廻界書店

杜鵑花

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廻界書店

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 鉄の塊が人を乗せて動き回っている岡崎県岡崎市西片町の端の方にその書店はあった。
その店の、硝子製のドアをくぐると店内は古本の独特な匂いで充満していた。
若干埃っぽく感じるのはカウンターで本を読んでいるこの店の店主、もとい、僕が面倒くさがりな性格な所為だろう。
それは僕、鈴々木杜庵すずきとあんの生来のものであるためきっとこれからも埃は溜まっていくのは明白だ。
塵も積もれば山となるというがこの店もいつか埋まるのだろうか。
そんなどうでもいい思考に花を咲かせながらも僕は手に持っている本のページを進めた。
『多元宇宙論』について説明した本である。
内容こそ難しいがなんとなく掴めてくると面白い。
僕達が居るこの宇宙とは別にまだまだ宇宙が存在するというものだ。並行世界パラレルワールドというものに近いのかもしれない。
なんて壮大で幻想的な世界なんだ。
僕はスケールの大きさに感嘆していた。
これだから読書はやめられない。
この新しい世界を知る感じ、この感覚は病みつきだ。
思うに本というものはまた一つの世界なんではないだろうか。
本のおかげで自分の思考回路が拡張され、新たな思考が僕の中で生まれていた。
僕は新たな説に溢れ出る興奮を抑えるべく、カウンターに置いてある珈琲カップを取ろうとした。
しかし、その手は空を切った。

「あれ?? 珈琲はまだ淹れてないんだったか」

どうやら本を早く読みたいという欲求に駆られて読書の相棒である珈琲を淹れるのを忘れていたようだ。
そのことに多少、後悔しつつも僕は店の奥にある珈琲メーカーに向かった。
まずは珈琲豆を入れて……
珈琲豆の袋を持ったところで僕は違和感を覚えた。
やけに軽かったのだ。
僕は恐る恐るそれを逆さにし、上下に振る。
珈琲豆の欠片がポロポロと落ちるだけで普通のサイズの珈琲豆が出てくることはなかった。
腰を折るようなその出来事は興奮を収めるのには十分過ぎた。
面倒くさいが買いに行くしかないだろう。
僕は大きなため息を吐くと空になった袋を捨てて外出の準備をした。
外に出るのはいつぶりだろうか。
自宅兼職場のこの場所は僕を運動不足にさせた。
外出は一ヶ月に一回程度、以前外に出たのはちょうど一ヶ月ぐらい前だから一ヶ月ぶりか。
ついでに食料でも買っておくかな。
あれこれ計画を立てながら、僕は服を着込む。
さらにマフラーと手袋を装備し、完璧な防御を整えると入口のドアノブに手をかけ、ドアを開いた。
外界の寒冷な空気が入り込んで……こなかった。

「?!」

僕は驚いた。
それもその筈、ドアの奥には外界ではなく店内が広がっていたのだ。
本の配置、間取り、内装がまったく同じで、間違いなくこの店の店内だった。
僕は目に映る光景が信じられず、目を擦る。
次にドアの外を見ると、そこにはいつもの外界が広がっていた。
刺すような鋭い冷風が店内を駆け巡る。
この寒さは現実だ。

「見間違いだったのか??」

活字を読みすぎて目が疲れているのかも知れない。
僕は目頭を軽く押さえながら気を取り直して外に出た。
北西の季節風が僕の体に吹き付ける。
春の訪れはまだまだ遠いようだ。
僕は最寄りのショッピングモールまで歩を進めた。

◇◇◇◇

 ウィーンと巨大な建造物の巨大な自動ドアが開く。
ドアの向こう側には多くの店が立ち並んでいた。
平日だと言うのにモール内は人で賑わっていた。
その殆どが主婦なのでその中の僕という存在は少しばかり浮いていた。
僕は目的の店まで歩を進めた。
このモールには何度も来たことがあるので、道に迷うことはない。
筈だが……。
そこに店はなかった。
何処かで道を間違えたのかそれとも、店が閉店してしまったのか。
しかし、後者の可能性は低い。
何故なら店が無くなっているからだ。
その場所が次の店を待つ、空きスペースになっているわけではなく空間自体がない。
店が本当にあったのかと疑問に思うほどにそこには何もなかった。
だとしたら、道を間違えたのか??
僕は周囲を見渡してみた。
いつもの洋服屋、いつもの雑貨屋、いつもの百円ショップ。
確かにいつもと同じ場所。
いつもと違うところは珈琲豆の店がないこと。
ただそれだけだった。

「いったい何が起こってるんだ??」

心からの疑問だった。
モールの改装をしないと起こり得ないことが起こっている。
周囲の主婦たちはいつものように買い物を続けていた。
異変に気づいていないのか、はたまた、元から珈琲豆の店なんてなかったのか……。
しかし、人々が生み出す日常的な営みが僕の心に少しばかりの安心感を与えた。
日常は続いていると。

 僕は帰ることにした。
これ以上ここに立ち止まっていても時間の無駄でしかない。なんなら、冷やかしと思われて追い返されそうだ。
実際、冷やかしになってしまったことは否めないが仕方のないことだ。
オカルトというものは人の心理が生み出したものだ。
この多少オカルト染みた現象もきっと僕の心が生み出した幻想に違いない。
オカルト暴きのため、この件については店に帰ってから調べてみるとしよう。
もしかしたら、このモールは僕が知らない内に改装工事をしていたのかも知れない。
僕はそう考えることにした。
異変があったから引き返すのはきっと正解なはずだ。
異変の先を突き進んで捻れた世界に足を踏み入れるよりかは。
僕は身を翻し、来た道を戻る。
セールに群がる人々の横を、試食会に群がる人々の横を通り抜け、巨大な自動ドアまで戻ってきた。
僕はスピードを緩めることなくドアをくぐった。
そして僕は唖然とした。
ドアの先には野放図に広がる田畑があった。
その奥には山々が悠然と佇んでいる。

「は??」

僕はさっきまで割と都会の方のショッピングモールに居た筈だ。
しかし何故今僕は雄大な自然の中に居るんだ??
理解が追いつかなかった。
脳が状況を整理しようと懸命に動くがそれでも理解できない。
そんな状況だった。
ハッとして後ろを振り向くがそこにはショッピングモールはなく、代わりにポツポツと民家が立ち並ぶ集落が広がっていた。

「これは夢なのか??」

あまりに突拍子もない出来事に、そんな思考が脳を支配した。 
しかし、無情なことに空気は冷たいし急激な寒暖差の所為か気分が悪い。
これは紛れもない現実だった。

「……」

改めて僕は周囲を見回す。
見たことも訪れたこともない集落……だが、なんとなく既視感を覚える。
そんなリミナルスペース的な場所だった。

「クソッ、携帯も圏外だ」

ポケットから取り出した唯一の連絡手段であるスマートフォンもただの箱と化した。
不意に鋭い風が脇を抜けた。
その風力に押されるかのように僕は足を動かし始めた。
ここで止まっていても仕様がない。
取り敢えずそこら辺の民家に住んでいる人にここが何処か尋ねてみるとしよう。
僕は一番近くにあった民家のインターホンを鳴らす。
ピーンポーンと高い音が鳴ったかと思えば、次にパタパタと足音が響き、終いにはドアが開く音が響いた。

「はい、どちら様でしょうか」

出てきたのは五十代ぐらいのおじさんだった。
如何にも、田舎に住んでいそうな服装をしたおじさん。
勿論、知らない人だ。

「すいませんが、ここが何処か知りませんか?? 少し道に迷ってしまったようで」

「こんな田舎で迷うだって??」

おじさんは訝しむような目付きで僕をジロジロと見始めた。
こんな開放的な田舎で迷う人間なんて居ないので致し方ないことだ。

「おや?? あんた――」

暫く見ていたかと思えば突然、何かに気付いたかのような顔をした。
そしておじさんは続けた。

「――そこの書店の店主さんじゃないかい??」

突然の書店というワードに僕は一瞬固まった。

「ほら、あの竹林の中にある」

僕はおじさんが指差した方を向く。
そこには確かに竹林があった。

「ここはいったい何処なんですか?!」

「何処って……ここは岡崎県岡崎市西片町の端の方の田舎だよ。あんた、あそこの店主さんじゃないのかい??」

聞き覚えのある地名が聞こえて僕の疑問は確信へと昇華した。
ここは間違いなく僕が居たあの町だ。
原因はまったくもって不明だが僕は田舎になった西片町に飛ばされたようだ。
何が起きてるか判らないが僕は竹林に向かって既に走り出していた。

「いったい何なんだ??」

背後でそんな声が響いたが無視して走るのに集中した。
徐々に竹林が近づいてくる。
そしていよいよ僕は竹林の中に突入した。
無造作に生えている竹が僕のスピードを低下させる。
道らしき道もなく、こんなところに店があるのか疑問に思うほどに荒れていた。
暫く竹林を歩いているとやがて一つの見慣れた建造物が見えてきた。
いつもの書店、僕の家だった。
僕は店の入口の方まで周り、透き通ったドア越しに見える店内を覗き、違和感に気づいた。
誰かが居た。
目を凝らしてよく見てみる。
それはとても僕に容姿がにた何かだった。
いや、あれは完全に僕だ。
僕がカウンターに座って本を読んでいる。
再び頭が混乱する。
正直な話もう考えることも疲れた。
そのため、僕はドアノブに手をかけ、勢いよくドアを開けた。
カランカランと聞き慣れた音が響く。
店内から香る古本の独特な匂い。
埃っぽい床。
僕の視線は無意識的にカウンターの方へ向く。
しかし、そこには誰も居なかった。
閑散とした店内。
いつもの店内だった。
僕は店と外の境界を跨ぐ。
刹那、都会郊外の物静かな懐かしい喧騒が戻ってきた。
僕は後ろを振り返る。
そこには鉄の塊が人を乗せて行き交ういつもの町が広がっていた。

「いったい何だって言うんだ……」

朝から僕を取り巻くこの不可解な現象に僕はうんざりしていた。
不可解な現象は混乱を起こし、混乱は現象をより不可解にする。
考えることが多すぎて頭が痛い。
いっそのこと思考を放棄してしまえばいいのではないかと邪な考えが脳裏に浮かんだがすぐに沈めた。
この現象は放っておいたら駄目な類のものだ。
少なくとも、いきなり知らない場所に飛ばされたら困る。

「まずは現状の整理からか」

僕はおもむろにカウンターに座り、考え始める。
割と奇妙なことが起きても何故か冷静に行動できるのが僕だ。

「共通点は……ある」

僕はこれまでに起きた現象の共通点を掴んでいた。
共通点、いや、この場合はトリガーか。
それは――

「――ドアを開けること」

朝、店の入口のドアを開けると店内が広がっていた。
ショッピングモールで、自動ドアが開くと田舎になったこの町が広がっていた。
そしてさっき、竹林の中にあったこの店のドアを開けるとここに戻ってきた。
どれもドアが開くことで事象が起こっている。
しかし、毎回ではない。
ショッピングモールに入ったときは何も起こらなかったし、田舎に居たおじさんがドアを開けたときも何も起こらなかった。

「いや、違う……ショッピングモールでは既に異変が起きていた」

珈琲豆の店がなくなるという異変。
ただ改装工事をしただけだという可能性も勿論あるが、この状況的に考えてみると事象に巻き込まれたと考えた方が自然だ。
毎回事象は起こっているのか??
おじさんがドアを開けたときも何かが変化していたのか??

「だとしたら――」

刹那、世界が揺れた。
まるで金属製の定規を机の端で弾いたように。

「?!」

振動で動けなくなりながらも僕は見ていた。
視界が切り替わる瞬間を。
テレビのチャンネルを変えるかのように視界が切り替わっていく。
いつもの店内に居るはずなのに、そうではない。
本棚のデザインが違う店内。
内装が大きく違う店内。
まるでカフェのような店内。
まるで旅館のような店内。
視界が切り替わっているというよりか、ようだ。
直感的に僕の店だとわかるのに何処か違う。
中には瓦礫の山のようにまったく違うものもある。
僕は何を見せられているのか。
これは夢なのか、はたまたあの不可解な現象の最果てなのか。
僕には理解できなかった。
今まで見てきた店の数々は、なんなのだろうか。
徐々に、切り替わりの速度が加速する。
そして、ついに、光速まで達したかと思えば世界は急に光を失った。
無意識のうちに縮んでいた虹彩が開き、目に光が入ってくる。
辺り一面に夜空が広がっていた。
白く光る星々が光を届ける。
よく目を凝らして見てみると、それは天体ではなかった。
それは、世界だった。
薄っすら店内が見える。
他の星も同様に日常を営んでいた。
不意に、今朝読んだ『多元宇宙論』の本の内容が想起される。
世界には、数多にも枝分かれしたパラレルワールドが存在するらしい。
誰かの存在がなかったり、ある建物がなかったり、僕が違う仕事をしていたり、多種多様な世界だ。
この場所は常識を逸脱させるのか、僕は常軌を逸した仮説を立てていた。
思うにこの星々はパラレルワールドなのではないだろうか。
色々な世界線。
色々な結末を迎えた世界の数々なのではないか。
だとすると今日僕が見てきたあれらは、僕が元いた世界とは別の世界、パラレルワールドではないのだろうか。
何かの拍子に僕はパラレルワールドを行き来していたのではないか。
ふと、周囲を見回してみると一つの星が近づいてきているのに気づいた。
その星はやがて間合いにまで入ってきて――

◇◇◇◇

 「ドアとは内と外の境界を取り持つ道具。その奥は稀に別世界と繋がったりするかも知れない……か」

僕は『道具の真理と人間の心理』という一見何の需要があるのかわからない本を閉じ、大きく伸びをした。

「別世界か……一度は行ってみたいものだ」

僕はそんなことを呟き、立ち上がった。

「さて、珈琲豆の在庫がなかったんだよな。買いに行くとでもしようか――」
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