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第二部 四季姫進化の巻

十四章 Interval~伝師の闇に潜むもの~

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 秋の夜長。
 傘崎響は、生活拠点にしている無人キャンプ場の外れで、切り株に腰掛けていた。
 日が暮れると、京都の山中はかなり冷え込む。どこからともなく鹿の鳴き声が聞こえ、冷たい風に吹き流されて消えていく。
 キャンプ客もまばらに点在するが、夏に比べれば、いないに等しい。静かな夜が戻ってきて、響的には有り難かった。
 響は静寂を楽しみながら、手元のランプの明かりを頼りに俯いていた。
 光に照らした手には、現像したばかりの幾枚もの写真の束を掴んでいる。脇に置いた、真四角の古い形をしたカメラで撮影したものだ。
 被写体の過去を映し出す、特殊なカメラだった。人間が進化させてきた写真技術と悪鬼の持つ特殊な能力を融合して完成させた、響の手作りだ。
 いろんな相手に、コネを振りまきすぎたせいで自滅した狐妖怪――赤尾が残した、最期の手土産でもあった。
 いい加減な奴だったが、よほど鬼蛇の脅しが恐ろしかったのか、赤尾はきっちりと、夏姫―?水無月榎の写真を撮影してきた。その命と引き換えに。
 同情する気はないが、有り難い話だ。
 写真に写った榎の姿からは、様々な姿を垣間見れた。
「夏姫の過去……っていっても、戦ってばっかりだなぁ」
 ほとんどが、十二単姿のお姫様に変身して、眩しく輝く白銀の剣を振り回していた。
 ほとんどの時間を、妖怪退治に費やしてきたのだろう。榎の真面目な姿が良く見て取れた。
 ごくまれに、日常生活の様子も映り込んでいた。セーラー服姿で登校する様子、授業中に居眠りしている様子、電話の前で答案用紙と受話器を手に、半泣きで俯いている様子。
 戦っているとき以外は、何の変哲もない普通の中学生だ。日々の情景を想像するだけで、微笑ましくなる。
 中には、胴衣を着て竹刀を振りかざしている写真もあった。
「なるほど、学校では剣道部なんだね。見たまんま、熱血なご様子で……」
 元々、血気盛んな性格なのだろう。以前垣間見た夏姫のイメージと、ぴったり重なった。
 今のところ、榎と萩の深い接点らしき情報は、見当たらない。榎なら、何か知っているかもしれないと踏んでいたが、考えすぎだったか。
 思った結果が得られずに、少し焦り、苛立つ。
 パラパラと、写真を捲っていく。ふと、突然、見慣れない建物が映り込み、響は手を止めた。
 白いコンクリート製の、大きな建物。場所は知らないが、四季が丘町にある病院だろうか。
「誰かの、お見舞いかな?」
 榎は病棟の、とある個室に足を踏み入れていた。中に設置されたベッドの上で、上体を起こした一人の青年が、榎を笑顔で迎え入れていた。
 真っ白な髪。血色の悪い、痩せ気味の容姿。
 響は思わず、手を止めた。写真に写る青年の姿を、じーっと凝視する。
 昔、見た覚えのある顔と、同じ面影を感じ取った。
「――この男、よく似ている。あの、魔性の女に」
 昔といっても、ほんの数年前ではない。遥か千年もの昔に見た、悍ましい女。
 響、そして父である鬼閻の因縁の相手でもある、悪鬼の規律を掻き乱した、腹立たしい存在。
 伝師一族の顔だと、一瞬で確信した。生まれながらに真っ白の髪は、人間と悪鬼の血が濃く混ざった者に現れる特徴だ。
 千年の長い時を、この国の裏で生き抜いてきた響が知る限りでは、鬼閻の封印後に滅びの道を歩んだ伝師一族が、表舞台に登場した記憶はない。
 だが、細々とその血統を後世に繋げてきた事実も、知っていた。ただし、この世に存在して命を繋いでいるだけの、注視する価値もない、ちっぽけな存在だが。
 長い歴史の中で悪鬼の血も薄れ、ただの人間に戻りつつある廃れた一族の中から、これほど濃い血統が出現するとは、非常に珍しいし、興味深い。
 伝師に起こっている変化の兆候は、前からあった。ほんの十数年前の頃から急に、伝師一族は表舞台に台頭してきた。現代社会を象徴するIT産業を担う大企業として急成長を遂げ、莫大な富を築きはじめた。悪鬼に対して直接影響のある変化ではなかったものの、響はその劇的な変貌に、少し注目していた。何か、予感めいたものを無意識に感じ取っていたのかもしれない。
 その予感は、不本意ながら命中した。四季姫の魂を持つ少女たちが次々と覚醒し、伝師一族の周囲が、一気に賑やかになっていった。
 四季姫の先陣を切って戦ってきた夏姫と、伝師一族の血を引く青年に接点があっても、別におかしくない。四季姫たちの相次ぐ覚醒や、白神石の封印解除。ここ最近に起こった大きな変化を裏から操っていた存在は、間違いなく伝師一族だ。
 四季姫と悪鬼を繋ぐ直線上には、常に伝師がいる。ならば、四季姫を名乗るがために本来の姿を忘れた、哀れな悪鬼の少女の存在についても、何か知っているのではないか。
 だいたい考えが纏まったところで、後頭部にガツン、と何かがぶつかり、激痛が走った。足元に転がってきた、野球ボール大の石を発見する。この石が頭を直撃したのだと、すぐに気付いた。
 もちろん、この地球上で、地面に落ちている重い石が勝手に浮かび上がって飛んでくるわけもない。振り返ると、石を投げて響にぶつけるにはちょうど良い距離の場所に、一人の少女が立っていた。萩だ。
 薄暗がりの中、機嫌悪そうに突っ立って、響を睨みつけていた。普通に声を掛ける気は微塵もないらしく、響に用事があるときは、いつもお決まりの攻撃を嗾けてくる。普通の人間だったら、まず一撃で昏倒するか死んでいるだろう。
 乱暴ではあるが、響に対して意思表示をするくらいには心を開いてくれているのだから、完全に拒否されるよりは随分とましだ。最初にぶつけてきたスイカ大の岩に比べれば、投げ飛ばしてくる石の大きさも徐々に小さくなってきたし、少しずつ距離感が縮まっているのだろうと実感はしていた。
「おい、腹が減った。さっさと飯を作れ」
 大概、萩が響を呼ぶときの目的は食事の催促だ。
 本来の悪鬼ならば、一ヵ月くらい飲まず食わずでも死にはしない。だが、多くの邪気を失っている萩にとっては、外部から栄養を吸収しなければ生命の危機に関わる。
 一日たりとも、食事を欠かすわけにはいかなかった。
 本来の悪鬼ならば、常に食べ続ける生活のほうに嫌悪感や拒否を示すところだが、自信が人間だと強い暗示を受けている萩は、人間と変わらないその生活を当然だと思っているので、文句も不満もなく食事を摂ってくれている点は、有り難い。
 妖怪を抵抗なく食ってくれれば一番良かったが、悪鬼としての感性を取り戻すまでは、人間の食事で我慢しておくほうが賢明だ。
「はいはい。すぐに、準備しますよ」
 響は考えを一旦中断して、腰を上げた。
 料理をするといっても、不慣れな男やもめの野宿生活だ。手作りなんて以ての外のため、レトルトのカレーで辛抱してもらう。
 温めたカレーライスを勢いよくスプーンで掻っ込んでいく萩を見つめながら、響は再び、写真の青年について考えを巡らせていた。
 直接、萩と何らかの接点がある可能性は低いが、伝師一族の人間と顔を突き合わせれば、萩の記憶に何らかの変化が起こるかもしれない、と思い至った。
「ちょっと訊きたいんですが。君は、この写真の男に見覚えがないかな?」
 試しに、響は萩に写真を見せてみた。
 手を止めた萩は、鋭い目で写真を睨み付けた。
 直後。プラスチック製の食器が地面に落ちて転がった。
 萩は上擦った声を放ち、勢いよく立ち上がって、頭を抱えて苦しみだした。
「頭が、割れる……。中に、何かが入ってくる!」
 突然の変化に、響は動揺する。一瞬、姿を見ただけで、この反応とは。確実に脈がある。
 確信は持てたが、萩に与えた衝撃は想像以上だ。響は慌てて、萩を宥めようと近寄った。
 だが、萩は響を拒み、激しく手を振り乱して遠ざけようとした。
「やめろ! アタシに、その男の顔を見せるな! 近付けるな!」
 響が手に持ったままの写真に怯えているのだと気付き、裏返して地面に置いた。
 再度近付くと、萩は抵抗しなかった。響は萩を強く抱きしめて、背中を擦った。
「大丈夫ですか? 無理しないで」
 ゆっくりと、落ち着かせる。脱力した萩は、響の腕の中で気を失った。酷い汗だ。
 萩をテントの中に寝かせながら、響は静かに考えを纏め直した。
 あの写真の青年なら、間違いなく萩について、何か知っている。萩の怯え具合から考えるに、萩に暗示をかけた張本人だろうか――?
 だが、理由が分からない。四季姫の完全な覚醒を望んでいた伝師一族の人間が、なぜ四季姫の行動を妨害する、偽の秋姫なんて用意する必要があるのか。
 若しくは、別の何者かが送り込んだ偽物を妨害するために、萩に記憶の封印を施したのか。
 事実は、この青年に直接問い質すしか、なさそうだ。
 悪鬼の血の影響を色濃く見せる、伝師の青年の力量も把握できない状況では、あまり積極的な行動は避けたい。
 でも、囮に使おうにも、赤尾はいないし。
 考えた末に、響は腹を決めた。
「今回ばかりは、私が動くしかなさそうだな」
 外出の準備を整え、響は静かに、キャンプ場を後にした。

 * * *

 翌朝。
 面会可能時間になると同時に、響は病院を訪れた。
 ナースステーションで〝伝師〟の名を訊ねると、すぐに部屋を教えてくれた。
 405号室。部屋番号のすぐ下には、入室している患者の名前も書かれていた。
「なるほど。綴くん、ね」
 青年の名をしっかりと頭に刻み込み、響はゆっくりと、扉をノックした。
 中から、返事が聞こえた。写真に写し出されていた姿に似つかわしい、若く弱々しい声だった。
 ゆっくりと、扉を開く。中は、広い病室のわりに質素で、閑散としていた。一つだけ置かれたベッドの上に、伝師一族の青年――伝師 綴が上体を起こして座っていた。
 突然現れた響に、不思議そうな視線を向けている。
「失礼いたします。突然、申し訳ありません。私、フリーのカメラマンをしています、傘崎と申します」
 扉の前から動かず、響は軽く会釈し、人間の世界で名乗っている肩書を告げた。
 普段は、見た目の胡散臭さから不審者扱いされがちな響だが、職業を説明すれば、たいていの人間は心を許してくる。
 綴も例外なく、警戒心を解いた。物珍しそうに響を眺めて、「どうも」と、会釈を返してきた。
「実は今、病院の日常風景をテーマに写真を撮らせていただいていまして。よろしかったら、個室の写真も撮影したいのですが、構いませんか? もちろん、プライバシーにかかわるものは、一切撮りませんので」
 営業スマイルで、一気に綴との距離を縮める。人間とのコミュニケーションは、長年の経験のお陰で、かなり得意だ。相手に悪意や強い猜疑心がない限りは、たいてい穏便に済ませられる自信があった。
 綴が響を悪鬼だと感付いた様子も、見られない。病室が似合う、弱々しい綴の姿を観察していると、伝師一族だからと気を張り詰めすぎた気がして、警戒心が杞憂に思えてくる。それくらい、綴は無防備だった。
「構いませんよ。どうぞ」
 響の申し入れを快諾し、綴は掌を見せて、突然の客を招き入れた。
「ありがとうございます。では、失礼して……」
 響は、安心して一歩、室内に足を踏み入れた。
 その瞬間。全身に釘でも突き刺されたみたいな痛みと痺れが襲い、体が動かなくなった。
 嫌な空気が、張り詰める。これ以上先に、進んではいけない。全身が拒否反応を起こしていた。
 慌てて、足を引っ込める。嫌な気配と全身の痺れは、すぐにとれた。我に返ると、全身が汗だくになっていた。
「どうか、なさいましたか?」
「いいえ、ちょっと、立ちくらみがして」
 不思議そうに尋ねてくる綴に、響ははぐらかした返答をした。
 だが、明らかに平常とは程遠い響の様子を見て、綴は少し目を細めた。
「一つ言い忘れていました。この部屋、一般の人間の方なら自由に出入りできますが、妖怪や悪鬼は絶対に入り込めない結界が張ってあります。結界がお体に障るのであれば、申し訳ありませんが、お引き取り願えますか?」
 綴の淡々とした言葉に、響はつい、勢い余って殺気を噴出してしまった。周囲に邪気が充満する。綴もその気配を存分に感じ取っているはずだが、怯える様子も見せない。ただ冷静に、響を見ているだけだった。
 響を労わっているかにも思える目つきだった。
 このまま粘っていても、綴との接触は無理だ。悪鬼にとって不利な環境が整えられている以上、口で問い質そうとしても無理だろう。
 響は舌を打ち、扉を閉じた。
 やむを得ない。出直しだ。
 息を切らしながら、響はよろめき、壁伝いに病室を離れた。
 呼吸を整えるために、非常階段のある通路で立ち止まる。手が震えていると気付いた。
 あの結界の力に、体が怯えているのだと、初めて自覚した。
 響も、鬼閻の息子――鬼蛇として、並大抵の悪鬼など足元にも及ばない力と邪気を内に蓄えて生きてきた。
 その響に、凄まじい威圧感を与えるほどの結界を作り上げられる者が、伝師一族の中に存在するというのか。
 悪寒が、止まらなかった。
 何か、恐ろしい化け物が、あの綴という青年のバックに就いている。生半可な覚悟では、手を出すだけでも命取りになりそうだ。
 諦めて病院を去ろうとした時、廊下を異質な二人組が歩いてきた。
 一人は、綺麗な黒髪を縦に巻いた、いかにもお嬢様、と呼べる風貌の少女。
 もう一人は、この時代には似つかわしくない、武官束帯を身に纏った男だった。小太りで達磨状の体形をしたその男に、響は見覚えがあった。
 陰陽 月麿。
 かつて伝師一族の忠実な犬であった、陰陽家の当主。
 四季姫を現代に蘇らせるため、時渡りの禁術を用いてこの時代にやってきたという噂は、耳にしていた。
 最近は気配も姿も見なかったが、まだ、伝師の腰巾着として京都にいたのか。
 まあ、時渡りの禁術は、未来に飛べても過去には戻れない。現代にやってきた以上、この時代で生を全うするしか道はない。ならば、伝師に生活を頼る他に生きる術はないだろうが。
 綴の病室に結界を張った人間は、月麿なのだろうか。あれほどの威力を、下っ端の陰陽師ごときが持っているとも思えなかったが、昔と今では、あらゆる力の均衡が変化している。可能性は大いにあった。
 だが、月麿は廊下で立ち止まり、表情を歪めた。
「妙な気配でおじゃる。……近くに、強い結界が張られておるのか?」
 響を退けた結界に気付き、不思議そうな顔をした。どうやら、月麿の仕業ではなさそうだ。
「長のおわす部屋から、感じるでおじゃる。奏姫、麿がおらぬ間に、何か起こったのであろうか?」
 月麿は隣にいる少女に訊ねた。奏姫と呼ばれた少女は、申し訳なさそうな表情で月麿を見た。
「あなたに、謝らなければなりません。あなたに長として会わせていた者は、実は本物の伝師の統治者ではないのです」
 奏は真摯な態度で、月麿に詫びた。月麿は唖然とした表情で立ち尽くしていた。
「今まで、あなたに指示を送っていた者は、私の兄です。本物の長は、一族ほとんどの者が居場所も知らない、秘密の場所に身を隠しています。部外者とはいっさい会わず、表には滅多に出てきません」
「なんと。では、この館は長から外部の者の目を逸らすために作られた、偽りの伝師家でありまするか!」
「いいえ。この建物は病院。怪我人を治療する医療施設です。伝師とは縁もゆかりもありません」
「では、傷ついた者たちは、陰陽師の厳しい修行を行う門下の者たちでは……?」
「まったく、関係ありません。一般の病人です」
 月麿が何を勘違いしていたかは、よく分からないが、奏が告げた事実は、大きなショックをもたらしたのだろう。体を震わせていた。
「混乱させて、ごめんなさい。あなたの真の忠誠心を試すために、長から命じられていたのです。あなたの誠意は、私がこの目で、しかと見届けました。よって、真実をお話した次第です」
 奏の声に、月麿の体の震えは止まった。饅頭でも蓄えているのかと思える程に膨らんだ頬を揺らしながら、顔を上げて穏やかに微笑んでいた。
「いいえ、ありがたきお言葉でありまする。麿は、長の試練を乗り越えられたのでしょう。極上の幸せでごじゃる」
 月麿の気配に、怒りも憎しみもないと察すると、奏の表情も柔らかくなった。
「この結界は、長がお兄様を守るために施したものだと聞き及んでおります。少し前に、お兄様に接触しようとした悪鬼がいたのだそうで。人外の存在にしか、効力のないものです。安心して、お入りなさい」
 二人は扉を開き、難なく中に入っていった。
 その様子を見届けて、響は病院から外に出た。
 病院周囲を歩きながら、考える。
 病室の結界は、伝師の長が作ったもの。響を律するほどの力を、現在の長は持っている。
 それほど強大な存在が、現代に出現しているとは。響も伝師一族を侮りすぎて、気配にすら気付いていなかった。
 さらに、あの結界は以前にも綴に接触しようと試みた悪鬼に対して作られたものだと話していた。
 その悪鬼とは、萩を指すのではないだろうか。
 様々な要因が、繋がりそうで繋がらない。今以上の事実を知るには、響でも力不足だ。
 もっと、内部に入り込める手駒を用意する必要がありそうだ。
 響は体勢を整え直すために、山に戻った。
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