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第一部 四季姫覚醒の巻

第二章 伝記進展 6

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 金曜日の放課後。
 顧問の教師に引率されて、榎とあまねは他の部員たちと共に、学校の近くに建っている協立病院を訪れた。
 福祉部で活動している部員は、榎や周を含めて十人弱。少なく感じるが、あまり大勢で病院に押しかけても迷惑だし、ちょうどいい人数なのだろう。
「着いたどす。四季が丘病院どす」
「思っていたより、でかいんだな……」
 榎は面食らって、大きな建物を見上げた。外壁の汚れが目立つせいか、少し古ぼけた感じはするが、田舎の病院とは思えないほど、立派だった。
「福祉部の部員は最初に、病院側から介護しても良い、と許可された患者さんと面会して、お話しします。お世話をする過程で荷が重かったり、患者さんが拒んだ時には変更もありますが、一度決まったら、その患者さんが退院されるまで、お話し相手になる場合もあるどす」
 周が、部員に配られたプリントを見ながら説明してくれた。
「水無月はんは、405号室の患者さんのお世話どす。個室どすか、金持ちはんどすな、きっと」
「どんな人だろう、緊張してきたな」
 病院に着いた時からずっと、榎の心臓は高鳴り続けていた。
 どういった場所でも境遇でも、人との出会いは嬉しくて、かつ不安を伴った。
「最初は、患者さんとの相性を見るために、顧問の先生と看護師さんがついてくれはりますから、気張らんでも大丈夫どす。落ち着いて、頑張ってくださいね」
 病院の看護師さんたちと挨拶を交わし、さっき周が話してくれたものと同じ内容の簡単な説明を聞いた後、周や他の部員たちは、四階の相部屋の病室に向かっていった。
 榎はみんなと別れて、405号室の扉の前に立った。
 扉の横の名札には、『伝師 綴』と書かれていた。
「……何て読むんだろう?」
 国語が苦手な榎には、苗字も名前も読めない漢字だった。
「扉をノックして、中に入ってください」
 付き添いの看護師さんに促され、榎は扉を手の甲で二回、叩いた。部屋の中から「どうぞ」と、声がした。
 男の人の声だった。あまり力強くはないけれど、若そうな声に感じた。
「失礼します」
 扉をスライドさせて開き、榎は一歩、部屋へと足を踏み入れた。
 広い個室だった。小さな机とベッドが置いてあるだけの、榎の部屋みたいに少し寂しげで、簡素な部屋だった。
 ベッドに横になり、こちらを見ていた患者は、真っ白な髪をした男性だった。
 髪は白いが、老人ではなかった。榎より少し年上くらいの、若い男の人だった。
「やあ、また会ったね」
 男の人はにっこりと、榎に笑いかけてきた。
 一瞬、何を言われているのか分からずに、榎は男の人をじっと凝視した。
「またって……? あああー! あなたは、京都駅で会った……!」
 すぐに気付いた。目の前の男の人が、初めて京都にやってきた際、京都駅で助けてくれた、綴という名の青年だと。髪の色はまったく違っていたが、声や表情は充分、記憶に残っていた。
「お知り合いですか?」
 看護師さんに尋ねられ、我に返った榎は、大きく頷いた。
「はい、前に、一度……」
「顔見知りやったら、お話も弾むわねぇ。伝師くんは、水無月さんにお任せしますわ。帰る時間になったら呼びにくるから、よろしくね」
 榎と綴の相性は問題ない、と判断された。看護師さんと顧問の先生は、安心して部屋を出て行った。
 任せられたとはいえ、いきなり二人っきりで取り残され、榎は途方に暮れた。
 妙に緊張した。初めて出会った時と同じく、顔が熱くなった。
「どうぞ、座って。ずっと立っていると、疲れるでしょう」
 綴はベッドの側に折りたたまれていたパイプ椅子を開いてセットし、榎に勧めた。
「はいっ、ありがとう、ございます……」
 榎が椅子に腰掛けるのを見計らって、綴は丁寧に、榎に頭を下げた。
「改めて、自己紹介から。伝師つたえし つづるといいます。気軽に名前で呼んでもらえたら、嬉しいな」
「みみ、水無月榎ですっ。先日は、どうも……」
 榎も緊張しながら、深くお辞儀をした。
「よろしくね、榎ちゃん。榎ちゃんは、中学一年生?」
「そうです。十二歳です。綴さんは?」
「僕は十七歳だよ。本当なら学生だけれど、入院続きだから、ろくに通っていない」
 高校生か。もっと大人かと思っていた榎には、少し意外だった。
 すごく緊張したけれど、綴がリードしてくれているお陰か、スムーズに会話ができて嬉しかった。
「前にお会いした時は、たしか黒い髪だった気がするんですが……?」
 自信のついた榎は、勇気を出して綴に話しかけた。
「うん、外に出る時はね、染めるんだ。真っ白の髪なんて、目立つだろう? 好奇の日に晒されたくないしね。突然変異らしくて、本来の色は、白いんだよ」
 少し肩を竦める仕草で、綴は笑って説明してくれた。
「車椅子に乗っておられましたけれど、足が悪いんですか?」
「足が悪いし、体も弱い。全部、突然変異なんだってさ。まるで僕、未知の生物みたいだね」
「いいえ、とんでもないです」
 自嘲する綴に、榎は大きく首を横に振った。
「榎ちゃんたちは、四季が丘中学校の福祉部だよね。いつもは来てもらっても、断っているんだ。気味悪がらせては悪いし、たぶん話も合わないから」
「すみません。あたしも、迷惑でしたか?」
 榎は福祉部の部員として、入院している人と交流が持てて、嬉しいと感じていた。
 だが、入院している人達にとっては、いきなり中学生が押しかけてきて話したり世話をするなんて、迷惑な行為なのかもしれないと思った。
 不安になって尋ねると、綴は満面の笑みを浮かべた。
「迷惑なら、最初から部屋に入れないよ。君だから通したんだ、話がしたくて」
 嬉しいような、恥ずかしいような。むず痒くなる言葉を向けられ、榎はどう反応していいか分からず、照れて少し俯いた。
「僕がこの病院にいて、驚いた?」
 綴が顔を寄せ、黙りこんだ榎の顔を覗き込んで、小声で尋ねてきた。榎は顔を上げて、大きく頷いた。
「はい。すっごく驚きました」
「そう。僕は驚かなかったよ。君が僕のところへ来るって、分かっていたからね」
 榎が来ると、なぜ綴が知っていたのか。榎は漠然と考えた。
「看護師さんに、前もって教えてもらっていたんですかね?」
 榎が自己納得しようとすると、綴は違う、と言わんばかりに、ゆっくり首を横に振った。
「ここの看護師さん、けっこう意地悪でね。誰が来るのかいつも内緒にして、教えてくれないんだよ。まあ、普段は断るから、どうでもよかったんだけれど」
「じゃあ、どうしてあたしが来るって……?」
「夢に見たんだ。君がやってくる姿を」
「夢、ですか? あたしを?」
 榎は思わず、綴の顔を凝視した。唖然とする榎を見て、綴は楽しそうに笑った。
「僕には不思議な力があってね。遠くで起こっている情景を、時々、夢に見るんだよ」
 綴の説明は、丁寧だったが、根本的な部分がよく分からなかった。
「よく、漫画とかにある、予知夢みたいなものですか?」
 尋ねると、綴は再び、首を横に振った。
「予知ではないね。リアルタイム。眠っている時に、どこかで別の場所で起きている出来事が見えるんだ。大きな事故だったら、翌日に僕が夢に見た光景と同じ内容の記事が、新聞に載る時もあるよ」
「はあ、なんだか、すごいんですね」
 本当に、すごいと思った。すごすぎて現実味がなかったが、綴が嘘をついているとも思えなかったので、とりあえず納得した。
「君が京都駅で財布を落として困っていた時も、丁度、うたた寝をしていてね。偶然、財布の行き先を夢に見たのさ」
 あの時の、小難しい説明の意味が、やっと分かった。あながち、綴たちとの出会いも、偶然ではなかった気がしてきた。
「でも、どうして、綴さんはあたしの夢を見るんでしょうね?」
「さあ、どうしてだろう? 君も、僕のものとは違うけれど、不思議な力を持っているみたいだから、互いに引き付けられるのかもしれないね。――戦うお姫様?」
 目を細めた、綴の微笑みの質が変わった気がした。悪意は感じられないが、鋭い眼光が、鋭利な刃物みたいに冷たく感じられた。
 榎の背筋に悪寒が走り、思わず椅子から立ち上がった。
「なぜ、あたしの秘密を知っているんですか……!?」
「ひょっとして、僕の話を信じていなかったかな? ごめん、突拍子すぎたね」
 謝ってくる綴の表情は、元の穏やかな笑顔に戻っていた。
「僕は遠くの出来事を夢に見る。最近では、京都へやってきた女の子が、平安時代のお姫様みたいな姿に変身して、妖怪と戦う情景を見ていた」
 しばらく、榎は言葉が出なかった。
 綴は、榎の正体を知っていた。夏姫として覚醒し、変身して戦う姿を、まるで側で見ていたかの如く、把握していた。
 榎は、綴の語る遠くの情景を夢に見るという不思議な力について、他人事だからと真剣に考えていなかった。まさか夏姫の姿が夢に見られているなんて、思いもよらなかった。
「いつから、見えているんですか? あたしの姿」
「かなり前だよ? 君がまだ、京都へくる前から。大変だったんだね、お父さんの会社が倒産して、一家がバラバラになって」
「そんな事情まで、ご存知なんですか」
 榎は全身に鳥肌が立った。榎のありとあらゆる行動が、かなり具体的に、綴には見えていそうだった。少し恐怖を覚えた。
「……怖がらせちゃったね、ごめんよ。君なら、僕の奇妙な体質を知っても、あまり驚かずにいてくれると、思ったものだから。安心して、見るものはコントロールできないけれど、人のプライベートを、口外なんてしないから」
 綴は少し項垂れて、寂しげな表情で詫びてきた。榎の態度が、綴を傷つけたと感じ、少し胸が苦しくなった。
 人に話せない、話してもまともに理解してもらえない秘密を持っている点では、榎も綴も境遇は同じだ。綴は榎の秘密を知った上で、気味悪がらずに受け入れてくれているのだから、榎だって綴を拒みたくなかった。
「大丈夫です。びっくりしたけれど、納得もできますから」
 落ち着いて呼吸を整え、榎は囁いた。
「納得、してくれるのかい?」
 頭を上げて、少し驚いた表情を見せてくる綴に、榎は大きく頷いて見せた。
「だって綴さん、一目であたしが女だって、分かったでしょう? ずっと、不思議だったんです。いつも男の子に間違えられるのに、どうして綴さんは、あたしを「お壌さん」って呼んだんだろうって。夢で見て、知っていたからだったんですね」
 榎が先日の出来事を思い出して語ると、綴は眉を顰めて、困った表情で笑った。
「夢で見なくたって。どこからどう見ても、君は女の子だよ」
 他愛もない綴のひとことが、榎の胸にとても強くぶつかってきた。
 また、顔が急激に熱くなった。榎は無言で、下を向いた。
「ごめん、また何か、気に障る物言いをしたかな?」
「いいえ、その、初めて言われたから、びっくりして……。ありがとう、ございます」
 心配そうに声をかけてくる綴に、榎はなんとか返答できた。
「……君が変身して、妖怪と戦っている姿を見てから、ずっと気になっていたんだ。もし良かったら、教えてくれないかな? 君が何者で、なぜ戦っているのか」
 尋ねられて、榎は頭を上げ、首を傾けた。
「夢で見て、ご存知ではないのですか?」
「僕の見る夢は不鮮明で、途切れ途切れなんだ。うまく話の流れがつかめない場合が多いのさ」
 榎は納得し、夏姫について話そうと決心した。
「何から話せばいいのか……」
「僕が質問をするから、答えてくれるかな?」
 綴の助け舟に、榎は頷いた。綴はベッドの脇に置かれたチェストから、ノートと万年筆を手に取った。
 順を追って、綴は榎に問いかけてきた。夏姫として覚醒するまでの経緯や、何の目的で戦っているのか。分かりやすい質問で、榎は包み隠さず、全て的確に答えていった。
「なるほど、陰陽師か。君は平安時代に妖怪と戦って命を落とした、陰陽師のお姫様の生まれ変わりなんだね。現代に蘇った妖怪をやっつける使命をおびて、仲間を探しながら戦っていると」
「だと、聞いていますけど。昔の記憶があるわけじゃないし、全然、自覚もなくて」
「面白いね。次世代の平安絵巻、というわけだ。平静絵巻、と呼んでもいいかもな」
 綴は榎と話を交わしながら、ずっと、ノートに万年筆を走らせていた。
「さっきから、何を書かれているんですか?」
「プロットだよ。お話のあらすじ書きみたいなものさ」
「お話のあらすじって……まさか、今のあたしの話をですか!? 何のために?」
 盛大に驚く榎を見て、綴は不思議そうな表情をした。
「ああ、……そうか、言っていなかったね。僕は時々、仕事で物書きをやっているんだ。一応、小説家なのさ」
 突拍子のない綴の返答に、榎はただただ、唖然とするしかなかった。
「時々、夢に見る出来事からインスピレーションを得て、僕なりの解釈で物語を作っているんだ。君の話、とても興味深いから、なんだか急に創作意欲が湧いてきちゃって」
「まさか、あたしのお話を書こうなんて、考えているわけでは」
「君が主人公の、物語だよ。駄目かな?」
 綴は笑顔で尋ねてきた。榎は首を思いっきり、横に振り乱した。
「駄目ですよ! 恥ずかしいです!」
「恥ずかしがらなくてもいいのに。君を実名で出すわけでもないし。……そうだな、出版するかどうかは最後に考えるとして、とりあえず最後まで、君の戦いを書いてみたいんだ。もし良ければ、許可をもらえないかな」
「許可って言われても……」
 榎は困り果てた。物語の主役になるなんて実感が湧かないし、どう返答すればいいか、分からなかった。
「書きあがるまでは、絶対に誰にも見せないよ。君と僕の秘密。で、どうかな?」
「……秘密、なら、いいかな」
 うまくいいくるめられた気もしたが、榎はしぶしぶと頷いた。綴は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。また何か、進展があったら話しにきてよ、楽しみにしているから」
「また、話しにですか?」
 思わず、榎は呟いた。当たり前に綴と接していたが、福祉部の仮入部として病院へやってきていただけだった現状を、すっかり忘れていた。
「来てくれないのかな? ひょっとして、病院に来る日は、今日だけだった?」
「いえ、きます! 次も絶対にきます!」
 正式に福祉部に入部しようと、本気で決心した。
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