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第4章 国境の外へ。戦いのはじまり
040 農業
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この世界に来て一月がすぎた。
内政面でのおおまかな指示は終わり、わりと自由な時間がとれるようになっていた。まあ、各種の政策を実施する、文官長ケネフェト、武官長クナー、総大司教リヴァナラフとその官僚たちは、毎日死にそうになっているのだが……。
今日はフィアとデトナを連れて、西の街クノ・ヴェニスロに向かっていた。いつものようにシロの背ではなく、アインス、ツヴァイ、ドライと名付けた三匹のヘルハウンドに引かせた荷車での移動だ。シロや他のヘルハウンドたちは、ファロンの監督で土木工事に勤しんでいるのだ。タダ飯を食わせておくのももったない、と始めたことだったのだが、予想以上に役に立っている。シロなどは大型重機数台分の仕事はゆうにやっているだろう。
シロたちの活躍もあり、街道の整備は順調に進んでいた。道幅も広がり、地面には木材が敷き詰められて歩きやすくなっている。将来的には石畳にするつもりであるが、現在は工事の手軽さ重視だ。かのローマ街道も、初期は木で作られていたらしい。焦らずいこう。
街道から見える畑、その休耕地だった場所には、クローバーが生えている。ザテナフから巻き上げた金で、種を買い占め植え付けのだ。つまり、よく知られている農地改良手段をやってみたというわけだ。
クローバーは、植物に必要な栄養素である窒素を土に供給してくれる。さらに表土の流出を防ぎ、土の水分・温度を調整し、ミミズなどの土壌生物を増やす。と、たいへん有能だ。欠点として、繁殖力が強すぎるために、増えすぎてしまう場合があるが、それも問題ない。
増えたクローバーは家畜の餌になるからだ。クローバーは、高タンパク食品なのだ。食べさせると馬が良く肥えるので、ウマゴヤシとも呼ばれるほどだった。これで農家が養える家畜が相当増えるだろう。今すぐ効果がでるわけではないけれど、だんだんと農業生産量が増していくはずだ。
「ディニッサ様、あれ放っておいていいんですか?」
前方を進むデトナが、振り向いて言った。彼女──いまだに確認していないため男か女か不明だが、念のため女性として扱っている──が言うアレとは、オレたちを追跡している魔族のことだろう。近くに魔力の反応が二つある。
「このまえユルテに追わせたけど、逃げられたのじゃ。追いかけっこでよけいな魔力を使うのも馬鹿らしい。ヤツらが仕掛けてくるまで様子を見るのじゃ」
二人の魔族は、3日ほど前からオレたちに付きまとっているのだ。城にまでは入ってこないが、それ以外の場所には常についてくる。オレは、元代官のトクラの偵察──もしくは嫌がらせ──だとふんでいる。あまり心を煩わせるのは敵の思う壺だろう。
* * * * *
そして、ルオフィキシラル領とザテナフの領地の境まできた。今日はクノ・ヴェニスロの街までいくつもりはない。この境界近くの村──というより畑に用があるのだ。畑には、ザテナフとその配下の魔族がすでに待ち構えていた。
「すまんな。おそかったかの?」
「いえ、つい興奮して予定より私が早く来てしまっただけですから」
ザテナフの羊と牛の4つの目がキラキラ光っている。これはずいぶんと期待していたようだ。オレは前回の会談で約束した、画期的な農具をザテナフに引き渡すために来たのだった。
「さて、さっそくはじめるかの。そっちの農民の準備はよいか?」
「ええ、準備万端です」
畑のはじに、10人ほどのオークとゴブリンがいるのが見える。今回、ザテナフの農民たちと、麦の刈り取り競争をやることになっているのだ。オレは彼らと反対のはじっこに秘密兵器をセットした。
その秘密兵器とは、ここに来るときに乗ってきた荷車のことだ。無論ただの荷車ではない。形としては、後ろに長い持ち手のついたリヤカーだ。その前面には、クシのように鋭い刃がついている。このリヤカーを押すだけで、麦が刈り取られ、刈られた麦穂は、オレたちが乗ってきた台車部分に集まる、というシステムになっているのだ。
つまり稲刈り機(コンバイン)である。細かい脱穀作業まではできないものの、麦の刈り取りと千歯こきによる荒い脱穀を同時にこなせる、素晴らしい農具なのだ! 動力は家畜。押しても引いても使える。今回はザテナフの領地なので、麦を踏み荒らさないよう、後ろからヘルハウンドに押してもらうことにした。オレの役目は後ろの持ち手で、先の刃が麦に当たる角度を調整することだ。
パン! ザテナフの拍手を合図に、オレと農民10人の麦刈りバトルが始まる。
「いけアインス! がんばれば今日はごちそうじゃぞっ」
「ワンッ!」
オレの言葉を聞いたアインスが元気に稲刈り機を押す。この一ヶ月弱の交流で、ヘルハウンドたちともかなり意思疎通が出来るようになっているのだ。彼らはあまりアタマがよくないらしく、単語くらいしか喋らないが、こちらの言葉はだいたい通じる。
「わはははっ」
「姫様、がんば!」
「……。」
「なんと……!」
オレとアインスは、100m走の選手のようなスピードで畑を駆け抜けた。その後ろでは、1mの幅で綺麗に麦が刈られている。……ぶっちゃけ、魔族のパワー使えばヘルハウンドは必要ない。が、じっさいに稲刈り機を使う平民はそういうわけにはいかない。だから家畜の代わりに使って見せているのだ。
あっという間に反対までたどり着いたオレたちは、素早くターンした。そしてダッシュ。スタート地点に戻る頃には、相手の農民たちは戦意を喪失して立ち尽くしていたのだった。
* * * * *
「どうじゃザテナフ? 言ったとおりじゃろ」
「想像以上です! これほどの画期的な農具は初めてみました」
「そうじゃろう、そうじゃろう。わらわを褒め称えてもよいぞ!」
偉そうにしたが、この稲刈り機はオレの考えたものではない。陽菜のアイデアでもなかった。2000年ほど昔に、帝政ローマで発明されていたものだ。ギリシア・ローマ時代は本当にやばい。各分野で信じられないような発明がなされているのだ。残念ながら、これほど素晴らしい道具にしてはまったく普及しなかったようだが……。
「さて、わらわが乗ってきたこの1台は約束どおりそなたに譲ろう。ちなみに、もう2台も売っても良いぞ?」
ザテナフは二つ返事で稲刈り機を買い取った。さらにテパエに在庫があると教えると、それも買うと言った。……計画通りだ。本当はもっと早く出来上がっていたのに、収穫期ギリギリまで渡しにこなかったのはこのためだ。作ろうと思えば同じものを作れるかもしれないが、今からでは収穫に間に合わない。多少あくどいかもしれないけど、テパエ製は他より質がいい。長く使える物なのだから、ザテナフにとってもそれほど損な話でもないだろう。
見ると、農民たちが大喜びで稲刈り機を使っていた。彼らはヘルハウンドの代わりに牛に押させている。オレたちと比べるとまったくスピードが出ていないが、手作業よりははるかに効率がいい。
「そうじゃザテナフ、おのおのの畑は縦長に分けておいたほうが良いぞ」
稲刈り機は構造上、方向転換に難がある。まっすぐに長い距離を走らせないと、その効力を最大限にいかすことはできないのだ。ルオフィキシラル領ではすでに、農地の振り分け直しを始めている。ふつうの世界なら農民の反発があるのだろうがなにせディニッサは神だから。たいていのゴリ押しは通用する。
「ご心配なく。私たちも、畑を耕すときは家畜を使っていますから」
スキは使っているのか。さすがに畜産が盛んなだけはある。あわよくば、畑を耕すための有輪スキも売ってやろうと思っていたのだが。ちなみにルオフィキシラル領では、家畜にスキを引かせたりはしていなかった。飼料が少なすぎて家畜を維持できないためだ。
とにかく、今回の取引は大成功だと言っていいだろう。相手も喜んでいるし、こちらもだいぶ儲けが出る。さらにテパエの鍛冶屋にも仕事ができた。Win-Winでまことにけっこうなことだ。
「ディニッサ様、なんでボクかフィアに任せなかったんですか? こんな平民がやるような作業、嫌じゃありません?」
デトナがうかがうようにオレを見ている。しかし平民がやるような作業と言われても、中の人はごくふつうの平民だからな……。
「わらわ出来ることはわらわがやる。それだけのことじゃ」
「……へぇ。やっぱりイメージと違いますねえ。まるで中身が入れ替わりでもしたみたいですよ」
「……そなたがわらわと会ったのは、一度だけじゃろう。噂だけでは真実は伝わらんぞ」
「……。」
どうもデトナには疑われているようだ。まさか異世界の人間と入れ替わったとは思わないにしても、他の魔族になにかされたとみているのかもしれない。こっちの世界には、好きな姿に変身できる種族もいるからなあ。ありえないことではない。
「わら──」
ドゴォォォ!
近くの森でおこった爆音がオレの言葉をさえぎった。木をうち倒しながらなにかが飛んで来る。それは、人間大の鳥だった。直立したツグミのような姿で、綺麗な孔雀のような尻尾が生えている。手には金色に光る曲刀を握りしめていた。
オレを付け回していた魔族か……?
「ザテナフ、そなたに心当たりはあるかの?」
「いえ。私はディニッサ様の隠れた護衛だと思っていました」
念のため聞いてみたが、やはりザテナフとは無関係らしい。ただし危機感は感じない。ここはザテナフの領内だ。いざとなれば彼の部下がなんとかするだろう。
オレが考えている間に事態が動いた。ツグミ人間に無数の氷の矢がふりかかったのだ。ツグミは手にした刀で氷の矢を撃ち落とした、らしい。あいまいな表現になるのは、視覚強化を使っていない状態では、速すぎて見きれなかったからだ。
森から青い服を着た女性が飛び出してきた。地面を滑りながら、高速でツグミに近づいていく。彼女が行く先と通った跡に、一瞬だけ凍った地面が見える。魔法で地面を凍りつかせてスケートのように進んでいるようだ。
彼女はオレをつけていたもう一人の魔族か。二人は仲間ではなく敵対関係にあったらしい。女が飛ばしたスイカ大の氷塊10個を、ツグミがふたたび刀で防ぎきった。あのツグミ、見た目はユーモラスだがスゴイ剣士だ。
戦っている二人がこっちを見た。
「ディニッサ殿、ここは吾輩にまかされよ!」「フィア、ここから離れなさい!」
ツグミがオレに、女がフィアに呼びかけた。
吾輩にまかせろって、おまえ誰だよ……。対して女の方は、近くで見るとフィアとよく似ている。フィアの親族か? フィアは、というと呆然と女を見ていた。
「待て! そなたら、何か行き違いがあるのではないか? 落ち着いて話し合ってみよ」
一瞬二人が見つめ合う。先に女が口火を切った。
「このトリ男はフィアたちを何日も見張っていたのよ。変態に違いないわ」
「なっ! 吾輩が変態なものか。貴様こそディニッサ殿をコソコソ嗅ぎまわっていたではないか! おおかた東の魔王の手下であろうっ」
オレはいがみ合う二人の間に割って入った。
「だから落ち着けと言っておるじゃろ……。まずお互い自己紹介せよ。そなたは、フィアの関係者であろう?」
「……はじめましてディニッサさん。私はフィアの姉のシグネです。妹が、ずいぶんと、お世話になっているようで」
シグネはツグミ男を無視してオレに話しかけてきた。といってこちらに好意を持っているわけでもなさそうだ。彼女の言いようには、敵意に近い含みを感じた。
「吾輩は、トレッケ・イナ・フェーゴニ。誇り高きフェーゴニ一族の長である!」
「聞いたことないわね。どこの田舎者よ」
偉そうに名乗りを上げたトレッケに、シグネはゴミを見るような冷ややかな視線を向けた。トレッケは湯気が出そうなほど顔を紅潮させて、シグネに文句を言っている。煽られ耐性ゼロだな。
「姫様、私、知ってる。トレッケは、東の魔王に征服された貴族の嫡子。この前、反乱を起こして、討伐された」
「おお、よく知っておったな! さすがはフィアじゃ」
オレはフィアを大げさにほめてやった。ほめて伸ばす、が現時点でのオレの育成方針なのだ。フィアは嬉しそうにうなずいていた。すぐに情報がでてくるあたり、雪華隊の活動はうまくいっているのだろう。
シグネたちは、まだいがみ合っている。オレはトレッケへの事情徴収を先にすることにした。
「……それで、そなたはなぜわらわ達を見張っておったのだ?」
「ディニッサ殿は東の魔王との戦争準備をしていると聞いた。きたる戦で傭兵として働かせていただこうと思った次第である!」
「見張っていた理由になっていないじゃない。頭が悪いのかしら、このトリ男」
「フヌ~ッ、この性悪女めが、さっきからグチグチと!」
「……すまんがわらわもよくわからなかったのじゃ。傭兵になりたければ真っ直ぐ城にくればよかろう」
「ほら。聞こえた? ねえ、聞こえた? わかったら、もう消えなさい?」
シグネがしつこくトレッケを煽っている。会ったばかりだろうにどうして、と思うほど酷い。オレはトレッケの手を引いて、その場からすこし離れた。
「つまり、わらわの値踏みをしていたということかの?」
「……さすがに。吾輩が見込んだだけのことはある。非礼ではあるが、貴殿の器をはからせていただいた。ここに来る前に一度裏切られたことがあってな。慎重になっていたのである。無礼は許されよ」
「ふむ。そなたが望む条件は?」
「吾らが戦う相手は、東の魔王とその配下のみ。それさえ守っていただければ、禄は糊口をしのぐだけで十分である」
「よし雇った。来月、布告が切れたらゲノレで戦争じゃ」
オレはそう言って、金貨の詰まった袋をトレッケに放り投げた。稲刈り機二台の代金と、追加で発注された稲刈り機の手付金だ。かなりの金額だが惜しくはない。
「即答か。ディニッサ殿は見る目があるな! 吾らフェーゴニ一族19名の活躍を楽しみにしているとよいぞ!」
「19名!? うち魔族は何人おるのじゃ」
「おかしなことを言う。一族なのだ、むろん全員が魔族であるぞ」
……なにやら大儲けしてしまったようだ。現在、配下の魔族は22名。彼らが入れば、ほぼ戦力が倍増だ。そう喜んでいると、フィアがこっちにやってきてオレの後ろに隠れた。
「姫様、助けて……!」
「どうしたのじゃ?」
フィアに話を聞く前に、シグネが怖い顔で迫ってきた。オレは両手を開いてフィアの盾になった。
「そなたの用件をまだ聞いていなかったな。シグネはなぜわらわ達を見張っておったのじゃ?」
「フィアの生活を知るためです。そして結論が出ました」
「結論?」
「今日かぎりで、フィアは私たちの領地に連れ帰ります」
シグネは冷たい眼差しで、そう宣言した。
内政面でのおおまかな指示は終わり、わりと自由な時間がとれるようになっていた。まあ、各種の政策を実施する、文官長ケネフェト、武官長クナー、総大司教リヴァナラフとその官僚たちは、毎日死にそうになっているのだが……。
今日はフィアとデトナを連れて、西の街クノ・ヴェニスロに向かっていた。いつものようにシロの背ではなく、アインス、ツヴァイ、ドライと名付けた三匹のヘルハウンドに引かせた荷車での移動だ。シロや他のヘルハウンドたちは、ファロンの監督で土木工事に勤しんでいるのだ。タダ飯を食わせておくのももったない、と始めたことだったのだが、予想以上に役に立っている。シロなどは大型重機数台分の仕事はゆうにやっているだろう。
シロたちの活躍もあり、街道の整備は順調に進んでいた。道幅も広がり、地面には木材が敷き詰められて歩きやすくなっている。将来的には石畳にするつもりであるが、現在は工事の手軽さ重視だ。かのローマ街道も、初期は木で作られていたらしい。焦らずいこう。
街道から見える畑、その休耕地だった場所には、クローバーが生えている。ザテナフから巻き上げた金で、種を買い占め植え付けのだ。つまり、よく知られている農地改良手段をやってみたというわけだ。
クローバーは、植物に必要な栄養素である窒素を土に供給してくれる。さらに表土の流出を防ぎ、土の水分・温度を調整し、ミミズなどの土壌生物を増やす。と、たいへん有能だ。欠点として、繁殖力が強すぎるために、増えすぎてしまう場合があるが、それも問題ない。
増えたクローバーは家畜の餌になるからだ。クローバーは、高タンパク食品なのだ。食べさせると馬が良く肥えるので、ウマゴヤシとも呼ばれるほどだった。これで農家が養える家畜が相当増えるだろう。今すぐ効果がでるわけではないけれど、だんだんと農業生産量が増していくはずだ。
「ディニッサ様、あれ放っておいていいんですか?」
前方を進むデトナが、振り向いて言った。彼女──いまだに確認していないため男か女か不明だが、念のため女性として扱っている──が言うアレとは、オレたちを追跡している魔族のことだろう。近くに魔力の反応が二つある。
「このまえユルテに追わせたけど、逃げられたのじゃ。追いかけっこでよけいな魔力を使うのも馬鹿らしい。ヤツらが仕掛けてくるまで様子を見るのじゃ」
二人の魔族は、3日ほど前からオレたちに付きまとっているのだ。城にまでは入ってこないが、それ以外の場所には常についてくる。オレは、元代官のトクラの偵察──もしくは嫌がらせ──だとふんでいる。あまり心を煩わせるのは敵の思う壺だろう。
* * * * *
そして、ルオフィキシラル領とザテナフの領地の境まできた。今日はクノ・ヴェニスロの街までいくつもりはない。この境界近くの村──というより畑に用があるのだ。畑には、ザテナフとその配下の魔族がすでに待ち構えていた。
「すまんな。おそかったかの?」
「いえ、つい興奮して予定より私が早く来てしまっただけですから」
ザテナフの羊と牛の4つの目がキラキラ光っている。これはずいぶんと期待していたようだ。オレは前回の会談で約束した、画期的な農具をザテナフに引き渡すために来たのだった。
「さて、さっそくはじめるかの。そっちの農民の準備はよいか?」
「ええ、準備万端です」
畑のはじに、10人ほどのオークとゴブリンがいるのが見える。今回、ザテナフの農民たちと、麦の刈り取り競争をやることになっているのだ。オレは彼らと反対のはじっこに秘密兵器をセットした。
その秘密兵器とは、ここに来るときに乗ってきた荷車のことだ。無論ただの荷車ではない。形としては、後ろに長い持ち手のついたリヤカーだ。その前面には、クシのように鋭い刃がついている。このリヤカーを押すだけで、麦が刈り取られ、刈られた麦穂は、オレたちが乗ってきた台車部分に集まる、というシステムになっているのだ。
つまり稲刈り機(コンバイン)である。細かい脱穀作業まではできないものの、麦の刈り取りと千歯こきによる荒い脱穀を同時にこなせる、素晴らしい農具なのだ! 動力は家畜。押しても引いても使える。今回はザテナフの領地なので、麦を踏み荒らさないよう、後ろからヘルハウンドに押してもらうことにした。オレの役目は後ろの持ち手で、先の刃が麦に当たる角度を調整することだ。
パン! ザテナフの拍手を合図に、オレと農民10人の麦刈りバトルが始まる。
「いけアインス! がんばれば今日はごちそうじゃぞっ」
「ワンッ!」
オレの言葉を聞いたアインスが元気に稲刈り機を押す。この一ヶ月弱の交流で、ヘルハウンドたちともかなり意思疎通が出来るようになっているのだ。彼らはあまりアタマがよくないらしく、単語くらいしか喋らないが、こちらの言葉はだいたい通じる。
「わはははっ」
「姫様、がんば!」
「……。」
「なんと……!」
オレとアインスは、100m走の選手のようなスピードで畑を駆け抜けた。その後ろでは、1mの幅で綺麗に麦が刈られている。……ぶっちゃけ、魔族のパワー使えばヘルハウンドは必要ない。が、じっさいに稲刈り機を使う平民はそういうわけにはいかない。だから家畜の代わりに使って見せているのだ。
あっという間に反対までたどり着いたオレたちは、素早くターンした。そしてダッシュ。スタート地点に戻る頃には、相手の農民たちは戦意を喪失して立ち尽くしていたのだった。
* * * * *
「どうじゃザテナフ? 言ったとおりじゃろ」
「想像以上です! これほどの画期的な農具は初めてみました」
「そうじゃろう、そうじゃろう。わらわを褒め称えてもよいぞ!」
偉そうにしたが、この稲刈り機はオレの考えたものではない。陽菜のアイデアでもなかった。2000年ほど昔に、帝政ローマで発明されていたものだ。ギリシア・ローマ時代は本当にやばい。各分野で信じられないような発明がなされているのだ。残念ながら、これほど素晴らしい道具にしてはまったく普及しなかったようだが……。
「さて、わらわが乗ってきたこの1台は約束どおりそなたに譲ろう。ちなみに、もう2台も売っても良いぞ?」
ザテナフは二つ返事で稲刈り機を買い取った。さらにテパエに在庫があると教えると、それも買うと言った。……計画通りだ。本当はもっと早く出来上がっていたのに、収穫期ギリギリまで渡しにこなかったのはこのためだ。作ろうと思えば同じものを作れるかもしれないが、今からでは収穫に間に合わない。多少あくどいかもしれないけど、テパエ製は他より質がいい。長く使える物なのだから、ザテナフにとってもそれほど損な話でもないだろう。
見ると、農民たちが大喜びで稲刈り機を使っていた。彼らはヘルハウンドの代わりに牛に押させている。オレたちと比べるとまったくスピードが出ていないが、手作業よりははるかに効率がいい。
「そうじゃザテナフ、おのおのの畑は縦長に分けておいたほうが良いぞ」
稲刈り機は構造上、方向転換に難がある。まっすぐに長い距離を走らせないと、その効力を最大限にいかすことはできないのだ。ルオフィキシラル領ではすでに、農地の振り分け直しを始めている。ふつうの世界なら農民の反発があるのだろうがなにせディニッサは神だから。たいていのゴリ押しは通用する。
「ご心配なく。私たちも、畑を耕すときは家畜を使っていますから」
スキは使っているのか。さすがに畜産が盛んなだけはある。あわよくば、畑を耕すための有輪スキも売ってやろうと思っていたのだが。ちなみにルオフィキシラル領では、家畜にスキを引かせたりはしていなかった。飼料が少なすぎて家畜を維持できないためだ。
とにかく、今回の取引は大成功だと言っていいだろう。相手も喜んでいるし、こちらもだいぶ儲けが出る。さらにテパエの鍛冶屋にも仕事ができた。Win-Winでまことにけっこうなことだ。
「ディニッサ様、なんでボクかフィアに任せなかったんですか? こんな平民がやるような作業、嫌じゃありません?」
デトナがうかがうようにオレを見ている。しかし平民がやるような作業と言われても、中の人はごくふつうの平民だからな……。
「わらわ出来ることはわらわがやる。それだけのことじゃ」
「……へぇ。やっぱりイメージと違いますねえ。まるで中身が入れ替わりでもしたみたいですよ」
「……そなたがわらわと会ったのは、一度だけじゃろう。噂だけでは真実は伝わらんぞ」
「……。」
どうもデトナには疑われているようだ。まさか異世界の人間と入れ替わったとは思わないにしても、他の魔族になにかされたとみているのかもしれない。こっちの世界には、好きな姿に変身できる種族もいるからなあ。ありえないことではない。
「わら──」
ドゴォォォ!
近くの森でおこった爆音がオレの言葉をさえぎった。木をうち倒しながらなにかが飛んで来る。それは、人間大の鳥だった。直立したツグミのような姿で、綺麗な孔雀のような尻尾が生えている。手には金色に光る曲刀を握りしめていた。
オレを付け回していた魔族か……?
「ザテナフ、そなたに心当たりはあるかの?」
「いえ。私はディニッサ様の隠れた護衛だと思っていました」
念のため聞いてみたが、やはりザテナフとは無関係らしい。ただし危機感は感じない。ここはザテナフの領内だ。いざとなれば彼の部下がなんとかするだろう。
オレが考えている間に事態が動いた。ツグミ人間に無数の氷の矢がふりかかったのだ。ツグミは手にした刀で氷の矢を撃ち落とした、らしい。あいまいな表現になるのは、視覚強化を使っていない状態では、速すぎて見きれなかったからだ。
森から青い服を着た女性が飛び出してきた。地面を滑りながら、高速でツグミに近づいていく。彼女が行く先と通った跡に、一瞬だけ凍った地面が見える。魔法で地面を凍りつかせてスケートのように進んでいるようだ。
彼女はオレをつけていたもう一人の魔族か。二人は仲間ではなく敵対関係にあったらしい。女が飛ばしたスイカ大の氷塊10個を、ツグミがふたたび刀で防ぎきった。あのツグミ、見た目はユーモラスだがスゴイ剣士だ。
戦っている二人がこっちを見た。
「ディニッサ殿、ここは吾輩にまかされよ!」「フィア、ここから離れなさい!」
ツグミがオレに、女がフィアに呼びかけた。
吾輩にまかせろって、おまえ誰だよ……。対して女の方は、近くで見るとフィアとよく似ている。フィアの親族か? フィアは、というと呆然と女を見ていた。
「待て! そなたら、何か行き違いがあるのではないか? 落ち着いて話し合ってみよ」
一瞬二人が見つめ合う。先に女が口火を切った。
「このトリ男はフィアたちを何日も見張っていたのよ。変態に違いないわ」
「なっ! 吾輩が変態なものか。貴様こそディニッサ殿をコソコソ嗅ぎまわっていたではないか! おおかた東の魔王の手下であろうっ」
オレはいがみ合う二人の間に割って入った。
「だから落ち着けと言っておるじゃろ……。まずお互い自己紹介せよ。そなたは、フィアの関係者であろう?」
「……はじめましてディニッサさん。私はフィアの姉のシグネです。妹が、ずいぶんと、お世話になっているようで」
シグネはツグミ男を無視してオレに話しかけてきた。といってこちらに好意を持っているわけでもなさそうだ。彼女の言いようには、敵意に近い含みを感じた。
「吾輩は、トレッケ・イナ・フェーゴニ。誇り高きフェーゴニ一族の長である!」
「聞いたことないわね。どこの田舎者よ」
偉そうに名乗りを上げたトレッケに、シグネはゴミを見るような冷ややかな視線を向けた。トレッケは湯気が出そうなほど顔を紅潮させて、シグネに文句を言っている。煽られ耐性ゼロだな。
「姫様、私、知ってる。トレッケは、東の魔王に征服された貴族の嫡子。この前、反乱を起こして、討伐された」
「おお、よく知っておったな! さすがはフィアじゃ」
オレはフィアを大げさにほめてやった。ほめて伸ばす、が現時点でのオレの育成方針なのだ。フィアは嬉しそうにうなずいていた。すぐに情報がでてくるあたり、雪華隊の活動はうまくいっているのだろう。
シグネたちは、まだいがみ合っている。オレはトレッケへの事情徴収を先にすることにした。
「……それで、そなたはなぜわらわ達を見張っておったのだ?」
「ディニッサ殿は東の魔王との戦争準備をしていると聞いた。きたる戦で傭兵として働かせていただこうと思った次第である!」
「見張っていた理由になっていないじゃない。頭が悪いのかしら、このトリ男」
「フヌ~ッ、この性悪女めが、さっきからグチグチと!」
「……すまんがわらわもよくわからなかったのじゃ。傭兵になりたければ真っ直ぐ城にくればよかろう」
「ほら。聞こえた? ねえ、聞こえた? わかったら、もう消えなさい?」
シグネがしつこくトレッケを煽っている。会ったばかりだろうにどうして、と思うほど酷い。オレはトレッケの手を引いて、その場からすこし離れた。
「つまり、わらわの値踏みをしていたということかの?」
「……さすがに。吾輩が見込んだだけのことはある。非礼ではあるが、貴殿の器をはからせていただいた。ここに来る前に一度裏切られたことがあってな。慎重になっていたのである。無礼は許されよ」
「ふむ。そなたが望む条件は?」
「吾らが戦う相手は、東の魔王とその配下のみ。それさえ守っていただければ、禄は糊口をしのぐだけで十分である」
「よし雇った。来月、布告が切れたらゲノレで戦争じゃ」
オレはそう言って、金貨の詰まった袋をトレッケに放り投げた。稲刈り機二台の代金と、追加で発注された稲刈り機の手付金だ。かなりの金額だが惜しくはない。
「即答か。ディニッサ殿は見る目があるな! 吾らフェーゴニ一族19名の活躍を楽しみにしているとよいぞ!」
「19名!? うち魔族は何人おるのじゃ」
「おかしなことを言う。一族なのだ、むろん全員が魔族であるぞ」
……なにやら大儲けしてしまったようだ。現在、配下の魔族は22名。彼らが入れば、ほぼ戦力が倍増だ。そう喜んでいると、フィアがこっちにやってきてオレの後ろに隠れた。
「姫様、助けて……!」
「どうしたのじゃ?」
フィアに話を聞く前に、シグネが怖い顔で迫ってきた。オレは両手を開いてフィアの盾になった。
「そなたの用件をまだ聞いていなかったな。シグネはなぜわらわ達を見張っておったのじゃ?」
「フィアの生活を知るためです。そして結論が出ました」
「結論?」
「今日かぎりで、フィアは私たちの領地に連れ帰ります」
シグネは冷たい眼差しで、そう宣言した。
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でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。
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ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
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ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
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高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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