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第三部 四季姫革命の巻

第二十七章 姫君集結 4

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 洞窟の脇、水で抉(えぐ)れて脆くなった地面に大きな穴を掘り、榎と紬姫は夏を埋葬した。
「こんな深くて暗い場所だけど、そのまま放っておくわけにもいかないから……」
 穴の中に横たわる夏を見つめながら、申し訳なく詫びる。
 もっと、日当たりのいい場所に埋めてあげたかったが、今はその余裕がない。何もせず、放置しておくのも忍びない。
 今できる、最大限の供養だった。
「紬姫、最期は、あなたが」
 首の下まで土を被せ、榎は場を譲った。
 紬姫は夏の側に膝を突き、ただじっと、穏やかな死に顔を見つめていた。
「綺麗な顔だ。今にも、目を開いて動き出しそうな……」
 夏の表情は穏やかで、眠っているのではないかと思えるほどだった。
 そうだったら、どれだけ良かったか。紬姫だけでなく、榎も強くそう思う。
 だが、夏の死は現実だ。榎も、紬姫も痛いほどよく分かっている。
「そんな考えも、儚き幻想なのだろうな。夏姫の力は、其方が継承したのだから。夏の魂は、既に新たなる夏姫の元に辿り着いているのだから」
 紬姫は大きく深呼吸をして、ゆっくりと夏の顔に土をかけた。やがて夏の姿は完全に見えなくなった。盛り上がった土の上に石を載せ、手を合わせて冥福を祈る。そして、榎の中で息づく、夏姫の魂に祈りを捧げる。
 絶対に、この人の死は無駄にしない。
「夏さん。もっと、色々と話したかった。やっと気付いたんだ。あなたの複雑な心の中は、きっと、綴さんに通じるものがあったんじゃないかって。あなたを知れば、綴さんの気持ちも、少しは理解できたんじゃないかって……」
 飄々とした、何者にも流されない堂々とした佇まい、それでいて、どこか詰めが甘くて、情に厚くて、穏やかで優しい。激情に身を任せる時があっても、それは必ず、大切な人を思う瞬間だけ。
 夏と過ごした時間に、不思議と懐かしさを感じていたのは、気のせいではない。
 榎は、夏と綴をいつの間にか重ねて見ていたのだと気づいた。
 夏を知ることは、綴を知ることに繋がったかもしれない。もう少し長く一緒にいられたなら、何か、大切な答が見えたかもしれない――。
 だが、それももう叶わない願いだ。
 あとは、榎自身で解答を得なければならない。
 再び、綴の元に戻って、綴と向き合って。
「いつまでも、嘆いている時間はない。夏姫の張った結界が消える前に、体勢を整えねば」
 先に悲しみの淵から立ち上がり、現実に目を向け始めたのは、紬姫だった。
 通路の先の、崩落した天井部に視線を当て、目を細める。
「結界の外では、紬姫の中から飛び出た巨大な悪鬼が、中に入ろうともがいておる。さらに、濃厚な邪気に狂わされた膨大な数の妖怪たちも、押し寄せておる。ひとたび結界が破れれば、一気に雪崩れ込んできましょうな。そうなれば、成す術もなく京は滅び、死者の世界となりましょう」
 安倍晴明も側にやって来て、天井を見上げた。
 夏姫の禁術の効果は、どのくらい続くのだろうか。榎自身にも、分からない。
 だが、永遠に効力を発揮する術なんてありはしない。紬姫から飛び出した悪鬼や、集まった妖怪たちの勢力と榎の力の差を考えても、長くは保たないであろうとは簡単に推測がついた。
 紬姫にも、分かっているのだろう、強い決意を瞳に秘めて、頭上を睨み付けていた。
「そうなる前に、伝師の生き残り全てを懸けて、妖怪どもを根絶やしにする」
「しかし、いくら精鋭揃いと言えども、数では確実に劣りますな」
 晴明は表情は変えないが、こちら側の力の不利を指摘して危惧する。
 榎に視線を向けて、尋ねてきた。
「夏姫様、其方は、一人で時を渡ってきたのではないでしょう? 他の四季姫様たちも、この京に来ておられるはずでは?」
「そのはずです。でも、どこにいるかまでは……」
 榎も思う。
 みんながこの場にいてくれれば、どれだけ心強いか。
「それに、この時代に前世の四季姫がいる状態では、陰陽師の力が使えないかもしれないと聞きました。あたしは運良く使えたけれど、他のみんなは……」
 満足に戦えずに、危険な目に遭っているかもしれない。朝と宵が無事に合流してくれていればいいが、今から探しに行く時間もないし、再会できる保証もない。
「夏が今際に呟いた言葉が真実であるならば、他の四季姫たちも恐らく皆、死んでおろう。四季姫たちの魂も巡り巡って、新たなる命に変化を遂げておるはず」
 不安に俯く榎に、紬姫が声を掛けた。
 夏が最期に呟いた言葉が、榎の脳裏に蘇る。
「来世で、また……か」
 あの言葉や、最期の瞬間に空に浮かび上がった、四季姫たちの姿。
 あの四季姫たちは先に死に、夏を迎えに来たのだろうか。
 共に、転生の輪に入るために。
 来世で再び、巡り会うために。
 榎たちが、幸せに生きられるように――。
 突然、岩が崩れる音が聞こえて、榎は我に返った。
 天井に大穴が開いた場所から、聞こえたようだった。
 激しく石くれが転がり落ちてきたと思った直後。
 見慣れた人影が、榎たちの前に歩み寄ってきた。
「やーっと見つけた。何をぼさっとしとるんや! まだ戦いは、終わっとらんで!」
「随分と、探しましたえ。辺り一面、酷い有様どすな」
「怪我はしていない? すぐに治すからね!」
「みんな……」
 松明の明かりに照らされた、三人の四季姫たちの顔。
 ほんの数日会っていなかっただけなのに、とても懐かしく感じた。
「ようやく、巡り巡って四季姫が集ったようですな」
 晴明の嬉しそうな声が背を押してくれ、榎は三人に飛びついた。
「やっと、四人揃いましたな」
「えらい、時間かかったけどな」
「みんな無事で、本当に良かったわ」
 みんな、榎を抱きしめ返して、再会を喜んでくれた。
 力強い。みんなが一緒にいてくれるだけで、勇気が湧いてくる。
 どんな困難でも乗り越えられる。そんな確信が胸を一杯にした。
「其方たちが、未来の四季姫だな」
 感動の再会を喜んだ後、紬姫が榎たちに近寄ってきた。
「あなたが、紬姫……」
「当然どすけれど、お若いですな」
「っちゅうか、まだ子供やないか」
「でも、お腹には赤ちゃんがいるのよね?」
 この時代の紬姫を初めて見た三人は、各々に緊張し、息を飲む。
 警戒している様子が見てとれる。この時代の紬姫は四季姫たちにとっての天敵である事実は、三人の中では変わっていない。
 誤解を解こうと榎が口を開くより早く、紬姫が語りだした。
「其方たちの使命、夏姫よりしかと聞いた。この京を襲う危機は、全て伝師の邪な歴史と、妾の弱い心が招いたもの。時を渡る前に、全ての責を清算しておきたい。其方たちには世話を掛けるが、どうか、この世に平穏を取り戻すため、京を守るために、もうしばらく力を貸してもらいたい」
 紬姫は、ゆっくりを頭を下げた。
 その様子を見た三人は顔を見合わせ、強い意志を込めて頷いてくれた。その表情からは、もう警戒心も敵意も存在しない。
 あるものは、強い決意を秘めた、頼もしい闘志だった。
「そのために来たんだもの。椿は戦うわ」
「あなたの率いる一族には、言いたい文句も山ほどありますけど、恨み辛みは後回しどす」
「全部丸く収めるためには、付き合わなしゃーないんや。戦って勝って済む問題なんやったら、分かりやすうて有難いわ」
 三人の言葉に、紬姫の表情にも安堵が浮かんだ。
 多少の反論や攻撃も、受ける覚悟はしていたのかもしれない。
「恩に着る。この借りは、いずれ必ず」
「せやな。未来で、昔のうちらに返してもろうたらええわ」
「ややこしい話どすな」
 すぐに、他愛のない談話ができるぐらいに打ち解け、皆で笑い合っていた。
 その姿を傍で見ながら、榎は少し、複雑な心境だった。
「えのちゃん、疲れているの? どこか怪我でも……」
 榎の元気のなさに気付いた椿が、心配そうに声を掛けてくる。
「いや、あたしは平気だけど……」
 榎は少し躊躇いつつも、思っている内容を口に出した。
「みんなも、変身できたっていうことは、その……」
 言いかけて口ごもるも、皆はその言葉の意味を酌んでくれた。
 みんながこの時代で変身して、四季姫の力を使えるということは、やっぱり前世の四季姫たちは、既に全員、死を迎えたわけだ。
 もしかしたら、榎が夏の最期を看取ったのと同様に、みんなもまた、四季姫たちと接触し、死に目に立ち会ったのではないだろうか。
 その予測は、的中していた。
 三人の悲痛そうな表情が、その事実を物語っている。
「せやな。結果的に、うちらは〝あの人たち〟を、救えんかったっちゅうわけや」
「何もできなかったわ。力がないせいで、結局、最期まで見届けるしかできなかった……」
「……辛い現実を、目の当たりにしました。忘れたくても忘れられん、そんな別れも、経験させて貰いました。せやけど、そのお陰で、今の私たちがいられるんどす。この命の価値、意味、存在理由を理解できただけでも、この時代にやって来られて良かったと、私は思うております」
「この先、この命と力で何を為すべきか。今度は間違えんようにせなあかん。くだらん犠牲になった、全ての人たちのためにもな」
「椿たちが背負っているものは、椿たちだけのものじゃないから。それが、ちゃんと分かったから。だから頑張らなくちゃって、思えたの」
「……うん、そうだね。あたしたちが、ちゃんと未来を繋がなくちゃいけないんだ」
 それでも、三人は四季姫たちの魂をしっかりと受け止め、強い思いを込めてこの場に立っていた。
 仲間たちの前向きな言葉は、少し足踏みしかかっていた榎の心を、しっかりと後押ししてくれた。
 榎も、夏の死を無駄にするわけにはいかない。
 必ず、使命を果たして歴史を元に戻す。
「えのちゃん、行きましょう!」
「行くで!」
「行きますえ」
「うん、行こう。京を、みんなが残したものを、守るんだ!」
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