに?」
 「もしね、もし……」
 「ん?」
 「その人に会いたくないなら、リリーのお家に来る?」
 「え?」 
 
 ティリスはリリーの言葉に心底驚く。
 妖精が会ったばかりの人間を家に招こうとしている。
 幼さ故の無垢な優しさなのだろう。
 ティリスは肩に乗っているリリーを見ると、アネチアの花と本をキュッと抱きしめ、本当に心配そうにこちらを見ている。
 
 「リリーのお家ちっちゃいけど、ティリスが泊まれるお部屋もあるから」
 
 その無垢な優しさにティリスの心がほんわりと温かくなった。
 
 「ありがとう」

 人差し指でリリーの頬を撫で言葉を続ける。

 「リリーのお家へ行ってみたいけど、用を済ませないと」

 そう言いながら、指先でリリーの頬を優しく撫でるティリスの顔は、どことなく少し寂しそうに見えた。

 「もしね、その人に会って嫌だなって思ったら、いつでも妖精の森へ来てリリーを呼んで」
 「え?」
 「あんまりお部屋から出して貰えないけど、おねーちゃんに言って、ティリスを迎えに行くから。リリーのお部屋でいっぱいお話しようね。あ! リリーのお部屋ちっちゃいから、ティリスの泊まれる部屋でお話しよう」

 真っ直ぐ見つめてくるリリーの目にティリスは微笑みを返す。

 「リリーは優しいのね。その時はいっぱいお話ししましょう」 
 「うん」

 にこりと微笑み返事をする幼い妖精を、優しいくも悲しい目で見つめ、一瞬、何か思いにふける様に目を伏せた。そして再び前を向く。
 
 「リリーはどうしてお部屋から出れないの?」
 
 ティリスの何気ない問いかけにリリーは俯き口を噤む。
 
 「誰かに悪戯でもしてお部屋から出してもらえないとか?」
 「ううん」
 「まさか、何か病気でもしているの?」
 「ううん」

 リリーは俯いたまま、アネチアの花と本を強く抱きしめた。
 そんなリリーを横目で見たティリスは、答えたくない事なのかと思い無理に聞くことはしなかった。
 だが、無言のままだとリリーは沈んだままになりそうだと自分の事を話し始める。
 
 「私にもピコラって言う妹がいるんだけど、ピコラもあまり部屋から出してあげれないんだ」
 「どうして、ピコラはお部屋から出れないの?」
 「ちょっと、事情があってね」
 「じじょう?」
 「胸に病があるの」
 「そうなの?」 
 「ええ」
 「ピコラはどんな娘?」
 「どんな娘? そうね、庭に作った小さなお花畑の世話をするのが好きだったわね」
 「ピコラはお花が好きなの?」
 「ええ。天気の良い日は庭に出て、飽きもせず一日中、花を眺めていたわ。綺麗に咲いた花があると私にプレゼントしてくれたり」
 「優しい娘だね」
 「ええ。リリーのように優しい娘……だったわ」
 
 ティリスはそう言うと目を伏せた。

 「だった?」
 
 ティリスの横顔を見ながら不思議そうに問いかけるリリーに、ティリスは悲し気な微笑みを浮かべながら、青く澄み渡る空を軽く見上げた。

 「こんな青空の下で花の世話をするのが大好きなのに、部屋から出れなくなって、日に日に笑顔も少なくなって……。それでも、窓から自分の代わりにお花畑の世話をする、私の姿を見るのが好きだって言ってくれたの。でも、その内、話せないくらい弱っていっちゃって」
 「ピコラ、大丈夫なの?」
 
 不安そうに見つめるリリー。ティリスはふと優しい微笑みを浮かべる。

 「ええ。ある日、ピコラが凄く苦しんで、お医者さんにもう駄目だと言われたんだけど、その時、とある人物が現れてピコラを助けてくれたの」
 「良かったね! ピコラ助かったんだね」

 ホッとした顔をするリリー。

 「見違えるほど良くなったんだけど、でも、あの日から、少しづつ……」

 ティリスは言葉の最後を口にする事は無く、優しい微笑みも消え、悲し気な顔になった。

 「ティリス」
 「なに?」
 「もしね、ピコラの病気がまだ良くなかったら」
 「うん?」
 「おねーちゃんに言って治してもらおうよ」
 「え?」

 思いがけない言葉にティリスは驚きリリーの顔を見る。

 「あのね、リリーね、死んじゃうかもしれない怪我をしたの」
 「死んじゃう?」

 更に思いもよらない事を言われ、ティリスは歩く足を止めた。

 「うん。……前にね、妖精の泉に行った時にね、人間が入って来て、妖精の泉に悪さしようとしてたの。それでね、皆でやめてってお願いしたんだけど」
 「それで、人間はどうしたの?」
 「おねーちゃんの友達が斬られそうになって」
 「……もしかして」
 「代わりに、リリーが斬られたの」
 「貴女、その友達を庇ったの?」
 「うん。でもね、おねーちゃんとか皆がお祈りしてくれて治してくれたの」
 「お祈り?」
 「うん。病気や怪我を治してくれるお祈り」
 「怪我はもう大丈夫なの?」
 「もう大丈夫だよ。でも、まだ、お部屋から出ちゃダメって言われてるけど」
 「そう」
 「だからね、ピコラの病気もおねーちゃんに言って治してもらおうよ」
 
 リリーは真っ直ぐで純粋な目をティリスに向け見つめる。
 ティリスはその目に笑みを零した。

 「そうね。本当に困ったら、リリーにお願いしようかな」
 「うん! いつでも言ってね」
 「ありがとう」

 ティリスは優しい微笑みで礼を言うと再び歩き出した。

 「処でリリー」
 「なに?」
 「その人間の顔を覚えてる?」
 「あんまり覚えてない」
 「男だった? 女だった?」
 「ん~。髪が長かったよ」
 「そう」
 
 ティリスは徐に何処からともなく、御札のような一枚の紙を取り出した。

 「それなに?」
 「これを手のひらに乗せて」

 ティリスはそう言い自分の手のひらに紙を乗せると、何やらブツブツと唱えだした。
 すると手のひらに乗っていた紙が丸まりだし、針のように細長い形になると金色に輝いた。

 「わー! すごーい!」
 「はい。リリーにあげる」
 「え!? 良いの?」
 「ええ」

 リリーは差し出された針の様なものを受け取った。

 「これはなに?」
 「それはね、金の針と言って、石にされそうな人や痺れて動けない人に刺すと良い物よ。そして、リリーが困った時や、危ない目に合った時に地面や岩に刺すとリリーを助けてくれるわ」
 「そうなの?」
 「ええ」
 
 目をキラキラさせながら、ティリスから貰った金の針を見つめる。

 「ティリスは魔法使い?」
 「魔法使いの端くれ」
 「はしくれ?」
 「一応、魔法使いかな? ってこと」

 クスクスと悪戯っぽく笑いながら言うティリス。リリーもつられてクスクスと笑う。

 「そうだ! ティリス」
 「なに?」
 「あのね、今日ね、救世主が来るの」
 「救……世主?」
 「うん。ティリスもリリーと一緒に救世主に会って、救世主の白髪ベルトを貰おう」
 「し、白髪、ベル……ト?」
 
 ティリスはリリーと出会ってから驚かされっぱなしだが、これは驚くと言うよりも意味が分からないという感じだった。

 「うん、救世主の白髪ベルト。伝説のアイテムだよ」
 「伝説のアイテム?」
 「ピコラの分も貰おう」
 「え? え? ちょっと待って」
 「なに?」
 「その、白髪ベルト? その伝説のアイテムは聞いた事がないんだけど……。それは、どういう物なの?」
 「どういう物?」

 キョトンとするリリーに、どう説明して、どう説明し易くさせれるか一瞬悩んだ。

 「そ、そうね。そのアイテムは、どんな効果があるの?」
 「こうか?」
 「えっと、そのアイテムを持っていれば、こんな事が出来る、とか」
 「んとね、凄く元気になるって」
 「げ、元気?」
 「うん。叩かれても雷が落ちて来ても元気なんだって」
 「そうなの?」
 「うん。あとね、おっぱいが凄く大きくなるんだって」
 
 確かに、白髪の本体である大三郎は異常なまでに打たれ強く、エスカのライトニングを喰らってもアフロになった頭から煙を出すくらいだが、白髪を貰った者が大三郎の様になるとは言い難い。
 胸の事に関しても、妖精の森での出来事を見ていた妖精達が他の妖精に話し、それに尾ひれがついた上、雷の元であるエスカの爆乳がオプションで付いてしまったのだろう。 
 だが、それを聞いた途端、何も知らないティリスの目の色が変わった。

 「んまぁ! まぁまぁまぁ! それは凄いアイテムね! 是非! 是非欲しいわ! 寧ろ、是が非でも貰わないといけないわね。私の事を見れば、幼児体形だのお子ちゃま体形だの永遠のロリだのと言っていたあいつを……」
 「ピコラも元気になるかも。一緒に貰いに行こう?」
 
 リリーのその言葉に、少し興奮気味だったティリスは我に返る。
 
 「リリーは本当に優しい娘ね。用事が済んだら、少し寄ろうかしら」
 「うん! 救世主がリリーのお部屋に来たらお願いしておくね」
 「ふふふ。ありがとう」

 青空の下、ほのぼのとした雰囲気とリリーの優しさに自然と笑顔になる。
 その後二人は他愛もない話に花を咲かせながら歩く。

 「ティリスはここまで来るのに何日かかったの?」
 「ペイラドワールから直接来た訳じゃないから、ん~、もし、直接ペイラドワールから来たとしたらどの位かしら? 馬車でも数ヶ月はかかるわね」
 「そんなに遠いの?」
 「ええ。かなり遠いわ。でも、馬車で来た訳じゃないけどね」
 「そうなの? ティリスはなにで来たの?」
 「飛んできたのよ」
 「ティリス飛べるの!?」
 
 驚くリリーを見て、クスクスと笑うティリス。
 
 「冗談よ。転移魔法で来たの」
 「てんい? 魔法?」
 「そう。魔法でピュンてね」
 「すごーい! リリーね、もう少ししたら魔法を教えてもらえるの。リリーのおねーちゃんね、らいとにんぐが使えるんだよ。リリーも、おねーちゃんやティリスみたいな魔法を使えるようになれるかな?」
 「ライトニング? 凄いわね。電撃系魔法では上位に位置する魔法よ」
 「そうなの?」
 「ええ。リリーのおねーちゃんが使えるなら、きっとリリーも使える様になれるわ。頑張ってね」
 「うん! 頑張る」

 にこやかな会話を遮るように、後ろからティリスを呼ぶ声がする。

 「お、おい、ア、アンシエ」

 ティリスはその声に驚き振り返る。
 そして、声の主の顔を見るや嫌悪感丸出しの顔をした。

 「何であんたがここに居るのよ」
 「な、何でって。お、お前を、よ、よよ、呼んだのは、お、俺様だ、だぞ」

 どもるぎこちない喋り方が特徴的なその男は、背が低く小太りで、シャンプーハットの様なラフカラーを首に巻き、全体的に中世ヨーロッパの貴族風な服装なのだが、足が短い所為か、膝までの丸いカラフルな半ズボンが大きいかぼちゃパンツに見え、その下には白いタイツという恰好が貴族風と言うより、売れない滑稽な道化師に見えてしまう。
 男の頭は、誰かが坊ちゃん刈りをしようとして、やり過ぎたのか失敗したのか、逆に見事なキノコ頭になった髪型が更に滑稽に見せた。
 顔に至っては、垂れ目な上、ボテッとした瞼のクマが陰湿そうな印象を与え、ダンゴ鼻に分厚い唇、頬に肉がつき過ぎ少し垂れ下がり、そのまま二重顎と合体した”お前の輪郭はどうなっているんだ”と言ってしまいそうな顔。
 その顔の色は褐色と言うより、何ヶ月も風呂に入っていないような汚い土気色。それが陰険な顔つきに見せる。
 
 「あんたが呼んだ場所はここじゃないでしょ」
 
 リリーと会話していた時の優しそうなティリスとは打って変わり、笑顔が消え、無表情の中に嫌悪感と敵意をむき出しにしたティリスが吐き捨てるように言った。
 嫌悪感と敵意を向けられた男は、ティリスの威圧感にビクビクしているが、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる。

 「お、お前に、あ、会わせたい、やつ、奴がいてな。ク、クク、クフ」
 「は? 別に私は会いたくないわよ。って言うか、あんたが呼んだ場所はここじゃないんだから、あんたとの用は後よ。今の私は――――」

 ティリスは吐き捨てるように言いながら、男に背を向けようとした時、男の後ろから見慣れた服がちらりと見え、ティリスは目を見開き固まったまま、その服を凝視した。
 その服がスッと男の後ろから姿を現す。

 「な、何で……。ここに居るの? ピコラ……」
 
 ギョッとした顔が徐々に青ざめる。
 
 「ティリスお姉ちゃん」
 「ピ、ピコラ……」

 10歳くらいだろうか、ピコラは名を呼ばれるとにこりとティリスに微笑む。
 わなわなと震えるティリスはキッと男を睨みつけた。

 「ジュオニカスあんた……」

 ジュオニカスはピコラの後ろに隠れるようにササッと移動し、ピコラの両肩に手を置き、ニヤニヤと笑い耳元に顔を近づける。

 「ず、ずっと、ひ、一人ぼ、ぼっちで、さ、寂しくしてたから、か、可哀想でね。クフ、クフフ。つ、連れて来て、や、やったんだ。か、感謝、し、しろよ。クフ、クフフ」
 「ジュオニカス……、あ、あんたって奴は……」

 怒りが頂点に達しそうなのを必死に堪える様にギリギリと歯ぎしりをし、殺気に満ちた目をジュオニカスに向けた。
 そんなティリスにピコラが駆け寄って来ると、にこりと微笑んだ後、ティリスの肩に乗っているリリーを見つめる。

 「それは?」
 
 質問してくるピコラを見て、怒りで殺気立っていたティリスの顔が少し悲し気になる。
 
 「それ? ああ、リリーよ。妖精のリリー」
 「妖精?」
 「ええ」
 「こ、こんにちは。私はリリー、よろし――――ッ!?」
 「わー。妖精だー」
 
 ピコラはそう言うと、ガシッとリリーを掴み、まるで新しい玩具の人形でも手に入れたかのように喜びながら小走りに周りを走り、リリーを掴んだ両手を高く上げグルグルと回りだした。

 「くはっ!」

 10歳程の少女とは言え、手加減無しで掴まれたリリーは苦し気な声を出した。

 「ピコラ! 止めさない!」

 親が子を本気で叱る時の様に、リリーを容赦なく掴み燥ぐピコラに迫力のある大声で怒鳴った。
 その大声に燥ぎ回っていたピコラはピタリと立ち止まり、キョトンとした顔でティリスを見つめる。 

 「どうして?」
 「どうしてもよ。リリーを放しなさい」
 
 今度は叱りつける様にではなく、優しく諭すように言った。
 ピコラは高く上げていた手を顔の前まで下し、けほけほと咳き込むリリーを俯く様に見つめる。
 そして無言のまま、リリーを放した。
 解放されたリリーはフラフラと飛ぶと、ジュオニカスがとんでもない事を言いだした。
  
 「さ、さぁ~、ピ、ピコラ。お、鬼ごっこの、じ、時間だぁー。クフ! クフフ!」

 ジュオニカスはそう言い両手の手のひらを天高く上げると、爆心地からショックウェーブが広がる様に景色が灰色になった。それはまるで色を失った世界。

 「何時の間に詠唱を……。ジュオニカス! ペンバントカースを使うなんて、あんた正気!!?」
 「クク、お、俺様は、ひ、一人ぼっちだった、ピ、ピコラと、あ、遊んでやって、い、いるだけだ。ククク、ず、ずっと、た、大切な妹を、ひ、一人ぼっちに、さ、させていたお前に、も、文句を言われる、す、筋合いはない。クフクフ」
 「くっ……」

 心の底から嫌悪感を抱いている相手に痛い所を突かれ、反論できないティリスは怒りでカッと開いた目に涙を浮かべる。

 「キャハ! キャハハハハ!」
 
 突然、狂ったような甲高い笑い声が響き渡る。
 
 「ピコラ……」

 色の無い空を見上げ、狂ったように甲高い声で笑っているピコラを、ティリスは今にも泣き出しそうな顔で見つめていた。
 自分で作った小さいお花畑で楽しそうに花の世話をしていた、あの頃のピコラの面影は無かった。
 何かを得るには何かを差し出す。
 どの世界でも等価交換は必然。
 しかし、余りにも大き過ぎた。失ったものが余りにも……。

 ティリスは何時も心の中で呟き続けていた。 

 『誰か助けて。お願い、誰か……助けて』と。

 その心の叫びに近い呟きは、今も尽きる事は無い。
 でも、誰も助けてはくれなかった。
 いや、正しくは、助けてくれた者は居た。だがそれは、悪魔の如き者だった。
 
 「ピコラ……やめて……」

 このままだとピコラにリリーが殺されてしまう。リリーに死んでほしくない。ピコラに殺しをしてほしくない。
 今のピコラに自分の声は届かないとティリスは知っている。それでも絞り出す声で、一滴の涙を流し訴えた。
 届く届かない以前に、ティリスの声はピコラの甲高い笑い声にかき消される。
  
 『誰か助けて。お願い、誰か……助けて』

 「あの~、御取込み中、申し訳ないんだけど」

 突然、聞き覚えの無い素っ頓狂な声が聞こえた。
 見ると、これまた素っ頓狂な顔の男が後頭部を掻きながら近づいて来た。
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