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第二部 四季姫進化の巻

第十七章 悪鬼復活 2

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 二
 祭壇に立つ四季姫の姿を見た綴の表情が、一気に豹変した。
 何も知らされていなかったとみえる。驚愕を浮かべると同時に、顔色が一気に青褪めていった。
 その後、ものすごい剣幕で睨みを利かせてきた。怒りの中心に榎を見据えていると気付き、少し恐怖が襲った。
 だが、もう迷いはない。榎がどれだけ嫌われているかも、全て承知の上だ。
 優しい言葉を掛けてもらえるなんて、思わない。微笑みかけてもらえるとも、思っていない。
 榎は冷静に、綴の姿を見つめた。
「もう、二度と会わないと言ったはずだ。夏姫」
 綴は祭壇の中心に近寄り、榎に向かって静かな怒りをぶつけた。
「綴さんの邪魔は、しません。綴さんの居場所も役割も、奪わない」
 気持ちを鎮め、言葉を選び、榎は静かに、はっきりと発言した。
 声が震えそうになる。嗚咽を何とか堪えて、言葉を吐き出し続けた。
「最後に、手助けをさせてください。あなたが伝師の長として、立派に使命を果たせるように」
 榎の言葉を聞いていた綴の表情は、徐々に呆然としたものに変わっていった。
 お構いなく、榎は続ける。
「あたしたち、四季姫の力を、全て差し上げます。この力を、あなたの使命の支えとして、使ってください」
 四季姫全員の視線を受け、気圧されたのか、綴は車椅子に深く背を埋め、俯いた。
 しばらく放心していたが、やがて顔を上げた。
 なぜか、怒り以上に悲しみが見える表情に変わっていた。
「そんな力、要らない。君たちの力など、必要ない!」
 綴の付き放つ言葉に、榎は途方に暮れた。
 許しては貰えなくても、綴にとって有益な力になるのだから、きっと受け取ってもらえると信じて疑わなかった。
 なのに、最後の協力まで拒まれたら、榎はどうすればいいのだろう。
 今まで辛い目に遭わせた、罪滅ぼしさえ、させてもらえないのだろうか。
 必死でこらえていた涙が、じんわりと目尻に溜まりだした。
「お前な! 榎が誠意で、大事な力を譲り渡す言うてんねんぞ! 男やったら黙って受け取らんかい!」
「そうよ、えのちゃんの、あなたに対する感謝の気持ちでもあるのよ! どうして分かってあげないの!?」
 綴の態度に、柊と椿が激怒する。
 榎の気持ちを代弁してくれたのだろうが、榎はもう半分以上、諦めかかっていた。
 独りよがりだったのだろう。綴にとっては、何をやっても余計なお世話だった。
 結局、榎は綴に対して、どんな感情を伝える資格さえ、与えてもらえなかった。
「もういい」と言いかけた矢先、綴が震える口を開いた。
「四季姫の力を、誰かに引き渡すことが何を意味するか、本当に分かっているのか?」
「陰陽師の力を失えば、私たちが二度と四季姫に変身できなくなることは、承知の上どす。急な話でしたけど、榎はんの覚悟は本物ですさかい、私たちも同意しました」
 綴の問いかけに、楸がまっすぐ答えた。返答を聞くと同時に、綴は眉を顰ませた。
 同時に、怒気も消えた気がした。少しずつ、綴の心が揺らいでいるのだろうか。
「伝師一族には、陰陽師が使う神通力を抜き取る技術があるのでしょう? それを使ってあたしたちの力を手に入れれば、綴さんは、より強い力を持って地脈の力を制御できる。体に負担をかけることなく、長の役目を全うできるでしょう?」
 榎は必死に、力を譲り渡すと決めた理由を伝えた。
 綴へのせめてもの気持ちなのだと、どうしても分かって貰いたかった。
「あたしは結局、綴さんに何もできなかった。迷惑をかけてばかりだった。せめて最後に、全ての力を使って、お詫びをさせてください!」
 お礼もいらない。喜んでくれなくてもいい。
 ただ、力になれればいい。綴に感謝したい。その気持ちを、必死でぶつけた。
 綴は茫然とした目で、不思議そうに榎を見つめていた。その表情には、明らかな困惑が見て取れた。
「力を抜き取る技術? ……そんな嘘、誰に吹き込まれた?」
 気の抜けた一言に、今度は榎が困惑する番だった。
 不意に、別の人間の気配が祭壇に近付いてきた。綴も気付いたらしく、榎とほぼ同時に、視線を出入り口に向ける。
「なんだ、まだ、儀式を始めていないのか。長に、なりたいのだろう? さっさとしろ」
 綴の父親―?護が立っていた。
 護の姿を視界に入れた途端、綴のこめかみに血管が浮かび上がった。
 今まで、榎にさえ見えなかった、凄まじい怒りを迸らせた。
「――お前か。伝師に巣食う毒虫が!」
 喉の奥から振り絞った、低い唸り声を上げる。
 護は綴の表情や声には少しも動じず、詰まらなさそうな表情を浮かべていた。
「私は常に、伝師の復興と繁栄を望んでいる。どんな手段を使ってでも、伝師の名声を永遠のものにして見せる。どんな犠牲を払おうともな」
 護は何の前触れもなく、手を顔の前に持ち上げ、指を鳴らした。
 直後、突然、体を巡る地脈が、激しくうねりを伴いだした。
「陣が、勝手に発動した!?」
「なにこれ、頭が、割れそう!」
 突然の、意図しない陣の発動と共に、激しい頭痛に襲われた。全身も痺れて、内側から強烈な痛みが走る。
 まるで、体の中を奇妙な生き物に食い破られているみたいだ。
 立っていられなくなり、榎たちは膝を折り、地面に倒れ込んだ。
「既に、儀式の準備は整っている。あとは祭壇に、四季姫の魂を移すだけだ」
「魂って、まさか……」
 榎はかろうじて意識を保ち、護の言葉に注意を向けた。
 護は冷たい視線を、榎に向けてきた。
「すまないね、全ては伝師のためだ。君たちには一族を守るために、霊体となってこの地に留まって貰おう」
 殺される。
 本能的に、護の姿から殺意を感じ取った。
 恨みや憎しみといった、負の心がもたらす殺意ではなかった。
 喩えるなら、人が他の家畜などの動物に対して何となく向けるような、大した意味もない、当然の殺意。
 人としても扱われていないのだと本能的に察した瞬間、とてつもない恐怖に襲われた。
 だが、そんな感情も、長くは抱いていられない。
 意識が遠退く。ゆっくりと、視界が高くなり、空に舞い上がる感覚がした。
 ふと見下ろすと、倒れている榎自身の姿がおぼろげに見えた。
 これが、死ぬという感覚なのだろうか。
「月麿! 陣を壊せ! 儀式を止めろ!」
 途切れ掛けた意識の中、綴の怒声が響き渡った。
「はひぃ!」
 月麿は飛び上がって、陣に向かって印を結んだ。
 直後、陣を形成する地面の一角にひびが入り、音を立てて割れた。
 陣は光を失い、地面に溶け込んで消えていった。榎の視界も一気に地に落ち、再び体の重みの感覚が戻ってきた。
「邪魔をするな! 貴様、何のつもりだ!」
 陣を壊された護は、激怒して月麿の胸倉を掴んだ。
「若君の声を聞いたら、体が勝手に……」
 月麿もとっさの判断だったらしく、慌てていたが、次第に落ち着きを取り戻して護に食って掛かった。
「いや、それよりも、この下に敷かれておる陣は、遥か昔に封じられた生贄の陣ではありませぬか。こんなものに四季姫たちを取り込んだら、榎たちは魂ごと封印されてしてしまうでおじゃる!」
 月麿は、儀式の陣の下に、更に別の陣が描かれていると気付き、護を責め立てた。
「殿は、何を考えておいでか! 神通力とは、選ばれた人間の魂に刻まれる、生命と一体になったもの。かつて、その力を取り出すためには、力の持ち主の命ごと、肉体から引き離すしかなかった。だから、禁じられておったのですぞ!? 陰陽師の持つ神通力だけを取り出す術を完成させたと、申しておったではないか! あのお言葉は、偽りであったのですか!」
 反旗を翻して怒る月麿を、護は忌々しげに睨み付けていた。
 月麿の話が本当なら、榎たちは、この護という男に騙されていたのか。
「真っ赤な嘘だ。その男には、陰陽師に感知する権限など何一つないのだから」
 護の代わりに、綴が声を吐き出した。汚いものを見る目で、護を睨み付ける。
「陰陽師の力を取り出して、他の誰かに分け与える方法なんて、どこにもない。力を失う時は、君たちが死ぬ時だ」
 続いて、ようやく起き上がれるようになった榎たちに向かって、綴は続けた。
「分かっただろう? 君が僕にできる力添えなんて、最早ないんだ。そもそも、僕には君の助力なんて必要ない。これに懲りたなら、さっさと帰るんだ。死にたくなければ、二度とこの地に、足を踏み入れるな!」
 綴は、榎たちにも怒鳴りつけてくる。
 その態度の曖昧さに、榎は辛さを通り越して憤りを覚えた。
「どう……して、そんな、優しい言葉を掛けるんだ!」
 気が付くと、綴に大声をぶつけていた。
「あたしが、四季姫の存在が憎いなら、命を奪ってでも、この力を手に入れればいいじゃないか。あたしが死んだって、いなくなったって、あなたにはどうでもいい話だろう!?」
 榎の怒鳴り声に、綴は一瞬、怯んだ。しばらく肩を震わせていたが、何かを言い返そうと口を開いた。
「その通りだ。お前たちはこの化け物のために身も心も捧げれば、それでいい」
 だが、綴の言葉は護によって遮られた。護は綴の真後ろに立ち、榎に鋭い視線を向けていた。
 その手には黒い鉄の塊が握り締められていた。――ピストルだ。
 ピストルの銃口は、綴のこめかみに突き付けられていた。
「この男の命が惜しければ、陣を直して大人しく儀式を続けろ。はったりだ、などと思うなよ。撃つ準備は、既にできている」
 時間が止まったみたいに、その場の空気が凍り付いた。
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