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第二部 四季姫進化の巻

第二十章 時渡儀式 4

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 四
 目を覚ますと、榎の頭上から、太陽の光が差し込んでいた。雀がチュンチュン、太陽の下を通り過ぎていく。
 榎は、枯れて変色した短い草が群生する草原に寝そべっていた。
 ゆっくりと、体を起こす。頭はまだクラクラしているが、手や足、指の感覚は、しっかりと戻っている。
 周囲は、見渡す限りの緑地だった。もっとも、冬の寒さで木の葉や草は散り、寂しい姿になっているが。
「ここが、平安時代なのか……?」
 少なくとも、榎達が今までいた時代や場所では、ない気がする。こんなに見晴のいい場所なのに、建物の一軒も見当たらないなんて、どう考えてもおかしい。
 きっとまだ、山中に大きな集落が存在していない時代なのだと思った。
 辺りを見渡すが、家どころか、人の姿も見当たらない。気配すら、しなかった。
「やっぱり、はぐれちゃったんだな。みんな、無事に着いていればいいけれど」
 心配して、立ち止まっていても時間の無駄だ。とにかく、周囲の状況を把握しようと、榎は歩きだした。
 緩やかな丘を下っていくと、麓に集落らしい広場を見つけた。茅葺きや竹などで作られた小さな家が、五軒ほど集まっている。
 以前訪れた、妖怪たちの隠れ里に似た雰囲気だ。間違いなく、現代の建造物ではない。
 家の近くに寄ってみたが、どこにも人の気配がない。側の一軒の家の中を覗いてみたが、もぬけの殻だった。
 人の営みが感じられそうなものが一つもなく、荒れ果てていた。
 廃村、なのだろうか。声を上げて呼んでみようかと思った瞬間、嫌な気配に背筋がゾクリと震えた。
 妖怪の気配。榎は慌てて、民家の中に身を隠した。
 物影からそーっと外を見ると、猪が二頭、並んで歩いてきた。
 だが、ただの猪ではない。襤褸ぼろ布みたいな着物を纏って、しかも人間みたいに会話をしていた。
 間違いなく、妖怪だ。
「こんな人里にも、当たり前に妖怪がいるんだな」
 猪たちは、集落の広場に立ち止まって、おもむろに臭いを嗅ぎはじめた。
「なんだか、いい香りがするな」
「人間だ、人間の臭いがする。近くにいるぞ」
 榎の体臭を、感付かれた。
 ただ隠れているだけでは、すぐに見つかってしまう。先手を打って、倒さなくては。
 だが、月麿の忠告が頭を過ぎって、一瞬ためらう。もし、夏姫に変身して戦う姿を誰かに見られたら、榎が本物の夏姫に代わって、四季姫を恨む者たちに追われる羽目になるかもしれない。
 迷ったが、大人しくしていても、榎を助けてくれるものは側にいない。一人で何とかしなくては。
「辺りに人はいないし、少しくらいなら変身しても、大丈夫かな」
 慎重に周囲を見渡し、絶対に人がいないと確認した上で、榎は外に飛び出した。
 榎に気付いた猪たちが、驚いて向き直り、殺気を飛ばして来る。
 先手必勝。榎は素早く髪飾りを握り締め、力を込めた。
 だが、何も起こらない。
「どうしてだ!? 変身ができない! 髪飾りは壊れていないのに……」
 何の反応も示さない髪飾りを見つめ、榎は焦る。
 猪たちは、榎が何もして来ないと分かるや否や、ものすごい勢いで突進してきた。辛うじて避けるが、猪は急ブレーキをかけて素早く方向転換し、再び襲い掛かって来る。
 榎はさらに避けようとしたが、履き慣れない草履が滑って足がもつれ、転んでしまった。
 猪が止まるはずもない。轢き殺される!
 榎は頭を抱えて屈み込んだ。
 直後、丸まった榎の頭上を、何かの影が遮る。
「娘さん。危ないから、下がっておいで」
 猪ではない。人の声だった。
 榎は目を開き、頭上を見る。
 榎と同じく、質素な着物を来た人物が、榎と猪との間に立っていた。長い髪を頭上で結び、ポニーテールみたいに流している。手には、白銀に輝く直刃の剣を握り締めていた。
 あの剣、どこかで見た気がする。
 思い出そうとするが、はっきりと把握する隙もなく、その人は素早い身のこなしで剣を振るった。
「――空蝉の如く散れ。〝竹水の斬撃〟」
 静かな剣戟とともに、刃先から冷たい水がほとばしる。その雫を顔に受けながら、榎は呆気に取られた。
「その技は、何で――?」
 一瞬、何が起こったのか分からなかった。猪たちは一撃で倒され、消滅する。
 放たれた攻撃は、間違いなく夏姫の術。
 だが、どうして榎以外に、この技を使える人物がいるのだろう。
 榎が呆然と座り込んでいると、助けに入ってくれたその人が、剣の雫を払って鞘に納め、近寄ってきた。
「逃げ遅れたのかい? 女の一人歩きは危険だ。ゆめゆめ、気を付けられよ」
 その人物は、榎の前に屈み込んで、穏やかな笑みを浮かべた。
 その顔を見て、榎の思考は一瞬、停止する。
「なっ、なななななななななな……」
 榎は相手を指差し、有り得ないほどどもった。
「なななな?」
 榎の反応を不思議そうに見ながら、その人は首を傾けた。
「夏姫――!? どうして、そんな馬鹿な……!」
 榎は叫ぶ。
 目の前には、夏姫がいた。
 鏡でも見ているみたいに、榎と顔や目つきが似ている。髪型も、変身したときの夏姫そのものだ。
 榎よりも、かなり年上だ。大人びた風貌と雰囲気は漂ってくる。それでも、瓜二つには違いなかった。
 相手も、榎の反応が気になったらしく、少し目を細めて訝しんでいた。
「おや、どこかでお会いしただろうか? 私の名まで知っているとは」
 だが、顔の類似には気にかけた様子はなく、むしろ榎が夏姫の名を知っている事実に、困惑していた。
 その反応から察するに、やはりこの人は、夏姫なのか。
 ならば、間違いない。
 榎の前世の姿。平安時代を生きた、本物の夏姫――。
 榎は驚きのあまり、硬直して動けなくなった。
「困ったなぁ。私の正体を知られているからには、容易く逃がしてやれなくなった」
 夏姫は本当に困った様子で腕を組んで、考え込んでいた。榎は事情を話すべきか迷ったが、うまく言葉を出せずにいた。
 その間に、夏姫は何かを決心したらしく、大きく頷いた。
 直後、榎の腹部に強烈な痛みが走る。
 ものすごい速さで、みぞおちをやられたのだと気付いた。
 認識したときには体の力が抜け、意識が遠退きはじめていた。
「私に会ったことを、人に話されては困るのだ。すまぬが、しばらく身柄を預からせてもらうよ」
 夏姫の声が、徐々に小さくなる。
 やがて意識が遠退き、榎は気を失った。
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