アポリアの林

千年砂漠

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48  久住晴彦  その5

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 防風林の中でフェンスに囲まれている内側は全て羽崎が借りている家の敷地だと聞いているが、晴彦が思ったよりずっと広く、千代子らしい赤色が見えた辺りは一度も足を踏み入れたことがなかった。
 一際大きな松の木の根元に、子供の握り拳くらいの大きさの白い石が置いてあった。
 細い獣道を挟んで松の木の対面になる所にある松の木の根元へ同じ白石が線で繋ぐように点々と並べてある。
 千代子の遊びなのだろう。
 奇妙な子だが、綺麗な石を並べて遊ぶなんて普通の子供らしい面もあるのかと少し微笑ましい気分になった。

 それにしても、この石はどこから持ってきたのだろうか。
 この防風林の枯れ葉や枯れ草の下にこんな綺麗な石があるとは思えない。
 どこかに海岸に降りられる場所があって、浜辺から拾ってきたのだろうか。
 それならそれで問題だ。千代子くらいの幼い子供がひとりで海に近づくなんて。
 とにかく千代子を連れ帰り、羽崎に注意してもらわなければ。

 白石の線を跨ぎ越して、ふと千代子が海岸に降りているかもしれない証拠になるかと思い立ち、白い石を拾った。
 が、千代子を見つけて連れ帰るときに拾えば良いか思い直し、何の気なしに白石を木の根元の白石に重ねて置いた。

 こんな白石で一人きりで遊ぶことを厭わない変わった少女だか、晴彦は羨ましく思う。
 気に入らない人間とはひと言も話さないなんて、世間の常識からすればわがままを通り越して病的な性格である。いつか本人が絶対困ると思うのだが、羽崎はそれを千代子の個性と言い、矯正しないと言う。
 けれど何か本当に問題が起れば、羽崎ならカウンセリングに連れて行くとかきちんとフォローするだろう。
 持って生まれた性格を尊重してもらっている千代子が羨ましい。
 町から離れたこの家からどこにも行かず暮らす幼い千代子と違い、晴彦は家に戻り学校へ行かなければならない。
 ここは所詮仮の宿。一時的な避難場所だ。将来を考えればここで高校へ行くのを諦めるわけにはいかないのだ。
 言葉の通じない両親、粗暴なクラスメートや頭の悪い教師がいるあの地獄のような世界へ戻るのは心底辛い。
「……それでも帰らなきゃ」
 自分に言い聞かせるように晴彦は呟いた。

 途端に。

 防風林の中を強い風が吹き抜け、激しく木々を揺さぶった。
 その突風のせいなのか、酷い耳鳴りがして、めまいがした。
 が、それもすぐに静まり、呆然として佇む晴彦の背後から、

「おい、トロ彦」
 聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、宗田、品川、大石の三人が、にやついた顔で立っていた。

「学校さぼってこんな所で何やってるんだよ」

 何故だ?
 何故こいつらがここにいるんだ?

 疑問がグルグルと頭の中で回る。
 呼吸が上手くできず、膝が震え、その場に崩れ落ちそうになった。

「またオレたちと遊ぼうぜ」

 三人は手にバットやカッターナイフを持っている。

 反射的に晴彦は逃げ出した。
 当然のように三人は晴彦を追ってきた。
「もう僕のことはほっといてくれ!」
 晴彦の心からの叫びに返ってきたのは、甲高い笑い声だけだった。

「晴彦、逃げるな!」

 全速力で林の中を走る晴彦の視線の先に誰かが立っていた。
「逃げずに戦え!」
 父だった。父が宗田達と対峙しろと怒鳴る。
 まさか父が奴らを連れてきたのか。
「無理だよ! あれ見てよ! 凶器を持ってるんだよ!」
「一対一でやるなら、彼らも凶器なんか使わない。素手で殴り合うはずだ」
 この期に及んでまだそんなバカなことを言うのか。
「男は殴り合って理解を深めるもんなんだ。さあ、戦え!」
「晴彦。お父さんの言う通りにして」
 父の隣には母もいて、父の戯言を援護する。
「そうでないとお母さんが叱られるの。お母さんが悲しい思いをしても良いの? 泣いても平気なの?」
「無理だって。あいつらは三人で、バットやカッターを」
「お願いだからお父さんの言うことを聞いて」

 駄目だ。言葉が通じない。
 父にも、母にも、宗田たちにも。

 同じ時代に同じ国にお互い人間として生まれ、同じ言語で話しているはずなのに。
 木の根に足を取られ、派手に転ぶ。嘲りの言葉を吐きながら宗田達はすぐそこまで来ていた。
 父は腕組みしたままこちらを見ているだけで、母も手を貸そうともしてくれない。
 深い絶望が晴彦の思考を黒く塗りつぶした。

 ああ……もう、いい。
 疲れた。全てを終わりにしたい。
 結局自分に残された道は死しか――。

いな

 幼い女の子の声がした。

 同時に、父も母も宗田達も静止画像のように動きが止まった。
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