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41 事件後の人々 その6
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世間は良くも悪くも薄情だ。
町は事件当初こそ蜂の巣を突いたような騒ぎだったが今はもう平常に戻っていて、事件のあった久住家も晴彦の母方の祖父母の家も、もう見物人はいない。
中学校ではさすがに事件のあった教室をそのまま使用できず、あのクラスは臨時に別の空き教室を使っているという。春休みには晴彦が飛び降りた校舎全体のリニューアル工事が予定されているらしい。
行きつけの飲み屋で偶然副担任の水島と出会った井川は、そんな学校の現状を彼から聞いた。
「今はクラスの生徒のメンタルケアを最優先にしています」
希望の高校に入学出来たとしても、事件のあった中学の『あのクラス』にいた生徒だと知れたら、と怯えている子も多くいるそうだ。
重傷のイジメ犯三人は未だ面会謝絶。身体の傷もだが心の傷も深く、治療には精神科医も入ってケアしている。
それぞれの家族は学校関係者の訪問を強く拒否し、水島でさえ会わせてもらえないらしい。
クラスの子供達にとってはまだ事件は終わっていない、と水島は項垂れていた。
クリスマスも大晦日も晴彦の事件のせいで後回しになっていた仕事に追われながら年を越しての正月明け、
「井川さん、晴彦のクラスの担任の山口先生、年末で学校を辞めたそうですよ」
出勤してきた早瀬が、デスクで新聞を読んでいた井川に話しかけてきた。
「結局、入院したまま一度も生徒の顔を見ないで辞めたらしいです。おまけに、婚約も破談になったそうで」
「どうしてお前がそんなこと知ってるんだよ」
「山口先生の元婚約者が勤務してる高校に、僕の大学時代の友人が教師として勤めてるんですよ。そいつから聞きました」
「学校を辞めたってのはあの女らしいし、これからあの中学に入学してくる子達のことを考えりゃあんな無能はいない方がいいが、破談はどうしてなんだ?」
「簡単に言うとあの性格に愛想が尽きたんだそうです。徹底して自分は悪くない、周りが悪い、運が悪い。事件が起きて一番傷ついているのは自分だから、慰めろ、甘やかせって見舞いに行く度にヒステリックに喚かれたら、そりゃ嫌にもなるでしょう」
「恋愛初期には純粋で明るく思えた性格が、重大事案が起きて見れば歳に見合わない未熟な思考で甘ったれのお気楽バカだったと分かったってとこか」
「相変わらず口悪いですね。小宮さんがいたら呆れて――って、そうだ、小宮さんの具合どうなんでしょうね」
小宮は自宅のアパートの部屋の中で倒れているのを、無断欠勤を心配して訪れた井川に発見され、救急車で病院に搬送されてそのまま入院となっていた。
「過労だってんだから休めば治ると思ってたんだが」
医師の当初の診断より小宮は衰弱が酷く、一週間を過ぎても退院の目処が立っていない。
「やっぱ、あの事件での忙しさで体壊しちゃったんですかね。小宮さん全然そういうの表情に出ない人だから、黙って無理してたのかも」
「いや、飄々としてはいるが、毎日ツラ見てりゃ、何かあればそれなりに分かるんだよ。実際、倒れる前日には顔色が酷く悪くてな。睡眠不足だっていうから、課長に許可取って昼休みから夕方くらいまで宿直室で寝かせてもやったんだが」
少しも回復した様子がなかった。それでも仕事をしようとするので「年末年始で病院が閉まってしまう前に医者に診てもらえ」と叱ったのだが、病院に行く前に倒れてしまった。
「小宮は一人暮らしだから、いっその事完全に良くなるまで入院させてもらえれば良いんだがなあ」
重大な病ならともかく単なる過労なら、ある程度良くなれば「後は自宅療養を」と退院させられてしまう。一人暮らしだと家事を全て自分でしなければならないので、本当の意味での療養はできないだろう。
「それなら実家に帰って療養すれば良いじゃないですか」
「小宮には実家がもうないんだよ。子供の頃からずっと住んでた家は賃貸住宅で、三年前に両親が離婚した時にそこを引き払ったそうだから」
「だったらお母さんの住んでる所に行くとか、逆に小宮さんのアパートに面倒見に来てもらうとか」
「多分駄目だな。両親とはずっと不仲だそうだ」
「よく知ってますね。他人の家の事情を」
「知りたかったわけじゃないんだがな。入院した時に親に知らせるか聞いたら断固拒否するんで、訳を訊いたら自分の家の事情を話してくれた。親とは没交渉だが、弟がひとりいてまあまあ仲が良いらしいが、遠方に住んでて結婚して一歳くらいの子供もいるって言ってたから頼る気はないんだろう。知らせないでくれって言われたよ」
「えー、じゃあ今、小宮さんの世話する人って誰もいないんですか?」
「世話といっても小宮は寝てばかりだしな。とりあえず洗濯物なんかは俺の家内がやってくれるって言うんで今の所は問題ない」
それより病状が良くならない方が問題だ。
検査ではどこも悪くないというのに始終眠っていて、起こさないと食事もしないしトイレにも行かない。看護師が時間を見計らって起こして食事をさせ、トイレに連れて行っている状態だ。
「それって過労じゃなくて過眠症ってやつじゃないんですか?」
「さあなあ。医者も色々と手を尽くしてくれているんだが」
井川は最初、精神病を疑っていた。
小宮は倒れる前から様子がおかしかった。書類書きの仕事の途中でぼんやりとパソコン画面を長時間眺めていたり、井川の問いかけにまともな返答ができなかったりした。
マスコミが押しかけるほどの大きな事件、しかも少年の事件だったため捜査には通常以上に神経を使ったせいで疲れたのだろうと思っていたが、
――夜眠れないんです。寝てもおかしな夢ばかり見て頭も体も休まらない
そう答えた小宮の目は虚ろな色をしていた。
夢の内容までは聞かなかった。が、聞いておけばよかったと後悔している。
その夢こそが小宮の精神を蝕んでいる気がするのだ。
しかし今の小宮はいつ見舞いに行っても眠っていて、話が全くできない。医師が回診に来て起こしても完全には覚醒せず、医師の問いにも「はい」か「いいえ」の答えしかないという。
「まあ病気のことは医者に任せるしかない。死ぬような病気だとは言われてないんだ。時間が経てば良くなるさ」
井川は言いながら、そうなることを祈った。
町は事件当初こそ蜂の巣を突いたような騒ぎだったが今はもう平常に戻っていて、事件のあった久住家も晴彦の母方の祖父母の家も、もう見物人はいない。
中学校ではさすがに事件のあった教室をそのまま使用できず、あのクラスは臨時に別の空き教室を使っているという。春休みには晴彦が飛び降りた校舎全体のリニューアル工事が予定されているらしい。
行きつけの飲み屋で偶然副担任の水島と出会った井川は、そんな学校の現状を彼から聞いた。
「今はクラスの生徒のメンタルケアを最優先にしています」
希望の高校に入学出来たとしても、事件のあった中学の『あのクラス』にいた生徒だと知れたら、と怯えている子も多くいるそうだ。
重傷のイジメ犯三人は未だ面会謝絶。身体の傷もだが心の傷も深く、治療には精神科医も入ってケアしている。
それぞれの家族は学校関係者の訪問を強く拒否し、水島でさえ会わせてもらえないらしい。
クラスの子供達にとってはまだ事件は終わっていない、と水島は項垂れていた。
クリスマスも大晦日も晴彦の事件のせいで後回しになっていた仕事に追われながら年を越しての正月明け、
「井川さん、晴彦のクラスの担任の山口先生、年末で学校を辞めたそうですよ」
出勤してきた早瀬が、デスクで新聞を読んでいた井川に話しかけてきた。
「結局、入院したまま一度も生徒の顔を見ないで辞めたらしいです。おまけに、婚約も破談になったそうで」
「どうしてお前がそんなこと知ってるんだよ」
「山口先生の元婚約者が勤務してる高校に、僕の大学時代の友人が教師として勤めてるんですよ。そいつから聞きました」
「学校を辞めたってのはあの女らしいし、これからあの中学に入学してくる子達のことを考えりゃあんな無能はいない方がいいが、破談はどうしてなんだ?」
「簡単に言うとあの性格に愛想が尽きたんだそうです。徹底して自分は悪くない、周りが悪い、運が悪い。事件が起きて一番傷ついているのは自分だから、慰めろ、甘やかせって見舞いに行く度にヒステリックに喚かれたら、そりゃ嫌にもなるでしょう」
「恋愛初期には純粋で明るく思えた性格が、重大事案が起きて見れば歳に見合わない未熟な思考で甘ったれのお気楽バカだったと分かったってとこか」
「相変わらず口悪いですね。小宮さんがいたら呆れて――って、そうだ、小宮さんの具合どうなんでしょうね」
小宮は自宅のアパートの部屋の中で倒れているのを、無断欠勤を心配して訪れた井川に発見され、救急車で病院に搬送されてそのまま入院となっていた。
「過労だってんだから休めば治ると思ってたんだが」
医師の当初の診断より小宮は衰弱が酷く、一週間を過ぎても退院の目処が立っていない。
「やっぱ、あの事件での忙しさで体壊しちゃったんですかね。小宮さん全然そういうの表情に出ない人だから、黙って無理してたのかも」
「いや、飄々としてはいるが、毎日ツラ見てりゃ、何かあればそれなりに分かるんだよ。実際、倒れる前日には顔色が酷く悪くてな。睡眠不足だっていうから、課長に許可取って昼休みから夕方くらいまで宿直室で寝かせてもやったんだが」
少しも回復した様子がなかった。それでも仕事をしようとするので「年末年始で病院が閉まってしまう前に医者に診てもらえ」と叱ったのだが、病院に行く前に倒れてしまった。
「小宮は一人暮らしだから、いっその事完全に良くなるまで入院させてもらえれば良いんだがなあ」
重大な病ならともかく単なる過労なら、ある程度良くなれば「後は自宅療養を」と退院させられてしまう。一人暮らしだと家事を全て自分でしなければならないので、本当の意味での療養はできないだろう。
「それなら実家に帰って療養すれば良いじゃないですか」
「小宮には実家がもうないんだよ。子供の頃からずっと住んでた家は賃貸住宅で、三年前に両親が離婚した時にそこを引き払ったそうだから」
「だったらお母さんの住んでる所に行くとか、逆に小宮さんのアパートに面倒見に来てもらうとか」
「多分駄目だな。両親とはずっと不仲だそうだ」
「よく知ってますね。他人の家の事情を」
「知りたかったわけじゃないんだがな。入院した時に親に知らせるか聞いたら断固拒否するんで、訳を訊いたら自分の家の事情を話してくれた。親とは没交渉だが、弟がひとりいてまあまあ仲が良いらしいが、遠方に住んでて結婚して一歳くらいの子供もいるって言ってたから頼る気はないんだろう。知らせないでくれって言われたよ」
「えー、じゃあ今、小宮さんの世話する人って誰もいないんですか?」
「世話といっても小宮は寝てばかりだしな。とりあえず洗濯物なんかは俺の家内がやってくれるって言うんで今の所は問題ない」
それより病状が良くならない方が問題だ。
検査ではどこも悪くないというのに始終眠っていて、起こさないと食事もしないしトイレにも行かない。看護師が時間を見計らって起こして食事をさせ、トイレに連れて行っている状態だ。
「それって過労じゃなくて過眠症ってやつじゃないんですか?」
「さあなあ。医者も色々と手を尽くしてくれているんだが」
井川は最初、精神病を疑っていた。
小宮は倒れる前から様子がおかしかった。書類書きの仕事の途中でぼんやりとパソコン画面を長時間眺めていたり、井川の問いかけにまともな返答ができなかったりした。
マスコミが押しかけるほどの大きな事件、しかも少年の事件だったため捜査には通常以上に神経を使ったせいで疲れたのだろうと思っていたが、
――夜眠れないんです。寝てもおかしな夢ばかり見て頭も体も休まらない
そう答えた小宮の目は虚ろな色をしていた。
夢の内容までは聞かなかった。が、聞いておけばよかったと後悔している。
その夢こそが小宮の精神を蝕んでいる気がするのだ。
しかし今の小宮はいつ見舞いに行っても眠っていて、話が全くできない。医師が回診に来て起こしても完全には覚醒せず、医師の問いにも「はい」か「いいえ」の答えしかないという。
「まあ病気のことは医者に任せるしかない。死ぬような病気だとは言われてないんだ。時間が経てば良くなるさ」
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