約束。

篠宮 楓

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約束。

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ふと聞こえてきた声に、読んでいた本から顔を上げた。
キラキラと光る水面、土手を覆う緑の葉が風に揺れている。
 凍えていた風景が、ゆっくりと綻んでいく三月。
 向こう側の土手を見ると、制服姿の学生が何人も歩いていた。
 花束を持っている子もいるという事は、卒業式の帰りなのかもしれない。
 「もう、そんな時期なんだ」
 呟いて、目を細める。
 「あれからもう一年……」
そのまま目を瞑って、私は過去に思いを馳せた。








 「絶対また会おうね」
 「うん、絶対だよ!」

 高校生と呼ばれる、最後の日。
 卒業式を終えて戻った教室は、別れを惜しむクラスメイト達の喧騒に包まれていた。
HRも終わったというのに、それでも誰もが教室から出て行こうとしない。
まるで終わりまでの時間を、引き伸ばすかのように――

私はしばらく友人と話してから、鞄を手に取った。
 「寄る所があるから、先に帰るね」
そう伝えると、友人達は口々に別れの言葉を向けてくれる。
 「そっか! じゃ、またね」
 「また遊ぼうね」
それに笑顔で応えながら、私は教室を出た。





 同級生やお祝いを言いに来た下級生達のいる廊下を、ゆっくりと進んでいく。
 何人かの顔見知りと言葉を交わしながら、私は目的の場所へと向かって階段を上り始めた。

――またね

――遊ぼうね

幾つも交わされる、異口同音の言葉たち。

 学校という枠の中で一緒に過ごしてきた皆と離れて、新しい世界へと歩き出していく。
 新しい事が連続する日々に、きっと”今”は”あの頃”という懐かしい思い出に変わっていってしまうだろうけれど。
それでも告げるのだ。
 約束という名の、願いを。


――いつまでも友達でいてね……、と







階段を上がって辿り着いた、校舎の最上階。
 特別教室ばかりが並ぶこの階は、さっきまでいた廊下の喧騒が嘘みたいに静か。
 一番奥は、図書室。
 私が足を止めたのは、その手前にある図書準備室の前。
 中に入って窓を開ければ、ふわりと流れてくる暖かい風。
 「あーあ。もう、卒業かぁ」
 窓枠に手を置いて見上げた空は、いつもと同じように真っ青で。

 三年間図書委員の立場を守り通してきた本好きの私は、よくこの場所で本を整理していた。
そしてそんな私の側には、同じように図書委員だった同級生がいて。
 軽口を叩きながらも、彼との時間をとても大切にしていた。
 穏やかに流れるその時が、ずっと続けばいいと思っていた。

……でも。

 彼への気持ちを口にする勇気を、私は持つことが出来なくて。
どうしようと悩んでいるうちに、卒業という名の強制終了を迎えてしまったのだ。
 連絡先を交換するほど親しくない彼とは、約束を交わす事も出来ない。

――偶然を望む、その願いだけ

友人と交わす約束よりも、希薄な願い。


 「伝えられなかったから。……もう、偶然しか願えないけど」

 自分に酔ってるなんて、分かってる。
 自己満足だと、分かってる。
それでも、私は口にするのだ。


 「ずっと、あなたが好きでした」


 告げられなかった言葉の後に、彼の名前を呟く。
 終わらせる為の、儀式の様に。

 「なんで、偶然しか願えないわけ?」
 「……っ」

 突然かけられた声に、びくりと体が震えた。
 驚いて振り返ると、今、私が名前を呼んだ彼が立っていた。

 「空に向かって言うくらいなら、ちゃんと相手に言ってみようよ」
 「え……っ?」

パニックに陥ってしまった私は、彼の言葉に何も返せない。
 彼はそんな私を見て笑うと、ゆっくりと近づいてくる。
 「まぁ、俺が言える立場じゃないけどさ」
そうして私の目の前に立つと、彼は呆れたような表情を引っ込めた。
 「気持ちは言葉にしないと伝わらないって事、今、君から教えてもらったから」
 「え、あの」
 「願うなら、俺も言葉にしなきゃね」

そう言って、彼は私にその手を差しだした。

 「君が好きだよ」







 「……ね、寝てるの? 風邪ひいちゃうよ?」
 優しい声に、ゆっくりと意識が浮上していく。
まだ眠いと主張する瞼を引き上げれば、目の前には私を覗き込む彼の姿。
ぼんやりと周囲を見渡す私を見て、彼は呆れた様に笑った。
 「ダメだよ、女の子がこんなところで居眠りしたら」
 「あ、ごめん」
どうやら、あのまま寝てしまった上にのんきに夢まで見ていたようだ。
 彼は、待たせた俺が悪いんだけどさ……と呟くと、屈めていた体を戻した。
 「何の夢を見ていたの? 凄い幸せそうだったけれど」
どうせ好きな本にでも埋もれる夢だろうと、軽口をたたいている彼をじっと見上げた。

 幸せそう……?
その言葉に、今まで見ていた夢を思い出して目を細める。
 彼は、覚えていてくれるかな?

 「あのね、願いは言葉にしなきゃダメって夢」

 私の言葉に目を見開いた彼は、少し恥ずかしそうに笑った。
 「そう言えば、あれからもう一年経つんだな」
 照れた顔を隠す様に空を見上げた彼の手に、ゆっくりと自分の手のひらを重ねる。



 「これからも、よろしくね」




 約束は、願い。



そうありたいと望む、未来への約束。
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