いつか森になる荒野

千年砂漠

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シノ様

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 放課後になって美国は戻って来て、旭に付き添われて矢島君に謝っていた。旭は美国に家まで付き添って帰ると言って早々に教室から出て行き、僕は自分の席に座ったまま前田君と支倉君のことをぼんやり思い返していた。
 何なんだろう、あの二人は。いや、広海もだ。自分は恋愛相手として立候補しないくせに、旭たちには恋愛して幸せになって欲しいと思っている。旭じゃないが女の子にとって恋愛や結婚だけが幸せではないだろうし、第一僕らはまだ十五歳だ。急いで恋愛しなければならない必要性などない。本人の気持ちが一番重要な事柄なのに、余計なお世話過ぎるんじゃないだろうか。それに反発しない旭と美国も妙だ。
 五人同じ小中学校の出身で、仲がいい。一見よくある友人関係だが、何かおかしい気がする。五人が組む円環の外側の一定の距離から内側へは他の誰も寄せ付けたくないような、おかしな結束があるようにも思える。
「一人で何ボーとしてるんだ?」
 気がつくと前の席にシノ様が座っていた。
 教室の中にはもう誰も残っておらず、シノ様と僕だけだった。最近の僕は以前のように不自然に男子生徒達に囲まれることもなく、ごく普通のクラスメートとして扱われるようになっていた。
「旭と一緒に帰らなかったのか」
 シノ様は今日日直当番で、さっきまで日誌を書いていたので残っていたそうだ。
「あ……旭は美国を送るからって」
「自分も一緒に行くって言えば良かったのに」
「何だか、来て欲しくなさそうだったので」
 そう言うとシノ様は笑ってため息をついた。
「言葉の行間が読める男だな、中原は。だから旭と上手く付き合えるんだろうな」
 旭との付き合いについてまた何か聞かれても困るので、僕は先制して話題を逸らせた。
「部活にいかなくていいんですか?」
「私は運動部じゃないから、放課後すぐ行かなきゃならないってことはないよ」
「えっと、確か文芸部でしたよね」
「うん。そういえば、中原は部活に入ってないんだったね」
「特にやりたいものがないので」
「ふうん、珍しい」
 シノ様は怪訝そうな顔をした。
「この学校は、ここでやりたいと思うことがある人間が来る学校だよ。何となくで選ぶ学校じゃないんだけど」
 今度は僕の方が首をかしげた。確かにこの高校は学力レベルが高い方だが、進学校で名高いと言うほどでもない。運動部も全国大会出場にはほど遠い成績の部ばかりで、難関大学への進学を目指している奴やスポーツで真剣に勝ちたい奴はみんな隣の市にある有名私立校へ行く。
「わざわざここを選ぶ何かが、みんなにはあるんですか?」
「知らないの? 宮ノ森は運動部は大したことないが、文化部は近辺の高校の中じゃ群を抜いて秀でてるんだよ」
 科学生物部は研究部門で何度も全国コンクールで賞を取り、手芸部は何年か前にグループ創作キルト部門で最優秀に選ばれ、写真部は毎年どこかしらのコンクールで入賞者を出しているという。地学部で天体観測をやったのがきっかけになり自力で勉強してアマチュアの天文家になった人がいたり、新聞部で活動していた人がその後新聞記者になったり、数学部にいた人が大学の数学科の教授になったなど、ここでの部活動での実績が将来の道を作った例は山ほどあるそうだ。
「文化部の活動はスポーツほど人目を引かないから、知る人ぞ知る、なんだけどね」
 その『知る人』が、そこでやりたい目的と意思を持って入学してくる。
「アラレちゃんもそうだよ。あの子、写真部に入ってるだろ。ここの写真部は外部からの腕の良い講師がいるんだって。アラレちゃんの家は写真館だから、腕を磨いて家業を継ぎたいんじゃないかな」
「じゃあ、シノ様も目的ありなんですか?」
「もちろん。中原は本郷雅彦って作家、知ってる?」
 僕が首を振ると、シノ様は気を悪くしたふうもなく頷いた。
「うん、あまり有名な作家じゃないからね。でも、情緒のあるきれいな文章を書く人で、私はファンなんだ。その本郷氏はこの学校の卒業生なんだよ」
 作家のプロフィールは大抵が出身地と最終学歴しか載らないから一般的には知られていないが、シノ様は通っていた塾で本郷氏と同じ高校の同級生だったという塾講師から話を聞いて知ったのだそうだ。
「本郷氏はこの学校の文芸部に所属していて、その頃書いた作品のいくつかの原稿を部に残したまま卒業して、後にプロデビューした時、当時の部の顧問が原稿を本郷氏に返そうとしたんだって」
 しかし本郷氏はそのまま部に残してくれるように依頼したという。この人程度の文章力で作家になれるのなら自分はもっと素晴らしい作家になれる、と後輩が励みにできるようにと。
「原稿は門外不出なんだ。読むには宮ノ森高校の生徒になって、文芸部に入るしかない」
「ま、まさか、そのためにこの高校を選んだんですか?」
 シノ様はにこりときれいな笑みを見せ、机に片肘をついて顔を乗せ、窓の外を見るように僕から視線を背けた。
「私……小学生の頃から、将来作家になりたいと思ってたんだ」
 何でもないようなふりをして、彼女はおそらく本気の夢を僕に語った。
「小さい頃から本が好きで、文章を書くのも得意で……でも、私にはそれ程の才能はないって分かった。本郷氏も人が悪いよ。何が『この人程度の文章力で作家になれるなら』だ。私なんて読んで打ちのめされたよ。今の私と同世代の頃の本郷氏の書いたものは、私のものと比べたら雲泥の差のレベルの高さだった」
 だけど、とシノ様は夕暮れの迫る空を眺めながら、目を細めた。
「読ませてもらった原稿の余白に、本郷氏の走り書きがあったんだ。『高校は三年間 三年もある とするか 三年しかない とするか それで毎日の密度が変わる 延いては未来が変わる』って。何かからの引用なのかどうかは分からないけど、それで私は気持ちを持ち直した。私は『しかない』方を選んで、また努力してみる気になった」
 むやみに焦るのではなく、今の自分にできることを考えて行動し、思考を深くして経験を少しずつ積み上げていく。
「色んな人間と話をして見識を広げる、というのも、私が自分に課した課題の一つなんだ。自分の頭だけでは想像力に限界があるから、中学生の時の私なら全く興味なかっただろうと思うような人とこそ、話をする」
「で、僕と話をしている、と」
 シノ様は僕の方を振り返り、笑った。
「ごめん、ごめん。今の流れだとそう取るよね。でも違うよ。中原とは話がし易いんだ。中原は聞き上手だから」
「僕が、ですか?」
「うん、中原は人の話を聞くのが本当に上手い。感情的な反論や批評をしないし、自分の思い込みで勝手に相手の話の途中で割り込んで、話の流れを止めたりもしない」
「そんなことないですよ」
 閻魔様の罰を受けた原因は、正にそれだったのだから。
「僕は面白い話なんてできないし、反論や批評ができるほどものを知らないし、相手の話を聞いてるだけの方が楽なんです」
 いやいや、とシノ様は顔の前で手を振った。
「その聞くだけっていうのが、案外難しいんだよ。中原は意識してないんだろうけど、必ず相手の方を見て、共感すれば相づちを打ってる。だから、中原はどんな話もちゃんと聞いてくれるって安心感が持てるんだ。それ、中原の才能だと思う」
 褒められたのだと理解するまでに少し時間がかかった。礼を言おうとしたが、その前にシノ様は「部活に行く」と立ち上がって自分の鞄を取りに行くため席を離れてしまった。
「そうだ、自分のことばかり話して忘れてたけど、中原に聞きたいことがあったんだ」
 鞄を抱えたシノ様が、勢いよく僕の方に振り返った。
「中原はどうしてこの学校を選んだんだ?」
「歩いて通えるからです」
 つい正直に答えてしまった僕に、
「……冗談だよね」
 シノ様はやや引きつった笑顔で問い返してきた。
「いや、本当です。真剣に、真実です」
「――うっそだあ。そんなことで進学先を決めたなんて」
「そんなこと、じゃないです!」
 僕は思わず立ち上がった。
「僕は中学校の三年間自転車通学だったんです。バス路線から思いっきり離れた新設校だったんで、自転車通学するしかなくて、通学路はいくつも坂があってしんどかったし、天気の悪い日や暑い日寒い日はもう最悪でした。あの過酷さを逃れるために、この学校を選んだんです」
 拳を握って力説する僕を呆然と見ていたシノ様は、ふっと息を一つ吐いた後、大笑いした。ひとしきり笑って息を整えると、僕に笑顔で謝った。
「ごめん、中原を馬鹿にして笑ったんじゃないよ。中原の志望動機が予想外すぎて、私の想像を超えて、世の中には本当に色んな考えの人間がいるんだって愉しくなっちゃって」
 僕からすればシノ様の志望動機も大概だと思うが。
「でも、そう、そうだよね。毎日のことだから切実だよね。今まで聞いた中で一番真摯な志望動機かも」
「みんなに志望動機を聞いて回ってるんですか?」
「うん。そこからその人の背景にあるものや思考を想像する、っていうのが最近の私の想像力トレーニングなんだ」
 夕日の差し込む教室の柔らかなオレンジ色の光の中で、シノ様はその色にふさわしい形に微笑んだ。
「案外、中原みたいな人間が、後に大化けするのかも」
 僕より遙かに想像力に長けているだろう作家志望の彼女の頭の中に、僕のような凡人では考えもつかない未来の僕の姿が浮かび上がったらしい。
「私はもう自分の庭に花壇を作りながらどんな花を咲かせようか思案しているところだけど、中原は何も決めてない。全くの自由だ。庭とか花壇とかという概念すらないから、自然な花の咲き乱れる野原にもなるんじゃないかって思うんだ」
 シノ様の言葉に、僕は死んだときに見た僕の人生だという荒野をふと思い出した。
「さっきの、中原の才能の話だけどね、中原はその才能できっとこれから意外な人から意外な話を聞いたりするようになると思う。その中に中原の大きな分岐点になるようなものがある気がするよ」
 占いみたいなものだと思って聞き流してくれていい、とは言うが、シノ様に言われると本当にそうなりそうに思えた。
「いや、シノ様、結構占い師に向いてるんじゃないですか」
「そう? だったら作家の夢に挫折したらそっちの道を目指してみることにするよ」
 じゃあまた明日、とシノ様は軽い足取りで教室を出て行った。
 シノ様に占い師の才能があると思い知るのはそれから少し後のことだった。
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