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10 久住秀雄 その1
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携帯の無機質な着信音を耳にして、携帯の表示画面を見た秀雄は一瞬身体を強張らせた。
妻からだと知って真っ先に頭を過ったのは息子の晴彦の事、しかも悪い知らせの方だ。
秀雄は一つ頭を振って嫌な妄想を振り落す。もし万が一晴彦の身に何かあれば、連絡は妻より先に自分の方へしてくれるよう警察に頼んである。
そこまで考えて、妻からの電話なのに晴彦の事以外での用件を思いつかない虚しさを覚えた。
気持ちを切り替えて電話に出ると、
「晴彦から連絡があったの」
早口な妻の言葉が耳に届いた。
「何だって? いつ?」
「今、さっき」
「無事なのか。どこにいるって?」
それが、と妻の声が急にトーンダウンした。話を聞くと羽崎薫という小説家が晴彦を保護していて、暫く晴彦を預かりたいと言ってるという。
「馬鹿な。お前、まさか承諾したんじゃないだろうな」
「しないわ。あなたに相談してから決めて欲しいって言われて」
相談も何も、家出した息子を連れ戻しもせず、面識もない人間に預けられる訳がない。
「それに……晴彦も帰りたくないって言うの。考えたい事があるからって」
「ふざけるな! そんな我儘が通ると思っているのか! 連絡先は? 俺が今から先方に電話をして連れ戻しに行く」
「連絡は晴彦の携帯にして」
「相手の連絡先は聞いていないのか」
「訳があって教えられないって。だから晴彦の携帯に」
何の冗談だ、それは。
他人の子を預かりたいと言いながら連絡先も言わないなど怪しいを通り越して頭がおかしいんじゃないかと憤慨しかけると、
「羽崎さんが小説家であることが住所も電話番号も明かせない理由なんだって」
妻は尚更理解できないことを言い、もう一つ、彼の身元保証人なる人物の連絡先を言ってきた。
「文現社? 大手だな」
新聞記者の性か、不可思議な作家の背景に少し興味が湧いた。
「とりあえず、今から羽崎って作家を調べてみる」
電話を切ろうとして、妻の呼びかける声に手が止まった。
「何だ?」
「……帰ってきてくれないの?」
責める口調ではなく、息子をどうするかという問いでもなく、夫の帰宅を待ちわびる寂しげな声が秀雄に少し歪んだ喜びを感じさせた。
晴彦が生まれて以来、由紀子の関心のほとんどが晴彦へ行ってしまったような気がして何となく寂しかったが、まだ夫を優先して甘える可愛さがあると分かって嬉しい。
息子が父へ抱く敵意をエディプスコンプレックスというらしいが、その逆は何と言うのだろう。ついでに調べようかと考えた自分がおかしかった。
「今から上司に言って早退させてもらう。その前に、その文現社の岸原和史という人にも連絡して、津田さんがどんな人か訊いてみる」
羽崎は晴彦を保護してくれた恩人ではあるが、作家の中には偏向的な考えを持つ者もいるから、話をする前に予備知識を入れておく方が変な摩擦を起こさずに済むだろう。
「そんなこと家に帰ってからでも」
「少しでも早く連絡した方がいいだろう。それに一度家に帰るより、このまま俺が晴彦を迎えに行った方が速い」
「……だけど」
不安げな声で由紀子は何かを言い淀んで、沈黙する。
「晴彦は無事だと分かったんだ。必要以上に心配するな」
時間が惜しかったのでそう言って電話を切った。
ふと隣のデスクの上に積まれていた資料ファイルの背に書かれた年表記が目に入った。
偶然にも自分が結婚した年だったせいか、秀雄は出会った頃の由紀子を思い出した。
妻からだと知って真っ先に頭を過ったのは息子の晴彦の事、しかも悪い知らせの方だ。
秀雄は一つ頭を振って嫌な妄想を振り落す。もし万が一晴彦の身に何かあれば、連絡は妻より先に自分の方へしてくれるよう警察に頼んである。
そこまで考えて、妻からの電話なのに晴彦の事以外での用件を思いつかない虚しさを覚えた。
気持ちを切り替えて電話に出ると、
「晴彦から連絡があったの」
早口な妻の言葉が耳に届いた。
「何だって? いつ?」
「今、さっき」
「無事なのか。どこにいるって?」
それが、と妻の声が急にトーンダウンした。話を聞くと羽崎薫という小説家が晴彦を保護していて、暫く晴彦を預かりたいと言ってるという。
「馬鹿な。お前、まさか承諾したんじゃないだろうな」
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相談も何も、家出した息子を連れ戻しもせず、面識もない人間に預けられる訳がない。
「それに……晴彦も帰りたくないって言うの。考えたい事があるからって」
「ふざけるな! そんな我儘が通ると思っているのか! 連絡先は? 俺が今から先方に電話をして連れ戻しに行く」
「連絡は晴彦の携帯にして」
「相手の連絡先は聞いていないのか」
「訳があって教えられないって。だから晴彦の携帯に」
何の冗談だ、それは。
他人の子を預かりたいと言いながら連絡先も言わないなど怪しいを通り越して頭がおかしいんじゃないかと憤慨しかけると、
「羽崎さんが小説家であることが住所も電話番号も明かせない理由なんだって」
妻は尚更理解できないことを言い、もう一つ、彼の身元保証人なる人物の連絡先を言ってきた。
「文現社? 大手だな」
新聞記者の性か、不可思議な作家の背景に少し興味が湧いた。
「とりあえず、今から羽崎って作家を調べてみる」
電話を切ろうとして、妻の呼びかける声に手が止まった。
「何だ?」
「……帰ってきてくれないの?」
責める口調ではなく、息子をどうするかという問いでもなく、夫の帰宅を待ちわびる寂しげな声が秀雄に少し歪んだ喜びを感じさせた。
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「今から上司に言って早退させてもらう。その前に、その文現社の岸原和史という人にも連絡して、津田さんがどんな人か訊いてみる」
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「少しでも早く連絡した方がいいだろう。それに一度家に帰るより、このまま俺が晴彦を迎えに行った方が速い」
「……だけど」
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時間が惜しかったのでそう言って電話を切った。
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