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第三部 四季姫革命の巻

第二十八章 伝記終焉 5

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 小さな松明を手に、沈黙が訪れた夜の京を、榎たちは人知れず、気配を消しながら進んだ。
 人に姿を見られるわけにはいかない、と慎重に歩いていたものの、そんな心配はする必要もなく、辺りに生きた人間など、どこにもいなかった。
 いるのは、死者ばかり。
 妖怪も人間も入り混じった夥しい数の死体が、道を埋め尽くしている。酷いところは屍が山となり、頂上が脇の塀の上にまで届きそうな勢いだった。壮絶な戦いが繰り広げられた証拠だ。
 命を落とした全ての陰陽師たちが、京を、伝師を、紬姫を守るために戦った。
 榎は歯を食いしばり、怒りと後悔に襲われずにはいられなかった。
 もっと早く、語を止められていれば。これほどの犠牲は出なかったのではないだろうか。
 紬姫をもっと上手に説得できていたら。夏の命を助けることができていたなら。
 こんな悲劇は、起こらなかったんじゃないか。
 そう考えれば考えるほど、悔しさが込み上げてくる。
 そんな榎の肩を、柊が掴んだ。
「何を考えとるか、よう分かるで。けど、そら考えても意味のないことや」
「この悲劇は、起こるべくして起こった、事実です。歴史上には残されていない、闇に葬られた出来事かもしれませんが、この犠牲があり、それらに私たちがかかわったことで歴史が正常に流れ、その結果、私たちは存在しているんどす」
「運命なんて言葉で片付けちゃうには、重すぎるけれど。だからこそ、えのちゃんが一人で背負い込めるものではないわ」
「うん、分かってる。分かってるよ……」
 分かっていても、この気持ちは中々晴れない。
「よう頑張ったやん。うちらも、榎も。みんな、全力を尽くしたんや」
 柊に抱きしめられ、頭を撫でられる。
 途端に、榎の眼から涙が溢れてきた。
 何が悲しいのか、はっきりと分からない。
 でも辛い。その理由の定まらない辛さを、涙と一緒に必死で洗い流そうとしているみたいに感じた。
 気持ちが落ち着き、涙を拭いて顔を上げると、側に紬姫が立っていた。
 音もなく、屍の山を踏み越えて、榎たちの前に歩み寄ってきた。
「全て終わった。みな、闇の中に葬られた。其方たちのお陰だ。感謝する」
 紬姫は、深々と頭を下げてきた。榎も倣って、頭を下げた。
「だが、何もかも、失ってしまったな。守るべき家も、愛する者も……」
 顔を上げた紬姫は、辺りを見渡して、疲弊した表情で深く息を吐いた。絶望しか浮かんでこない、沈み切った表情だ。
「まだ、残っているでしょう? 守らなくちゃいけない、大事な存在が」
 椿が喝を入れると、紬姫は膨らんだ腹に手を置き、頷いた。
「わかっている。妾は時を渡り、その先で子を産み、育てる。そうしなければ、この腹の子を――夏の子を守れぬとも、わかっておるが……」
 分かっていても、どうしようもない。榎もついさっきまで、苛まれていた心境だ。
「そうだよね。いくら未来が決まっているからって、気持ちまでは、そう簡単に決まらない」
 だから榎には、今の紬姫の心境がよく理解できた。
 たとえこれが運命だったとしても、未来を切り開くために必要な犠牲だったとしても。
 その犠牲はあまりにも大きすぎる。この先の希望と秤にかけて、果たして釣り合うほどのものだったのか。
 こんな犠牲の先に、何らかの幸せを手に入れたとしても、それを本当に幸せだと感じられるのか。
 紬姫は戸惑っているのだろう、疑っているのだろう。確実に未来を写し出す、予知の力さえもを疑いたくなるくらいに。
 榎一人でこの悩みに直面していたら、きっと答を見つけ出すなんて不可能だっただろう。だが、目の前で同じ理由で悩み、戸惑う紬姫を見ていると、何となく頭が冷静になってくる。
 榎がしっかりして、紬姫の背を押さなければと、思えてくる。
「あたしたちには、紬姫の気持ちの整理をお手伝いすることはできないけれど、これだけは言わせてください。あなたが繋いだ、夏さんの想い、綴さんの命、未来のあたしたちが必ず守ります。貴方が未来を見られなくなったその後も、ずっと、ずっと、あたしは綴さんを守っていく。必ず、助けていく。だから、どうか、時を渡って下さい」
 強い口調で榎が告げると、紬姫を顔を上げた。その瞳には、松明の火が映りこんで、激しく力強く、燃え滾っていた。
「その約束、違えるでないぞ」
「もちろん。絶対に」
 榎が強く頷くと、ようやく、紬姫の表情に微かな微笑が浮かんだ。
「紬姫さま、何処でおじゃるか!!」
 背後の闇の奥から、月麿の声が響く。随分と心細そうな、震えた声だ。
「五月蠅い奴がきた。だが、駒は揃ったようだな。あの者は、其方たちが後に覚醒するために、必要な存在。うまく動かさねばならぬ」
 榎たちは小声で素早く、時渡りについての段取りを話し合った。
「――四季姫たちの魂が滅びず、転生してしまったため、千年後にお前たちが再び蘇ってしまう。その魂を今度こそ裁くため、四季姫を覚醒させ、白神石の封印を解き、鬼閻の生贄に捧げる使命を、月麿に与える、と。その流れで、よいのだろうか」
 月麿に刷り込ませるための表向きの設定を纏めて、紬姫が復唱した。榎たちは満足して頷く。
「ばっちりやな。予定通りや」
「そして、月麿を見送った後、妾も時を渡ればよいのだな」
「どうか、お願いします」
「分かった。其方たちがいては、混乱を招く。身を潜め、時を置いて其方たちも元の時代に戻るがよい」
 話は終わり、紬姫はまだ騒いでいる月麿のいる方向へと向き直った。
 だが、ふと何か思い出したらしく、踵を返す。
 紬姫はまっすぐ、榎の目の前に立った。
「夏姫。まだ、名を聞いていなかった」
 見上げられた榎は少し照れ臭そうに笑った。
「榎です。水無月榎」
「榎、妾の前に屈め」
 突然でよく分からなかったが、言われるがままに紬姫の前に膝を突く。紬姫は榎の頭を、小さな手でそっと包み込んだ。額と額を重ね合わせ、ゆっくりと目を閉じる。
「最後に、触れさせておくれ。懐かしい、あの者の魂の匂いを、永劫、忘れぬように――」
 榎も目を閉じて、紬姫にされるがままに、大人しくしていた。紬姫の唇が、榎の額に触れる。温かで微かな息遣いが、すぐ側で聞こえた。
 愛する人を、恋焦がれる女性の、ありのままの姿。
 紬姫は、榎の中に、必死で夏の魂の面影を探しているのだろう。
 やがて、紬姫は榎から手を離した。目を開けると、紬姫は寂しそうな笑みを浮かべていた。
「やはり、違うな。其方は、夏姫であって、夏ではない」
 榎の中に、確実な夏の姿は、見つけられなかったらしい。それでも満足した様子で、紬姫は後ろに足を引いた。
「榎。遥か未来で、また会おうぞ」
 そして、紬姫は屍の山を踏み分けながら、暗闇へと消えて行った。

 * * *

 暗闇の中で、紬姫と月麿とのやり取りが続けられる。
「紬姫、ご無事でしたか。誰かと、話をしておいででしたか……? こんな、屍の山で、誰と……」
「――なんたる非業じゃ。此度が最後と、伝師の持ちうる全ての力を使って戦いに挑んだというのに、〝奴ら〟を完全に滅ぼす使命、果たせなかった……」
 紬姫は月麿に時を渡る命を授け、死んで見せることによって月麿の背を後押しした。生者の残らない荒廃したこの京から、月麿は泣きながら時を渡り、この時代から存在を消した。
 その様子を見届けた後、紬姫は起き上がり、月麿に続いて陣を作り、地脈の門を潜った。
 はるか千年の先、未来の世へと、旅立っていった。
 紬姫が時を渡り、周囲には榎たち以外、誰もいなくなった。
 榎たちは安堵の息を吐き、肩の力を抜いた。
「これで無事に、歴史が流れ出すわね」
「一安心、どすな」
「よかったやん、榎。綴さんも奏さんも、みんな助かるで」
「うん。これで、もう大丈夫だ。全部、うまくいったよ」
 間違いなく、歴史は正常に動き出した。
 千年後の世界では紬姫が綴を生み、転生した四季姫の魂を宿した榎たちが生まれる。そして綴は伝師の後継者として暮らし、榎たちは月麿との出会いによって、四季姫として覚醒する――。
「本当に、うまくいったよね……?」
 それなりに良い結果が出せたものの、榎の中には何となく、不安のしこりが今でも消えずに残っていた。
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