翼も持たず生まれたから

千年砂漠

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星志との一時間

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 毎夜、私は星志と会った。
 あの歩道橋の上で、塾が終わった八時過ぎから九時までの約一時間、私は星志と色々な話をした。
「目の前に事態に、気持ちがついてこないことがよくあるの。ここはこうした方がいいって私の一部がそう必死に叫んでるのに、残りの大部分が全く無視してるような感じ。何ていうか……自分に関わっていることなのに他人事のような……」
 誰にも言えない話も何故か星志には話せた。
「分からないよね……こんな変な話」
「ううん、分かるよ」
 星志は私の説明し難い心の内を、私の拙い言葉の中から拾い、理解してくれた。
「僕にもあるよ、それ。理性ばかりが突っ走って、感情が置いてきぼりなんだ。『感情と理性は並走しない』ってこの前読んだ本に書いてあったよ。ロイス・クランドの『バランスの構造』って本だったかな」
 読書を基盤とした話をする時の星志は格段に大人びる。私も本を読む方だけど、星志の読書量とジャンルの広さには敵わなかった。
「理性は人間の防具であり武器であるけど、僕らはまだ使い方を学んでる最中で未熟なんだから、本能寄りの感情とちぐはぐになる時があってもしかたないよ」
「理性は人間の基本じゃないの?」
「それは理想。机上の空論だよ。もしくは……幻想、かな」
「じゃあ私はその幻想に振り回されて、うんざりしてるのかもしれない」
「うんざり。うんざり、いい言葉だね」
 星志は笑った。
「何かに嫌ってほど満たされた後の言葉だ。満たすものの良し悪しは別として、空っぽよりは遥かにましだよ。みんな何でも多過ぎても少な過ぎても不満を言うけど、僕はあるものはあるだけで、ないものはないとして満足する人間になりたい」
「だったら……星志は私が人として何か足りない化け物だったとしても構わないの?」
「奈緒はどんな化け物なの」
「……他人なんて、誰がどうなってもいい。誰が何をしようと興味ない。世界なんて何の意味もなく壊れてしまえばいい――と思ってる化け物」
「……ふーん」
「動物も植物も好きじゃない。晴れでも雨でも何の感想もない。何にでも替わりになる物はあるから、持ってる物が壊れても惜しくない」
「で、その内『誰でもよかった』って聞き飽きた理由でもつけて、無差別殺人をやる予定とか」
「そんなバイタリティーのいる面倒なことも嫌いなの。かと言って自分で死ぬほどの情熱もないから生きてるだけ。下らないことに巻き込まれないでこの世にいるための手段として、優しい人間のふりをしてる。どうしたら優しい人間に見えるか、計算して」
「じゃあ、僕にパンを買ってくれたのも、その『計算』の内なのかな」
「……多分……そう」
 私が少し迷いながら言うと、星志は声を上げて笑った。
「だったら、奈緒、頭悪過ぎだよ」
「――え?」
「だって、計算でするなら、こんな誰も見てない所でやっても意味ないじゃない。もっと、沢山の人にアピールできる場と状況を選ばないと」
「普段からやっておかないと、いざという時不自然に見えるじゃないの。違和感を持たれないための訓練みたいなものよ」
「あ、そこまで考えてるんだ。ごめん。頭いいね」
 星志はもう一度笑った。
「ようするに、私は意識して『人間を演じてる者』なの」
「僕はそれでもいいよ。それが奈緒だというなら、それでいい」
 星志は私に人である必要を求めなかった。だから、安心して夜の闇の中で異形の者でいられた。
「ここ、誰も通らないのね」
 あまりの人通りのなさに私が呟くと、星志は軽く笑った。
「閉店後の商店街に誰がどんな用があるの」
 言われてみればもっともな話だ。
「それにこの辺りは古い住宅地で年寄りだけの世帯が多いから、夜も早い時間から人通りが絶えるみたい。駅にいく道ももう一本向こうの通りの方が明るくて近道だから、わざわざこの道を通る意味ないよ」
 でも、と星志は私を眩しそうに見た。
「……僕には意味があった。奈緒と出会えたから」
 ようやく自分の言葉が通じる人に会えたって感じがする、と星志は笑ったけれど、私の方こそがその気持ちだった。
 星志といるとその間だけ時間の流れが速くなっている気がするほど、リミットの十時はあっという間にやってくる。
 もっと星志と話がしたくて、私は土曜日でも日曜日でもいい昼間に会えないか、聞いてみた。
「ごめん、会えない」
 星志に即答され、ショックだったが私は粘った。
「土日に何か予定があるんだったら、平日の夕方は駄目? 私、塾は七時からだから、学校が終わった後なら」
「昼間は駄目なんだ。ごめんね」
「どうして? どうして駄目なの」
「ごめん。僕だってもっと奈緒と会いたいけど……」
 星志は短い沈黙の後、寂しげに笑った。
「僕は星だから……夜しか出て来られないんだよ」
 忘れていたけれど、星志は登校拒否児童だった。だから昼間に外出するのに抵抗があるのかも。あるいは級友に出会いそうで嫌なのかもしれない。
「名は体を表すっていうから、僕の名前がもしも『太陽』なんて名前だったら今の僕とは全然違う人間だったかもね」
 夜空を見上げた星志の横顔は、今にも透き通って消えてしまいそうなほど儚かった。
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