アポリアの林

千年砂漠

文字の大きさ
6 / 64

6  イジメ  その2

しおりを挟む
 しかし二学期が始まるとイジメはさらに酷くなった。
 クラスの女子達の前でズボンを引き下げられ、トイレで三人の尿入りの水を頭からかけられ、校庭の土を食わされた。
 とうとう精神の限界を超えて家に帰るなり玄関先で吐いて、大声で泣いた。丁度仕事から帰って来た母に問い詰められ、イジメの日常を告白した。
 母はその日の内に学校に乗り込み担任に解決を迫ったが、
 ――男の子同士のふざけた遊びが過ぎたんでしょう
 担任はイジメという言葉を回避し、遠回しに否定した。
 ――高校受験を控えて、みんな神経が過敏になる時期なんですよ。ちょっとしたことでも過剰に反応しやすい年頃ですし、特に久住君は繊細な性格ですから
 息子の被害妄想のように言われ憤慨した母は、相手三人と学年主任も交えての話し合いを要求したが、それもかわされた。
 ――生徒の間の問題は下手に教師が口を挿むと拗れる場合もあるんです。もう少し様子を見てから
 とりあえず明日からどういう対処をするのかと問えば、
 
 ――こういうことは黙って見守っていれば、時間が解決するんじゃありませんか?


 担任の無能さをようやく悟った母はそれ以上要求することなく引き揚げ、代わりに父に相談した。
 ――何で黙って殴られてるんだ
 母から話を聞いた父の、第一声はそれだった。
 隣の市に本社がある地方紙の新聞記者をしている父は学生時代ラグビーをやっていたスポーツマンで体力と根性に自信があり、仕事も精力的にこなす人だった。だから昔から自分に似ずひ弱で消極的な息子を日頃から情けなく思っているのは感じていたが、
 ――殴られたら殴り返せ。お前が抵抗しないから、相手がつけ上がるんだ
 この期に及んで、そんな馬鹿なことを言われるとは思わなかった。
 相手は三人。殴り返したら三倍のお返しが来るに決まっている。
 抵抗すれば相手が何もせず退くなんて幻想を、父は本気で信じているのだろうか。
 大体暴力は嫌いだった。
 仮にも自分も男だから時には喧嘩に強い漫画の主人公などに憧れもしたが、現実での暴力は恨みとトラブルを引き寄せるだけのものでしかないと知っている。
 殴り合って相手を認め、爽やかに笑い合って和解するなんて実際にはありえない。
 ――そんなことできる訳ないでしょう。晴彦は優しい子なんだから
 母が庇うと、父は怒鳴った。
 ――優しいんじゃない! 弱いんだ! 
 だからイジメになんて遭うんだ、と吐き捨てて母を睨みつけた。
 ――お前が過保護だからこんな軟弱な奴に育ったんだ。スイミングクラブに行かせた時も練習プログラムに体力がついていかないからと辞めさせたし、サッカークラブも指導がきつ過ぎると辞めさせた。母親のお前が甘いから、根性のない男に育ったんだ。根性があったら、相手にやられっぱなしでいるわけがない
 体育会系の思考を今も信望している父は、「根性があればどんな困難も打ち砕ける」と力説した。
 この人にかかれば、世の中のトラブルの全ては「根性がなかったせい」の一言で片がつくだろう。
 ――元々晴彦はお前に似て気が弱くて、ちょっと嫌な事があるとすぐにグズグズ言う子だった。お前が厳しく教育して逞しい男に育てていれば、イジメに遭うなんてなかった。こんな根性無しに育ったのは、お前が甘やかしたからだ
 自分の信条の旗を振りつつ、父は母を一方的に責めた。
 父の叱責が途切れるのを待って、
 ――そう、分かったわ
 黙って俯いていた母が、ゆっくり顔を上げた。
 ――この家で何か問題が起きたら、必ず私のせいなのね
 父を見返す母の目には暗い炎が揺らめいていた。
 ――この家を建てて早々に外壁に亀裂が入ったのも、結婚記念日に予約して行ったレストランの料理とサービスが最低だったのも、買った車がリコール車だったのも、晴彦がイジメに遭うのも、全部私のせいなのね
 母はテーブルの上のカップを壁に投げつけた。カップの割れる音が母の悲鳴に聞こえた。
 ――何もかも私のせいなのはあなたが何もしないからでしょう! 不動産屋も施工業者もレストランもカーショップも調べて探して交渉したのは私、あなたはカタログ眺めていただけ! 面倒なことは全部私に押し付けて、あなたがするのは自分の好きな事だけじゃないの!
 普段は父に従順な母がこれほど激しく反論する姿は初めてだった。
 ――私のすることに文句があるなら、初めからあなたが全部自分ですればよかったのよ!
 ――お、俺は仕事があって、忙しいから
 思わぬ母の反抗に動揺し困惑する父の言葉を母は一蹴した。
 ――仕事なら私だってしてるわよ! 忙しいなんてやりたくないことをやらない時の言い訳だっていつも言ってるのは誰よ!
 ――い、言い訳じゃない。俺はお前たちのために夜遅くまで働いて
 ――一家の主人が家族のために働くのは当然でしょう! 当たり前なことをしてるだけなのに、偉そうに言わないで!
 イジメの解決策の相談は完全に忘れられていた。
 興奮した母は叫びながら泣き出して、挙げ句家を飛び出て行った。
 父は母を追いかけもせず、無言で俯きソファーに座り込んでいたが、
 ――晴彦、学校は休むな
 長い沈黙の後、顔を上げて言った。
 ――お父さんはお前に、相手に勝てと言ってるんじゃない。負けるなと言ってるんだ。学校に来るなと相手が言うなら、尚のこと学校に行け
 続けてイジメへの具体的な対抗策が語られるものと信じて期待して待った。

 が、それだけだった。
 父はそれ以上何も言わず、部屋から出ていった。


 翌朝になっても母は家に戻って来なかった。
 父はいつもより早く会社へ出かけたようで、キッチンのテーブルの上にコーヒーカップとトーストを食べた皿が残されていた。
 何か食べる気にもなれず、制服に着替えて家を出た。仲の良い友達同士が楽しげに話をしながら登校している通学路を一人でぼんやり歩いて校門近くまで来た時、無意識に足が止まった。

 立ち止まった自分を同じ制服の者たちが追い越していく。
 声をかけられる事もない。振り返られる事もない。

 自分はモブキャラクターだ。
 何かの、誰かの、背景でしかない。

 急に、何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。
 家でも学校でも、どこに居ても自分の存在価値はないなら、いっそ誰も知らない所へ行きたくなった。名も顔も知っている人達の中での孤独より、見知らぬ人間達の中での孤独を選びたかった。
 登校する生徒の流れを離れて、街のバスターミナルに向かった。
 行き先はどこでも良かったので、県外に出るバスで一番早く乗れる便に乗った。

 後方の窓の中、遠ざかる街を振り返っても一片の感傷も湧かなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/25:『がんじつのおおあめ』の章を追加。2026/1/1の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/24:『おおみそか』の章を追加。2025/12/31の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/23:『みこし』の章を追加。2025/12/30の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/22:『かれんだー』の章を追加。2025/12/29の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/21:『おつきさまがみている』の章を追加。2025/12/28の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/20:『にんぎょう』の章を追加。2025/12/27の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/19:『ひるさがり』の章を追加。2025/12/26の朝4時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...